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二発目の毒針

作者: オハラ ポテト
掲載日:2025/12/06

 秋空の下、カバのようにあくびをかきながら、三澤隆刑事は昼寝していた。その横で言い争っている部下の大田大輔刑事と有田悟刑事が話していると、三澤は起き上がり、折り紙を身体に巻いて飛んでいるスズメバチを見なかったかと二人に尋ねる。有田は、シャーロック・ホームズの冒険を読んでいたところだった。三澤は、シャーロック・ホームズの言葉「見るのと観察するのとは違う」を引用し、スズメバチに隠された秘密を探しに行く。


 スズメバチが関与する殺人事件。しかしスズメバチは、ダミーだった。スズメバチが刺した二発目の毒針が、三十年前と現在の事件の真相に迫る、連続ミステリー。異色の三人の刑事による謎解きミステリー。二発目の毒針に注意!


 有田悟刑事は、一カ所しかスズメバチに刺されていない死体に疑問を持つ。アナフィキラシーショックは、二発目のほうが強いからだ。もしかしたら過去にスズメバチに、仏さんが刺されていたのかもしれない。捜査をしていくうちに、三十年前の事件が浮かび上がってくる。それは、とあるゴールデンレトリーバーの犬の嗅覚によるところだった。有田はその犬が、スズメバチが怖くて吠えていたのではなく、三十年前の事件で被害者の妻となった平野の奥さんがずっと飼っていた彼が、平野の遺品の匂いに親近感を覚えていた。だから事故現場に行くと吠えるのだと推理した。しかし結末は意外なことになる。



第一章折り紙を身体に着けたスズメバチ


 台風一過、晴れた秋空の下、三澤(みさわ)(たかし)刑事は大きないびきをかいて寝ていた。その横で、大田(おおた)大輔(だいすけ)刑事は弁当を食い、有田(ありた)(さとる)刑事は本を読んでいた。三澤隆刑事は、カバのような顔をして、眼鏡をかけた五十代後半の男だった。大田大輔刑事は、大食らいで弁当を食い終わっても、まだ食べ足りない様子だった。そんな二人を尻目に見て、勉強熱心な丸顔で眼鏡をかけた有田悟刑事は読書に耽っていた。


 「有田君、君の弁当少し分けてくれないかい? 君さっきから弁当に手をつけていないじゃないか?」

「え、今食べ終わったのでは?」

「いや、そうだけど、まだお腹が鳴っている」

「君は腹八分目という言葉を聞いたことがないのかい? このままじゃ糖尿病になるよ」

大田は、ぽっこり出たお腹を撫でながら言った。

「もう糖尿病って診断された」

あきれた顔で有田は、大田を見つめ直した。

「そしたら食べてしまったものは、胃から取り出せない。今から運動しないとだね!」

大田はがっくりしたようだ。


 「それはそうと、有田君、さっきから何を読んでいるのかね?」

「シャーロック・ホームズの冒険だよ」

「シャーロック・ホームズ?」

「ああ、そうだよ」

「それ、読んでもお腹は満たされないよね?」

大田は、意地悪に言った。

「でも、知識欲は満たされる」

有田は、満足げに言った。

そんな二人のやりとりを聞いていたのか、三澤は起き上がり言った。

「君たち今さっき、折り紙を身体に着けて飛んでいる、スズメバチを見なかったかい?」

「三澤さん、起きていたのですか?」

有田は、びっくりした。

「あ、そう言えば弁当を食っているとき、飛んでいたな」

大田は言った。

「そうだったのですか? これは面白いことを誰かがやっていますね!」

有田は、いかにも興味津々そうに言った。

「そうだよ! シャーロック・ホームズも言っているが、見ることと観察することは違う。有田君はそこに気がついている。大田君もただ見ているだけじゃなく、よく観察してごらん?」

「三澤刑事殿、弁当の味が良すぎて、見る方が疎かになっていました」

大田はでかい口を開けて言った。

「見るじゃなく、観察する。よく覚えておきなさい」

三澤は、物思いに耽っている様子で言った。


 大田は何かを察したのか、急に慌てふためいた。

「もしかしてこれって、事件とか!」

「そうだね」

三澤は、部下が気づくのを待っていた。

「それじゃあ、まずは現場に行きましょう」

有田は言った。















第二章日本ミツバチ


 スズメバチが飛んでいった方向へと三人は追いかけていった。だがそこは、放課後の小学校の屋上だった。行ってみると、スズメバチには逃げられていた。しかしとある理科教師多田(ただ)(とも)(ひろ)が、ミツバチの養蜂を行っていた。事情を聞こうと、有田は声をかけた。場所は横浜市旭区内S小学校の屋上だった。


 「恐れ入ります。校長の許可を得て、こちらに参りました、神奈川県警の有田と申します」

「三澤です」

「大田です」

有田は声をかけ、三人は挨拶をした。

「理科教師の多田智弘先生ですよね?」

三澤は言った。

「はて、今日はなぜここに、県警の刑事さんが?」

「まず一言で言わせてもらえれば、放課後とはいえ、こんなところで蜂を養蜂するのは危険ですよ!」

大田大輔が正義感強く言った。

「もちろん許可なく放課後とはいえ、こんなことはしませんよ」

多田は余裕の顔で言った。

「では、どなたから許可を得ているのですか?」

有田は訝しげに聞いた。

「役所の人間から許可は得ています」

多田は自信ありげに言った。

「役所?」

三澤も訝しげに言った。

「ええ。横浜市旭区役所の菅沼(すがぬま)弘和(ひろかず)さんという担当の方からね」

多田は、なおも白を切るかのようにあざ笑っていた。

「後で、その菅沼さんにも聞こうと思っています。一体何の目的で、ここでミツバチの養蜂をされているのか、先生からも聞きたいですね」

「簡単ですよ」

「簡単?」

大田は怒気を含んだ声色で、相槌を打った。

「大田君。相槌を打つときは、相手に共感を示すことが大切だ。そんなに怒気を含めて言ったら、相槌にならんよ」

三澤は大田をたしなめた。

「うちの若いのがすいません。多田先生、では回答してもらえませんか?」

「最近ここら辺に、よくスズメバチが飛んでくるので、日本ミツバチを養蜂して欲しいと役所の菅沼さんから言われたのですよ」

「どうして日本ミツバチなのですか?」

三澤はさらに多田を追及しようとした。

「三澤さん、私から説明します」

有田は自信ありげに言った。

「そういえば、有田君は昆虫マニアだったな」

三澤は言った。

「ええ、日本ミツバチはスズメバチを殺す益虫です。スズメバチは通常一匹で動き回ります。その一匹が日本ミツバチの巣に近づくと、多数の日本ミツバチが、スズメバチに群がります。そしてスズメバチが耐えられない温度まで上げて、焼き殺す。日本ミツバチの方が、スズメバチより若干高い温度まで耐えられる。よって、その温度差を生かして、昔から日本ミツバチはスズメバチの脅威に立ち向かってきたのです」

有田はこともなげに説明した。

「なーんだ! だったらスズメバチも大勢で来ればいいのに!」

大田は言った。

「そうなのだけど、そうだったらこんな対抗策を昔からできる訳がなくて」

有田はそこで止まった。

「それで?」

大田はなおも先を聞きたそうにした。

「まあいい。論点は有田君がもう言ってくれたのだから」

三澤は有田を庇った。

「詳しいですな。その通りですよ。だから少しでもスズメバチを殺せればいいと思って、役所の人間が言ったのでしょう」

多田は、顔色が悪くなってきた。大田は、今度は多田を気遣った。

「多田さん、無理なさらないでくださいね。顔色が良くないですよ」

その時だった。S小学校で見失ったはずの、折り紙を身体に着けたスズメバチが戻ってきた。そしてミツバチを捕食し始めた。三人はこの後、ミツバチがスズメバチに群がり、殺されるのかと哀れな気持ちになった。しかしこの日に限って、いつになっても、ミツバチはスズメバチに攻撃を仕掛けない。それどころか、どんどん仲間のミツバチは、スズメバチに殺されていった。多田は、それを見て顔色が先ほどから悪くなっていた。

「あれー、おかしいな?」

大田は、ぽかんと開いた口が塞がらなかった。

「多田さん、これはどういうことですか?」

有田は多田に詰問した。

「間違えた」

多田は呆然として、一言言った。

「間違えたですまないでしょ?」

大田も多田に詰問した。

「この学校では、実験用に日本ミツバチと西洋ミツバチを飼っていて、今日は間違って西洋ミツバチを出してしまった。そういうことですか?」

三澤は平然と言った。

「すいませんでした」

多田は一言謝罪して、その場を後にした。残された西洋ミツバチの巣は、後から来た別のスズメバチ数匹で、巣を全滅させられた。


 その帰り道、有田は三澤に言った。

「でも理科教師が西洋ミツバチと、日本ミツバチを見分けられないなんて考えられないですよ!」

「そうだな。私も腑に落ちない」

三人ともモヤモヤしていた。警察署に戻ると、先ほどまでいたS小学校の近くの雑木林で、スズメバチに刺されて死亡した男性の話でニュースは持ちきりになっていた。

事故の線で、警察は捜査し始めたとニュースでは伝えていた。三澤は驚いて、有田に尋ねた。

「有田君、どう思う?」

「何か、裏があるような気がします」

有田は答えた。

「君もそう思うか?」

「はい」

すると隣にいた大田が、別の刑事から事件のことを詳しく聞いたところ、男性は腕を一カ所スズメバチに刺されて死んだらしいとのことだった。

「妙だな? 確かに一回刺されただけで死ぬこともある。けどアナフィキラシーショックは、二度目の方が強い」

有田は考え込んでしまった。

「仏さん、相当運が悪かったのかな」

大田は言った。

「で、大田君、被害者は特定できたのかな?」

三澤は大田に聞いた

「それが教育委員会の理事長の平川(ひらかわ)和正(かずまさ)さんらしいです」

大田は答えた。三澤と有田の眼鏡は光った。































第三章現場


 三人は現場へと向かった。そこにはパンチパーマの刑事大嶋(おおしま)(すぐる)がいた。

「大嶋君、現場検証はどうなっている?」

「これは三澤刑事殿」

大嶋は、横にいた大田と有田が眼中にないとでも言いたげな様子だった。

「大田君、有田君、大嶋君に挨拶しなさい」

「嫌です」

大田は言った。

「僕も!」

有田も言った。有田も大田も大嶋を嫌っていた。それもそのはず、大嶋は大田と有田の直属の元上司で、いつも二人を小馬鹿にしていたからだ。

「困った子たちだ」

相変わらず、大嶋は有田と大田の二人を見下していた。

「まあまあ二人とも、今は事件の捜査に専念しなければならん」

三澤は、二人をなだめた。

「まあまた、どこかで事件ですかな?」

大嶋は三澤に言った。

「ということは、こちらでは事故か何かで片付けようとされているのかな?」

三澤は大嶋に聞いた。

「三澤刑事殿、また事件にするつもりですか? こちらは事故で片付いていますよ」

大嶋は面倒くさそうに答えた。

「大嶋刑事殿、だが腑に落ちない」

「どこですか?」

「スズメバチに腕を一カ所刺されただけで死ぬ確率は、そう高くはない」

「それで?」

大嶋はあくびをかいた。

「私達は、単に運が悪くて、仏さんが旅立ったとは考えてはいない」

三澤は頭をポリポリかきながら言った。

「それじゃあ、まるで自殺か何かの線で考えていらっしゃるのですか? ところで刑事殿、この前風呂に入ったのはいつですか?」

大嶋は不快な顔をしながら言った。

「一週間前だよ。うちには事情があって風呂がない。いつも通う銭湯がこんな時に限って、修理中だ! 身体中かゆくてたまらんわ。それはそうと自殺、いやもしかしたら、他殺の可能性すら考えている」

三澤は、今度は背中をかきながら言った。

「まさか?」

大嶋は驚きながら言った。

「そうなのだよ、大嶋君」

三澤は自信に満ちた顔で言った。

「何を証拠に?」

大嶋はあざ笑った。

「証拠はこれから見つけ出す」

三澤は強い口調で言った。

「まあ、せいぜい頑張ってくださいな」

大嶋はあきれ果てて、行ってしまった。


 三澤は、情に厚い男だった。あるとき大親友の借金の保証人になり、親友は逃走。彼が借金を肩代わりしていた。そのため、妻と離婚、子供とも、もう何年も会えていなかった。彼には四人の娘がいた。そんなこんなで、彼は不自由な生活を強いられていた。それに加えて、人間不信に陥っていた。なので、事故でも自殺でも、事件性があるかどうかいつも検証していた。少しでも腑に落ちないことがあると、事件だと疑ってかかっていた。そんな苦労人の三澤だったので、この人なら信じられると思い、有田と大田は三澤に師事してきた。その三澤は、有田を研究の虫、大田を直感の虫として評価していた。


 「行きましょう、三澤さん! 何か匂いがしますよ」

大田は先ほど食べた蜂蜜パンの蜜が、鼻に残っており、いろんな蜂がその蜜を狙っていた。

「それはどんな匂いだね、大田君?」

三澤は大田の直感力に期待していた。

「蜂蜜の匂いです!」

大田は張り切って言った。

「鼻、ティッシュで拭いてみな」

有田がティッシュを差し出した。大田は恥ずかしそうに有田からティッシュを受け取った。

「三澤さん、旭区役所の菅沼弘和さんに事情を聞きに行きましょう」

有田は言った。

「そうだったな。まずは関係者に話を聞かなければ」


第四章任意の事情聴取


 横浜市旭区役所へ行く通りは、いつも車で混んでいる。途中おいしそうなファーストフード店や、ラーメン店もあった。大田は仕事を忘れそうになったが、三澤と有田の顔を見て、思い直した。大田は、いつも落ちぶれていた。若い頃は太ってなかったみたいだが、度重なるストレスで今の体型になったらしい。そんな大田の直感力だけは、捨てられない物がある。これは有田が常々感じていた物だった。


 有田は、努力の虫だった。彼は抽象的に言われるのが苦手だった。分からないことは、読書し、ネット検索して答えを見つけてきた。だが彼は元来、読書が苦手だった。特に小説は苦手だった。なぜなら行間を読むのが彼は苦手だったからだ。もっと作者には、具体的に書いて欲しい。そう思わずにはいられなかった。昨今の読書離れには、様々な要因があると思うが、有田は作家がもっと具体的に書けばいいと思っていた。なぜなら読書が苦手な人にとって、いきなり行間を読むのは至難の業である。読書に慣れている人なら、行間を読むことはできるだろう。しかし世の中の大半、特に現代日本では、読書離れが進んでいる。有田はその原因に、作家、小説家の傲慢があるように思えてならなかった。作家、小説家がもっと、読書嫌いの人たちのことも考えて文章を書かないといけないと思っていたのだ。彼らが、自分の文章に酔えば酔うほど、読書離れは進むだろう。もっと、読書嫌いの人間にも分かる文章を書いて欲しいと、有田は願っていた。そんな有田は度々難しい文学にも挑戦したが、彼の特徴と、作家の傲慢が彼を読書嫌いにした。唯一シャーロック・ホームズだけが、彼の愛読書になった。ミステリー小説は、途中は曖昧だが、最後は答えが必ずある。


 そんなこんなで、旭区役所に到着した三人は、菅沼弘和に面会した。

「菅沼さん、S小学校の理科教師の多田智弘さんに、放課後の学校の屋上で養蜂を許可したのはあなたですね?」

三澤は静かに言った。

「これは任意の事情聴取ですよね? あなたたちは、捜査を裏からサポートする、まあいわば二軍選手ってところでしょ?」

「なんだと!」

大田はかっとなった。

「まあまあ大田君。落ち着いて」

三澤は、いつものごとく、大田をなだめた。

「そうだぞ、大田。チームプレーだよ」

同様に有田も大田をなだめた。有田にも分かっていた。いつもこの三人はチームで束になって、犯人を追い詰めてきたからだ。

「すみません」

大田は二人に謝罪した。

「菅沼さん!」

だが珍しく、いつも冷静沈着な三澤が声を荒げた。一瞬菅沼は沈黙したが、すぐに笑顔になった。菅沼はスキンヘッドのおじさんだった。

「任意の事情聴取なら、話しません」

「そうですか、分かりました。いつか尻尾を掴みますから」

有田は、そう冷静沈着に言って席を立った。


その後三人は、本屋へと立ち寄った。

「有田君、本屋は最近減ってきているな。まだ都会はいいものだが、過疎地では本屋どころじゃないね!」

三澤は何気なく言った。

「それですよ! 三澤さん、有田君!」

大田は何かを直感的に感じたらしい。




















第五章二発目の毒針


 「どういうことだい、大田君?」

有田は興味深そうに大田を見た。

「それはだって、みんな過疎地にも本屋を作りたい。けどそれは無理があるよね? だからオンラインショッピングで、過疎地の人は本を買うしかない」

大田は意味ありげに言った。

「つまりこの犯行にはオンラインで誰かを動かして、平川和正理事長を殺害した人間がいる。それだけにとどまらず、昆虫の生態を知らない都会人をあざ笑い、オンライン本屋つまり架空の何かで何かを隠している」

三澤は勘づいたように言った。

「どういうことですか、三澤さん?」

有田は自分だけ遅れをとっていると思い、焦って三澤に聞いた。

「有田君、これには君の知識も必要かもしれない」

三澤は、有田に期待して言った。

「もしかして、スズメバチの毒のことですか?」

有田も勘づいた。

「そうだ、有田君! それなのだよ!」

三澤は興奮したように言った。

「鑑識に遺体をもう一度調べてもらえるように要請します」

有田も高揚して言った。


 三人は大至急、鑑識の村野(むらの)(よし)(まさ)の元へ向かった。

村野は、遺体のDNAをとことん調べた。すると驚くべきことが分かった。

「三澤刑事殿、有田刑事殿、大田刑事殿、これはあなた方の執念によって分かったことです。遺体は、今回が二度目にスズメバチに刺され、アナフィキラシーショックで死んだものだと考えられます」

村野は細い目をさらに、細くしたように有田には映った。


 今回の捜査の担当に回った、大嶋卓の元へと三人は再び向かった。

部屋に着くなり、大嶋はまたかと言わんばかりに言った。

「どうされました、三澤警部殿以下二名?」

大嶋は有田と大田の名前を省略した。二人はイラッとした。

「遺体は、今回スズメバチに刺されたのが二回目なのです。鑑識からそのように言われました。」

三澤は言った。

「それで?」

大嶋は偉そうに言った。

「まだ分かりませんか? 大嶋さん?」

今度は三澤が大嶋を煽った。

「何ですと、三澤警部殿? 二発目の毒針とは、何が言いたいのですか?」

大嶋は煙たそうに三人を見ながら言った。

「ここから先は、昆虫博士の有田君に説明してもらいます」

三澤は、有田にバトンタッチした。

「スズメバチに刺されて、アナフィキラシーショックで死ぬのは、二発目の毒針なのです。一回刺されただけで死ぬのは稀なのです。私たちは、理科教師多田智弘、旭区役所の菅沼弘和に聞き込みをしました。多田は、S小学校の屋上で、放課後ミツバチを養蜂していました。ちょうどその時、私たちが追いかけていた身体に折り紙を着けて飛んでいたスズメバチが、ミツバチを食い殺していきました。当初多田は、S小学校で何度も飛ぶズメバチを殺すために、日本ミツバチを養蜂していました。しかし平川和正理事長がスズメバチに刺されて誰かに殺されたその日に限って、多田は西洋ミツバチを養蜂していました」

有田は、ここまで一気に言った。

「誰かに殺された? 聞き捨てならない。続きを?」

大嶋は先が気になって言った。

「日本ミツバチには、スズメバチへの防衛手段があります。スズメバチ一匹の上に群がり、スズメバチが耐えられない四十五度まで上げて、集団でスズメバチを焼き殺します。しかし日本ミツバチは、四十九度まで耐えられる。このわずかな温度差でスズメバチを日本ミツバチは撃退します。しかしながら西洋ミツバチにはそのような防衛手段がありません。多田は、間違えて西洋ミツバチをその日出していたと証言しました。しかし理科教師が、西洋ミツバチと日本ミツバチを間違えるとは、到底思えません。横浜市旭区役所の菅沼弘和さんに許可をもらって日本ミツバチの養蜂を、S小学校の屋上で、放課後行っていたみたいです。その菅沼さんも、任意の事情聴取ということで、口を閉ざしたままです。一体それを菅沼さんに頼み込んだ人間は誰なのでしょうか?」

有田は、喉が渇いた。

「よく分かった。それなら今度私と菅沼弘和のところへ、捜査令状を持って一緒に行こう」

大嶋は有田に水の入ったコップを渡して、そう言った。



第六章捜査令状


 横浜市旭区役所は、いつも人でいっぱいだった。突然警察服を着た大嶋が入ってくると、皆何事かと不安げな顔になった。そこに菅沼弘和が現れた。

「菅沼さん、捜査令状を持ってきました。これでしゃべってもらえますね?」

強面の大嶋は、どす黒い声で言った。

「まあとりあえず、執事室へどうぞ」

菅沼は冷静に言った。四人は彼の執事室に通された。小綺麗に片付いた部屋は、菅沼の性格を表しているようだった。だが菅沼が冷静さを装えば装うほど、この清潔な空間がライトアップされるかのようだった。菅沼という男は、いつも顔は笑っていても、口元は笑っていない。清潔に部屋を保っているのは、後者を隠すためでさえ思えた。時は、九月のシルバーウイークが近づいていた。

「それで菅沼さん、多田先生に放課後の屋上で、日本ミツバチの養蜂をあなたに許可を依頼したのは誰ですか?」

今度は三澤がゆっくりと丁寧に聞いた。

「理事長ですよ。亡くなった平川和正理事長ですよ」

菅沼は一気に言った。四人は驚いた。

「そんな馬鹿な!」

大田大輔は叫んだ。他の三人も同様な気持ちだった。

「どうして亡くなった本人が、そんなこと依頼しますか? もしかしてこれは?」

有田は次の可能性を探った。平川和正の自殺である。

「有田、それはない」

大嶋は、有田の言おうとしていることを否定した。

「大嶋さん、まだ何も言っていませんが」

有田は大嶋に言った。

「おまえの考えていることくらい分かるさ! 自殺だろ? だがその線はない!」

大嶋は言い切った。

「どうしてですか?」

有田は食い下がった。

「いいか有田、これから死のうとしている人間が、こんなに手の込んだやり方で死のうと思うか? 仮にそうだとして、そこまで手の込んだ自殺なら、これはダイイングメッセージ。つまり他殺だ。ありがとう、有田。成長したな。そういうことだ。捜査を事故死から他殺の線でもう一度、捜査を洗い直す」

大嶋は有田に礼を言うとともに、犯人捜しを命じた。

「ところで、菅沼さん? 亡くなった平川和正理事長からここで依頼をされたのですか?」

大嶋は引きつり笑いをしている菅沼に問いただした。

「いえ、電話で頼まれました」

なおも菅沼は顔が引きつりながら笑って言った。

「その時の電話は、録音に残していたりしませんか?」

大嶋は依然として菅沼を追及した。

「残っています」

菅沼は、冷や汗をかき始めた。

「では、そのテープを聴かせてくれませんか?」

大嶋は、将棋で王手飛車角取りをしようとしているかのようだった。後一手に思われた。攻められる菅沼も、もうこれ以上の手がない状態だった。しかし、ことはそう簡単にはいかない。


「明日だけ多田先生に言って、日本ミツバチではなく、西洋ミツバチを養蜂して欲しいと伝えてもらえませんか? 菅沼さん?」

テープの声の主は、そう言った。

「理事長、なぜ?」

菅沼は驚いた。

「理由は聞くな。言う通りにやってくれればいい!」

「しかし!」

「いいから頼んだぞ!」

電話は切れた。菅沼は理由を聞こうと食い下がったが、教えてもらえなかった。一方的に声の主は言って、電話を切った。

「以上です」

菅沼は言った。何かまだ隠しているようにも見えたが、次は声の主、すなわち真犯人を捜さねばならない。多田にしても、菅沼にしても、どこか挙動不審だった。

「もしかして、犯人の声を声紋分析にかけるのがいいですかね?」

大田は、身を乗り出すように言った。

「言われなくてもそうするつもりだ、大田」

大嶋は言った。

「今回の事件は、過疎地で、オンラインで本を買う人間の心理に似ています。それしか方法がない。今更本屋を過疎地には作れない。しかし都会の人間は、実店舗の本屋を増やせとこだわる。これつまり需要と供給がずれている。本屋を蜂の巣だと思えばいいのですよ。それが実際にそこにあるかないかだけの問題ですよ! 砂上の楼閣。絵に描いた餅ならぬ蜂ですよ! 真犯人は自分の手を汚さない。それが可能なのは?」

大田の直感は鋭い。

「そうか、そういうことか大田君!」

三澤は感心したように大田の直感的推理に、事件の本質を見るような思いであった。

「大田、お前も成長したな! そういうことだ! まずは声紋分析の結果を待とう!」

大嶋は、今度は大田を褒めた。かつての上司に有田と、大田は褒められたが、本当の捜査はここからである。





























第七章声の主


 三日後、声紋分析の結果が分かった。春野(はるの)(こう)()副理事長であった。だが肝心の三澤がコロナウイルス陽性と、自宅の検査キットで判明したため、この日は病院に行くことになった。よって久しぶりに大嶋元上司と、有田、大田の三人で春野宏太に事情を聞きに行くことになった。


 大嶋の運転で、有田、大田が乗った。有田も大田も、大嶋に謝罪した。

「大嶋さん、私は勘違いしていました。大嶋さんが私たちを嫌いでいつもそういう態度をとられていたのかと、誤解していました」

大田は、申し訳なさそうに言った。

「僕も同じことを考えていました。本当にすいませんでした」

有田がそう言うなり、二人は深々と大嶋に頭を下げた。それを聞いていた大嶋は、二人に言った。

「いや、謝らなければならないのは私のほうだ。君たちの世代は、就職氷河期世代だったな。だからこそ、時代に負けないくらい二人には強くなってもらいたかった。もし警察を辞めても、仕事なんてそうはなかっただろ? あの時代? だから厳しく育てようとした。だがそういう育て方は、今の子にはしない。いやしてはいけない。そういう時代になってしまった。だから俺のやり方は、間違っていたのかもしれない。そんな中、よく辞めずに付いてきてくれたな。感謝しかないよ!」

大嶋は本音を吐露した。有田と大田は、さらに深々と頭を下げるのだった。そうこうしているうちに、声の主、春野宏太の家の近くに着いた。

「よし、行くぞ!」

大嶋は、有田と大田に言った。ピーン・ポーン。有田が家のインターフォンを鳴らした。

「はい」

しわがれた声は、あの録音レコーダーで聞いた声だった。

「こちら神奈川県警です。少しお話を伺えませんか?」

大田が尋ねた。すると声の主は、こう言った。

「任意の事情聴取か何かですか? それならお帰りくださいと言いたくなるが、私は菅沼弘和じゃない。今開けます。どうぞお入りください」


門が開かれた。すると中には、日本庭園のような素晴らしい景色があった。

「春野宏太です。今日はどうされましたかな?」

春野が和服姿で出てきて言った。

「素晴らしい庭園ですね」

大嶋は言った。

「ありがとうございます」

春野は礼を言った。三人は春野の書斎に通された。大きな本棚が有田の目に入った。

「立派な本棚ですね? 羨ましいです。私はこの前、2Kの間取りの団地に引っ越したため、本棚を持って行けずに処分しました。今は電子書籍で、本を読んでいます。これなら数千冊も、この端末に入りますから!」

有田は端末を見せながら、どこか楽しげに言った。

「そうなのですね? 今はそういう時代なのですね! こらたまげた。ははは!」

春野も愉快そうだった。どうもこれから尋問される人間の態度には見えなかった。

「春野さん、ところで本題に入りますが、あなたが菅沼弘和さんに電話で指示したのですよね?」

大嶋は切り出した。

「あー、確かにあの電話は私だ」

春野は、あっさりと認めた。予想外の展開に、三人は拍子抜けした。

「では、犯行を認められるのですね?」

大田は聞いた。

「電話で指示したことは認める。だが私は真犯人ではない」

春野は言い切った。

「どういうことですか?」

有田が尋ねた。

「私は多田智弘君に頼まれて、やっただけだ。彼の理科の先生としの情熱には参ったよ。日本ミツバチで、スズメバチを退治する。素晴らしいアイディアだと思ったのだ。ただどういうわけかあの日に限り、西洋ミツバチの養蜂を依頼してきた。それで私が許可しただけの話だよ」

春野は答えた。

「それでは、春野さんは、多田智弘先生のことを直接ご存知だったということですね?」

大嶋は尋ねた。

「いかにも。だが役所の許可は必要だ。だから私が菅沼にお願いした。頭の固い役所の人間だからな。つい、かっとなってしまった。それがあの時の電話だ」

春野は素直に答えた。三人とも、誰かが嘘をついている。そう思った。捜査は振り出しに戻るかに思えた。だが次の報告を春野宏太にしたところ、彼の顔色が悪くなった。

「亡くなった平川和正理事長は、今回がスズメバチに刺されたのが、二回目だそうですよ」

大嶋は何気なく言った。しかし明らかに春野の顔色は悪くなった。


































第八章今浮かび上がる過去の事件


 「春野さん、どうされましたか?」

有田は静かに言った。

「今回二回刺されたとかではありませんか?」

春野は焦って言った。

「いえ、今回は一カ所しか刺された(あと)はありませんでした。遺体を調べさせてもらいましたから」

大田が訳ありそうに言った。

「しかし過去に刺された可能性はあります。時間がかなりたっていても、アナフィキラシーショックになる可能性のあるスズメバチの毒が、今回刺される以前にもあったようです」

有田は冷静に言った。

「いつ一回目を刺されたのでしょうかね?」

大嶋は皮肉っぽく言った。春野は冷や汗が止まらなかった。

「春野さん、今回は任意ではありましたが、捜査にご協力ありがとうございました」

有田が代表して春野に礼を言って、三人は彼の屋敷の門を出た。


 「大嶋さん、春野さんは何か隠していますよね?」

大田は、得意げに大嶋に言った。

「隠しているな。問題はそれがいつどこでの話かだよ」

大嶋は運転席でハンドルを握り、開けた車の窓の外から、風がパンチパーマを揺らす間に答えた。

「いつ、どこで? あ、そうだ! 平川和正理事長の奥さんに、まだ事情を聞いていませんでしたよね?」

有田は大嶋に言った。

「そうだった! 行くか!」

大嶋は言った

「はい!」

有田と大田は二つ返事をした。


 平川和正理事長には、(まい)という綺麗な奥さんがいた。横浜市旭区内の未亡人の家に三人はお邪魔して、線香をあげた。

「奥さん、この度はお悔やみ申し上げます」

大嶋は三人を代表して言った。舞はショートヘアで、目がきつい女性に見えた。「それで何が一番知りたいですか? 私と主人はお見合いで結婚しました。しかし主人には、私たちが結婚する前に好きだった女性がいたみたいです。それで私はその女性以上になろうと努力しましたが、結局三十年たってもその方を超えられませんでした」

平川舞はそう言うなり、泣き崩れた。

「いえ、本当に奥さんのことが好きじゃなかったら、三十年も一緒にいられないですよ」

大嶋は、舞を慰めた。

「いえ、お互い世間の体裁を気にして、我慢していただけです! それで何が知りたくて、今日はこちらへ来られたのですか?」

こう言うと、彼女は冷静を取り戻した。

「あのー、ご主人は、今回スズメバチに刺される以前にも、刺されたことがあったのでしょうか?」

有田は尋ねた。

「私たちが結婚する前に刺されて、大変だったみたいで、スズメバチには刺されないように常に気をつけていましたのに。どうして今回あんな雑木林に一人で行ったのか信じられないです」

舞は一気に言った。

「あの日一人で、ご主人は雑木林へ行かれたのですか?」

有田は聞いた。

「えー、そうです。何でも、雑木林に物を隠されたみたいで」

舞は答えた。

「物? それは誰が何のために、そんなところに隠したのでしょうか?」

今度は大田が聞いた。

「嫌がらせですよ。主人は嫌われていましたから。誰が何のために、そんなところに隠したのかは、私には分かりません。ただ初めは、S小学校のほうに向かって行ったのに、徐々に雑木林へと入っていきました。私と主人は何かあったときのために、お互いの場所を、スマホのGPSで分かるようにしていましたから」舞は悔しそうに言った。

「一体ご主人は、誰に嫌われていたのですか?」

大嶋は核心を突こうとした。

「いろんな人からですよ。主人は学校給食に健康志向の物を入れるように指示したのです。しかし健康志向の物ばかりだと、子供たちが嫌いそうな食べ物が増えて、困っている子供もいましたから」

舞は答えた。

「なるほどです。それでご主人に賛同される方と、反対の方と二つに割れていたのですね?」

有田は尋ねた。

「そうです」

舞は答えた。

「反対派の方には、どのような方がいらっしゃいましたか?」

大嶋が聞いた。

「春野副理事長や、理科教師の多田先生、また区役所の菅沼弘和さんなどです」

舞は答えた。大嶋たちが疑いをかけていた三人だった。

「そうですか。分かりました。ありがとうございます」

三人が帰ろうとしたとき、舞は大嶋たちに言った。

「刑事さん、待ってください。もう一つ言わせてください。主人が好きだったのは、恵子(けいこ)ちゃんなの。私の高校時代の同級生で、春野副理事長さんの小中学校時代の同級生なの」

「え、奥さんもう少し詳しく聞かせてくれませんか?」

大嶋は舞に尋ねた。

「恵子ちゃんは、平野(ひらの)さんという方と結婚されたのに、あーいう事件があって!  今もご主人を探しているの。ご主人は、平野啓(けい)()さんよ」

舞は言った。平野啓太は、三人とも聞き覚えのある名前だった。














第九章三十年前の失踪事件


 平野啓太は三十年前に突如失踪し、今も妻恵子はSNSなどを使い、夫を探していた。警察もこの三十年捜索し続けてきたが、未だ見つけられていなかった。三人はこの事件のことを思い出した。平川舞の家を出てから、三人はこのことを確認しあった。

「大嶋さん、奥さんの言っていたあの事件って、あの失踪事件のことですよね?」

有田は、大嶋に尋ねた。

「あー、そのようだ」

大嶋は短く答えた。

「やっぱりあの事件のことだったのか」

大田は独り言のように言った。

「二人とも、今回の事件が、あの失踪事件と何らかの関わりがあるかもしれない」

大嶋は言った。

「え、どういうことですか?」

有田は大嶋に聞いた。

「直感だ。俺の直感だ」

大嶋は珍しく、そのように言った。

「有田君、何でもデータ、理論だけじゃ計り知れない物がある。大嶋さん、そういうことですよね?」

大田は大嶋に尋ねた。

「まあ、そんなところだ」

大嶋は答えた。

「そしたら、平野啓太さんの奥さんの、恵子さんに会いに行ってみませんか?」

有田は提案した。

「そうだな。何か分かるかもしれない」

大嶋は答えた。

「じゃあ決まり。行きましょう!」

大田も賛同して言った。


 移動の車中、大嶋はアイルランドの歌手、エンヤの曲を流していた。

「大嶋さん、運転中この曲眠くなりませんか? いえ、趣味が悪いとか言っているわけではなく、ヒーリングミュージックって、全般的に眠くなりません?」

有田は大嶋に尋ねた。

「勝負事があるときは、エンヤの曲をかけるようにしている。あまり集中しすぎて、周りのことが見えなくならないようにしたいだけさ」

大嶋は、有田に丁寧に説明した。

「そういうことですか。納得です。でも運転には気をつけてくださいね」

有田は付け足して言った。

「おう、分かっている」

大嶋は答えた。有田は少し安堵した。その間、大田は眠りについていたが、急に車が停車した。

「あ、着きましたか?」

大田は起きて言った。

「住宅街で、少し過ぎてしまったが、車を一時的に停車させるには、ここがいいだろう?」

大嶋は聞いた。

「そうですね。ここなら少し道が広くなっているので、いいと思います」

有田は答えた。


車を降りるなり、三人は、少し歩いた。しばらくすると、平野啓太の妻、恵子の家があった。インターフォンを鳴らすと、恵子が出てきた。

「あら、警察の方ですよね? 今頃になってどういうことですか?」

恵子は怒っていた。警察は、努力したものの、未だ平野啓太を発見できていない。そのうち捜査も打ち切りになっていたからだ。

「奥様のお気持ちは、お察しします」

大嶋は申し訳なさそうに言った。恵子は舞が嫉妬するのもよく分かるくらいの透明感のある女性だった。怒っている姿も、約五十代にしては、かわいらしかった。

「それで今日はどうなされましたか?」

恵子がそう言うなり、犬の鳴き声が聞こえた。ワンワンワン! 部屋の奥からである。

「あ、ワンちゃんですね? いいですよ、奥さん」

大嶋は恵子をフォローした。

「ごめんなさい。お散歩の時間で。それで吠えています」

恵子は謝った。

「それなら散歩しながら、お話を聞かせてもらってもいいですか?」

大嶋がこう提案するなり、犬は喜んだかのようにまた吠えた。ワンワンワン!

「そうですか? それで良ければそうさせてもらいましょう」

恵子は言った。

「ええ、どうぞ」

大嶋は答えたが、大田だけは怖がっていた。大田は犬が苦手だったのだが、大嶋はそれを知らなかった。出てきたのは、ゴールデンレトリーバーの雄で、名前は五郎だった。大型犬ではあるが、まだ約二歳なので甘えてくるらしい。人懐っこく、三人の前で、腹を出してゴロンとなった。警戒感ゼロである。有田は、大嶋と恵子に事情を説明して、大田から距離を離して五郎を連れ出すことにした。

「それで散歩道は山道になるのですが、よろしいですか?」

恵子は三人に尋ねた。

「私は犬から距離さえ置ければ、どこへでも付いていきます」

大田は怯えながら言った。

「僕は虫とか好きなので、構いません」

有田は言った。

「そっか、虫か! まあ、いいでしょう! ははは」

大嶋はそう言うなり、一人で笑っていた。大嶋は笑いの壺が人と違うらしい。しばらく歩くと、あの雑木林に入った。

「奥さん、怖くないですか、山道は?」

有田が恵子に尋ねた。

「五郎がいるから、大丈夫ですよ。それに五郎が山道のほうが喜ぶので」

恵子は答えた。そしてこの前の事件の現場近くを通りかかったときだった。現場はブルーシートで覆われていたが、五郎は吠えだした。そして恵子のリードが外れ、よりによって大田のほうへと飛びかかった。

「わー!」

大田は声を上げ、逃げ回った。有田は五郎をなだめようとしたが、余計に興奮するだけだった。

「やっぱりここに来るといつも吠えるのよ」

恵子は言った。

「そうなのですか、奥さん?」

大嶋は静かに聞いた。

「えー、きっと蜂さんが怖くて吠えるのね」

恵子は答えた。

「奥さん、この前あった事件の前からですか? 五郎が吠えだしたのは?」

有田は恵子に尋ねた。

「はい、この前あった事件の前からですけど、それが何か?」

恵子は不思議そうに言った。

「あのー、五郎はいつからここを通ると吠え出しましたか?」

有田はなおも恵子に尋ねた。

「五郎が、物心が付いたときからだと思います」

恵子は答えた。

「やはりそうでしたか?」

有田は確信を得た。

「どういうことですか?」

恵子は有田にまた尋ねた。

「奥さん、ありがとうございます。それに五郎、偉いぞ! よく吠え続けてくれたね! ありがとう! 君は名犬だ!」

有田は恵子と五郎に感謝した。

「何が吠え続けてくれてありがとうかい、有田君? 僕は困っているのだよ!」

大田は困惑気味に言った。

「そういう意味じゃないよ、大田君!」

有田は大田に言った。

「じゃあ、どういう意味なの?」

大田は怒気を含めて言った。

「有田、何が分かった?」

大嶋は有田に聞いた。























第十章犬の嗅覚


 恵子と五郎と別れた三人は、近くの公園のベンチに座った。

「五郎はスズメバチが怖くて吠えていた訳じゃありません。スズメバチの巣がブルーシートに被される前から吠えていた。あの獰猛なスズメバチがいようといまいと、物心が付いたときから、五郎はあの場所へ来る度に吠えていた。まるで親しい誰かがあそこで眠っているかのように」

有田は徐々に核心に近づいてきたかのように話していった。

「つまりはどういうことだい、有田君?」

大田が聞いてきた。

「恵子さんの家には、夫の啓太さんの遺品がたくさん置いてありました」

有田はなおも言った。

「遺品? 有田、まさか?」

大嶋は驚くように言った。

「ええ、残念ながら仏さんは既に亡くなっています。あの木のあるブルーシートの被さった、遙か地中に」

有田はついに核心を突いた。

「とすると、あの犬は私に吠えていたわけじゃなく、旦那さんの遺品の匂いが、あそこら辺に充満していたから吠えていた。そういうことだね、有田君?」

大田はやっと分かったとの顔をして言った。

「それもこれも奥さんが旦那さんの遺品を大切にしていたからだよ。五郎にはきっと分かっていたはずだよ。あの遺品の持ち主が、飼い主の恵子さんの大切にしてきた人だとね!」

有田はここまで一気に言った。

「てことは、平野啓太はあそこに眠っている。スズメバチハンターに依頼して、まずはあそこら辺一体のスズメバチの巣を取り除いてもらい、ショベルカーであの辺りを掘らなきゃならないな。仏さんに会えるのはその後だな」

大嶋は言った。

「待ってください。大嶋さん。あそこら辺は昔からオオスズメバチの巣が地中にあったと思います。オオスズメバチが巣を好んで作りそうな大きな木があるので。もしかしたら三十年前に、平川和正理事長が生きていたとき、ここで初めてスズメバチに刺された可能性があると思います」

有田は言った。

「どうしてだ?」

大嶋は有田に尋ねた。

「平川さん、スズメバチに刺されたことがあるのに、なぜこの雑木林にまた来たのでしょうか? 普通怖くて来られない雑木林に、なぜ、また立ち入ったのでしょうか?」

有田はここまで話すと水を飲んだ。

「またとは、どういうことだい有田君?」

大田は有田に尋ねた。

「つまりは三十年前、ここで平川さんはオオスズメバチに一度刺され、この場所が怖くなった。それにも関わらず、ここへまた来たのは、何か理由がある。そして誰かにあそこまで誘導された可能性がある」

有田は言った。

「誰が、どうやって、有田?」

大嶋は聞いた。

「あそこまで、オンラインで、つまり犯人がビデオ通話で誘導した」

有田は言った。

「何のために?」

大田は有田に尋ねた。

「誘導した犯人と、平川さんと平野さんは、同級生だった。この三人に何かあったのかもしれない」

有田は言った。

「ということは、誘導したのは春野宏太理事長だな?」

大嶋は有田に確認した。

「はい。その線が自然だと思います」

有田は言った。

「だけど、まだ何も証拠がない」

大田は言った。

「証拠なら、ここにありますよ!」

有田は五郎をなだめていたときに、五郎のそばに落ちていた紙を見つけたのだった。その手を開くと、紙にはこう書いてあった。

「三十年前、平野啓太を殺したのは平川和正理事長だった」

大嶋は驚いた。

「これを書いた人間は、なぜ平野啓太が、平川和正理事長に殺されたことを知っていたのか? つまり共犯だったってことだな? 有田? それにその紙、もしかしてあのスズメバチの身体に巻き付けてあったものじゃないか? てことは?」

有田は沈黙していた。その次の瞬間だった。聞き覚えのある声がした。


「ははは。よくここまでたどり着いたね?」

声の主は春野宏太副理事長だった。三人は逃走されないように、春野宏太理事長を取り囲もうとした。

「その必要はない。私は逃げる元気はもうない。ただ有田君の説明で、仮にビデオ通話で誘導したとして、紙を巻き付けたそのスズメバチを平川が捕まえようとしたら、スズメバチはフェロモンを出して仲間を呼ぶ。そうすると今回刺されたのが一カ所で済むのかな?」

春野は有田に問いかけた。

「可能です。平川さんは一カ所刺された後、アナフィキラシーショックを起こし、転倒しました。仲間のスズメバチたちは、転倒した平川さんを視界から外しました。いや、正確には、視界から外れたのです。スズメバチの目は、急に転倒した人間が視界から外れた可能性は大いにあり得ます。下の方がスズメバチは見えないのですよ。特に急に転倒したりしたら、平川さんの身体は、スズメバチたちの視界から確実に外れたのです。だから今回は一カ所だけしか刺されなかったのです。しかし三十年前に、別の箇所を一度刺されているのを、奥さんの舞さんから聞いております。それも結婚前に。約三十年前ですよ。そして平川さんは給食の件で反対派の人たちに嫌われていた。その反対派の中の一人が、春野さん、あなたですよね?」

有田は春野に問い詰めた。

「いかにも。私は理事長になって、反対派の意見を通そうとしたのだ。だから旭区役所の菅沼弘和や、理科教師の多田智弘のような反対派の人間も協力してくれた」

春野は答えた。

「しかし、まさか、役所の菅沼さんや、理科教師の多田智弘先生まで共犯とは思いもよらなかったですよ。春野さん」

有田は言った。

「だがね、有田君、君は一つ勘違いしている」

春野は言った。

「勘違いですか?」

有田は聞いた。

「そうだ。私はビデオ通話などで、平川を誘導はしていない」

春野は言い切った。

「何ですと! じゃあ誰がやった?」

大嶋は吠えた。




第十一章 黒幕


 「私だ」

春野に銃を突きつけるのは、三澤隆だった。その声は確かに三澤隆だった。だがなぜか春野に銃を突きつけていた。

「三澤さん?」

有田と大田は驚いた。だが大嶋だけは違った。

「やはり三澤警部殿でしたか?」

大嶋は予期していたかのように言った。

「大嶋刑事、なぜそう思われましたか?」

三澤は大嶋に尋ねた。

「市販の検査キットでコロナウイルスの陽性反応が出たといっても、それを知っているのはあなただけだ。警部殿。今日一日私たちをつけ回し、その目的を果たすために、あなたは私たちを裏切った。いや、私たちの知っている三澤隆など、本来はいなかったのかもしれない。ね、平野啓太さん」

大嶋は意外なことを言った。

「え?」

有田も大田も絶句した。

「あなたは、三澤隆になりすまし、このときを待っていた。平川和正を遠隔操作して、手を汚さず殺害した。そして今、春野副理事長を殺害すれば、あなたは念願成就だ」

大嶋はなおも言った。

「どういうことですか?」

有田も大田も訳が分からなくなっていた。

「どうもこうもない。三澤刑事殿、いや平野啓太さん。あなたは平川和正をずっと嫉妬してきた。というのは、あなたの初恋相手が、平川舞だった。だからあなたは、三澤隆として別人になり、舞に告白する予定だった」

大嶋がここまで言うと、春野が話に割って入ってきた。

「だが、平川は恵子さんが初恋だった」

春野は言った。

「人生上手くいきませんね。お互いの初恋相手が、自分の友人の奥さんだったのはね。平野さん、あなたは三澤隆を演じていた。だが、平野啓太を演じる人間がいなくなった。だから、失踪したことにした」

大嶋がここまで言うと、有田が今度は話に割り込んできた。

「しかしどうして、そのようなことをする必要があったのですか?」

有田は尋ねた。

「それは……」

大嶋が言いかけると、三澤隆いや平野啓太がそれを制して言った。

「それは、借金を肩代わりしてしまい、恵子に迷惑をかけまいとしたからだ」

平野は言った。

「一体誰の借金を肩代わりしたのですか?」

大田は平野に尋ねた。

「舞だ。平川舞の借金を肩代わりしたのだ」

平野は答えた。

「え?」

またも有田と大田は絶句した。

「私たちはずっと不倫関係にあった。そして平川が邪魔になった」

平野は言った。

「それじゃあ今、春野さんに突きつけている銃は何?」

有田は平野に尋ねた。

「口封じのためだよ」

平野は言った。

「バカな! 一人でここにいる全員を殺さなければ口封じにも何にもならないぞ!」

大嶋は怒鳴って言った。

「それはどうか? 公園のすぐ隣にある会社の敷地内にあるドラム缶が見えないのかね? あれは灯油だ。撃てば引火する。つまり爆発することになる。一人で大勢を殺せる」

平野は言った。

「あなた、止めて!」

恵子の声だった。

「恵子」

平野はびっくりした。恵子はどういうわけか五郎とまだ散歩していたので、五郎が平野に跳び蹴りを食らわした。その瞬間彼は銃を落とし、力が抜けてしまった。

「ふふふ! きっとあなたのことが好きなのよ! 五郎っていう名前なの」

恵子が明るく言っているうちに、大嶋は銃を拾い、春野宏太、平野啓太の二名を逮捕した。パトカーに乗る直前、平野は恵子に言った。

「すまない。本当にすまなかった」

平野が謝ると、五郎が寄ってきて、平野の顔をペロペロと舐めるのだった。後ほど多田智弘、菅沼弘和も逮捕された。



第十二章 勘違い


 「大嶋さん、結局僕の勘違いでしたね。二発目の毒針なんてなかった」

有田は言った。

「いや、あの人はスズメバチに刺されたことは一回だけある。恵子さんの言った通り、結婚前の話だよ」

大嶋は答えた。

「じゃあ、半分は合っていたのか」

有田は頷いた。

「だがな、有田」

大嶋は再び口を開いた。

「はい、大嶋さん」

有田は答えた。

「今回は、頭でっかちになってしまったな。確かに、スズメバチに刺された後のアナフィキラシーショックは、二回目がひどい。しかし三十年以上前に刺されたものは、もう身体の中には残っていない可能性のほうが高い。それといくら犬の嗅覚がいいとはいえ、あれも少し拡大解釈したみたいだな」

大嶋は付け加えて言った。

「じゃあ、大嶋さんは気づいていて、あえて僕に推理させていたのですか?」

有田は泣きそうな顔になりながら言った。

「まあ、一つ一つが勉強だ。いい勉強になっただろ?」

大嶋は有田をなだめた。

「意地悪だな、大嶋さんは! もう!」

有田は内心、反省しながら言った。




この作品は、ノベマでも掲載済みです。https://novema.jp/book/n1754263

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