第五章 『騎行決闘(ライディング・デュエル)』パドック特別(非公式)
「待て……! まだ終わって……おらんぞ……っ!」
壁の向こう、瓦礫を跳ね除けてガストンが這い出してきた。
胸の鎧は見事に凹み、呼吸も絶え絶えだが、その目は屈辱で血走っている。
「ギ、ギルドマスター! 見ただろう! この女は、聖なる騎士である俺に暴行を働いた! 万死に値する罪だ!」
「先に手を出したのはお前だろう、ガストン。……だが、これほど派手にやられては、騎士団のメンツも丸潰れか」
バルガスが鼻を鳴らす。
「黙れ! 認めん、こんな不意打ち……! 貴様ら、俺と**『騎行決闘』**で勝負しろ! この街の外周、三マイルを先に駆け抜けた方が勝ちだ! 俺が勝てば、その女は俺の奴隷に、男は極刑だ!」
「……乗ったわ」
駿介が止めるより先に、ローズが即答した。彼女の瞳には、かつて京都のパドックで見せたような、冷徹な勝負師の光が宿っている。
「その代わり、私が勝ったら……あんたの持ってるその『魔法の鞭』、折って捨てなさい。そんな不細工な道具、見てるだけで吐き気がするのよ」
「……よし、決まりだ」
バルガスが不敵に笑い、ギルドの机を叩いた。
「立ち会いはこの俺、バルガスが引き受けよう。騎士団のプライドと、謎の『御者』の腕前……。どっちがパドックの風を掴むか、街の奴ら全員に賭けさせてやる! レースは一刻(二時間)後、北門のスタートラインだ!」
街の北門から外周を回る三マイル(約四八〇〇メートル)。
石畳と荒れた砂地が混ざる過酷なコースに、街中の住人が賭け札を手に集まっていた。
「……さあ! ギルドマスター・バルガスの裁定により、緊急開催となったこの決闘!
左手には、街の守護者、重戦車と謳われるガストン副団長と、魔法強化された巨躯の地竜!
対する右手には……正体不明! 漆黒の馬に跨る謎の男、シュンスケ!
オッズは圧倒的ガストン! だが、あの黒い馬体、ただものではない輝きを放っているぞ!」
バルガスが実況の魔導具を手に、野太い声を響かせる。
「……ローズ、準備はいいか。ここの馬場、内側は石畳だが、外はボコボコの砂地だ。あいつは最短距離を走るだろうが……」
駿介が耳元で囁くと、ローズは鼻先を不敵に鳴らした。
「……フン、分かってるわ。あんな重たいトカゲの足音、私のリズムを乱すだけよ。……シュンスケ、手綱をもっと短く。私の『前進気勢』、抑えきれなくなっても知らないわよ」
「……ああ、信じてるぜ」
バルガスが右手を振り下ろす。
「——ゲート、オープンッ!!」
ズドォォォン!!
ガストンの地竜が、魔法の鞭の爆音とともに先行した。地響きを立て、石畳を砕きながら猛進する。
「ははは! 死ねえ! この地竜のパワーに、そんな細い馬がついてこれるかあ!!」
ガストンが内を締め、砂埃を巻き上げる。
だが、駿介は微塵も動じない。
「……第1コーナー、ガストンがハナを叩く(逃げる)! シュンスケは後方二馬身!
おっと、シュンスケはあえて大外! 最も足場の悪い砂地を選んだ! これはジョッキーのミスか!? それとも……!?」
バルガスの実況が、観衆の不安を煽る。
だが、駿介の目には、誰も見えていない「グリーンベルト」が見えていた。
「……ローズ、今だ。砂の適性を見せてやれ!」
「——シャアアアアッ!!」
ローズが嘶きとともに、魔力の火花を散らした。
荒れた砂地。本来なら足を取られるはずの場所で、ローズの蹄は正確に地面を捉え、逆に反発力を生んでいる。
「……さあ! 最終直線に入った! 逃げるガストン、リードは三馬身!
ガストン、魔法の鞭を連打! 地竜が咆哮し、さらに加速!
万事休すか、シュンスケ!
——いや、違う! 来た! 外から漆黒の影が、一瞬で景色を置き去りにしたぁ!!」
駿介がモンキー乗りで前傾姿勢になり、ローズの首筋を叩く。
「行けえ、ローズ!! 大外一気だ!!」
シュパァァァァン!!
門の上に陣取った受付嬢が、拡声の魔導具を片手に身を乗り出した。
「さあ! 最終コーナーを回って直線に入りました! 先頭は依然としてガストン副団長の地竜! しかし、大外から信じられないスピードで漆黒の影が迫る! 実況は私、受付のミラ、そして解説には……なぜか並走中のガストン副団長をお迎えしております!」
魔導具には、必死に鞭を振るうガストンの荒い息遣いと怒鳴り声が混ざる。
「……ハァ、ハァ! 見ろ! あの黒い馬の走り……素人目には速く見えるだろうが、あんなのはただの暴走だ! 外側の砂地を選んだ時点で、スタミナ切れで沈むのは目に見えている! 俺の計算では、あと数完歩で脚が止まるはずだァ!」
「なるほど、ガストン解説員によれば『自滅待ち』とのこと! ですが……おっと!? 黒い馬ブラックローズ、さらに加速! 沈むどころか、地面を蹴る音が一段と高くなった! 砂を弾き飛ばし、まるで平坦な芝を走っているかのようです!」
「バ、バカな! 魔法の鞭も使わずに、なぜあんな回転数が上がる!? 物理的におかしいだろ! おい、あいつ今、内側の俺を鼻先で笑わなかったか!?」
「あーっと! 漆黒の女王が、並ぶ間もなくガストン地竜を抜き去った! まさに次元が違う! ガストン解説員、今の状況をどう説明されますか!?」
「説明だと!? うるせえ! 待て、止まれ! 卑怯だぞ、追い抜く時に風圧でこっちのバランスを崩しやがって! これは何かの魔術だ、反則……ぶふぉっ!?」
ローズが後足で蹴り上げた大量の砂が、ガストンの口の中に直撃する。
「ガストン解説員、無念の沈黙! 砂をたっぷりと食べさせられました!
さあ、残りは直線二百メートル! シュンスケ選手、手綱を抑えたまま(持ったまま)! ムチ一本入れずに、リードは五馬身、七馬身、十馬身……!
もはや計測不能! 独走だ! 漆黒の女王が、パドックの荒野を蹂躙していくぅ!!」
「——ゴールインッ!! 勝ち時計、これまでのコースレコードを大幅に更新!
二着のガストン副団長は……あーっと、ゴール直前で地竜が完全に戦意喪失! 膝から崩れ落ちて、現在砂まみれで転がっております!」
ゴールを駆け抜け、悠々と歩みを止めたローズ。
彼女は人型に戻ることもなく、馬の姿のまま、遅れて入線し、地面に転げ落ちたガストンを見下した。
駿介がゆっくりと下馬し、ガストンの前に立つ。
「……悪いな。お前の地竜、最後の方は泣いてたぜ。……自分の相棒の呼吸も分からねえ奴に、俺たちの背中は追えない」
ローズがガストンの「魔法の鞭」を前足でバキリと踏み折る。
静寂。そして、地響きのような大歓声。
ローズは涼しい顔で、砂埃ひとつ立てずに駿介を背に乗せて戻ってきた。
地面に這いつくばるガストンの前で、彼女は人型に戻り、耳を塞ぎたくなるような高笑い——ではなく、心底「飽きた」という顔で言い放った。
「……解説、お疲れ様。私の走りを分析しようだなんて、一億年早いのよ」
駿介が、呆然とする受付嬢ミラに向かって、ポンと肩を叩く。
「いい実況だったよ、ミラさん。……さて、ガストン『解説員』。馬券……いや、賭けの清算といこうか」
「……次は、もっとまともな相手を連れてきなさい!」
割れんばかりの歓声が沸き起こった。
これが、異世界に新たな伝説が刻まれた瞬間だった。




