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【小説】パンとワインとおれと明日

掲載日:2025/12/15

 暇だった。

 ついに読むものがなくなり、パッケージの裏に書かれた成分表示を眺めている時に気づいた。

 この店内にある食料の消費期限が間もなく一斉に切れる。

 考えてみれば当然のことで、ロット単位での発注をする訳だから消費期限は一斉にやってくる。当たり前だが賞味期限なんぞとうの昔に過ぎている。


 逃げ込んだスーパーは好運にも無人で、これ幸いと緊急避難の声を高らかに普段は半額でも買わない惣菜を楽しんだ。

 そうやって最初は好き勝手食べていたものの、何日か経ってから食べた寿司で腹を下して以降、デリカコーナーの生モノからは遠ざかっていた。

 食べられそうな揚げもの惣菜から先に片付けていると、冷蔵庫の中を計画的に処分しているような所帯じみた気持ちになる。

 


 あいつらは喰うのだろうか。

 そう思って試しに二階から傷んだ生魚やカキフライを投げてみたが、腐った死体どもは目もくれなかった。

 数日前まで喜んでスーパーの惣菜を喰っていたような奴らが、今は目もくれずに生肉を求めて徘徊している。

 そりゃあ生肉が喰えなくなって久しいけれど、死んでから何を気にすることなく生肉を喰えるとはなんとも皮肉な事だ。

 一羽のカラスが飛んできて地面に転がった惣菜を咥えると、再びどこかに飛び去っていった。



 焼肉を食べたいな、と呟く。



「こちらのレバー、生でも食べられるくらい新鮮なんですよ」

 と言ってレバー焼きを提供するあの店に行きたい。

 一緒に行った人に「まだ早いよ」と言われながらほぼ生の焼肉を食べたい。

 焼き過ぎて黒くなった野菜だって今なら喜んで食べる。

 カリカリに焼けてしまった肉を横取りして怒られたい。



 そう言えば牛もゾンビになったりするのだろうか。家犬や猫はきっともうダメだろう。

 さっき見たカラスはゾンビ化していないみたいだ。定期的に餌付けをしたら飼える気がする。

 ボールに顔を描いて友だちにするには、まだ孤独が差し迫っていない。


 店内に戻ったタイミングで、天井の蛍光灯が消えた。同時に陳列棚もブーンとひと息入れると眠りに落ちた。

 当然だ。労働力が無いのだからインフラが駄目になる。間もなくガスや水道も破綻するだろう。

 辛うじて外の光が差し込む薄暗い店内で保冷バッグや保冷剤、ドライアイスなどをかき集めた。生物はもちろん生菓子も傷み始めている。野菜だっていくつかは水へとメタモルフォーゼしていた。

 それに夜になる前に懐中電灯を探さなきゃならないし、紙のパッケージは燃やせるから選り分けておきたい。

 せっかく仕事が無くなって労働だとか支払いから解放されたのに、生きていくにはタスクが積み上がり続けていく。

 おまけに消費期限だとかの締め切りまで考えなきゃいけない。

 


 楽しいのは最初の一週間だけだった。



 アメリカ留学をしていた頃を思い出す。

 学食はピザもハンバーガーも食べ放題で、最初は喜んでいたものの一週間もすると焼き魚や煮物が恋しくて仕方なくなった。

 もちろん、そんなものはアメリカの学食にあるはずもなく無惨にも分厚い揚げ衣をまとった白身魚や、出汁だの旨味だの概念が欠如したスープが並ぶ程度だった。

 味のしないスープにコンソメ顆粒を混ぜたり、白身魚の分厚い衣をどうにか剥がしてKIKKOMANと書かれた醤油を垂らして喰うが満足できるはずもなく、食文化の与える精神的ダメージはかくも大きいものかと思ったのだ。



 それと似たような状況に、いる。


 棚に並んだ食事に飽きている。

 誰かの作った食事を摂りたい。

 スーパーに逃げ込み、カートやカゴを積んだ適当なバリケードで腐った死体の侵入を防ぐ。

 映画みたいに腐った死体の群れが寄り付かないのは、恐らく長期間のデフレだとか吝嗇傾向の強い国民性だからだろう。

 デフレも役に立つことがあるんだな、と思ったが感謝の手紙を書く先も今では無い。


 いまはカレーが憎い。

 あんなに好きだったカレーにも飽き始めている。

 最後に残っているのはレトルトのカレーだった。

 最初は興味のわいた順番に食べていたが、飽きてからは次第に色々と混ぜて食べるようになった。

 温める水も勿体ない状況ではどうしようもない。

 カップ麺の容器に流し込んだ粉っぽいカレーを飲み込む。それをぬるいコーラで流し込む。そして同じ味のゲップをする。

 ぬるいコーラは不味かった。

 きっとビールも不味いだろう。下戸で良かった。



 煙草も残り少ない。

 毛嫌いしていた香料つきのメンソール煙草にも慣れてしまった。

 まるで便所の芳香剤みたいだったが、いまは煙が出ればなんでもいい。

 甘い缶コーヒーにも慣れた。

 スーパーの端に陳列されていた、どうかしているデザインの服にも慣れたし、段ボールの寝床にも慣れた。

 この生活に馴染んだ。


 もう救援がどうと言う段階ではないと思った。



 今となっては逃げ込むべきはスーパーでは無くてホームセンターだった気もする。

 あそこには土もあるし植物の種もある。

 スーパーにだって挿せば育つようなハーブ類も売っているが肝心の土が無い。

 そうなってくるとアスファルトで覆いつくされた駐車場が憎い。

 しかしどこまで行けば土があったか思い出せない。

 生活範囲内に土があったかすら思い出せない。

 公園のアレは土なのか砂なのか。耕してどうにかなるものなのか。ここにある腐った残飯を混ぜれば成立するのか。

 学生の頃にもう少し勉強するなり遊ぶなりしておけば良かったと思う。


 餌を投げてもカラスが姿を現さなくなった。



 もはやスーパーに逃げ込んだことを後悔すらしている。

 何だって逃げてしまったのだ。

 素直に噛まれて腐った死体になっていれば良かったじゃないか。

 今頃は生肉を頬張って満足げに徘徊してたんだ。

 何も考えずにいられた。

 それこそ消費期限だとか飲み物がぬるいとかメンソールじゃない煙草が吸いたいとか柔らかい布団とか考えないで済んだのだろう。



 むかし読んだ小説だかエッセイだかで、就職初日だかにスーツの群れに気持ち悪さを感じてアジア一人旅に出たものを読んだが冗談じゃない。

 腐った死体に永久就職すればよかったのだ。

 自衛隊もアメリカ軍も来ない。

 それどころか中国軍だって来ない。

 何がどうなっているか分からない。

 生きている人間はいるのかいないのか。

 無人島に流されたのとは訳が違う。

 文明に囲まれて孤独を感じるとは思わなかった。

 遭難するのとも違う。

 希望と言うものが何かもわからない。

 うるさいと思っていた夜明けの新聞配達の音が懐かしい。

 もういっそバラチョンマフラーの暴走族だっていい。

 生きる存在が文明の音を立ててくれたらよいのだ。


 いつも通りの朝が来た。

 新しい朝だ。しかし希望など無い。



 スーパーの屋上の角に立って、おもむろにションベンを撒いた。

 メンソールの煙草を投げ捨てて今度はケツを外に向ける。

 喰ったものと大して変わらないものを落としてから、よく揉んだ雑誌で拭いてそれも投げ捨てた。

 雑誌も布も無くなったら手で拭いて喰ってみたりするんだろうかと考えるが、どうでもよくなった。

 誰もいないのに服を着ているのも馬鹿馬鹿しい。



 見渡す限りの街は今日も変わらず停止した文明のままだった。

 焚火の煙が見えるでもなく、バイクや車のヘッドライトが見える訳でもない。

 顔なじみの腐った死体に挨拶をして、今日もその増減だとかを数えてみるが何も変わらない。

 みんなどこへ行ったのだろうか。

 日本人はワーカホリックだから職場だろう、などと冗談を言っていたこともあるがスーパーに出勤してきた腐った死体はいなかった。

 ここにいるのは行く宛の無い腐った死体たちであり、帰る場所も無いのだなと思うと悲しくなってしまう。



「お前らは俺だよな」

 と呟くが記録映画でもないのでこの批評性を誰も聞いていない。

 仮に記録したところでだれが見るでもないのだろう。

 疲れた。

 スーパーの中に戻って黴て硬くなったパンを齧り、ワインを飲んでから、煙草に火をつけた。

 入り口に積んだカートやカゴをどかして外に出ると、徘徊していた顔馴染みがこちらを向くのが見える。

「できるだけ痛くなくしてくれよな」


 飲み慣れないアルコールが回ってぼんやりした視界に、鳴きながら飛んでいくカラスが見えた。

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