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飼慣  作者: Mr.Y
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部活

僕はパブロフの犬だ。

四村は少し落ち込んだ僕に気不味くなったのか、本当に急用を思い出したのか分からないが、僕の中の犬は二ノ宮さんと二人っきりになれたことに尻尾を振って悦んでいるようだった。

僕はそれを二ノ宮さんに気取られるのが嫌だった。

「僕が美術部入ったら部活動の時、ずっと顔を合わせることになるけど。いいんですか?」

 語気が少し乱暴になっていた。

「かまわないよ」

二ノ宮さんは僕の気持ちなんてお見通しなのかもしれない。ただ、僕は嫌だった。どうしてかは分からないが、このまま二ノ宮さんの好きにさせてしまったら僕が僕でなくなるような危うさを感じてしまうのだ。

「それより、一ノ瀬くんの方こそいいの?」

それはどういう意味ですか? と問いたかったが、言葉と共に人差し指と中指が唇の前に差し出された。

あの夜のことを思い出した。

二ノ宮さんの指先に唇を添えると指がゆっくりと口内に侵入してくる。僕は舌でそれを迎え入れ指の第一関節の腹に舌を這わせた。あの夜以来の二ノ宮さんの味に身震いした。さぞや今の僕の顔は見れたものでは無いだろう。

「一ノ瀬くん……黙っていてね」

二人の秘密だと言わんばかりのわざとらしい口調に嫌気が指す。そんな口調に悦んでいる僕のなかの犬にも嫌気が指す。あんまり嫌気が指すから二ノ宮さんの手首をそっと掴み、指を根元まで口内に招き入れた。指と指の間に舌を這わせながら付け根を舐ると二ノ宮さんのしょっぱい汗の味を感じ、言いようの無い恍惚とした気持ちにさせられる。

「あんまり音をたてると人に気づかれるよ」

満たされるような、逆に欲求の火に油を注ぐような行為のなかで言われた言葉は、今はこれ以上の行為はない、という宣言にも聞こえた。

僕の満たされることの無い行為に平然とした顔をしている二ノ宮さんが憎らしかった。あの夜のように求め合いたかった。

 そのとき、「……ソゥ、ネヴァセイ、グッバイ、アン、キスミー、アンスアゲェ……ィン」と廊下で歌が聴こえた、と思うと教室の戸が開いた。

「よう、一ノ瀬」

「よう、三河。おまえ、音痴な」

正直、気が気ではなかった。赤く火照った顔を見られるのが嫌だった。なにか後ろめたいことをしていたようで嫌だった。三河にこのことを知られるなのが嫌だった。だからとっさに軽口を叩いていた。

「ばっかじゃねーの! ちょっと軽く歌ってただけだし。本気出せば九十点、軽いし!」

 おそらく誰も聴いてない廊下で思わず口ずさんでいたに違いない。聴かれたと知って顔を真っ赤にしている。

「美術部は?」

「みんな、塾とか用事とからしいよ」

「ああ、そっか」

 そして椅子に座り、美術部入部届けのプリントを取り出した。

三河累(ミカワ ルイ)、本日をもって美術部に入部させていただきます! そういうことで二ノ宮先生、よろしく!」

自衛隊みたいに敬礼した。

「塾行ったんじゃなかった?」

「今日は塾、遅いから今行くと居る場所ないんよ。もうすぐ向かわなきゃなんだけどさ。時間あったから、ちょっと、久しぶりに卓球部にいったんだけど、一年ががんばって部員集めたみたいで、部員増えてたけどさ。ピンポン部になってた」と、卓球部を捨てたのは自分だけど、本気で卓球する人はなく、もう居場所がなかった。同じことをしていても方向性がまるっきり違うし、部活て何なのだろうか、と切々と語り始めた。

 確かにゆるく楽しい部活とは何なのだろうか、と思う。

 楽しむだけでは楽しめない僕たちは何なのだろう。

「美術部でコンクールでも目指してみる?」

 二ノ宮さんがそういった。

「おもしろそう!」

 その話に三河が嬉しそうに声をあげる。

「ふーん、がんばってな」

「いや、一ノ瀬もやりなよ。美術部入るんでしょ?」

「いたいた、三河先輩!」

 美術室の戸がいきなり開け放たれ、卓球部の一年が数人入ってきた。どうやら備品の卓球ボールの種類(数種あるらしい。練習用と試合用)、ひび割れしたボールが多く、顧問に発注をお願いしたいが、練習用と試合用どちらをどれだけ発注すればいいか、などなど。おそらく結構な人数が入部してきて、ボールの数や備品が足りなくなっているのかもしれない。

 三河も複雑だろう。自分が部を抜けたことにより卓球部が発展したのだから、彼女が望んだ形とは別の方向だが。


それから三河と一緒に帰る事になった。

美術部に入部するわけでもないのに二ノ宮さんと一緒にいるのも不自然だし、なによりまた二人きりになるのが怖かった。

三河と話、二ノ宮さんに当てられた心地のよすぎる毒気のようなものを抜きたかったかもしれない。

美術室の出際に二ノ宮さんに「またね」といわれた。なんとはない「さよなら」的な単純な「またね」だったが、それは行為の続きがどこか別の場所で行われる「また」のような気がして舞い上がる自分が嫌になる。「じゃあ、お先に失礼します」と僕は返した。三河は「じゃあ、先生、またね!」と元気に手を振っていた。

玄関に行くと多数の生徒が玄関でおしゃべりしたり、ふざけ合ったりしながら靴を履き替えて下校していた。

そのなかを話をしながら僕らは下校する。

「まぁ、順調に卓球部の引き継ぎ終わった。ちゃんと引き継ぎしたつもりだったけど、細かなところが抜けていたなぁ。だいたい顧問が変わったからさ。それで卓球部、戻りませんかって後輩にいわれたけどさ。あのレベルじゃ県大会も無理だし、かといって空気読まずにしごいたら、たぶん辞めていくだろうし、中途半端じゃ、私が楽しくない。ああ、何なんだろ?」

「気楽に楽しむのが難しいなんて歪んでるな」

「だからここが」と胸に手をやりながら「モヤモヤしてんの。いっそのことモヤモヤしないところで、やっていこうと思ってさ。だって部活ってなんだと思う?」

「社会に出るまでの体力づくり、社会性、協調性と競争力を学ばせるカリキュラムかな?」

「私も同意見。だから内申に響く」

 三河の言葉に僕も自分の考えを繋げた。

「でも協調性も競争力も僕たちは一年のときに十分示せたと思うんだよね。お互い県大会以上はいってるし。さらに加算するとしても足掛かりがない。僕は怪我だから……」といいながら武道場での睦村のことを思い出していた。僕は同情されるくらい痛々しかったのだろうか。

 押し黙った僕のかわりに三河が話し出す。

「小説とかマンガ読む? 今、『異世界転生』もの流行ってるじゃん。私、よくわかるわ。今、現状、八方塞がりでなんの取り柄もない自分でも場所を変えればもしかしたら自分が認められるかもしれないじゃない? 例えば私も卓球部で活躍できないけど美術部いったら無双できるかもしれないとか。そういうのって誰もが抱いているものなんじゃないかな?」

 三河が描いていたあの鉛筆画に無双できる力量はないと思うが、言いたいことはわかった。そしてなんとなく慰められているのを感じた。

「だから一ノ瀬も走れなければ、一緒に美術でもやらない?」

「紅一点じゃなくて白一点か……喜べ女子! とかいえる度胸はないよ」

「じゃあ、まだ走る?」

「いや、もう辞めた」

 僕は僕の言葉に少し驚いた。あまりに素直に軽く言葉が出てきたのにだ。

「じゃあ、美術部?」

「今は保留。前にも後ろにも行けずに迷ってみる。迷って迷って、散々、迷って迷い抜いたら……大学受験でもがんばってみるさ」

「青春じゃん」

「まぁね」

 なんてネガティブな青春。なんてナイーブな決意表明だ。だけど強がらせて欲しい。心の中の空白でなにをするにも沈んでいきそうだった。ただ単に僕は誰かに認められたいし、自分の自信となるものが欲しいだけなのだろうか。単純に自意識が過剰なだけでそれを持て余しているのかもしれない。そもそも走るのが人より速いだけなのだ。それが走れなくなって人並みになっただけだ。失ったものはない。秀でたものがなくなり普通になっただけ。言い換えれば個性を失った学生なのだろう。ただの一高校生になった。だから陸上部顧問の七宮先生に黙殺された。

 ああ、それが嫌なのかもしれない。僕に向けられた情熱が一気に冷めていく態度と顔に僕は自身に失望したのだ。だから埋め合わせるように誰かに認められたいのだろうか。誰かに期待されたいのだろうか。

 自分自身のことなのに疑問ばかりを自分自身に問いかけていた。当然、答えてくる自分自身はいない。

 三河はそんな僕の沈黙につき合って沈黙してくれた。

 電車に揺られ、車窓から見える景色は流れるように過ぎ去ってゆく。

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