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飼慣  作者: Mr.Y
8/16

キス

僕と三河の距離がさらに近づくのにそう時間はかからなかった。お互いに惹かれあっていたのだから当たり前といえば当たり前だ。ただきっかけがなかっただけだ。そのきっかけが、僕の場合、もしかしたら二ノ宮さんに対する欲情が鍵になっていたとしたら? 正直、自分にうんざりする。いや、そういう面も持ち合わせてはいるだろうが、それとは別にやはり同じような境遇の三河に惹かれているのだ、と自分に言い聞かせていた。いや、言い聞かせている自分を自覚しているのは二ノ宮さんを意識しているからだ。だから距離が縮まったのだとしたら、僕は三河に二ノ宮さんに望むものを欲して……堂々巡りの言い訳を頭の中でしていた。


翌日、三河の塾が無い日に勉強を教えることになった。場所は三河の家だ。

三河の家は住宅街の一角にあった。

新しくもなく古くもない。なんとなく中間あたりの雰囲気で住み慣れた家という表現がぴったりだ。おそらく三河の両親が結婚と同時に建てたのだろう。

玄関に入ると「ただいま」と三河がいった。つい習慣で口から出た様な感じだった。この時間に両親は帰って来ていないのが普通なのだろう。

 リビングに案内され、僕はソファに座り、教科書とプリントを取り出し準備をした。三河は気を使ってお茶を出してくれた。

「今、コーヒーも紅茶もなくて、梅昆布茶ならあったけど、それなら、普通のお茶がいいでしょ」

「ありがとう」

 久しぶりに梅昆布茶でもよかったが、出してくれるならなんでも嬉しいものだ。とりあえず、勉強を教えるにしてもどうやっていいのかわからない。とりあえず宿題を一緒にやることにした。

 三河は悩みながらわからないところを訊いてくる。塾にもいっているし、だいたい理解はしているようだったが、少し捻った問題にはつまづくような感じだ。ようは数をこなしてない気がした。

「なるほど、なるほど……一ノ瀬、教えるのうまいね」

「塾いってるから理解はしてるじゃん。あとは参考書でも買って問題の数をこなせば、点数とれるんじゃない?」

「そっか、じゃあ次は赤点とらなくてすむかなぁ」

「まぁ、もう少しがんばれば大丈夫」と僕はいった。

 じゃあ、帰るよ、というはずだった。だがその言葉は出ずに三河の顔を寄せて唇を重ねていた。柔らかな唇が甘く感じられ、舌を侵入させると三河の閉じた歯と歯茎に当たった。

 それはほんの一瞬だった。

「じゃあ、帰るよ」と、いうはずだった言葉がようやく出てきて立ち上がった。三河もまるで何事もなかったように立ち上がり、玄関まで見送ってくれた。

「またね」と僕がいうと「また」と三河が返した。その声には何事もなかったように振舞っている姿とは裏腹に緊張があった。

「勘違いだったらごめん」

 僕はなんだか三河の顔を見れずに帰ろうとした。

「次、それいったらぶっ飛ばす」

 僕は「悪ぃ」と手を挙げて詫びた。

 三河の顔を見れなかったがその声は涙声だった。

 僕は意を決して振り返り三河を見た。涙が頬を伝い、笑顔で僕を見ていた。

「三河、つき合わない?」

「順序逆じゃない?」

「初めてだから順番通りにいかなくてさ」

「……いいよ」

 三河は俯き消え入りそうな声で不躾な僕に応えてくれた。

 なんだか歩く足がふわふわと軽かった。生まれて初めての告白はちぐはぐとして思っていたものとは違うものだった。もっとロマンチックでスマートなものだと思っていた。僕が特殊なのかもしれないし、初めてというものは誰だってちぐはぐとしているものなのかもしれない。だって小説や漫画やドラマのような告白ばかりじゃ世の中、ドラマチックすぎて作り物っぽいだろう。

 その甘酸っぱいような気持ちの次に沸き起こってきた感情があった。あるいは甘酸っぱい感情の裏で燻っていたなにかだ。それは三河の唇の感触とともにその姿を表し始めた。表に出てないだけで最初からあったのだ。もしかしたら三河にもその気持ちはあるかもしれない。いや、どうだろう。わからない。キスをしたときに歯は閉じられていた。咄嗟だったからか、そもそも、そういう気持ちを僕に抱いてなかったのか。

 僕はただキスをしたとき三河をソファに押し倒したい願望があった。三河の方はどうだろうか。拒否するだろう。なんとなくでしかないが、そういう気持ちはまだ僕に抱いていない気がする。単に僕は部活で挫折しあった同志として(それ以上の気持ちはあるような気もするが)みているからだろう。それが好意の正体だろうか。それがなかったら彼女は僕を男として見てくれないのだろうか。


 二ノ宮さんはどうだろう。

 単純に僕を求めていた。出会いすらいかがわしいマッチングアプリだ。わかりやすいくらいにただヤリたいだけの者同士の出会いの場。そこに愛はあるのかと問われれば、無いのだろう。二ノ宮さんが僕に言った「好き」は単純に身体のことだけなのかもしれない。だってあまりに立場が違いすぎる。いや、その立場の違いすら彼女にとって都合の良い興奮のスパイスなのかもしれない、とすら思えた。あの美術室での指の味はまだ舌の上にあるような感触すらある。非日常の遊びが日常に溶け込む時の興奮は僕を狂わせているのかもしれない。それが三河にキスさせたのか。

 帰宅し、学生服を脱ぎ、普段着に着替え、独り晩御飯の準備をしながら考えているうちにいても立ってもいれなくなった。

 スマホのメッセージアプリに二ノ宮さん宛に「今から会いたい。場所は最初会った場所で」と打ち込んで、僕はトレーニングウェアに着替えた。これで僕がいない間に親が帰ってきてもランニングしていたと言い訳できるだろう。

 軽く走りながら駅前のホテル街の近くのコンビニへ向かう。

 放課後「金曜日に」といわれたのに、僕は我慢できずにいる。三河へのキスが引金となったのか、それともこの燻り続けているものが三河にキスをさせたのかも未だに分からない。ただ走った。

 全力ではなく、ジョグ程度にフォームを意識して、熱く脈打つ心臓と脚に感じる力が頼もしかった。筋トレのお陰でなにかが変わりつつあるのかもしれない。

 コンビニの前で額にしっとりとかいた汗を拭い、スマホを取り出した。教育実習生がどんな実習内容かわからないが、学校組織の新人だ。忙しいだろう。だから期待してないといえば期待してなかった。ただ、それならまたジョギングがてらに来た道を引き返すだけだ。

 だが、コンビニ前の電信柱、『加茂歯科』と書かれた縦長の看板の下にショートボブに赤いセルフレームのメガネをかけた二ノ宮さんがバッグを持って待っていた。

 二ノ宮さんに「こんばんは」と僕はなにか場違いな挨拶をした。

「こんばんは」と二ノ宮さんは僕に対する返事として応えた。

 僕は呼び出しておいて、なにをいおうか少し迷ったが、走っているうちにアドレナリンでも出て興奮していたのだろう。

「今からできる?」とストレートに口が動いた。

 二ノ宮さんは内気(ナイーブ)そうに頷いた。

 そんな様子に僕はなぜだか苛立ちを感じていた。いや、苛立ちというか興奮なのかもしれない。昨日、美術室での僕を弄ぶような余裕とは二律背反(アンビバレント)な表情が許せなかった。

 僕は二ノ宮さんの手を強引に引くと歩き出した。

「なんかさ、僕が犯罪を犯してるみたいじゃん。腕を組んでよ」

 そっと耳打ちすると二ノ宮さんは素直に僕の腕に恋人のように組みつく。そして柔らかで豊かな胸が僕の腕に押しつけられた。

 僕の口調も語気も感情も全ては彼女の手のひらで転がされているような気がした。彼女にとって僕は都合の良いなにかなのだろう。わけも分からず彼女に支配されているような気がする。けれどそれが嫌では無い。それが心地好く満たされるのだ。

 ラブホテルにつくと我慢出来ず、エレベーターの中で強引にキスをした。唇と唇、舌と舌を交わらせ、唾液を交換し合うような心地好い、全てが解放され満たされるようなキスを。三河が受け入れてくれそうもないキスを。

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