冷遇令嬢ですが、拾われ先の魔導士様に溺愛されて困っています
その屋敷で働く者たちは皆、揃って同じ方向に微笑んでいた。
「ミリアーナさま、やっぱり天使のようですわ」
「まったく……エリスさまは何もせずとも問題ばかり起こして」
そう囁かれるたび、私はただ俯くしかなかった。
エリス・フローラル。侯爵家の次女。姉であるミリアーナが何をしても褒められる一方、私はどんなに努力しても常に比較され、劣った存在として扱われた。掃除をすれば「雑」、紅茶を淹れれば「味が薄い」、微笑めば「媚びている」。どんな行いにも、姉への称賛と私への失望がつきまとう。
今日もまた、ミリアーナ様のドレスが一着しか届かなかったことをきっかけに騒動が起きた。
「エリスが盗んだのではありませんか?」
使用人の一言に、父は容赦なく言い放った。
「もういい。エリス、おまえは今日限りで家を出ろ」
言い訳は許されなかった。そもそも、盗む必要などなかった。ドレスなど、もう十年も新調されたことはなかったのだから。
その日のうちに荷物をまとめ、私は屋敷を追い出された。街のはずれにある宿に泊まりながら、これからどう生きるかを考えたが、途方に暮れるだけだった。
次の日、私はある場所を訪ねた。
「魔導工房……ここで間違いないわね」
灰色の石造りの建物。魔導器の調整や修理を請け負う職人の住まう場所。だが、それ以上に、そこには“誰とも交わらない変人の魔導士が住んでいる”という噂があった。
私はその扉を叩いた。
数秒の沈黙の後、ギィと扉が開いた。
「……用件は?」
現れたのは、乱れた黒髪と無精髭、そして鮮やかな琥珀の瞳を持つ男だった。
「あなたが、ノクス・ヴァルディス様ですね?」
「そうだが」
「お願いです。雇ってください。掃除でも、料理でも、何でもします」
目の前の男――ノクス様は、じっと私を見つめた。
「妙な頼み方だな。家を追い出されたのか?」
「……はい」
「家名は?」
「エリス・フローラル。元侯爵家の令嬢です」
「ほう……珍しい名字だ」
ノクス様は私の顔をまじまじと見つめ、やがて無言で扉を開けた。
「入れ。面白いものを見つけたかもしれん」
誘われるまま、私は彼の工房へと足を踏み入れた。
中は思ったよりも整っていた。棚には魔導書が並び、奥の机には奇妙な器具と光る魔石が置かれている。だが、それらよりも私の目を奪ったのは、室内の空気だった。
……静かで、冷たくて、それでいて、誰にも責められない空気。
「で、君の話を聞こうか」
ノクス様は椅子に腰かけ、足を組んで私を見上げた。
私は深呼吸し、ありのままを話した。姉との扱いの差、家の中での冷遇、濡れ衣で追放されたこと、そしてここに来た理由。
「ふむ……君、魔力が漏れてるの、気づいてる?」
「え?」
いきなりの言葉に、私は目を瞬かせた。
「さっきから微弱だが、一定の魔力が流れてる。普通なら誰かが教えてるはずだが……。本当に侯爵家の子女なのか?」
「はい。ですが、魔力があるなんて、一度も言われたことは……」
「まあ、ありがちだな。魔力を嫌う貴族も多いし。だが、無視するにはちょっと厄介だな、これは」
ノクス様は立ち上がると、私の額に指先を添えた。
瞬間、ひんやりとした感触が走る。
「念のために確認したが、君の魔力は“拒絶型”。意識していないのに人を遠ざける影響を持っている。人に誤解されやすいのは、そのせいかもしれないな」
――拒絶型?
言われた言葉を理解できずにいる私に、ノクス様はふっと笑みを浮かべた。
「いいだろう。君を雇ってやる。掃除と食事の準備を任せる。あと、定期的に君の魔力調整もしてやろう。放っておくと街ひとつ吹き飛ばすぞ」
「そ、それは困ります!」
慌てて答えると、ノクス様は笑った。
その笑顔は、どこか優しくて、そしてどこか寂しげで。
こうして、私の新しい生活が始まった。
家を追われ、誰にも必要とされなかった私を、初めて必要としてくれた人の元で。
そしてこの時はまだ知らなかった。
この出会いが、私の運命を大きく変えていくことになるとは――。
ノクス様の工房での生活は、想像していたよりも規則的だった。
朝は六時に起きて食事を作り、掃除を終えたらノクス様の実験に使う魔導器の整頓や片付け、夕食の準備。夜は彼の研究ノートの記録整理まで任されるようになった。最初は緊張していたが、彼は私の失敗に対して怒鳴ることもなく、むしろ観察対象を見るような目で静かに様子を見てくれていた。
「おまえ、豆を切るとき、魔力が刃に乗る癖があるな」
「えっ……?」
「包丁の方が妙に鋭利になる。まあ、悪いことではないが、無自覚だと危ないな。魔力の流れ方も観察しておけ」
そう言いながら、彼は私が切った野菜の断面をまるで貴重な標本でも見るように覗き込んでくる。
「普通は魔力量に対して出力が安定しないものなんだが……お前のそれは妙に律儀で一定なんだよな。不思議だ」
それが褒め言葉なのか、警戒の証なのか、分からない。
でも、ひとつだけ分かるのは――ノクス様は、私を“否定”しないということ。
侯爵家にいた頃、父や姉は常に私の行動を「無駄」と一蹴していた。努力すら「出来の悪い子ほど無駄に動きたがる」と笑われた。
けれどここでは、私の何気ない行動さえも「観察に値する」と評価されているようだった。
……そんなある日のこと。
「ねえ、ノクス様。私、本当に拒絶型なんですか?」
勇気を出して聞いてみた。何となく、知っておかないといけない気がしたから。
「間違いない」
彼は即答した。
「他者の魔力と感情を無意識に弾く。それが拒絶型の特徴だ。だが、厄介なのは“本人の意思に関係なく発動する”という点だ。気に入られようと近づけば近づくほど、無意識の魔力が相手を突き放す」
「だから……みんな、私を避けていたんですね」
「そうだろうな」
納得する一方で、喉の奥に重たいものが引っかかった。
「でも……じゃあ、どうしてノクス様は私を拒絶しないんですか? 今、隣にいても平気そうですけど……」
聞いた自分が馬鹿みたいに思えた。けれど、聞かずにはいられなかった。
ノクス様は、一瞬黙った。
「……お前の魔力は、俺のような魔導士にとって“興味深い”からだ」
「興味深い……ですか」
「そうだ。加えて、俺は感情よりも論理で動く。拒絶されても怒ったり傷ついたりしない。だからこそ、研究対象として君は傍に置いておく価値がある」
「……なんだか、ちょっとだけ悲しいです」
研究対象。それはつまり、私という人間にはあまり興味がないということだ。
けれど、ふと、彼が不意に口を開いた。
「……まあ、最近は研究対象以上に、家に帰って灯りが点いてるのが悪くないと思い始めたがな」
「……え?」
あまりにさりげない一言だった。
でも、それは間違いなく、今まで誰からももらったことのない優しさだった。
その日は、胸の奥がじんわりと温かくなって、眠れなかった。
そして次の日。
街に買い物へ出かけて戻ってくると、工房の前に一人の女性が立っていた。
華やかなピンクのドレスに、巻き髪を揺らしながら、こちらを睨むような視線で見つめてくる。
「……あなたがエリス?」
問いかけられた名前に、私は思わず立ち止まった。
「あなたは……?」
「ミリアーナ。あなたの“完璧な姉”よ」
その声は、あの屋敷で何度も聞いた声だった。
私は無意識に足がすくんだ。
姉が、なぜここに。
「ノクス様に用があるの。さっさと案内なさい。あの人に“妹を引き取っていただいて感謝しています”って伝えるわ」
「……感謝?」
戸惑いを隠せない私をよそに、ミリアーナは唇を歪めて笑った。
「だって、家にいると空気が重いんですもの。お父様もお母様も、あなたのせいで不機嫌だったのよ。あなたがいなくなって、皆やっと笑顔を取り戻せたの」
「…………」
「だから、感謝してるの。貧乏くじを引いて、さようならしてくれて」
乾いた風が吹き抜けた。
私は何も言えず、ただ、手に持った食材袋をぎゅっと握り締めるしかなかった。
「……で、君がエリスの姉、か」
ノクス様はいつもの椅子に腰かけながら、頬杖をついてミリアーナを見ていた。
彼女は当然のように革張りの応接椅子に腰を下ろし、足を組んでいる。その姿は貴族らしく優雅だったが、同時に棘のある視線をノクス様へと向けていた。
「ええ、ミリアーナ・フローラルと申します。妹がお世話になっております。……その、婚約の話、耳にしました」
「ほう、誰から?」
「父からです。まさか、エリスが王都の魔導士様に引き取られたとは思いませんでした。まったく、驚かされましたわ」
笑っているが、その目には何か別の感情が揺れていた。
「引き取った、というよりは、雇っただけだ。あくまで住み込みの使用人だよ。……現時点ではな」
ノクス様はことさら冷静に答えた。するとミリアーナの笑顔がわずかに揺らいだ。
「それは、少し残念ですわ。てっきり妹は……そう、身分の釣り合わない恋にでも落ちているのかと思いましたのに」
何を言っているのだろう、この人は。
けれど私は黙っていた。姉とノクス様の会話に割り込めるほど、今の私は強くない。
「釣り合いか……。まあ、そういうことを気にする身分の者も多いが」
「ええ、私たち貴族にとっては大切な価値観ですわ。ですからこそ、お父様も迷いなく妹を放り出せたのでしょうね。……あの子はずっと空気を淀ませていたから」
ノクス様の眉が、ピクリと動いた。
「空気を淀ませていた?」
「ええ、そう見えませんか? いつも無愛想で、何を考えているか分からなくて。人と関わることも苦手で……。それに、見ていて不快になるのです。あの子が笑っていても、心からの笑顔に見えないのですもの」
その言葉を聞いた瞬間、私の手が小さく震えた。
姉が平然と紡ぐその言葉たち。確かに、ずっと私はそう思われていたのかもしれない。けれど、それが私の“せい”だというなら、私はどうすればよかったのだろう。
「……見た目でしか判断できない君らの方が、よほど薄っぺらいな」
ノクス様の声が、わずかに低くなった。
「え?」
「笑っていないから不快? 関わるのが苦手だから問題児? 自分たちが受け入れる努力を一切せず、勝手に線を引き、勝手に憎んだ。そんな君たちが、どの口で“空気を淀ませていた”なんて言うのかね」
「…………っ」
ミリアーナの唇がわずかに引き結ばれた。初めて彼女の表情から余裕が消えた。
「君たちが彼女の魔力に気づいていなかったのは当然だ。……だが、気づこうともしなかった。都合の悪いことは見ない。それが君たち“貴族”のやり方か」
「魔力……?」
「そう。エリスは特異体質だ。周囲の魔力を乱し、感情の流れを遮断する。無自覚にだ。それが原因で、周囲に誤解されやすい性質なんだ」
「まさか……」
ミリアーナが驚いたようにこちらを見る。
私は俯いたまま、何も言わなかった。ただ、少しだけ、胸の奥が軽くなっていた。
自分のせいじゃなかった。そう言ってもらえた。それが、嬉しかった。
「彼女のことを“排除してくれて助かった”と言ったが、俺はむしろ……君たちが手放してくれて良かったと思ってる」
「……なぜ?」
「彼女が俺のところに来なければ、あんなにも規則正しく食事を用意してもらえることも、実験器具を完璧に整理してもらえることも、なかったからな」
「…………」
「そしてなにより――」
ノクス様は一呼吸おいて、続けた。
「彼女が誰かに怯えずに笑える姿を、初めて見られたからだ」
その言葉に、私は思わず顔を上げた。
ノクス様は、私の方を見て微笑んでいた。
「だから、君に渡すものは何もない。エリスは、もう“君たちの家族”ではない。……そのつもりで帰れ」
「…………そうですか」
ミリアーナは立ち上がった。その表情からは、もはや勝ち誇った余裕など消えていた。
「けれど、気をつけてくださいね。あの子は、いつか必ずあなたを突き放すわ。……あれは、そういう子よ」
「そうなったら、そのときはそのときさ」
ノクス様は笑った。そして、それは揺るぎない確信に満ちていた。
やがて、姉が工房の扉を閉めた後。
私は、ぎゅっと唇を噛んでいた。
「……ノクス様」
「ん?」
「さっきの言葉……嘘でも、嬉しかったです」
「嘘じゃないさ。俺が気に入った人間にしか言わないことだ」
そう言われた瞬間、胸がきゅうっと締め付けられた。
私はもう、あの屋敷に戻ることはない。
でも、ここに居てもいい――そう思えた初めての瞬間だった。
それから数日が過ぎた。
姉が去って以降、ノクス様は普段通りの日常に戻ったように見えた。けれど私は、どこか落ち着かない気持ちを抱えたままだった。
「なあ、エリス」
夕食後、静かな研究室でノクス様が声をかけてきた。
「はい」
「……その、最近妙に距離を取ってる気がするんだが」
「そ、そんなこと……」
私は慌てて否定した。けれど、図星だった。姉の言葉が頭に残っていたのだ。
“あの子は、いつか必ずあなたを突き放すわ”
私は拒絶型の魔力を持っている。無意識のうちに、大切な人を遠ざけてしまう。
ノクス様も、いずれ私に“飽きる”のではないか。私のせいで嫌な思いをするのではないか。
……そう思えば思うほど、無意識に距離を空けてしまっていた。
「エリス」
「……はい」
「君さ、他人の言葉に、影響されすぎ」
「…………」
「ミリアーナの言葉、気にしてるんだろう」
私は、返事をする代わりに小さくうなずいた。
「そうか……」
ノクス様は立ち上がり、私の前に来て膝をついた。顔が近づく。私は驚いて、思わず身を引こうとしたが――
「逃げるな」
その一言で、動きを止めた。
彼の手が、そっと私の頬に触れる。優しい、けれど強い手だった。
「君の魔力は確かに拒絶の性質を持ってる。だが、それがすべてじゃない。君自身が、誰かを遠ざけたいと思っているわけじゃないだろう?」
「……はい」
「だったら、気にする必要はない。俺は、君に近づきたいと思ってる。なら、それでいい」
「……でも」
「でも、じゃない」
彼はさらに距離を詰めた。もう、私の睫毛が彼の頬に触れそうなほどだった。
「俺は魔導士だ。魔力を扱うことに関しては、人よりもずっと繊細に対応できる。君が無意識に発する拒絶なんて、怖くもなんともない」
「……本当ですか?」
「本当だ」
私は――もう、堪えきれなかった。
あふれてきた涙が、ぽろりと零れ落ちる。
温かい言葉に、心が解けていくようだった。
ノクス様は、そんな私の涙をそっと指先で拭ってくれた。
「……泣くくらいなら、もう俺から逃げるなよ」
「……はい」
「よし、じゃあ今日は特別に、君に魔力操作の基礎を教えてやろう」
「えっ……?」
「君の体質、放っておくとそのうち大事故を起こす。ちゃんと自覚して制御する訓練をするぞ」
彼の声は、いつもの調子に戻っていた。でも、それがとてもありがたく感じた。
こうして、私は初めて“自分の力”と向き合うことになった。
それはただの家事の手伝いではなく、私がこの場所に“いてもいい理由”を与えてくれるものだった。
そして、魔力訓練の初日は――
「はい、集中して。感覚を手のひらに集める」
「はいっ……あっ!」
机の上の金属片がいきなり弾け飛び、壁に突き刺さった。
「……ちょっと強すぎるな」
「す、すみませんっ!」
「いや、むしろ面白い。ここまで鋭く魔力を一点に集中させられるのは才能だぞ」
ノクス様は目を細めて笑った。
「制御さえできれば、君は立派な魔導士になれる」
「魔導士、ですか……」
そんな未来を、考えたこともなかった。
けれど、彼の言葉に、胸が高鳴った。
自分の力を理解し、使えるようになったら――
私はもう、誰かに“厄介者”だなんて言われなくて済むのだろうか。
「……がんばります」
「うむ、よろしい」
ノクス様は、どこか満足そうにうなずいた。
その夜、私は久しぶりに深く眠れた。
拒絶される不安も、追われる恐怖もなく――
ただ、明日の訓練が楽しみだと思いながら。
春の風が、工房の前庭に咲いた花々を揺らしていた。
あれから季節がひとつ巡り、私は毎日ノクス様のもとで魔力の制御訓練を続けながら、家事の手伝いも欠かさずにこなしている。
「今日も安定してるな。拒絶の波がほとんどない。自分で抑えてるのか?」
「いえ……たぶん、ノクス様と一緒にいると、自然と穏やかになれるからだと思います」
「……そうか」
彼はわずかに照れたように顔をそらすと、私の手の甲にそっと指を触れた。以前なら思わず引いてしまったその手を、今の私はきちんと受け止めることができる。
拒絶の魔力は、もう暴走していなかった。
「なあ、エリス」
「はい」
「このまま、うちにずっといてくれないか?」
「……はい?」
「使用人として、じゃない」
私は心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じた。
ノクス様は、珍しく真剣な表情をしていた。
「君の魔力は稀有なもので、今後も研究の対象として傍にいてもらいたいという気持ちはある。けれど、それだけじゃない。……君自身に興味がある。そばにいてほしい」
「それって……」
「結婚しよう」
短く、それでもはっきりとした声だった。
私は何も言えずにその言葉を受け止めた。
そして――
「……はい。喜んで」
静かに、でも確かにうなずいた。
泣きそうになるのをこらえながら、私は言葉を続ける。
「ずっと誰にも必要とされなかった私を、ノクス様は受け入れてくださいました。初めて、ここにいてもいいと感じられた場所です。だから……こちらこそ、そばにいさせてください」
「……ありがとう」
ノクス様の目元が緩んだ。その瞳には、いつか見た琥珀の光がやさしく揺れていた。
けれど――そんなある日のこと。
「お客様です」
訪ねてきたのは、ミリアーナだった。
数か月ぶりの再会。相変わらず整った姿で、けれど以前とは違う、妙に焦りを帯びた雰囲気を纏っていた。
「久しぶりね、エリス」
「……どうしてここへ?」
「結婚するって聞いたのよ。ノクス様と」
噂がどこから広がったのかは知らないが、彼女の口からその言葉が出てくることに驚いた。
「ねえ、覚えてる? 昔、あなたは私に憧れてたでしょう。私のドレスや言葉を真似してた。なのに……」
ミリアーナはわずかに目を伏せた。
「今ではあなたの方が、人に必要とされてる」
「…………」
「……悔しいのよ。とても」
そう呟いた姉の姿は、まるで誰かに置き去りにされた子供のようだった。
「けれど、わたしはもう、あなたの影を追いません。ここで、自分の場所を見つけたから」
私の返事に、ミリアーナは目を細めた。
「……そう。ならもう何も言わない。……幸せに、ね」
そして、彼女は踵を返し、振り返ることなく去っていった。
その背を見送った私は、もう何の未練も感じなかった。あの家に対しても、あの頃の自分にも。
ノクス様が隣にいる今なら、胸を張って前を向ける。
「戻ったか」
「はい」
「……泣いてないか?」
「いいえ、まったく」
「ふふん。そりゃあ頼もしい」
ノクス様は私の頭を優しく撫でた。
「それで? 指輪のサイズはどうする?」
「えっ……あの、まだそういうのは……」
「そう言うと思った。けど、用意はしてある」
そう言って彼が差し出したのは、小さな木箱だった。
中にあったのは、淡い青の石がはめ込まれた銀の指輪。
「これは……?」
「魔力を中和する魔導具だ。君の魔力が今後暴走することがあっても、これが支えてくれる」
私はそれを受け取り、そっと指に通した。
指輪が指に触れた瞬間、ほんのりとした温もりが広がる。
「ありがとう、ノクス様……」
「これからは“旦那様”と呼ぶんじゃないのか?」
「そ、それはまだ早いですっ!」
思わず赤面した私に、ノクス様は声をあげて笑った。
こうして、拒絶された娘はようやく、自分だけの場所と、自分を見つめてくれる人を得た。
選ばれなかった令嬢――その人生の本当の幸せは、選ばれなかった先にあったのだ。
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