出会
僕は品行方正な高校生ではない。皆、勘違いしているようだ。先生も同級生も親も。
パッと見、僕がなにか仕出かしそうな顔をしていないし、いわゆる不良と呼ばれる人種でもなく、ましてや周囲に馴染めずいじめられているタイプでもない。
馴染んではいるが、なにか周囲とは違いを感じてはいる。でも表面上は相手に合わせるのは得意かもしれない。
けれど人はなにかしらの不安定な要素を持っており、それが社会に迷惑をかけなければ(なんて陳腐で嫌な言い回しだ)、人はそれをどうとも思わないだけなんじゃないか、と思う。
そのせいかもしれないが、僕の親はスマートフォンにフィルタリングなんてかけていなかった。
僕だって面倒事は大嫌いだし、親も僕なら面倒事を起こさないだろうと思っていたのだろう。
SNSは話題のための情報収集のみで深くはやらず、動画は好きだが当たり障りのない範囲のものしか観ないし、コメントなんてしたこともない。
スマホは連絡手段の一つとしての機能しか使っていなかった。
それなのに暇を持て余した僕は出会い系アダルトサイトに登録した。
先程言った。僕は品行方正な高校生ではない、という言葉は自分自身に言い聞かせ納得させたのか、細かくいえば僕の心の内にある善意や、箍のようなものに対する言い訳なのかもしれない。ただ行き詰まった思いが金曜の夜にそんな行動を取らせたのだ。
わずかな心の高鳴りと後ろめたい気持ちが沸き起こる反面、どうせなにも起こらないだろうという冷めた気持ちがせめぎ合っていた。
「××駅前に八時半来れる人」という簡単な文言と年齢詐称のプロフィール。顔写真は自分の顔をバカ正直に載せていた。
どうせ、一時間待たずに消してアダルトサイトのアカウントも削除する予定だった。ただ気晴らしのために登録し、遊び半分で大人の女性と遊べたらいいとわずかな希望(本当にわずかな希望だ。ただゼロではないだろう)を求めて募集したまでだ。
それがすぐに連絡が来た。
「割り切り、十時まで」
僕は信じられない思いでそれを見てどうしようかと悩んでいたが、身体はすぐに反応していた。待ち合わせ場所の詳細を送り了解を受ける間もなく早春の夜風に冷えないようウィンドブレーカーを羽織って外に出た。どうせ、親が帰って来るのは十一時頃だったし、もし早ければ夜食を買いにコンビニに行っていたと嘘をつけばいい。それで信用されるだろう。僕はそれだけの信頼は築いている。
××駅前のセブンイレブンの向かいにある電信柱が待ち合わせ場所にした。そこに加茂歯科という歯科病院の看板がある。加茂歯科、片仮名にすればカモシカになる。ダジャレにしてはレベルが低いが分かりやすいし、注意しなければ見落としてしまう。向かいはコンビニで、道沿いには××駅がある。なにかペットボトルでも買って休むにしたって怪しくは無いだろう。
僕は自転車をコンビニに止めると、そこで待っていた。
どうせ、冷やかしかもしれない。相手は二十五歳と書かれているし、顔写真も綺麗な大人の女性だが、からかい半分かサイトを賑わせるためのサクラかもしれない。期待はしていなかった。だいたい、アダルトサイトで女漁りをする男がどんな格好をして女に会いにゆくのかも分からない。ただ、僕はパーカーにウィンドブレーカーを羽織って、ジョガーパンツに財布とスマホを突っ込んでいるだけの格好だ。待ち合わせというよりランニングに行く格好といってもいいのかもしれない。しかも僕の持っている服といえばこれくらいだ。
「あの……一之瀬さんですか?」
ベージュのショートトレンチを着た女性に声をかけられた。
顔写真と同じだが、実際会ってみるとやや可愛らしい気がする。
「じゃあ、行きましょうか、二ノ宮さん」とリラックスした声が口から出たが、内心は今起こっていることが現実ではないかのようにふわふわと浮ついたような気分だった。そんな自分自身の気持ちとは裏腹に二ノ宮さんの手を引いて駅裏のホテル街を歩き始めた。
あとはご想像の通りそういうことになったし、いちいち詳細は語らない。
初めては緊張と興奮の中始まり、初めての女性は僕と同じように性欲を持ち合わせていて、それを持て余していることを知れた。いや、知識としては知ってはいたが、それを体験できたことは知識と知り得るよりはるかに脳と心に刻まれた。一方で初めてのせいで色々不手際もあったかもしれないが、うまく隠し通せたと思う。アダルトサイトの動画みたいな動きが嫌だったかもしれないが、二ノ宮さんはそのたびに僕に指示してくれた。文字通り手取り足取り。そのお陰で僕の男性としての性が二ノ宮さんを(一時的にせよ)夢中にさせたことに興奮した。
行為の後、男は女の身体をみるのも嫌になる、とかいわれるが、僕には当てはまらないらしい。二ノ宮さんは行為のあとの余韻に浸っているのだろうか。二ノ宮さんは目をつむっていた。
ショートボブの柔らかな茶色の髪に白い肌、顔の頬にはそばかすが少しあった。色素が人よりやや薄いのかもしれない。その顔をバカみたいに見とれてしまい、なんだか恥ずかしくなり、その頭を抱き締めていた。胸に感じる呼吸の吐息がくすぐったい。そんな感覚が新鮮だった。
二ノ宮さんから離れたくはなかったが、あっという間に十時近くなりホテル街で別れた。
別れ際「もし、よかったら連絡先交換しない?」と二ノ宮さんがいってきた。あくまで僕を成人男性としてみてるようだった。もちろん断る理由もなく僕は連絡先を交換した。
「いつでも呼んでくれれば僕は行くけど、金曜か土曜なら確実に大丈夫だと思う」
「私も同じかな? 彼女はいる?」
二ノ宮さんの返答にやっぱり割り切りなんだな、と思った。彼女の有無が先に立ち、職業も年齢も深くは聞かない。興味はこういう行為を気楽にするか否かなのだろうか。僕は少し残念のようにも感じるし、これはこれでいい、とも思えた。
でももし僕に彼女がいたならこれきりということだろうか?
「いたら?」
疑問はすぐに言葉となって口から出ていた。
「少し面倒くさいかな?」
本当に気軽に切って捨てるみたいにいった。
「いないよ」
「じゃあ、連絡待ってるね」
「でもさ。僕でいいの?」
「どういう意味? なんかさ。一之瀬君、いい人そうだしさ。彼女ができるまでなら遊んでいいかなって」
「ふうん。彼女とか恋人とかじゃくて?」
「そういう関係て疲れない?」
そういう関係はまだ経験がない、とはいえなかった。
悶々と二ノ宮さんの会話を反芻して悩んではいたが、帰りはなんだか誇らしい気分の方が勝っていた。
なにか自分が自分以上の者になれたような気もしていた。
そしてもし親が家に帰ってきていたら言い訳をしなくてはならないので、帰り道にあるコンビニで夜食を買おうと寄った。
その店内に同級生の三河累が高校のジャージを着て重そうなリュックを背負って雑誌コーナーで週刊少年ジャンプを立ち読みしていた。
「よう」思わず声をかけていた。普段なら声もかけずに見なかったふりをして買い物をしていたかもしれないが、今日は誰でもいいから少し話をしたい気分だったのかもしれない。
「よう」と、気後れなく三河がいった。
「そんな格好で立ち読みかよ」
「まぁね。塾からの帰りでさ。なんかこのまま帰って、また明日から学校なんて気が滅入るじゃん?」
「わっかるわ。部活に塾にすげぇな」
「部活は辞めました」
「へぇ。あっ、そもそも何部だったっけ?」
「卓球部。マイナーだから覚えてないかもしんないけどさ。これでも県大会で三位だよ。個人戦だけどね」
なんでも三年生が熱心だったらしい。けれどその熱心さに一、二年生はついていけず、ぽつぽつと辞めていったようだ。三年生はもう部活は引退し、今では二年は三河だけで、入りたての一年が数人だけらしい。
「なんかさ。もうちょい頑張りたかったんだけどね。男児卓球部は卓球つーか、ピンポン部だし、今度の顧問は素人だし、しかも練習相手いないし、一年生を指導しながら上を目指すのもねぇ。先が見えちゃってさ。思い切って辞めたわけ。でもさぁ。今までの熱意がなくなっちゃって。なぁんにもないのよ。ならとりあえず、勉強しなきゃね。一之瀬と違って私、頭良くないからさ……」
一年の頃、文化祭でお互い実行委員に指名され色々話した以来、あまり話したことがない人物にこうやって夜のコンビニで出会うのは不思議な感じがした。
しかし、ジャンプを持ちながら嬉しそうによく話す。
塾での勉強でかなり気が滅入っていたのかもしれないが、こんなにも屈託もなく話す子だとは思っていなかった。
長く伸ばし始めたであろう黒髪を後ろで結んでいる。その毛先は外にはね使い古した習字の筆を思わせた。そしてはっきりとした目鼻と健康そうな肌は先程会った二ノ宮さんとは対照的だ。
でも彼女も女性でもし男と一緒に寝ることがあったとしたら、この健康的で賑やかな話し声も艶めかしく甘い声をあげ、男を求めることもあるのだろうか。そんなことを考えてしまい、僕は甘固くなった自分自身の下腹部を恥じて「なんか邪魔したね」とその場を離れようとした。
「ううん。いい気晴らしになったよ。そうそう、なんでコンビニなんて寄ったん?」
「勉強に疲れてさ」
「違うな」三河は鋭い視線を僕に投げかけた。
「やや充血した目に上気した赤い肌、汗の香りに……」
まさか、今さっき二ノ宮さんとのことがバレたのかと女の勘を恐ろしい思ったが「……ランニングしてきたんでしょ? また走り始めたん?」と見当違いのことをいってきた。
「ハズレ、違うよ」
僕はほっとするよりは、少しイラついてスポーツドリンクとサプリメントバーを買ってコンビニを去った。
「まだ走れるわけねぇだろ」
自転車のペダルを爪先で体重をかけて漕ぐと忌々しいくらいに膝に痛みが走った。