翼
授業中に考えた短編です。
意味不明な所(誤字、表現の仕方)は、
感想やレビューでお教えください。
俺は、死の瀬戸際にいる。
この知覧から多くの仲間が飛び、散っていった。
季節外れに咲く桜は、花は綺麗だが実がつくことは、ほとんどない
その中で俺は、実をつけることができた。未来を生きる
小さくて可愛い新しい実だ。本当に俺は、幸せ者だ。
舞台に出れば「鬼畜英米倒すべし」とか「1億総火の玉」とか
良い事か分からないけど役者は、叫んでる。
観客は、それを見て歓喜している。
舞台袖では、若者が爆弾持って歩いてる。舞台の裏では、
若者の家族と思しき人達が目に大粒の涙をためている。
観客の人達の中でも涙を流している人がいる。
他にも観客や役者に「反逆者」「非国民」とか
言われている人もいる。
台本やパンフレットに自由は、無い
良い事やコンクリートのように嘘で塗り固められた
言葉しか書いてない。今流れている音楽にも自由は、無い
「日本は、強い」とか「散る桜は、素晴らしい」とか
「天皇陛下万歳」とか今まで何度聞いただろうか
それよりベートーヴェンの「運命」とかドヴォルザークの
「新世界より」の方が俺は、聞きたい。
この小さな劇場に多くの人がいる。
劇場を出てみよう。小さな劇場の外は、海だった。
ボートにライフル銃や爆弾を持った白い人や黒い人、黄色い人が
小さな劇場を睨んでいる。
その中でも大きなボートに乗って多くのライフル銃を持ち
大きな爆弾を持った人達は、小さな劇場に向かって爆弾を落としたり
ライフル銃を撃ったりしている。
俺は、その人達が乗っている大きなボートに向かって
爆弾を持って、飛んでいく。
息子の顔は、拝めたが孫の顔は、拝めなかった。
もう少し長く生きたかった。この戦争がなかったら
孫の顔は、見れたのだろうか?
「孫の顔 我が人生の 一悔いなり」
この後、小さな劇場の人達は、大きなボートに乗った人達に
負けた。この戦争に備えて作った小さな劇場のボートは、
ほとんど残っていない。小さな劇場は、
大きなボートに乗った人達に占拠された。
小さな劇場の人達は、大きなボートに乗った人達を恨んだ。
恨んで恨み尽くして大きなボートの人達と仲良くなり始めた。
そのあと、小さな劇場は、小さな劇場に居た人達の物になった。
小さな劇場で作った物は、飛ぶ様に売れた。
小さな劇場は、豊かになった。
その後、近くや遠くで戦争があった。でも、小さな劇場や
大きなボートに乗った人達のおかげで、戦争は、減っていった。
俺が飛んで、50年後...孫がエースパイロットなのは、
小さな自慢だ。
どうでしたか?
考えることは、人それぞれです。
否定する人も居れば、肯定する人もいる。
それが人間です。
感想募集しています。 完読ありがとうございました。m(_ _)m