プロローグ(仮)
100%気まぐれで書いてます
20XX年06月20日、世界で初めて魔法が発見された。
この世界に魔法は存在しないんだと誰しもがそう思っていた、ファンタジーなんて漫画の世界だけのものなのだと。何も変わらない日常、いつもの平日、何の変哲もない日にそれは突如としてとある動画サイトにて公開された。特に前置きもなく誰かが期待する事もなくあっさりと、誰もが暇をつぶす何かが無いか期待もせずに開いたサイトで目にしたのだった。
公開した人物も専門の人間でも無ければ研究員でも無くその動画サイトで動画を投稿しそれで生活費を稼いでいるただの一般人でそういった世界での人気もまあまあな人物だ。
投稿された動画はただモノを宙に浮かせたりとまるで手品や加工されたフィクションと変わらないものだったのだが、数日後急速に魔法であると言い出す人や実際に魔法が使えると言い出す人が多く現れ魔法は世界的に認知されることとなった。
幼かった僕はそれはもう世紀の大発見だと目を輝かせながらその話をニュースで見ていた。漫画やアニメのように魔法を僕も使えるのだとその時の興奮を今でも覚えている。
それから10年程経った今、魔法はもはや廃れつつある。世間の関心も専門家達の熱もすっかり冷めてしまったのだ。
現在では魔法は趣味のようなものであり魔法が使えればちょっと凄いなという認識だ。これにはいくつか理由がある。
一つ、魔法という存在を肉眼でしか観測できない。これはメガネといったたった一枚のガラスを挟んだだけでも見る事はできないということだ。もし魔法を研究しようと電子顕微鏡などの機械を通した場合何も映らず研究しようにも何も出来ないのだ。
例えば、魔法で何かを浮かせたり燃やしたりすればそれはカメラ越しにも映るが魔法自体を観測する事はできない。物が浮いた燃えたなどの結果しか観測できず何とか魔法を観測する装置を開発しようとしているがその研究は行き詰まったままだ。
二つ、魔法が技術革命をもたらす程のものでは無かった。
一つ目にもあった通り機械で制御できないものを技術的に取り入れる事はできない上、魔法がどれだけ頑張ったとしても1kg程度の物しか浮かせることはできずそれも地面から1mも離せられない、さらに自在に操る事すらもままらない。火や水や電気などのエネルギーや物質もライター以下で物質にいたってはすぐに消滅してしまう。それ故に魔法の有用性も無く多くの企業が魔法研究から手を引いたのだ。
稀にそれ以上に魔法を扱える者も居るが極わずかな天才だけだ。
魔法を一定以上使える者は原因は不明だが魔力が強いほどうっすらと目が光るため発見され次第国に保護、監視されることになっている。
三つ、魔法は魔法を肉眼で観測し信じた者にしか使用できない。
魔法を普及しようにもメディア媒体を使う事はできず疑念を持つ者には伝わらない。例えば手品と称して魔法を見せると手品と思い込んでしまい魔法と称して同じものを見せた者と違い魔法習得率は0%になる。この事から現代においても魔法を使える人間は半数以下である。
また、今まで僕たちは魔法が無いという常識の中で生きてきた。その分年齢が高いほど習得が難しいのだ。その上研究すればするほど存在が疑わしくなってきてしまい結果魔法がうまく使えなくなるのも研究が難航している要因の一つだ。
四つ、魔法習得条件を満たしていても使用方法がわからない。
仮に魔法を肉眼で観測したとてどうやって魔法を扱うのかがわからないのだ。魔法を使える者も感覚的に使用できるだけであってどのようにしたら扱えるのかという決まった方法がほとんど無く、さらには例え魔法を扱えるようになったとしてもモノを数ミリ動かす程度しかできなかったりする上にエネルギーや物質などの具現化に至っては魔法発見から始め未だ現在に至ってもできないものも居るのだ。
他にも様々な要因があるが以上の事から趣味の域を出ないのだ。魔法を使うよりも科学の発達した現代では代替えはいくつもありわざわざ魔法を習得しようなどという者は少ない。エンターテイメント的に見ても手品の方が魔法らしく見え、良くてその手品の補助に使われるのが数少ない有用な使用方法だというのが世間の認識だ。
大体今で言うVRみたいな立ち位置ですかね