成金令嬢、「どぉう、明るくなったでしょう?」と紙幣を燃やして明かりをつけて、美青年シェフに「金を稼ぐのがどれだけ大変なのかも知らないのか」と叱られる
この世はお金が全て。お金さえあれば何でも買える。
だってそうでしょう。なにしろ私の父は商売の天才で、一代で成り上がり、お金で男爵の爵位を買ったのだから。お金さえあれば平民が貴族にだってなれるのよ。
おかげで私も平民の娘から貴族の令嬢にランクアップ。こんな私を「成金令嬢」と揶揄する者もいるけど、所詮は嫉妬。
この私ナリア・キンゼルのキンゼル家は、並みの貴族では太刀打ちできないほどの財力を誇るのだから。貧乏人に何を言われようが心には響かないわ。
今日も夜会に参加しているのだけれど、周囲の貴族はみんな貧相な格好をしている。
最高級のティアラをつけ、最高級のドレスを着て、最高級のハイヒールを履き、金髪をなびかせる私の姿に、皆が見とれている。ああ、なんていい気分なのかしら。
歩きながら私は耳をそばだてる。どんな時でも情報収集を怠るなというのが父の教え。
どれどれ、王子が見聞を広めるために一時的に城を離れているとか、今日の料理はおいしいだとか、かなり金遣いの荒い伯爵家のボンボンがいるとか、大した情報はないわね。最後のボンボンとやらは私と気が合いそうでちょっと気になるけど。
そんな最中、トラブルが起こった。換気のために参加者の一人が窓を開けたら、強風が入って、会場のランプのいくつかが消えてしまったの。当然、暗くなったわ。
この時私はいいパフォーマンスを思いついた。そう、キンゼル家の財力を存分に誇示できるパフォーマンスを。
私は近くにあった蝋燭の火に、一枚の紙幣100エーン札を近づけた。エーンというのは私の国の通貨で、100エーンは庶民の月収にも相当すると言われてるわ。
私はそんなお札を惜しげもなく燃やした。そして、こう言い放ったのだ。
「どぉう? 明るくなったでしょう?」
紙幣を燃やして明かりにするというパフォーマンス。周囲の人間は眉をひそめるが、実に気持ちがよかった。だって彼らにはこんなことできっこないのだから。
私は満面の笑顔で燃えカスになった100エーン札を捨てた。
その時だった。
一人の男がつかつかと歩いてきた。白いコック服を着ているから、今日の夜会の料理を担当したシェフのようね。
黒髪で目鼻立ちが整っていて、かなりの美青年だわ。チップでも欲しいのかしら。だとしたら奮発してやるか。そんなことを考えていたら――
パチン。
頬に、軽くではあるが平手打ち、ビンタを受けた。
私は反射的に「何をするの!」と男の頬にビンタをし返した。
バチンという音とともに、男の頬には赤い跡がついた。我ながらいいのが入った。いきなり乙女にビンタするなんて、この男許せない。
男は私が先ほど捨てた“燃えカス”を拾った。それを私に見せつけてきた。
「これ……100エーン札だったよな」
「そうよ。それがどうかして?」
「なんで燃やした?」
「決まってるでしょ。明かりにするためよ」
「お前は金を稼ぐのがどれだけ大変なのかも知らないのか」
たかがシェフのくせにこの物言い。私は腹を立てた。
「知るわけないでしょ!」
すると、男は私を心底軽蔑するような目で見つめてきた。まるでゴミを見るような目で――
「そうか。お前には失望した」
ため息までつかれる。
なぜ私がこんな目で見られなきゃならないのよ。たかがシェフ風情に。
耐えられなくなった私はたまらず叫ぶ。
「やめなさい! 人をそんな目で見るのは!」
「こんな目で見られたくなかったら、明日ここに来い」
男は私に一枚のメモ用紙を手渡すと、立ち去っていった。
「誰が行くものですか!」
私は男の背中に怒鳴りつけてやった。
夜会はそのまま終わる。せっかく途中までは楽しかったのに、あのシェフとの一件で、すっかり不愉快になってしまった。
家に帰ってベッドに横たわっても、あの男の顔が浮かんでは消えていく。なんでなの。すぐ忘れたいのに。
お父様は男爵。言いつけて、罰を与えてもらうこともできる。だけど、なぜかそんな気にはなれなかった。
明日はメモにあった場所に行こう。もちろん、あの男に文句を言うために行くのだ。文句を言うだけ言って、すぐに帰ろう。そうベッドの中で決めた。
***
次の日、私はメモにある通りの場所に向かった。
そこは――
「レストラン……?」
『エクニープ』というレストランだった。
どうしていいのか分からず、建物の周囲をうろうろしていると、中からあの男がやってきた。
「お、来てくれたのか」
「……まあね」
「“誰が行くものですか”って言ってたのに、気が変わったのか?」
痛いところを突く。
あんたに文句を言いに来ただけよ、と言いたかったが、どうしてもその言葉が出てこない。
私がもじもじしていると、向こうは会話を進めていく。
「俺はサディアスっていうんだ。今はこのレストランのオーナーで、シェフをやってる」
「私はナリア……。ナリア・キンゼルよ」
私も自己紹介をする。
「そうか。じゃあナリア。今日お前にはこのレストランで働いてもらう」
これには驚いた。
「は!? な、なんでよ!?」
「金を稼ぐ大変さを知るためだ。それを知れば、二度と紙幣を燃やすなんてバカな真似はしなくなるだろ」
貴族の令嬢である私が働くなんて冗談じゃない。
しかし、断れない。断ったらきっと、この男――サディアスは私をまた“昨日の目”で見てくるだろう。それが怖かった。
「分かったわ……働くわよ」
「よし決まり! それじゃ中に入って、着替えてもらおうか」
私はレストランの制服とエプロンを身につける。フリルがついていて、なかなか可愛らしいデザインじゃないの。サディアスが私に求めてることが分かった気がする。
「なるほどね。私の可愛さを生かして、ウェイトレスをやらせようというのね」
「なに言ってんだ」
サディアスはあっさり否定してきた。
「え」
「お前にやってもらうのは皿洗いだ」
皿洗いですって!?
なんでこの私がそんな仕事を。当然抗議する。
「皿洗いなんて下っ端のお仕事じゃない。どうして私がそんなことしなきゃいけないのよ!」
「皿洗いをバカにするなよ。食器を清潔にしておくなんてのはレストランの基本中の基本だし、重要な仕事なんだからな」
こう言われては、返す言葉もない。
「それじゃキッチンに行こう。ついてこい、下っ端」
「結局下っ端って言ってるじゃないのよ!」
キッチンは彼の言う通り、清潔に保たれていた。私とサディアスの他に、数人の従業員がせわしなく働いている。
「お前の持ち場はここだ。このレバーをひねると水が出るから、皿を洗って、洗ったのは拭いてこっちに置くこと」
「分かったわ」
「じゃあ皿洗いを50枚、やってもらおうか」
「50枚も!?」
「当然だろう。ウチの店は繁盛してるんだ。回転率もいい。これぐらいさっさとこなしてもらわないと」
「……分かったわよ!」
不服はあるが、従うしかない。私はしぶしぶ皿洗いを始める。
一枚、二枚、三枚……だんだん作業が雑になっているのが自分でも分かるけど、別にかまわないでしょ。
50枚を洗い終えた私は、サディアスを呼びつけた。
「終わったわ!」
サディアスは皿の山を一目見るなり、こう言った。
「全部やり直し」
「……は?」
「全然洗えてないじゃないか。例えばこれ、ここにソースがついたままだ。こっちは一見綺麗になってるように見えるが、油は残ってる。こっちは……」
次々にダメ出しをされてしまう。
自分でも雑にやったという自覚はあるけれど、全部やり直しは流石にひどい。
「いいじゃない! ちょっとぐらい汚れてたって!」
サディアスはジロリと私を睨んだ。
「お前も貴族なら、レストランにはよく行くだろう。そんな時、うっすらとでも汚れた食器に料理が盛りつけられていたら、食べる気になるか? また来たいと思うか?」
こう問われたら、こう返すしかない。
「……思わないわ」
「だろう?」
この「だろう?」が妙に優しく感じられて、私は不覚にもドキッとしてしまった。
「皿洗いでお客を一人失うことだってある。それだけで済めばまだいい。『あの店はろくに皿も洗ってない』なんて評判が立ったら、それこそ店が潰れかねない。皿洗いってのはそれぐらい重要な仕事なんだ」
ぐうの音も出ない。
「分かったわ……やり直すわ」
「しっかり頼むぞ」
私は黙ってうなずいた。
しかし、私の皿洗いはまだまだのようで、何度も何度もダメ出しをされてしまった。
ようやく50枚をしっかり洗い終えた時、私はヘトヘトになってしまった。
帰り際、サディアスに給金を渡される。
「今日の働きぶりから言って……これぐらいかな」
銅貨を何枚か渡される。
少ない。あまりにも少ないが、抗議する気力もなかった。
「自分で金を稼いだ気分はどうだ?」
数時間働いて、おやつを買うぐらいの給金しか貰えなかった。
私が燃やした100エーンには程遠い。
それなのに――
「なんて……重さなの」
サディアスが微笑む。
「重いだろう。この重さを、どうしても知ってもらいたかった」
私は黙ったまま銅貨を見つめる。
「じゃあ、気をつけて帰ってくれ」
背を向けるサディアス。彼はまだオーナーとして、シェフとして、多くの仕事が残っているのだろう。
「待って!」
私は自然と背中に声をかけてしまった。
「ん?」
「こんなの……たったこれっぽっちじゃお金を稼いだって言わないわ! できるならもう少し働かせて欲しいの!」
サディアスはじっと私を見つめる。
彼がレストランの経営者なら、皿洗いにも手こずる私を雇うメリットはあまりにも薄い。断られる可能性も十分にあった。だけど――
「いいだろう。明日からも来てくれ」
「ホント!?」
「ああ、ただしやってもらうことは皿洗いだけどな」
「もちろんよ!」
やる気を出した私を見て、サディアスは一礼する。
「ではお待ちしております、お嬢様」
「バカにしないで!」
「おっと悪い悪い。じゃあ、またな」
サディアスが店の中に入った後も、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
***
次の日から本格的なレストラン勤務が始まった。
「昨日は働くことを知ってもらうための勤務だったが、今日からは違う。より厳しくなると思ってくれ」
「ええ、分かったわ」
私は懸命に皿を洗う。
なるべく早く、汚れを残さないように。
「遅いぞ!」
「ここ、汚れが残ってる。やり直し!」
「大皿が足りない! 早くしてくれ!」
サディアスからの指示は厳しかった。
だけど決して苦じゃなかった。
なぜだろう。皿洗いに楽しさを見出したからかしら。それとも働く喜びを覚えたからかしら。それとも私は彼のことが――
いえいえ、絶対そんなことはあり得ない!
レストラン『エクニープ』は人気店で、本当に忙しい。
無我夢中で私は皿を洗い続けた。
やっと休憩になり、サディアスから賄いの料理が振舞われる。
「今日はオムレツだ」
「オムレツ……」
私の不満を感じ取ったのか、サディアスが言う。
「ま、いいから食べてみろって」
「ええ……」
スプーンでオムレツをすくって口に含む。
「……!」
卵がふんわりと口の中で溶け、肉と混ざり合って、ものすごく美味しい。
サディアスが自信ありげな表情を浮かべているのが悔しいが、本当に美味しい。
瞬く間に全部食べてしまった。
しかし、私はもう少し食べたかった。
「あの……お代わり……」
「そう言うと思って、多めに作っておいてよかった」
私は顔から火が噴く思いだったわ。
二日目の勤務もどうにか終了。帰り際、サディアスは褒めてくれた。
「昨日よりもずっとよかった。これからも期待してるよ、ナリア」
笑顔でこう言われると私は――
「大いに期待しておくことね!」
顔を背けてこう答えてしまった。
なぜなら顔を赤らめたのを絶対見られたくなかったから。
***
二週間も経つと、私の皿洗いもずいぶん様になってきた。
皿を取って、全体を磨いて、水を拭き取って、確認して、横へ置く。
他の従業員からも「筋がいいよ」だなんて褒められて、ついその気になってしまう。私ったら皿洗いの才能があったのかしら。
だけど、そんな油断がミスを生んでしまう。
「あっ……!」
手から皿が滑り落ち、割ってしまった。
今までにも「皿が汚い」というミスはあったけど、それは洗い直せばよかった。だけど、この手の取り返しがつかないミスは初めてだった。
「どうした!?」
サディアスが駆けつける。
私はうろたえながら、ミスの報告をした。
「ごめんなさい……お皿を割ってしまって……」
私はてっきり怒られると思った。
だけど――
「大丈夫か? どこか怪我してないか?」
意外な言葉だった。
「え、ええ。どこも……」
「そうか、よかった。おーい、誰かホウキとチリトリ持ってきてくれ!」
サディアスが割れた皿をすみやかに片付ける。
私は思わず問いかけてしまった。
「なぜ……怒らないの?」
「怒る? だって……別にわざと割ったわけじゃないだろ? 一生懸命皿を洗おうとして、落としちゃったんだろ?」
「もちろん!」
「だったらかまわないさ。怒るほどのことじゃない。そりゃ何枚もパリンパリン割られたら困るけど」
「でも……!」
「気にするな。それより俺が怒ったことで、お前が委縮して、いい仕事ができなくなる方が店にとってはよっぽど損害だ。極めて合理的な経営者判断ってやつだ」
理屈をつけて「怒らない理由」を話してくれたので、私は気が楽になった。
「それに、俺だって皿ぐらい割ったことあるしな」
そういって笑うサディアスの顔はまるで少年のようだった。
「そうなの?」
「そりゃあるさ。焦ったせいで、料理を盛りつけた後の皿を落としたこともある」
「まあ、あわてんぼうね」
「あの時はホントに焦ったよ……」
完璧なオーナー兼シェフに思えるサディアスの意外な一面だった。
普段の仕事ぶりを見るととてもそんなミスをするとは思えないし、ひょっとしたら私を励ますための作り話だったのかもしれない。だとしたら、嬉しかった。
「じゃ、俺は調理に戻るから。引き続き皿洗いを頼む」
「ええ!」
皿は割ってしまったが、サディアスのおかげで私のテンションは下がらずに済んだ。ここから先の私はもちろん、皿を落とすようなミスをすることはなかった。
***
皿洗いの仕事を始めてから一ヶ月が経った。
この頃になると私の手つきもすっかり板についてきた。
「これ10枚洗って! 大至急!」
「はーい!」
私はレストラン『エクニープ』の一員と化していた。
すると、サディアスから声をかけられる。
「ナリア。皿洗いもだいぶ上達したな」
「あら、ありがとう」
「そろそろ皿洗い以外のこともやらせたいと思うんだけど……例えばウェイトレスをやってみないか?」
「ウェイトレス……!」
私が初めてこの店に来た時、ウェイトレスをやらせてくれると勘違いしてたことを思い出す。
「いいの?」
「ああ、店にも慣れてきて、他の仕事もやってみたい頃だろうし」
「私の可愛さを活用しようってことね?」
私はついこんな軽口を叩いてしまう。
「ま、そんなところだ」
否定されなかったので、かえって慌ててしまう。
「もう、人のことをからかって!」
「そんなんじゃない。俺はナリアの可愛さは認めてるし、今のナリアならきっといい接客が出来るって思ったのさ」
「……!」
顔色一つ変えずにこんなこと言うなんて。
私の顔が熱を持つのが分かる。
ウェイトレスとしての基本を習ってから、さっそく接客が始まった。
客が来たらすぐ出迎える。
「いらっしゃいませ」
タイミングを見計らって注文を取りに行く。
「ご注文はいかがなさいますか?」
注文された料理を運ぶ。
「ごゆっくりどうぞ」
やることは違うけど、根本にあるのは皿洗いと同じだと思った。
皿洗いはお客に清潔な料理を食べてもらうために、心を込めてお皿を綺麗にする。
ウェイトレスはお客が料理を楽しめるように、心を込めて接客をする。
とても楽しかった。
なによりサディアスが作った料理を運べるのが嬉しかった。彼の作った料理はとても美味しそうで、匂いを嗅ぐとつまみ食いしたくなってしまう。
「つまみ食いするなよー」
「す、するわけないでしょ!」
こんなやり取りをしたこともある。本当にドキッとさせてくれるんだから。
程なくしてウェイトレスの仕事も慣れ、半ば店の看板娘になれたような気がしてきた頃のことだった。
同僚のウェイターの人に、こう言われた。
「ナリアさん、ご指名です。あなたにお会いしたいというお客様が……」
「私に?」
常連のお客が特定の従業員に会いたいと申し出ることは珍しいことではない。
ついに私もその域に達したのかしら、と私はウキウキ気分でそのテーブルに向かった。
しかし、待っていたのは私が知らない顔だった。
身なりは立派で、貴族を思わせるお客だった。金髪で、前髪が自信を示すように跳ね上がっている。手には沢山の指輪を、首にはジャラジャラとネックレスをつけ、自分の財力を存分にアピールしている。
まるでかつての私を見ているようだった。
「君がナリアちゃんだね?」
初対面にも関わらず、男は馴れ馴れしく話しかけてくる。
「僕はコーブル・カルコス。伯爵家の跡取りでね。君には一度お会いしたかったんだ」
「どういうことでしょう?」
「君の夜会でのエピソードを聞いたよ。紙幣を燃やして明かりにしたんだって?」
「……!」
間違いなく私のエピソードだ。私以外にあんなことをする人はいない。
「僕もそういうのよくやるんだ。紙幣を紙飛行機にして飛ばしたりとか……だけど燃やすのは流石にやったことがなかったから、君に興味を持ってしまったんだ」
確かあの時「金遣いの荒い伯爵家のボンボンがいる」という情報を耳にしていた。
おそらくこのコーブルのことだったのだろう。
「紙幣を燃やすなんて、君センスあるよ。きっと僕たち気が合うと思うんだ。是非お付き合いしないかい? 僕と一緒に金をパーッと使おうよ。例えば、札束をプールに敷き詰めて泳ぐとか……」
コーブルは紛れもなく、昔の私だ。サディアスにお金を稼ぐ大変さを教えてもらうまでの……。
なんだか昔の恥を掘り返されてるような気分になってくる。
「私は……結構です。今はそういうの、やってなくて……」
丁重に断ろう。それしかない。
だが、コーブルの目つきが変わった。
「おいおい、そりゃないだろ。やっと僕と趣味が合いそうな女を見つけて、こんなレストランまで来たんだ。手ぶらで帰るつもりはないよ」
「ですが……私は……」
「いいからさぁ、とりあえず一緒に食事でもしようよ。ささ、席に座って」
「他の仕事がありますので……」
「客をもてなすのがウェイトレスの仕事だろうが!」
腕を掴まれた。怖い。振りほどきたいが、コーブルはレストランの客としては間違いなく上客になるだろう。粗末に扱ってはならない。どうしていいのか分からなくなる。
「お客様」
サディアスの声がした。まさか、私を助けに来てくれたの?
「なんだよ、お前」
「当店のオーナーで、シェフをやっております。ウェイトレスから手をお放し下さい」
「なんでだよ。僕はこの子と一緒に食事をしたいだけなんだよ」
「当店ではそのようなサービスはしておりません」
「だったら追加料金を払ってやるよ! ほら、これでどうだ!」
コーブルが紙幣をばら撒く。かつての私なら同じことをしていたかもしれない。
サディアスは丁寧に紙幣を拾い集めると、コーブルに突き返した。
「これを持って、お引き取り下さい」
「なんだと!? 僕は客だぞ!」
サディアスはため息をつく。
「はっきり申し上げましょう。店のルールを守れない者は、ウチの従業員を粗末に扱うような者は――客じゃない。とっととお帰り下さい」
「ぶ、無礼だぞぉ!」
コーブルは声を荒げるが、サディアスの無言の睨みに何も言えなくなっていた。
「うぐぐぅ……くそっ! 覚えてろ!」
逃げるように店から出て行く。
一転、サディアスが穏やかな顔つきになる。
「大丈夫か?」
「え、ええ……」
「まったく、とんでもない奴がいたもんだな。金さえ払えば何でもできると思ってやがる」
金さえ払えば何でもできる。許される。
そう、それはまさに――
「まるで……私ね。彼は私と同じなのよ」
「いいや、それは違う!」
サディアスの口調が強くなった。私はビックリした。
「お前とあの男は同じなんかじゃない。確かにお前も紙幣を粗末に扱うことはあったが、今は金を稼ぐ大変さを理解し、立派に働いている。断じて同じなんかじゃない。だから、恥ずかしがるな。昔のことを恥じるな。堂々としていればいいんだ」
こう言われると、私もなんだか安心できた。
「ありがとう……」
にっこりと微笑むサディアス。
「とんだハプニングだったな。どうする、少し休むか?」
「ううん、働かせて。むしろそうした方がさっきのことを忘れられるし」
「そうか……あまり無理はしないようにな」
この日、私は夕方まで働いて、レストランを出た。
***
帰り道。日は沈み、暗くなりつつある。
人気のない道路に差し掛かり、雰囲気がちょっと不気味だ。
ちょっと早歩きでもしようかな――そう思った矢先だった。
「待ってたよ、ナリアちゃん」
先ほどの客、コーブルだった。なぜ、こんなところに――
「あんな風に追い出されて、そのままで済ませるわけにはいかないよねえ」
私が仕事を終えるのを待ってたのね。なんて執念深い男だろう。
「私に用? さっきも言ったけど、あなたと付き合うつもりは……」
「僕はねえ、欲しいものはどんな手を使っても手に入れる主義なんだ」
コーブルが指を鳴らすと、ぞろぞろとガラの悪そうな男たちが現れた。揃いも揃って下卑た笑みを浮かべている。
「な……!」
「金さえあれば、どんなこともできる。こんな連中を雇うこともね。おいお前ら、とりあえず……この女さらえ」
コーブルの命令で、男たちが私を捕まえようとする。
「いやっ、やめて!」
こんな連中に捕まったら、何をされるか分からない。私は必死に抗った。
直後、男の一人が吹き飛んだ。
「え!?」
サディアスだった。コック着のまま駆けつけ、一人を殴り倒したのだ。
「お前は……さっきの!」コーブルが顔をしかめる。
「お前の目は、ナリアを諦めた目じゃなかった。恥をかかされてそのままでいられるタイプでもない。だからナリアを尾けたが……正解だったな」
サディアスは私が心配で見守ってくれていた。
「ふざけやがって……お前たち、あんな奴さっさと片付けろ!」
男たちが一斉にサディアスを襲う。
この人数が相手じゃ、と私は目をつぶる。
だけど、サディアスは強かった。
襲いかかってくる暴漢たちを、閃光のようなパンチで撃退していく。
所詮は雇われた連中、忠誠心などない。サディアスの強さを知ると、暴漢たちはあっさり逃げていった。
「ひっ……逃げるな、お前たち! くそっ!」
慌てふためくコーブル。
サディアスはコーブルに近づいていく。何をするか分かったので、私は止めようとする。
「やめて、サディアス!」
「いや……レストランで口説くぐらいならまだ大目に見たが、こんなことは許せない。一発殴らなきゃ気が済まん!」
サディアスの拳がコーブルの顔面にめり込んだ。
一瞬スカッとしたが――
「い、いでえ……殴ったな……。お前のレストランはもう終わりだ……」
頬をさすりながら、コーブルは涙ぐんでいる。
「……」
「僕のパパは王国直属の捜査官とコネを持ってるんだ! 明日にでもお前のレストランに捜査に向かわせて、潰してやるからなァ!」
捨て台詞を吐いて、コーブルは逃げていった。
王国直属の捜査官――国王や王子直々の命令で動くとされるエリート。犯罪を捜査し、断罪する権限も持っているという。そんなのとコネを持っているなんて。
このままじゃ『エクニープ』が潰されてしまう。
「どうしよう、私のせいで……!」
「大丈夫だ。俺のレストランはあんな奴に潰させやしないよ」
サディアスはこう言うが、私の心は不安で一杯だった。
コーブルは本当に明日にでも『エクニープ』に捜査官を連れてくるだろう。
明日になるのが怖かった――
***
次の日、私はレストランで働いていた。
いつコーブルが捜査官を連れてくるかと思うと、不安で仕方ない。私の気持ちを察したのか、サディアスは私を皿洗いの仕事に回してくれた。ありがたかった。こんな暗い顔で、接客などできるわけがない。
そしてやはり予告通り、コーブルは王国捜査官を連れて、レストランにやってきた。
「このレストランですか?」
「ああ、この店のオーナーだ。きっちり尋問して、罪を暴いてくれよ!」
「……分かりました」
捜査官もあまり乗り気ではないという表情をしている。
コーブルがバカなボンボンだというのは承知しているのだろう。
だからといって捜査に手を抜くとは思えない。コーブルは伯爵家の令息、それを殴ったのは事実であり、レストランのオーナーではあまりにも立場が弱すぎる。
しかし、サディアスは堂々とした振舞いで、彼らの前に出ていった。
「俺がこの店のオーナーです」
「出たな……! 昨日はよくも僕を殴ってくれたな!」
捜査官が前に出る。
「昨晩このコーブル・カルコス殿から連絡があり、この店の捜査に来た。協力してもらお……!?」
どうしたんだろう。捜査官の言葉が止まる。
「殿下……!?」
捜査官がこう口にした。
“殿下”って、確か王族への敬称よね。どういうこと?
「よう」
サディアスも気さくに答える。
「なぜ、このようなところに……!?」
「俺が父上に命じられて、見聞を広めるため、城から出ていたのは知ってるだろ」
「それはもちろんですが……。まさか、レストランを経営なさってるとは……!」
「そりゃあ、俺を知ってる人間に言ったら意味がないからな」
状況がよく分かっていないコーブルが口を挟む。
「おい、何やってる! さっさとこいつを断罪しろ!」
「断罪しろ、だと!? このお方はな……我が国の王子、サディアス・シルバーグ様だ!」
「へ……」
コーブルは呆気に取られている。無理もない。なにしろ私も全く同じ気持ちなのだから。
シルバーグといえば王家の名前。そういえば私はサディアスのフルネームを知らなかった。
「こいつが……王子!?」
「こいつとは何たる言い草だ!」
「いいよ、そんなことは。それより、さっきの話の続きをしよう」
「は、はい。殿下がコーブル殿を殴られたのは本当ですか?」
「本当だ」
「一体なぜ?」
「その男が金でガラの悪い連中を雇って、ウチの女性従業員を襲わせたからだ。俺が助けなきゃ、彼女はそのまま拉致されていただろう」
「な……!?」
驚く捜査官。
すかさず私も出ていく。
「その通りです! 私がその襲われた張本人ですわ! さらにいうと、オーナーも襲われました!」
「なんだと~!?」
捜査官がコーブルを睨みつける。
レストランを糾弾するはずが、コーブルが糾弾される立場になってしまった。
「ち、違う……! 僕はそんなことしてない……!」
目が泳ぎまくっている。
これでは捜査官でなくとも、コーブルが白なのか黒なのかは明らかだ。
「お前が白を切っても、昨日雇われてた連中を探し出せば同じことだ。顔も隠してなかったしな。すぐ見つかるだろ」
「あう、ぐぐぐ……!」
八方塞がりとはまさにこのこと。
捜査官がコーブルの腕を掴む。
「コーブル殿、どうやらあなたには色々と話を聞かなければならないようだ」
うなだれつつ、連行されるコーブル。
私がサディアスを見ると、サディアスはニヤリと子供らしく笑った。
***
仕事後、レストランの一室で私とサディアスは二人きりになった。
「驚きました。あなたが王子だったなんて」
敬語の私に、サディアスは苦笑する。
「いいよいいよ。敬語じゃなくて。かえってぞわっとしちゃうから」
「ぞわっとしちゃうなんて失礼ね!」
「それに、俺の正体についてはレストラン名でヒントを出していたんだけどな」
私がきょとんとすると、サディアスが種明かしをする。
「ほら、『エクニープ』ってのは『PRINCE』を逆から読んだものなんだ。これならオーナーが王子だってすぐ分かるだろ?」
「分かるわけないでしょ!」
私が声を荒げると、サディアスは「だよな」と笑った。悔しいけどかっこいい。
「初めて会った時はこんなことになるなんて思わなかったわ……」
「ハハ、なにしろナリアとの出会いは酷かったからな」
「ごめんなさい……」
私が深刻なトーンで謝ると、サディアスも焦り出した。
「おいおい、冗談だって!」
「でも……」
「俺こそ、ずっと謝りたかったんだ。あの時は頬を打ってしまって。本当に酷いことをした」
「ううん、あれがなかったら、きっと私もコーブルのような女のままだったと思うわ……」
私たちはそのまま見つめ合った。
オーナーと従業員としてではなく、王子と令嬢としてでもなく、ただの二人の男女として。
「ナリア……」サディアスが私の名を呼ぶ。
「なに?」
「俺はもうすぐ王子に戻ると思う。店は信頼できる人間に引き継いでな。そうしたら……ついてきてくれないか?」
その意味はすぐに分かった。
「私で……いいの?」
「ああ。ナリアだからこそいい。最初はナリアのことを非常識な令嬢だと思ったけど、レストランで懸命に働く姿を見ていたら……いつしか心を奪われていたんだ」
「私もよ。最初は大嫌いだったけど、シェフとして、オーナーとして働くあなたを見てたら……」
出会いは最悪だった。
だけど、だからこそ惹かれ合ってしまった。
思いも伝え合い、もはや私たちを遮るものは何もない。
「サディアス……!」
「ナリア……!」
名前を呼び合い、私たちは――
この後、コーブルは捜査官によって所業が全て明るみとなり、そのことを知った父親から絶縁された挙げ句、牢獄送りになった。
札束を玩具にしていたぐらいだから、無一文になる出所後はさぞ苦労することになるでしょうね。
せいぜいお金の大切さを噛み締める人生を歩んで欲しいわ。
そして、私とサディアスは結婚した。
「成金令嬢がついに王子をも金で買う」なんて揶揄する声もあったが、私がレストランで働いていたことは美談のように広まり、私の結婚は大多数から支持を受けることができた。
王国としても、爵位を買えるほどの財力を誇るキンゼル家と繋がりができることはむしろありがたかったようだ。
これで私はますます贅沢をできる身分になったのだけれど……。
***
王宮にて、王子の妃となった私が、破れたカーテンを発見する。
「あら、これ破れてるわね」
すぐさまメイドが対応してくれる。
「誰かが引っかけたのでしょうか。申し訳ありません。すぐ処分を……」
「いいえ、もったいないからこれでお洋服でも作りましょう」
「ええっ!?」
「結婚するまでに色々と勉強したからね。これでもお裁縫は得意なのよ」
私がカーテンを取り外していると、サディアスがやってくる。
「おっ、カーテンで服を作るのか。だったら俺に着させてもらおうか。ちょうど新しい服が欲しかったんだ」
「ええ、そうするわ」
古いカーテンで服を作る私と、それを喜んで着ようとする王子。
メイドは唖然としている。
しかし、これが私たち夫婦のスタイル。1エーンだって決して無駄にはしない。
「それなら今日の料理は俺が作ろう。昨日の残り物をふんだんに使う」
「それはいいわね。食材が無駄にならないわ。だけどはりきりすぎてシェフの仕事を奪ったらダメよ、サディアス」
「分かってるさ」
こうは言ったが、レストランで鍛えられたサディアスの料理を食べるのはとても楽しみ。
すると、メイドが目を輝かせて声をかけてきた。
「ナリア様。私、お二人の今のやり取りに感動いたしました! 一生ついていきます!」
「あら、ありがと」
お金を稼ぐ大変さを知った私は、もう二度と紙幣を燃やしたりはしない。
質素倹約の精神で、いずれ王となるサディアスを支えていこうと思うわ。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。