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7回目の婚約破棄を成し遂げたい悪女殿下は、天才公爵令息に溺愛されるとは思わない

作者: 結田 龍

連載版を投稿しました→https://ncode.syosetu.com/n0682iw/1/


どうぞよろしくお願いいたします。

「クリスティーナ・ヴィクトール! 今日をもって、君との婚約を破棄する!」


(……ふふ、きたわ)



 怒りで顔を真っ赤している男が、クリスティーナを指さした瞬間、思わず笑みが零れそうになった。


 男はこの大陸では小国である、キングスコート王国の王太子ウィリアム・キングスコート。 クリスティーナにとって、六人目の婚約者である。


 クリスティーナは逸る気持ちを抑えて、麗しい瞳と称される紫紺の瞳を鋭く細め、ひたと見据えた。



「それは本国……ヴィクトール帝国からの婚約要請であったのにも関わらず、婚約破棄をするということかしら?」


「そうだ! 君は大層美しいのに、僕のいうことを全く聞かない。時期王太子妃になるのに、淑女として後ろに下がることもしない。先ほども海外からの使者との交渉を、僕を差し置き、勝手に進めるだなんて!」



(勝手、ね。この王太子は、わたくしのようなタイプは嫌いよね。わかっててやったのだけど)



 今の今まで、二人で公務を行っていた。このキングスコート王宮の一室で、海外からの使者と交渉を行っていたところだ。

 しかし、残念ながら王太子の能力では使者とは渡り合えず、交渉を行っていたのはクリスティーナだ。



「今回のことは、わたくしがキングスコート国王陛下から一任されていたことでしたわ。あなたじゃ、荷が重いからと」


「何だって!?」


「王太子としてあなたに箔をつけさせたかった。その陛下のお気持ちがわからなくて?」



 クリスティーナは魅力的な口元を笑ませ、小首を傾げると同時に、柔らかな金色の髪がさらりと肩を流れた。

 煽るような態度なのに、ぎりりと睨むウィリアムが、彼女の美しい姿に目元を赤く染める。


 この後はこの国の文官を交えて、交渉内容の再確認と今後の取引材料について話し合うところだったが、まさか公務の途中で、ウィリアムが引き金を引いてくれるとは思わなかった。



「ウィリアム! ウィリアム、何をしておる!!」



 バンッ、と大きな音とともに部屋の扉が開き、雪崩込むように近衛騎士とキングスコート国王が入って来た。

 国王の表情は真っ青で、唇が震えていた。



「父上、ちょうどよかった。今、クリスティーナに婚約破棄を言い渡したんだ」


「何が婚約破棄だ! それを聞いて慌てて来たのだ。ウィリアム、お前は何をしたのかわかっているのか!? 宗主国である帝国からの婚約にも関わらず、婚約破棄を勝手に言い渡すなどなんたる愚行!」



 この事態を憂慮した者が、すぐさま国王に伝えたのだろう。


 七つの国を従える大国・ヴィクトール帝国。クリスティーナは皇帝の第三子であり、第一皇女だ。

 キングスコート側からの婚約破棄など前代未聞。それは宗主国側に楯突く行為であり、国の在り方すら問われる。



「それに、クリスティーナ皇女殿下がいらっしゃるから、この国は守られていたのだぞ!」



 国王の剣幕にウィリアムがたじろいだ。



「こ、この国の守り……? ど、どうして……」


「王太子なのにわからないのか!? 皇女殿下は婚約と同時に、我が国の国防を固めるため、世界の空を制した戦空艇団を率いてこちらに来てくださったのだ。国防の安定は皇女殿下のおかげだ! 今後、この国が魔獣に襲われたらどうするつもりなのだ!?」



 ウィリアムが目を見開き、クリスティーナを見つめた。

 そのしぐさで国王が絶望の溜息をついた。



(この王太子は本当に何も知らないのね。国王は聡明な方だったけれど、育て方を間違えたみたい。だからこそ、こちらが張った婚約破棄の罠をあっさりと踏んでくれた。今回は楽だったわね)



「皇女殿下、我が愚息がとんだ無礼を……どれだけ謝罪してもしきれません。しかし、我が国には皇女殿下のお力が必要なのです。どうか、どうか今回だけは……っ」



 周りの目を無視して、この国のトップが頭を下げた。

 これがどれだけ重いことなのか、王太子以外はわかっているのだろう。側にいた近衛騎士たちの唾を飲み込む音がやけに響いた。



「陛下、頭をお上げください」


「殿下……」



 縋るような目を向けられ、クリスティーナはにこりと微笑んだ。



「陛下、あなたは何もご存じでないのね? ウィリアムのことに対して、わたくしが目をつぶってきたのはこれだけではなくってよ?」


「ど、どういう……」


「公務の肩代わりは日常茶飯事。わたくしとの婚約が納得できないのか、何人かのご令嬢と浮気をなさっていてよ。極めつけは王家が所有する財産の使い込みね。そうねぇ、三分の一は使い込んだんじゃないかしら? そういうことだから、婚約破棄はいずれわたくしから伝えるつもりでしたのよ」



 クリスティーナの思いもかけない指摘に、国王は口をぽかんと開けた。



(まあまあ、何も知らなかったのね。これでチェックメイト。わたくしは結婚なんてしないわ)



「ウィリアムを捕らえよ! 即刻王太子の地位をはく奪する!」


「え、父上!?」



 国王が怒りで体を震わせ大声で叫ぶと、近衛騎士がすばやく動いた。

 目を白黒させたウィリアムの両腕は背中で拘束され、そのままぐっと力をかけられ膝をついた。



「は、離せ! 僕は王族だぞ!」


「まあ。民の見本であらねばならない王族が聞いて呆れるわね」


「申し訳ございません。皇女殿下。王太子としてあるまじき行為。まさかこんなことになっているとは……」



 怒りで声を荒げた姿はどこへ行ったのか、国王がすっかりうなだれてしまった。



「陛下、キングスコート側の落ち度で婚約破棄が成立ですわ。小国の、しかも王太子の地位がない男とは、わたくしと婚姻を結べるはずがないもの」



 クリスティーナがちらりとウィリアムに視線を流せば、ウィリアムが再び顔を真っ赤にして喚いた。



「き、君のせいで、僕の人生はめちゃくちゃだ! これまでの五人の元婚約者たちにもそうしてきたのだろう!? 評判通りの悪女だな!」


「……ふふ、悪女なんて可愛いもんだわ」



 艶やかな金色の長い髪をかき上げて、クリスティーナは嫣然と微笑んだ。



「悪女である前に、わたくしは血を恐れない軍人だもの」





 * * * * * *





 クリスティーナはこれまで六回婚約して、六回婚約破棄をしてきた。


 ヴィクトール帝国の皇女という地位にいるため、これまでの婚約者は全て一国を統べる王族の一員。一人目と二人目の婚約者とは半年ほど続いたが、そのほかは三か月程度と短く、今回六回目の婚約破棄に至ってはたったの一か月半だ。


 過去類を見ない婚約破棄劇は、帝国の貴族の中ではもはや定番化した話であり、その話の主人公には悪女の評判が立っていた。



「まあ、ご覧になって。悪女殿下が式典に出席されているわ」


「え、キングスコート側でなく、帝国側で?」


「また婚約を破棄されたのね。何度目かしら? 婚約された男性たちはお気の毒ね」


「きっと悪女ぶりを発揮されたのよ。ああ、怖いわ。それに……」


(帝国の貴族たちは相変わらずね。帰ってきた実感が湧くわ)



 ひそひそと、でも聞こえるように交わされる会話は、壇上に優雅に座る皇族の耳に嫌でも入ってくる。



「……クリス。お前のことを言われているぞ」


「まあ。貴族はどこの国でも噂好きですわね」


「事実だろう。私が主となり結んだ婚約を破棄して、また戻ってくるなど何を考えているんだ。六回目だぞ」



 眉間に深い皺を寄せたのは、隣に座るクリスティーナの五歳上の兄・レオンハルトだ。皇族特有の紫紺の瞳、艶やかな金の髪は、クリスティーナと同母であると示している。

 ヴィクトール帝国の皇太子であり、常々クリスティーナの婚約を結んできた張本人である。



「あら、六回目ですのね。レオンお兄様、もうわたくしの態度はお分かりでしょう?」


「何度も言うが、結婚は……」


「お兄様、始まりましたわ」



 話を切り上げたクリスティーナは兄から視線を外し、舞台上に視線を移した。


 晴れ晴れとした気持ちで、クリスティーナが帝国に凱旋したのは一週間前。

 本日は帝宮で開かれる、年に一度の帝国授与式典だ。帝国に貢献した者が表彰される日である。


 皇族の公務であるこの日まで、クリスティーナはレオンハルトを避け続けてきた。もちろん兄の説教を回避するためである。


 レオンハルトが何か言いたそうだが今は公務の時間である。クリスティーナは目の前で行われる授与式に何度も拍手を送った。

 帝国国民にとって、現皇帝ジークフリートから直接栄誉を賜ることは、何物にも代えがたい人生の誉れだ。


 しかし、それを何でもないような涼しい顔で受け取る者がいた。



「帝国軍魔導研究所副所長、シキ・ザートツェントル」


「はい」



 凛とした声が会場に響くと、青い軍服を纏った男が前へと進み出る。

 ほお、と感嘆のため息が方々から零れた。


 通った鼻筋に意志が強そうな切れ長の双眸は、ヴィクトール帝国内でも珍しい黒。隣国ドルレアンの血を引いているとわかるその瞳と同じ色の黒髪は、一つに括られ歩くたびに優雅に揺れた。

 美しい顔立ちと上背のある均整の取れた体躯は、いわゆる容姿端麗で、たちまち見る者を魅了してしまう。


 彼は皇帝の前で立ち止まり、恭しく一礼をした。



(彼がシキ・ザートツェントル。わたくしの戦空艇を作り出した天才機械士ね。彼の作り出す魔導機械は惚れ惚れするわ)



 クリスティーナは少し乗り出すように舞台上を見つめた。



「戦空艇の開発並びに建造量の増加は、帝国軍のさらなる強化をもたらした。三年連続、褒章を授与する。おめでとう」


「ありがとうございます。皇帝陛下」


「三年連続は帝国軍創設以来初めてのことだ。何か望むものはあるか?」



 皇帝に問われたシキがちらりと壇上を見上げ、ぱちりとクリスティーナと目が合った。



「……そうですね。せっかくですので陛下にお願いしたいことが。後で申し上げても?」


「よかろう」


「ありがとうございます」



 優雅な礼をしたシキがその場を後にする。

 クリスティーナは拍手をしながら、去っていく背中をじっと見つめた。



(目が合ったわね。婚約ばかりで国外にいたから、彼を見たのは初めてなのに。どういうことかしら)



 頭を巡らすが、思いつくことは何もない。

 考えても仕方がないので、再び式典に意識を戻した。

 しばらくして式典の終了が宣言され、皇族は先に退出することになった。



「クリス。お前はこの後、私の執務室へ来い。説教だ。逃げるなよ」



 レオンハルトが席を立つと同時に、念押しのように告げられた。

 兄の差した釘に対して逃げる選択肢もあるのだが、その後のことが面倒だ。ここは素直に従うしかない。

 去っていく兄の背を見ながら、クリスティーナはこれ見よがしにため息を零した。



「クリスティーナも大変だね」



 声を掛けられた方を振り向くと、ひょろりとした体格の男がいた。



「ジェレミーお兄様」


「兄上に婚約破棄のお説教をされるのかな?」


「そうみたいですわね」


「かわいそうに。兄上も酷だね。こんなに結婚を嫌がっているのに」



 ジェレミーが困ったように首を傾げれば、さらりとグレーの髪が流れた。


 第二皇子であるジェレミー・ヴィクトールは、クリスティーナの異母兄にあたる。

 当然皇族として出席していたが、クリスティーナたちとは席は離れており、彼の母親である側妃テオドラの傍にいた。



(珍しいわね。わたくしに声をかけるなんて)



 兄妹ではあるが側妃があからさまに交流を嫌がり、あまり会話をしたことがない。そのため、積極的に交流を図ったことはなかった。

 ただそれだけではなく、クリスティーナ側にも会話を控えている理由があるのだが。



「兄上のもとに行くのかい?」


「仕方がありません。皇太子殿下の命は聞きませんと」


「皇太子殿下からなら仕方がないね。兄上はなぜそこまでしてクリスティーナの結婚にこだわるのかな。クリスティーナは婚約破棄をしては、帝国に帰ってきているのにね。助けてあげようか?」


「え?」


「嫌なんでしょう?」



 珍しいことを言う次兄に内心では驚いたクリスティーナだったが、表情は崩さなかった。



「大丈夫ですわ、ジェレミーお兄様。慣れていますもの」


「そう?」


「レオンお兄様の考えていることはわかりませんが、帝国にはわたくしの使命がありますから。それに邁進するのみです」


「誇り高いね。クリスティーナは」



 ジェレミーは眩しいものを見るように目を細め、感心してみせた。



「クリスティーナは帝国のことを愛しているんだね。だったら、兄上ももうやめたらいいのにね」



 そう言った後、次兄の従者が迎えに来て、彼はクリスティーナのもとを去っていった。


 次兄の言葉には何も発せず、クリスティーナは微笑を浮かべるだけにとどめた。





 * * * * * *





 クリスティーナ自身は、この国のことを愛しているかどうかはわからない。

 ただ、皇族であるがゆえに国民を守ることは義務だと思っているし、「力ある者から民を守ること」は己の矜持でもある。

 目の前にいる難しい表情をしている兄も、同じ考えを持っていると思っているのだが。



「ほう。それで六人目の婚約者とも婚約破棄をしてきたわけか」


「仕方がないですわ。彼に問題が多かったため、キングスコート国王自ら王太子の地位をはく奪しましたから。宗主国の皇女が小国の、しかも地位のない者と婚姻を結ぶのは、何のメリットもありません」


「で、一週間後に本国に帰還したと」


「ええ。片付けもありますからね。あ、一応最後の任務として魔獣を討伐しましたわ。かの地の民に罪はないですもの。レオンお兄様、何か問題でも?」


「……問題は大ありだ」



 はぁ、とレオンハルトが深いため息を零した。


 式典の数時間後、クリスティーナはレオンハルトの執務室を訪れていた。

 渋々やってきたクリスティーナに、兄が容赦なく六回目の婚約破棄について報告を求めた。



「キングスコート領内で魔獣を討伐したのはかまわん。婚約者の国の国防は、戦空艇団総師団長である私から与えた第三師団への任務だったしな」


「ええ、総師団長からの指令でした。わたくしは第三師団の師団長として遂行したまで。力ある者から民を守ることは我々の義務ですから」


「もちろんだ。だが、私は婚約破棄まで命じた覚えはないぞ」



 レオンハルトが突き刺すように、クリスティーナをじっと見た。

 この兄の冷ややかな双眸が苦手だ、といつも思う。逃げ道をふさがれて息苦しく感じる。



「……わたくしは結婚など致しません。わたくしは軍人です。戦空艇とともに朽ちます」



 その宣言の通り、クリスティーナの今の格好は皇女としてのドレス姿ではない。己のアイデンティティーとも言える、戦空艇団の紅の軍服を身に着けている。


 すらりとした身体は華奢で、ドレスを身に着けているときは清楚に、軍服を身に着けていればどこか色気を醸しだす。だが、その女性らしい容貌がクリスティーナにとっては煩わしい。


 クリスティーナの肩書は、帝国の皇女以外にもう一つあった。

 世界の空を制したと言われる、ヴィクトール帝国戦空艇団の第三師団師団長である。



「お前は軍人である前に皇族だ。皇族としての務めから逃げられると思うな」


「皇族としての務めなら、本国にとってのマイナス要因を見つけ出し対処していますでしょう? これまでの婚約破棄も損失を被らずに済みましたが。それに、お兄様にとってもリターンが大きかったと思いますわ。帝国と従属国との風通しが、これまで以上に良くなったのですから」



 クリスティーナはすまし顔で言うと、レオンハルトが苦虫をかみ潰したような顔をした。


 実質今回のキングスコートも含めて、クリスティーナが仕掛けた婚約破棄により各国の王族の力は弱まり、クリスティーナが嫁がなくとも帝国の思惑が通りやすくなっている。



(今回の件もわずかな時間しか経っていないけど、お兄様は実感しているでしょうね)



 帝国の皇女であるクリスティーナの結婚は、帝国として最重要事項の一つだ。それゆえ、すでに政務の中心にいる皇太子のレオンハルトが担ってきた。


 しかし結婚する気のないクリスティーナは、元婚約者たちの不祥事や属国の不正を暴き、婚約破棄を成し遂げてきた。兄を納得させるには相手に不祥事か醜聞があり、帝国側から破棄する必要があったからだ。



「そもそも記憶喪失であるわたくしを、本国から出すこと自体リスクではないのですか?」



 いい加減諦めてくれればいいのに、という思いを込めて、クリスティーナは機密情報をあっさりと口にする。

 兄の顔をさらに歪ませたいという魂胆だったが、レオンハルトは涼しい顔だ。



「逆だ。お前の記憶喪失は、まだ帝位を諦めていない第二皇子派の格好の餌食だ。だから、外交政策を含め、お前を国外と婚約を結ばせてきた。婚約中からその国の国防を担う名目のもと、本国から出していたからな。それゆえ、未だ記憶喪失はほとんどの者が知らない」



 容貌がよく似ていると評される兄が口の端を上げた。


 実はクリスティーナには十歳以前の記憶がない。

 幼い頃の兄との思い出を覚えておらず、亡くなった皇妃である母ロザーラの顔もおぼろげだ。

 だから、レオンハルトが兄であるという実感がない。容貌が似ていなければ、もっと実感がなかっただろう。


 これは皇太子派の大きな秘密だ。



「だが、クリス。お前の言うことも一理ある。だから、今回は本国から婚約者を用意した」


「婚約者!? またですの!?」


「喜べ、クリス。今回は父帝からの後押しもある。先ほど手続きを済ませた」



 クリスティーナは目を見張って、奥歯をぐっと噛みしめた。


 六回も婚約破棄をすれば適齢期も過ぎ、クリスティーナは二十一歳になっている。

 それなのに。



(七人目だなんて冗談じゃない! 全く何を考えているのかしら)



「これでだめなら私も諦めよう。新たな婚約者は、ザートツェントル公爵家の次男シキ・ザートツェントルだ」



 クリスティーナは片眉を跳ね上げた。


 式典で初めて見た、三年連続受賞したあの男だ。公爵家の人間だったのか。そう言えば、あの時彼は父帝と褒賞の話をしていなかったか。



「私の友人であり、私が帝位についた時には、宰相になってほしいと思っている信頼できる男だ。今は断られているがな」


「……まぁ、お兄様が断られているのですね」



(なるほど。わたくしをダシにして、その時が来たら宰相の地位に据えるおつもりなのね。しかもお父様からの支持を取りつけている)



 兄の魂胆が透けて見えて、クリスティーナは内心で舌打ちをした。

 どこまでも皇女というカードを使い続けるようだ。そんな姿勢が腹立たしい。



「お兄様、何度も言うようですけど、わたくしは結婚なんてしませんからね」


「お前に拒否権はない。きっちり皇族としての役目を果たしてもらうぞ」



 今度は我慢できず、皇女らしからぬ舌打ちが出た。


 兄がその態度なら父帝が出てこようとも、遠慮なく婚約破棄を目論むだけだ。

 今度は諦めると言っているのだから。





 * * * * * *





「は? マジで言ってんの、七回目の婚約なんて!?」



 クリスティーナの隣にいる男が、口をあんぐりと開けた。


 第三師団の副官を務める直属の部下であるエドワード・トリアトトだ。普段は爽やかな男なのに、その表情は少し滑稽だ。



「エドワード、職務中なのに感情が表に出過ぎよ。ここが戦場なら敵に思惑を気取られるわよ」


「無茶を言うなよ、クリス閣下。これが驚かずにはいられるか。それにここは戦場じゃねーし、訓練中だから」


「その気の緩みを訓練中でも持ち込まないように」


「持ち込ませたのは、誰なんだよ……」



 げんなりした副官から空へと視線を向ける。


 上空に浮かんでいるのは巨大な木造の空飛ぶ戦艦・戦空艇。装甲は木造で数基のプロペラを推進力とした戦艦だ。世界で唯一、ヴィクトール帝国が持っている空で戦える軍・戦空艇団が所有しているものだ。


 帝都郊外にあるヴィクトール帝国軍指令本部にて、クリスティーナは第三師団の訓練を行っていた。

 クリスティーナは耳のイヤーカフを触り、通信機を起動させた。



「こちら、クリス。戦空艇訓練は順調よ」


『こちら、マルス。んじゃあ、そろそろ終了ってとこか』


「こちら、エドワード。聞いてくれ、みんな! クリス閣下が七回目の婚約をしたんだってよ!」


『はあ!? あたしの超推しのクリス閣下が、また婚約させられらたの!?』


『うるさい、モニカ。俺の耳元でしゃべんな!』



 訓練中の団員に通信を入れれば、エドワードの暴露で戦空艇内は大騒ぎになってしまった。だからといって、にぎやかに大騒ぎするのは第三師団では日常茶飯事なのだが。



『閣下、戦空艇に上がって来いよ。その面白い話を聞かせろ』


「面白いって、マルスあなたね……まあ、いいわ」



 クリスティーナは近くに待機させていた、騎馬をモチーフにしたと言われる小型迎撃艇カヴァルリーに跨った。エドワードもそれに続く。

 操縦桿を操作するとカヴァルリーがふわりと浮き、空に向かって走り出す。ぐんぐんスピードを上げて、あっという間に二機のカヴァルリーは戦空艇の甲板に着艦した。



「クリス閣下、クリス閣下―!」



 到着したとたんに、うわーんと声を上げて駆け寄ってくる女性がいた。クリスティーナと同じ紅の軍服を着た、数少ない女性団員のモニカだ。



「どういうことですか、また婚約したって!? 七回目ですよ、七回目」


「どうもこうもないわよ。勝手に皇太子殿下がお決めになられたのよ」


「あたしの崇め奉りたい孤高のアイドルが、また人のものになるなんて! 今度はどこの国の王子様ですか!?」


「今度の相手は、本国の貴族ですって」


「本国ぅ!?」



 目を白黒させて興奮するモニカを、筋骨隆々の男であるマルスがクリスティーナから引き離した。



「モニカ、うるさい。静かにしろ。大分面白いことになってんな、閣下。本国の貴族がお相手だって?」


「そうなの」


「とうとう悪女様は海外に相手がいなくなったか」


「本国ならオレだって貴族だ。副官のオレだって候補になったんじゃ……」


「エドワード、お前は下級貴族の三男坊だろ。相手は皇女だ。現実を見ろ」


「ひ、ひどい」


「エドワード、大丈夫よ。わたくしは結婚なんてしないわ」


「……エドワード的には大丈夫じゃないだろ」



 背中がしょんぼりしてしまったエドワードの肩を、励ますようにマルスが叩いているが、クリスティーナにはよくわからず小首を傾げた。



「で、今度のお相手はどんなヤツなんだ? もう会ったのか?」


「皇太子殿下のお友達ですって。公爵家の次男よ」


「おお、さすがは皇女様」


「でも、まだ顔合わせをしていないわ」



 婚約は勝手に決まってしまったが、当の相手に会っていない。

 レオンハルトから新たな婚約を告げられてから、すでに一週間が経っているが会う気配が訪れない。



「閣下は七回目の婚約破棄を狙っているのか?」


「当然でしょう。さらに最短記録を目指すわ。これで本当にチェックメイトよ」



 天才機械士シキ・ザートツェントルについて、表向きに流れている情報はすでに粗方つかんではいる。

 しかしそれだけでは足りず、本人に近づいて内情を探りたいところだ。

 人は内側ほど、後ろめたいことを隠しているものだから。



「ちなみに六人目の記録は?」


「過去最高のひと月半よ」


「骨のない王子様だな」


「わたくしはこの戦空艇とともに朽ちるつもりよ。わたくしにとって軍人であることと、この第三師団が最も大切なのだから」


「女神、ここに女神がいるわ! クリス閣下、好き!!」


「うるせぇ!」



 目を輝かせたモニカが勢いよくクリスティーナに抱きつこうとしたが、間一髪でマルスが首根っこをつかみ、ぐえっ、と潰れた声が響く。

 モニカとマルスの言動に、周りにいた団員たちはどっと笑い声を上げた。


 第三師団の団員たちは、クリスティーナをボスとして慕っていて「皇女」として扱わない。

 第三師団特有の理由もあり、身分を超えた仲間・家族のように思っているから、会話もざっくばらんとしたものだ。


 第三師団がなくなる、軍人でなくなるなんてことが起これば、きっと生きる意味を失う、とクリスティーナは本気で思っている。



(だから、わたくしは必ず婚約破棄を成し遂げる)



 改めてクリスティーナは心に誓う。


 これまでの婚約者たちは例外なく高い地位の者であり、皇女であるクリスティーナを求めるが、軍人の部分を否定してきた。

 今度の婚約者も公爵家の人間だ。きっとこれまでの婚約者たちと変わらない。



「クリス閣下! 通信部隊からの出動要請です!」



 団員の一人がクリスティーナの下に駆けこんできた。

 戦空艇に団員の言葉に緊張感が走り抜ける。

 クリスティーナは報告を促した。



「報告を」


「帝都から距離三百の地点に、ワイバーンの群れが出現。数はおよそ十!」


「ワイバーンが? わかったわ。みんな、出撃するわよ!」



 凛とした声でクリスティーナが指令を出せば、おう! と団員たちの威勢のいい声が戦空艇に響いた。


 現在の社会情勢は魔獣の出現でどの国も被害に遭い、頭を悩ませている。そのため、他国との戦争より魔獣の討伐に重きがおかれている。

 その中でもヴィクトール帝国の帝国軍は、魔獣討伐において世界随一の強さを誇る。時には他国からの要請で討伐に赴くこともあり、世界の守護者とも呼ばれていた。



「目標確認、ワイバーンの群れだ! 数は十体。距離百二十、クリス閣下、指示をくれ」



 戦空艇の指令室でエドワードが報告する。

 出動要請に従って、第三師団が戦空艇で出撃した。

 第三師団は帝国軍の通信部隊から受け取った情報をもとに、討伐目標に近づくため上空を航行していた。



(ワイバーンの群れだなんて珍しいわね)



 戦空艇が向かう進路の先には、魔獣ワイバーンがいる。硬い皮膚に、大きな体躯を持ち上げられる翼を持っている魔獣だ。


 魔獣の出現はどの国でも定期的に起こっているが、魔獣の種類は様々で、ワイバーンは空を飛ぶタイプのため、魔獣の中では厄介な部類に入る。

 それが今回は十体だ。数が多い。十体以上を「群れ」と呼んでいた。


 しかし「空」という同じ土俵で戦える、戦空艇団・第三師団であれば互角に戦える。



「まずは魔導弾を撃ち込みましょう。できうる限りダメージを与えたところで、戦闘部隊を出撃させる」


「了解! 総員に告ぐ。魔導弾装填の準備、および戦闘部隊はカヴァルリーでの出撃準備を開始せよ。みんな、魔力なしでも戦えるってことを証明してこい!」



 エドワードのアナウンスに、おう、と応えるとすぐに団員が行動を開始した。


 戦空艇団・第三師団は、帝国軍において少し特殊な師団だ。

 魔力保有量の有無、その強弱が問われる軍において、「魔力なし」と揶揄されるほど、団員たちの魔力保有量は最低である。


 実はクリスティーナも例外ではない。

 皇族はもっとも魔力保有量を有していると言われているが、クリスティーナは皇族過去最低と言われているほどしか計測されなかった。


 当時、魔力保有量が少ないものは兵になれないか、なれたとしても給金の少ない下級兵士になるしかなかった。

 しかし、保有量が少なくとも能力のある者はいる。知恵者はいる。

 そう考えたクリスティーナは第三師団を編制した時、保有量の少ない者を団員にしたのだ。



「クリス閣下、魔導弾は何発撃ち込みますか?」



 魔導弾での砲撃を担当しているモニカが、クリスティーナに視線を向けた。


 戦空艇には空で戦えるように、大砲が搭載されている。

 魔獣を討伐するには魔力が必要で、地上で扱うような鉛の弾ではなく、魔力で作られている魔導弾を使用するのだ。



「全てのワイバーンに、できうる限りダメージを与えたい。その上で、できれば半数を撃ち落としたいわ」



 ワイバーンを注視していたクリスティーナが、ちらりと視線を投げかけるとモニカは考え込んだ。



「半数ですね……了解。では、第五撃まで設定します。攻撃目標設定。第五撃まで弾道を設定……」



 モニカの回答に、クリスティーナは口元に笑みを乗せた。


 第三師団の戦空艇に搭載されている大砲は全部で六基だ。第五撃まで設定するということは、五基の大砲を使用するとことになる。

 万一を考えて、一基を残す選択ができたモニカに成長を感じる。



「閣下、オレたちは甲板で待機する。閣下もカルヴァリーで出撃するつもりか?」



 モニカが設定を進めている時、戦闘部隊の部隊長を任せているマルスが、クリスティーナに問うた。

 戦闘部隊は騎馬兵が馬に跨って戦うように、小型迎撃艇カヴァルリーに跨り、接近戦で戦う。



「もちろんよ。マルス、魔導弾の後に戦闘部隊は出撃よ」


「了解。閣下のカヴァルリーも準備しておく」


「よろしくね。エドワード、わたくしが出撃したら戦空艇は任せるわ」


「了解!」



 互いに頷き合うと、マルスが指令室を飛び出した。

 すぐにモニカの鋭い声がかかる。



「閣下! 距離百を切りました!」


「距離八十で撃って。モニカ、あなたはできると信じているわ」


「お任せください、閣下!」



 クリスティーナが言葉に信頼を乗せると、モニカの表情がぱあっと輝いた。



「距離八十にて射出。カウントを開始します。距離九十三、二、一、九十……」



 モニカがカウントを始めると同時に、戦空艇全体がビリビリと空気を震わす。

 戦空艇に搭載されている大砲がぐるりと動き、ワイバーンの群れに照準を合わせた。

 やがてモニカが操作する計測機器は、魔導弾の魔力エネルギーがフルチャージになったことを指し示した。



「八十五、四、三、二、一、八十!」


「撃て!!」


「魔導弾、射出!」



 戦空艇の大砲から射出された魔導弾は、閃光を走らせ、猛烈な勢いでワイバーンの群れを貫いた。

 ゴウンッ、ゴウンッ、と何度も爆発音が響き渡り、爆煙が空を覆いつくす。



「全弾、命中! 魔導探知機の反応から五体殲滅、残り五体です!」


「よくやったわ、モニカ!」



 労いを込めてモニカの頭をぽんと撫でた後、クリスティーナは駆け出した。

 うひゃああっ、とモニカの奇声が上がったが、いつものことなので気にせず指令室を出て、甲板を目指す。



「後はお願いね! ……こちら、クリス。戦闘部隊、出撃よ!」


『こちら、マルス。了解! 閣下、空で待ってるぜ』


「ええ、今行くわ!」



 クリスティーナは耳のイヤーカフの通信機で、マルスに指令を出した後、全速力で甲板に駆け上がった。

 甲板に到着すると、クリスティーナのカヴァルリーが一機用意されていた。

 乗りなれた愛機にひらりと跨ったクリスティーナは、操縦桿を操作して上空に向かって飛び出した。



「戦っている時が、一番生きているって感じがするわ」



 上空のワイバーンを見据えて、クリスティーナはぽつりと零した。




 空の状況に目を走らせると、爆煙はすでに引いていた。

 クリスティーナの視線の先にいるのは、五体のワイバーンだ。



(目視で確認できたわ。ワイバーンは残り半分)



 そのワイバーンたちも、魔導弾のおかげでかなりダメージが入っていた。


 クリスティーナはステップに足を固定し、操縦桿を器用に操りながら立ち上がった。そのままぐんぐんスピードを上げて、すでにワイバーンと交戦している戦闘部隊を目指す。


 クリスティーナは持っていた、手のひらくらいの大きさの黒いロッドをぐっと握り、なけなしの魔力を込めた。



「ハルバード!」



 ロッドがブンッと短い音を発したと同時に、光を放ち、状態を変化させていく。手のひらくらいの大きさだったロッドが、クリスティーナの身長を超える長い柄に変わる。

 先端には魔力が放出され、魔力で作られた鋭い斧が生成された。

 魔導武器・魔斧ハルバードだ。

 クリスティーナは長い柄を器用に操り、ブンッ、と一振りすれば、彼女の双眸に鋭さが宿った。



「さあ、殲滅して差し上げるわ」



 クリスティーナはさらにカヴァルリーを加速させ、ワイバーンと戦いを繰り広げられている中に突っ込んだ。

 直後、一体のワイバーンが戦闘部隊の団員に対し、太くて重そうな拳が振り上げられた。

 クリスティーナは瞬時にそのワイバーンの硬い胴体に向かって、魔斧ハルバードを真一文字に薙ぎ払った。



「ギャアアアアアアアッ!」



 ワイバーンが絶叫し、塵となって消滅した。



「閣下!」


「クリス閣下!」


「待たせたわね!」



 口々に声をかけられ、クリスティーナはニッと口の端を上げた。

 今日もハルバードの威力は絶好調だ。切れ味が抜群で気持ちがいい。


 魔斧ハルバードはクリスティーナが愛用する、帝国軍が扱う魔導武器の一つだ。

 魔力の少ないクリスティーナは、この武器を改良し、魔導石を追加し、魔力を抽出している。


 魔力なしと揶揄される第三師団の武器は、彼女ものと同じように改良され、どの団員でも扱えるようにしているのだ。

 自分たちの欠点を補うため、第三師団には専属の技術士がいるくらいだ。



「閣下、油断するなよ! 残り三体だ!」


「わかってるわ」



 ちょうどもう一体のワイバーンを倒したマルスが叫んだ。

 彼が愛用している魔導武器・魔槍ランケアを構え、すぐにもう一体に突っ込んでいく。

 クリスティーナもくるりと体の向きを変え、団員たちとともに別の一体を狙う。



「魔導ライフルでワイバーンの注意を引いて!」


「了解、閣下!」



 魔導ライフルを所持している団員たちが、一斉にワイバーンに射撃を開始した。

 ドパパパパパンッ、と魔力のこもった弾丸がワイバーンを襲う。

 だが、ワイバーンは弾丸の雨を縫うように、翼を使って上手く回避していく。

 手負いのため、弾が当たると体力が削られていくが、致命傷にはならない。ワイバーンもそれがわかっているような動きだ。

 そして、こちらの攻撃が止むとわかると、炎のブレスを吐いて攻撃してきた。



(知能があるのね。でも、わたくしが斬りつけてあげてよ)



 団員たちは何度か吐かれる、ワイバーンの炎のブレスをかわしていく。

 クリスティーナはワイバーンの隙ができる一瞬を狙った。



(今だわ!)



 カヴァルリーでぐんと接近し、ハルバードを大きく振りかぶった。

 ワイバーンがこちらを攻撃するよりも先に、肩から胴にかけて、斜めに大きく斬りつけた。



「ギャアアアアアアアッ!」



 ハルバードの一撃がワイバーンに綺麗に決まり、また塵となって消滅した。



「さすが、閣下!」


「ありがとう、助かったわ!」



 団員たちとの連係プレイで、ワイバーンを一体倒すことに成功した。

 ふっ、と一瞬気が抜けた矢先、クリスティーナの視界の端に何かが映る。

 振り向くとまだ残っていたワイバーンが、団員に向って長くて太い尻尾を振り上げたのが見えた。



「いけないわ!」



 あれを直に喰らったら、ただではすまない。

 クリスティーナはカヴァルリーを全速力で飛ばして、間一髪で団員とワイバーンの間に入り込んだ。

 ドウンッ、とカヴァルリーが衝撃を受けて、派手な音を立てる。



「ぐ……!」



 その瞬間、身体がふわりと浮いた。



(しまった、投げ出されたわ!)



 とっさに操縦桿を握りしめる。

 だが、視界がくるりと入れ替わり、カルヴァリーとともに勢いよく重力に引っ張られた。



「閣下!!」



 高い高度から、一気に落下する。

 操縦桿をすばやく操り、自分の態勢を立て直そうとした。


 しかし、クリスティーナはふとやめてしまった。


 身体が真っ逆さまに落ち、景色が目まぐるしく変わる。

 心臓の早鐘の音が、身体全体から聞こえてくる。

 肺にぐっと圧力がかかり、息ができない。

 生と死のボーダーライン。

 ギリギリの感覚。

 ただ、恐怖が心も体も支配した。

 けれども。



「……生きてるって、感じがする」



 呟きは空気に溶けた。

 時折、この瞬間を感じたくなる。

 何にも逆らわず、ただ己の身体は落下する。

 このまま朽ちるのも、いいのかもしれない。



「師団長ともあろう者が簡単に命を投げ出すのですか。困りましたね」



 声が聞こえた。

 状況にそぐわない丁寧な響きだ。

 それが逆に、クリスティーナの警戒心が働いた。

 クリスティーナは反射的に体勢を立て直そうとしたが、その前にぐっと手首をつかまれる。

 操縦桿は手を離れ、乗っていたカヴァルリーだけが、地上へ向かった。



(誰? 今の今まで気配がなかった)



 視線を上げれば、己の手首をつかんだ男が、長い黒髪を靡かせてカヴァルリーに乗っていた。



「私が生み出したモノを乗りこなしてくれるのはうれしいですが、もっと丁寧に扱っていただかないと」


「あなた……!」



 男に己の手首をぐいっと引き上げられ、そのまま男が乗るカヴァルリーの前に乗せられる。

 男に後ろから抱きしめられるような格好に、クリスティーナは声を上げかけた。

 しかし、声を上げたのはワイバーンだった。

 ギャアッ、と短く鳴くと、巨体がこちらに向かって飛んでくる。

 反射的に魔導武器に手を伸ばすが、すでにロッドに戻ってしまっている。

 クリスティーナがなんとか応戦しようと立ち上がろうとすると、肩を押さえられた。



「操縦をお願いします」


「え!?」



 パッと離された操縦桿を、クリスティーナは慌てて握りしめる。

 手を離した本人はステップに足を固定したのか、立ち上がっていた。

 男はワイバーンを睨みつけて何かを呟くと、手にしていたものがブンッと短い音を発したと同時に、光を放つ。

 思わず振り返ったクリスティーナは、手にしているものに目を瞠った。



「……魔刀アシュラだわ」



 黒い柄の先に、魔力を帯びた鋭い刀身が生成されている。

 獰猛な視線で、こちらに一直線に向かってくるワイバーンに対して、男はアシュラを構えた。

 そして、ワイバーンに向って突くように、すばやく刀を動かした。

 刀身が三本に増え、ビュンッ、と鞭のようにしなる。

 瞬間、三本の刀身が電光石火の勢いで、ワイバーンに喉に突き刺さった。

 ワイバーンが目を見開き、声もなく絶命する。

 そのまま塵となって消滅した。



(一瞬で殲滅したわ。すごい、これが魔刀アシュラなのね。初めて見たわ)



 魔導武器・魔刀アシュラは、扱いが難しいと言われている武器の一つだ。通常より魔力を多く使用するのと同時に、繊細なコントロールが必要とされる。

 しかし、その武器の威力は絶大だ。


 ほぅ、と息をつくと、アシュラをしまっていた男と目が合った。

 男がふっと笑うと、あっという間にクリスティーナの背後に座り、彼女から操縦桿を取った。



「全て殲滅できたみたいですよ、婚約者殿」


「あなた、どうして……」



 天才機械士と名高いシキ・ザートツェントル。

 この世界で初めて戦空艇を開発した張本人だ。それだけでなく、小型迎撃艇カヴァルリーや魔導武器を開発したのも彼だ。帝国軍魔導研究所に所属し、副所長の肩書もあり、帝国軍内での発言権も強いと聞いている。


 そんな男だが元は近衛騎士団の所属で、魔力保有量がトップクラスで実力も高い。彼が頭角を現したことで、彼が身にまとっている魔導研究所の青の制服に憧れを持つ者が多いと聞く。


 これがクリスティーナの調べた表向きに流れている情報だ。

 しかし、なぜこんなところに彼がいるのか?



「まずはあなたの無事な姿を団員に見せてはいかがですか? ほら、戦空艇が見えてきましたよ。着艦しますね」



 カヴァルリーが徐々に速度を落とし、戦空艇の甲板に着艦した。



「クリス閣下、ご無事で!」


「閣下、おかえりなさい!」



 甲板に降りると、ホッとした表情の団員たちが次々と迎えてくれた。そこには戦闘部隊の団員もいる。

 どうやら自分たちより先に、無事に戦空艇に戻っていたようだ。



「クリス閣下、大丈夫かよ!?」


「エドワード」



 エドワードが心配そうに駆け寄ってきた。

 おそらく指令室から、クリスティーナが落ちたところを見たのだろう。

 心配性の副官に、クリスティーナは苦笑した。



「また余計なことを考えたんじゃないだろうな?」


「……こうして無事だったんだから、問題なくてよ?」


「そういう問題じゃねーよ。……で、誰だコイツ?」



 エドワードがシキに冷ややかな視線を向けた。

 だが、そんな視線を気にも留めずに、シキがにっこりと笑った。



「皆さん、初めまして。私はシキ・ザートツェントル。帝国軍魔導研究所副所長であり、クリスティーナ殿下の婚約者になりました」



 エドワードが息をのみ、団員たちが目を丸くした。



「ああ、それと。戦空艇団総師団長の命により、明日からこの第三師団の副官として着任します。というわけで、よろしくお願いしますね」


「は、はああああっ!?」



 皇女らしくからぬ叫び声が響いた。

 少し遅れて、団員たちの驚きの叫びが追いかける。



「ふ、副官ですって!?」


「ええ、副官です」


「お兄様がそうおっしゃったの!?」


「もちろん。今日は挨拶をしにきただけなのですが、たまたま出撃していて、たまたま師団長が空から落ちてくるとは思いませんでしたが」



 にこにこしながら言うシキに、クリスティーナは口元が引きつった。



「ああいうことはよくあることですか?」


「いいえ、まさか。助けてくださってありがとう。偶然あなたがいてくれて良かったわ」


「……偶然ですか」


「ええ、偶然よ」



 こちらを見透かすような目を向けられた。

 面倒だな、と思ったクリスティーナは、あえて口元に笑みを浮かべて、露骨に話題を逸らした。



「というか、あなた、本当に第三師団の副官として着任するのかしら?」


「副所長と兼務ですけどね」


「うちにはすでに、エドワードという優秀な副官がいるわ」


「知っていますよ」


「兼務なら、なおさらあなたは必要ない。って、ちょっと……」



 なぜかずいっとシキに距離を詰められる。

 クリスティーナは反射的に一歩退くが、退いた分シキに詰められた。



「まあ、そうおっしゃらずに。悲しくなってしまいますよ?」


「あの……ちょっと……」


「私は婚約者殿と公私ともに一緒にいられてうれしいのですが、あなたは違うのですか?」


「あの……ち、近い。近いわ!」



 クリスティーナは徐々に壁際に追い詰められ、目の前のシキが彼女を囲うように壁に片手を突いた。

 思わず顔を赤く染める。


 婚約者は六人いたが、いずれ婚約破棄をするつもりだったから、極力接触しないように心がけていた。だから、こんなに男性に近づかれたことはない。


 どうしたらいいのか戸惑っていると、シキがさらに近づき、耳元に唇を寄せた。



「私はあなたの婚約者です。ですので、私のことは暴かないでくださいね」



 その言葉に、クリスティーナははっと息をのんだ。



(知っているんだわ。わたくしがこれまで、婚約者の不都合な点を暴いて、婚約破棄してきたことを)



 厄介な相手が婚約者になった。

 兄が笑っているような気がして、クリスティーナは内心で舌打ちをした。







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