第6話
次の日、早速私たちは街へ繰り出した。
「どこへ行くんだ?」
「まずは髪を染めに行きたいの」
街を歩きながら、道行く人を横目に見つつ話す。やはり教会が1番大きくて目立つが、他にも店の看板が色とりどりに飾られていたり、人の往来が多い。ちなみに猫は起きた時にはすでにいなかった。きっとまた街をふらついているのだろう。
「髪の色を変えるのか?」
「えぇ、流石に銀髪は目立つもの。それに、兄妹なら髪色ぐらい同じにした方がいいかなって」
髪に手櫛を通しながら答える。カイルは何となく惜しそうな顔をするが、好き嫌いで髪色を決めていたら後々面倒を引き起こしかねない。
それからしばらく歩いて、目的の場所に着いた。そこは看板には『染料』と書かれた店が建っていた。
「ここか?」
「染料とは書かれているけれど、確か髪染めもしてくれるはず」
店に入ると、中には様々な色の粉が置かれていた。店員らしき女性は私たちを見ると、愛想良く笑いかけてきた。
「いらっしゃいませ。今日はどのような御用件で?」
「髪を黒くしたいのですがお願いできますか?」
「かしこまりました。お連れの方はどうされますか?」
そう言うと、店員さんはカイルの方に向く。彼は少し悩んでから口を開いた。
「俺は染めた方がいいか?」
「お兄ちゃんは染めなくていいんじゃない?」
「そうか。じゃあ街を散歩してくるよ。どれぐらいでおわりますか?」
「お嬢様の髪の長さですと、1時間ほど頂ければ綺麗に染まると思います」
「じゃあそれぐらいにまた来ます」
「かしこまりました」
カイルは店員さんに頭を下げてから店を出た。それを見送ると、染める用の椅子に案内された。
《カイル視点》
ロサ…じゃない。メルを店に置いてきたは良いが、街で何をしようか。とりあえずふらついていれば何か思いつくかもしれないと思い、当てもなく歩く。
「にゃーん」
しばらく歩いていると、足に何かが巻き付いた。下を見てみれば、そこには昨日の黒猫が尻尾を巻き付けて俺を見上げている。
「…なんでここにいるんだ?」
「にゃん」
猫の癖に猫の鳴き方が人間らしい。そのまま路地裏に歩いて行ってしまう。
「ついてこいってことか?」
「にゃーん」
猫は返事をするかのようにひと声鳴いて、さっさと路地裏に入っていく。俺も慌ててその後を追った。
路地裏にも少しではあるが店が展開しているらしく、人通りが全くないわけではない。猫は人がいないところに行きたいのか、どんどん奥に向かっていく。
小走りで追いかけると、猫はある建物の前で立ち止まった。その建物はレンガ造りだが所々剥げており、今にも崩れそうだ。看板の文字も掠れていて何が書いてあるのかは読めない。
「ここは何屋なんだ?」
周囲に人がいないことを確認してから猫に話しかければ、返事をすることもなくそのまま中に入って行ってしまった。
疑問に思いつつも、することもないので素直に従った。
建物の中は小さなワンルームで、階段もない。壁は一面を除いて空っぽの本棚で天井から床まで埋まっていた。唯一本棚ではない壁には大きな窓があり、その前には机と椅子が置かれていた。
「埃っぽいな…」
きっと長い時間、誰も入っていなかったのだろう。埃が舞い、少し噎せてしまう。
「人間は猫が鳴くとついてくる習性でもあるのか?メルも前の国で鳴けばついてきた」
「…散々無視しておいて、開口一番そんなことを言わないでくれ」
猫は退屈そうに欠伸をしてから軽く机に飛び乗った。
「それで?俺に何か用なのか?」
「別に」
即答だった。
「ただの気まぐれだ。暇だから話し相手になってもらおうと思ってな」
そう言ってニヤリと笑う姿は、どこかあの少女の面影を感じさせた。
ロサでも、メルでもない。
あの少女の本質的な笑顔に近いものをなぜかこの猫から感じたのだ。
「それか、何か言いたいことでもあるか?」
挑発するような態度に反射で言葉が出そうになるが、なんとか抑える。この機会を逃してはならないことは俺でも分かる。
「……お前、名前は?」
「名前はない」
「じゃあなんて呼べばいいんだよ」
「メルには『あんた』って呼ばれることが多いな」
猫は興味なさそうにそう言った。立ったまま話すのも疲れたので、埃を払ってから椅子に座り猫を見る。
「名前つけようか?」
「いらないな。意図的に名前を持っていないんだ」
「……じゃあ、俺はお前のことをなんて呼んだらいいんだ?」
「好きにしろ」
意図的に名前を持たないとはどういうことなのだろうか。考えてみるが、答えは出ない。
「そんなことを聞くだけでいいのか?」
猫は俺を見上げる。その目は相変わらず全てを見通しているような気がした。
「…いいのか?」
「飽きるまでな」
そう言われてしまい、思わず口をつぐんでしまった。部屋にしばらく静寂が訪れた。意外にも猫は気長に待ってくれる。
「いつから人間の言葉を話すことができるようになったんだ?」
素直に気になったことを聞けば、猫は少し考えてから口を開いた。
「2つ目の命を無くした辺りで話せるようになったな」
「2つ目の命…?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。命は1つしか無くないか?
「人間の世界ではあまり浸透していない知識だが、生き物には命の数が決まっているんだ」
「人間にも?」
「そうだ。まぁ、人間の命は1つだけれどな」
猫は自分の長い尾で、心臓がある辺りを指し示した。
「猫の場合、命と言っても心臓とは限らない。魂を表していることもあれば、住む家のことを表している場合もある。自分の場合は命の数だな。今まで何度も死を経験してきた」
「じゃあ今はいくつ目なんだ?」
猫は何かを思い出すように遠くを見つめるも、すぐに首を横に振った。
「正確な数は分からない。だが、確実に半分は過ぎている」
「半分…ということは、最低でも5つ目…」
「もっと進んでいてもおかしくないな。正確な数はもう分からない」
何でもないことのように言うが、死を経験してきたなんて軽く言っていいものではないだろう。少なくとも、俺には衝撃すぎた。
「メルはそのことを知っているのか?」
「どうだろうな。聞かれたこともない」
他者への興味がないのか、はたまた察しているが故に聞かないでいるのか分からない。しかし、きっとメルにとってこの事実はどうでもいいのだろう。
「ただ猫の目を共有したり、影に入り込んだりすることを容認してくれる辺り受け入れてはくれているのだろうな」
確かに彼女は当然のように猫の力を借りていた。それに疑問すら持たないのだろうか。
「なぁ、その能力…?のようなものは昔から使えたのか?」
「どうだろうな。ただ、個人的にはメル以外に干渉する気はないし、お前にも力を貸すつもりはない」
猫はそれが世の理であるように、当然のように言ってきた。
「…お前、悪魔なのか?」
口が自然と動いていた。その様子を猫は目を細めて見てきた。
「これだけは言っておくが、私を悪魔なんかと一緒にするな」
猫は地を這う様な低い声でそう言った。その声に怒りが含まれており、悪寒が走る。
「人間は天使や悪魔、聖女や魔王といった存在を崇め、恐れ、そして畏怖しているようだが、あんなものは人間が勝手に創ったものにすぎない。そんな脆い妄信と今を生きる我々を同一視するな」
その言葉は重く、猫の語らない過去を感じさせるものだった。反論したい気持ちもあるが、下手なことを口にすれば殺されかねないと本能が告げる。
最初に出てきた言葉は謝罪だった。
「…変なことを言って悪かった。すまない」
「いや、いいさ。確かに人間からしたら悪魔のような存在に見えても仕方ないだろう」
猫は先ほどよりも柔らかい、いつもの声で許してくれた。
「お前は…何者なんだ?」
絞り出した言葉に猫は笑みを浮かべた。
「お前はそればかり問うな」
それから窓から差し込む暖かな日差しに目を細める。
「私は猫だよ。それ以上でも以下でもない」
猫がそう言った時、街に大きな鐘の音が響き渡った。どうやら昨日同様、聖女様へのお祈りが始まるらしい。
「…人間は何度も同じことを繰り返すのだな」
教会を見つめながら猫は小さく呟いた。しかしそれについて話す間もなく、猫は背を伸ばすと机から飛び降りた。
「さて、では私は散歩でもしてこようかな」
「あ、おい!」
猫はそのまま扉に向かって歩いていく。俺の声に足を止めると、こちらを振り返った。
「まだ何かあるか?」
「あー……いや、ないけど……」
咄嵯に引き留めてしまったが、特に用事があるわけではない。引き留めたものの、何も考えていなかったことに気付く。
「ならもう行くぞ」
猫は再び歩き出し、部屋から出て行った。俺はその後ろ姿を眺めることしかできなかった。




