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滝

作者: I'me
掲載日:2023/04/01



いつからか流れるままに身を任せ、あちらこちらへ行ったり来たり。理由も無く、宛がある訳でもない。これを旅と名付けた流れの中、雪の降り積もる森の先に轟々と打つ滝に、一人の男が出くわした。大きな滝壷との激しい音、その片隅に小さな門から連なり上へと続く階段が、崖に蔓延り蔦を巻いている。薄らと舞う雪よりも散り散りと、人の姿も見えていた。


滝に近づいて行くにつれ、雪を真似する吐息に喝として掻き消すような風が出迎える。手すり片手に階段を登り、時折笠を上げては滝を見上げる。そうすると踊り場の脇から、更に滝へ近付ける場が見えた。塞がれた縄には立ち入ることを禁じる札が付いている。しかしこの寒さを忘れるほどに、更にこの滝へ近づきたい心から坊主を探して頭を下げた。


渋々と観念したように、坊主は立ち入ることを許した。踊り場から出向くと、大人が二人通れる程の屋根に簀子が敷かれており、あとは膝下程までの簡易な柵があるだけで、それも容易に跨げるほどだった。その向こうには、滝。大きな滝。しゃがみ込み恐る恐る覗き込めば、霧の奥に滝壷まで見えた。そこから見上げて見たものの、滝の頭は見えない。冷たい風が吹き荒れるも、不思議と寒さは感じなかった。


ひととき滝と目が合ったように感じたその時、滝の音とは交わらない音が微かに聞こえた気がした。轟々と唸る風の音の中とて、その音はした。耳を澄まして辿った音は鈴の音。鈴の音を頼りに振り向いたそこには、歌舞伎色を纏う女が居た。赤い着物に花交じり、青の帯に煌めく星々と、金色の簪に垂れる鈴の音、それに吸い寄せられるように立ち上がった腰。歩みを止めること無く近付いてくるその女は、綺羅々と舞降る六花さえをも従える様。その目は滝を見つめ、横顔から流し目にすれ違い、声など掛ける間も過ぎ去り、色白に目元と口へ差された紅の残像を残して、柵を跨いだ。


後ろから来る坊主の喧騒と、彼女の片脚が滝へ踏み出した所で漸く時に動かされ、女へ向かって手は伸びた。が、その手は届く筈もなく。彼女の身体は既に宙を舞い、その奥で滝は女を飲み込もうと、口を大きく開けている。その最中、何か名残りを惜しんでか、彼女は天を仰ぎ見た。雪雲の晴れ間に照らされるその麗しい瞳と目が合ったのも束の間、鈴の音と共に女は滝に食われた。無常に流れる滝と共に吹き抜ける風の音がその場を埋めていく中、呆然と立ち尽くす坊主と彼等が濡らした簀子の傍らに遺された黒漆の下駄、それを震え始めた手は抱き寄せた。



「して、貴様。名は」


「……佐吉、という者であります」



滝に身を投げた女は、町奉行とも関わる花魁であったことから、坊主共々男は捕らえられ寒空の下に公の場で出入筋の如く晒された。野次馬な聴衆に囲まれ、その中には女へ入れ込んでいた男も多々、そして父親だと喚き制止されている男も居た。



「して、坊主よ。そなたの目が行き届いておらぬゆえ、この様よの」


「それが……その、何もかもが一瞬の出来事で……。あの場に居た誰もが」


「わしに反論か、良い身分になったのう。連れて行け!」



抵抗しながらも、抗う事でその場で複数に殴り倒されて、坊主は何処かへ引きずられて行った。隣で男はそれを横目に見ながら時折震え、ただ下駄を抱き抱えて縮まって居た。



「して、佐吉よ。貴様が最も近くに居たそうだな。あの女、キキョウはの、わしが目を掛けて傍に置いていた女でのう。この町の者では無い貴様には分からんだろうが、皆に好かれる良い女でのう。この町一の美しい女だった。であるに何故、何ゆえに助けなんだ!!」



その怒鳴りを機に野次もこぼれ出し、投げられ蹴飛ばされ怒声に怒声が重なる中心で、佐吉はただうつ向き下駄を抱き締めて居た。顔を上げろと、彼の様子に苛立った奉行が言い放つと、佐吉を縛る縄を持つ者たちが強引に顔を上げさせ、その拍子に抱えて居た下駄は放り出された。からん、ころんと転がった下駄から奉行へ目をやると、彼の目は佐吉を睨み殺そうとしていた。しかしそれも束の間に、その目は彼から逸れると何かを見つめて、そして怒りは消えていったようだった。


「あんさん何も気にせんでようござんす。わっちの勝手な身投げにありんす」


佐吉が声の方を見ると、下駄からすらりとした足首、白装束のキキョウという女の姿があった。彼に微笑む鈴の音と、紅だけはあの時のままだった。薄らとしているせいもあり、血色は青ざめていた。それは周りを見渡すと、一息ついて口を開いた。


「相も変わらず、揃いも揃って野暮に武左。一同に介すると、盛大に滑稽でありんす」


「き、キキョウ。お前、死んだ筈では」


「わっちは、そのようでありんす。綺麗さっぱり、真っ白でありんす。主さんらの汚い手垢も無いざんす」



野次馬に集まった町人にも、彼女の姿は見えているようで、喧騒は静まり耳打ちしてこそこそとざわめいていた。キキョウはそれ等をじっくりと見渡した後、また奉行へ目をやった。



「この人集り、良い機会でありんす。先ずは、主さんの無実。そこの武左の言うことは、聞かなくていいざんす。この御方は、偶然に居合わせただけ。出会した運が悪うござりんした。主さんは無実、これだけは先ず伝えたいでありんす。そしてもう一つ、集まっている奥方へ。野暮な夫が家からくすねて貢いだ金は、全部そこの奉行へ渡っていやしんす。そこの野暮の金も、そこも、それも。みーんなでありんす。そして、その一部はそこの父親でありんした者へ流れていたざんす。わっちを売って金に替えて、生き活きしているでありんす。これからもそこの武左に搾り取られるかは、皆で考えておくんなんし。あと、最期に。あんさんは、温かいでありんす。この下駄、とても温かいでありんす。死んでから、こんな温もりに触れられるとは、思ってもいのうござりんした。ありがとうござりんす」



そして、からんころんと、消えていった。もう誰も、佐吉の事など見ていなかった。それぞれがそれぞれにそれぞれで罵倒し、次第に矛先は奉行へ向いて行った。取り残された彼は、遺された下駄をまた拾って、抱き締めた。翌日、身支度を整えると、佐吉は滝へ向かった。そしてまた、踊り場から滝の前まで来ると、懐から取り出した下駄を供えた。轟々とする滝を前に、キキョウを思い手を合わせていると背中に衝撃が走った。よろめきながら立ち上がろうとしたその矢先、また背中へ衝撃が加わった。衝撃に咳き込みながらも、はっきりと分かった。誰かに背後から蹴られた感触だと。何をどうする事も出来ずに滝へ吸い込まれていく中、辛うじて仰いだ光景は、逆光に見える黒い人影。そして、滝に喰われて聴こえた音は、真っ暗に響く凛とした鈴の音。





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