第1章 第5話 「第二次北土戦役派遣部隊集結地」
20201010公開
【‐皇国歴312年「食月」14日朝‐】
「エル君? え、エル君が伍長なの?」
僕がガスの父親のゲイルさんとこれからの業務の流れに関しての最終打ち合わせをしていると、女の子の声が聞こえた。
ゲイルさんに断って、声がした方を見ると、知っている女の子が信じられないという感情と安堵したという感情を顔に張り付けて立っていた。
彼女は初等学校の教練で使われる鎧下と装備品を身に付けていた。
その少女と真新しい鎧下は似合ってはいたが、現状に全く合っていなかった。元々教練の授業に着る積りだったのだろう。BRENと家名が刺繍された学校の規定通りの名札が縫い付けられていた。
下級士家がよく使う鎖帷子は着用していない。彼女の体格では『ボディチャージ』を掛け続けなければ身動きが取れなくなるからだろう。
そんな彼女と違って、ゲイルさんのFDL家と僕のWSR家の6人は同じ型の軽装金属鎧を身に纏っていた。
身体の要所(肩・胸・首・胴・下腹部・背中)を重点的に守る軽装金属鎧だ。動きを阻害しない様に分割されて革製の固定帯で繋がっている。鎧の下には金属鎧が擦れて痛くならない様に厚めの鎧下を着込んでいる。腕と脚にも追加装甲を付けているけど、兜は脱いでいる。蒸れるからね。
両家が採用した鎧は他家ではどこも採用していない画期的な最新型だった。
軽いのに主要部分は重装金属鎧顔負けの防御力を誇る。
そして少しでも多くの道具や食料を分散して収納する為の工夫がされていた。例えば脚にはいくつもの収納袋を固定帯で括りつけている。
更には大きな背嚢も用意してある。この辺りの追加装備は2番目の夢の影響だ。
「なんで、アイナが居るの?」
思わず僕は素で訊いてしまった。
彼女がここに居るはずが無いはずなんだ。彼女は初等学校では士家当主を表す家紋を象った徽章を1度も付けた事が無いからね。
もし身に付けていたら、絶対に気が付くし絶対に忘れない。
「お父さまが身体を壊しているので、急遽家督を継いだの…」
ゲイルさんの視線が名札に向けられて、深く絶望的な溜息が聞こえた。
僕が初等学校の顔見知り(同じ組になった事は無いけど)、しかも女の子と再会した場所は皇都の第2練兵場だった。
こんな時と場所でなければ、色々と訊きたい事が沢山有るのだけど、今は無理だ。
なんせ…
「おいおい、マジかよ? こんな子供が伍長様かよ!」
という声が聞こえた。
そう言って、天を仰いでいるのは父さんと変わらない年頃のがっしりとした体格の大人だった。
パッと確認したところ、古びてはいるが装備品はちゃんと揃っている。FDL家とWSR家の主従が新しい装備品で統一しているのとは対照的だった。
まあ、少なくとも、先祖代々受け継がれた装備品、特に錆び易い鎖帷子を使える状態で守り通して来た、まともな士家出身者だ。
「こりゃあ、死んだな、俺…」
そう言って、男性は今度は右手を額に当てながら俯いた。
なかなか感情表現が豊かな人物だな。
芝居掛かった仕草に、トムスを筆頭に僕の従兵たちも反応に困っている。
ゲイルさん? 面白い見世物を観るかの様に、おかしそうな表情を浮かべていた。
「小官は第7-L-L-L班を任された班長のエルリング・ヴィストランド/WSR伍長だが、貴官は?」
僕は敢えて堅苦しく尋ねた。
僕の名前を聞いた瞬間、その大人の表情が変わった。
「マジ? マジで“あの”『神童』?」
驚きで目を見開いている男性を見据える。
きっと、2番目の夢を見ていなければどうすれば良いかが分からなかったと思うけど、僕は“戦場”と“軍隊”を知っているせいもあって、自然と視線だけで詰問する事が出来た。
「失礼しました! 自分は第7-L-L-L班への配属を命令されたエッベ・ロディーン/RDIN5等士です! エルリング・ヴィストランド伍長様の班に配属されて光栄であります!」
そう言って、まともな敬礼をした。
敬礼を返した後、彼が思わず零した最初の疑問に答えた。
「RDIN5等士が誰を指して『神童』と言ったかは分からないが、奇遇にも自分はそう呼ばれる事が有る。そんな事よりも大事な事は皇国に仇為す敵を排除する事だ。共に武名に恥じない様に軍務に励む事を期待する」
「ハッ! 我が家名の誇りを以って全力を尽くします!」
「頼もしい答えを聞けて満足だ」
その間、僕のそばに居たアイナ・バリエリーン/BREN5等士は僕たちのやり取りを呆然と見ていた。
可哀想だが、ここは平穏な日常の空間ではない。
皇都第2練兵場は『第二次北土戦役派遣部隊集結地』と化していた。
ここは戦場に直結している場だった。
皇国歴312年「食月」7日は、きっと神聖アースガーズ皇国史上で最も屈辱に塗れた日として記録されるだろう。
他国の軍隊にその領土を初めて蹂躙されたからだ。
数年前から続いていた北の国境線の小競り合いは、大規模な侵略の為の下準備だったって訳だ。
皇国は全く侵略に対する準備が出来ていなかった。
まあ、神聖アースガーズ皇国が領土拡大を果たした『北土戦役』から200年以上も平和が続いていたから仕方ないのかもしれないけど。
侵略を受ける前の皇国の北限は東から西に流れるビョルク川だった。それよりも北は荒涼とした荒れ地が広がるだけで、開拓も行われていなかった。冬は凍土と化すからね。
そんな土地に進出して来たのは、この北ミズガーズ大陸を中央で東西に分けているミズガーズ大山脈の東側を統一したチャイン帝国だ。
チャイン帝国とはミズガーズ大山脈を横断するか細い隘路で繋がっている。
まあ、貿易量は大きくないが、北ミズガーズ大陸の東側の情報を得るには必須の相手だった。
そのチャイン帝国は不毛の大地と言われていた大陸最北部を大軍でもって回り込んで来たみたいだ。さすがに大軍ではミズガーズ大山脈を踏破するのは無理だ。小さな隊商が使えるくらいの細い道しかないからね。
その執念は実を結んだ。
数年間かけた小競り合いで、こちらの戦術を探り、捕らえた捕虜から戦力や国力、地理などの情報を聞き出して計画を十分な確度になるまで練り上げて来たんだろう。
本格的な侵攻が始まって3日間という短期間で、北土領の約1/4を占領されてしまった。
そんな不甲斐ない結果になったのは、チャイン帝国が戦争慣れしている一方で、皇国が平和ボケしていたというのが第1点目。それと、北土領が18の将家に貸与された領土だったという事も大きな要因と思う。
200年以上も昔の北土戦役で活躍した多くの1等士家が、論功行賞で自分たちに領土を与えられる様に結託した結果だ。
結果的に特に活躍した士家が将家という階級になって、北土領を分割した上で各将家に領土として貸与されるという今の制度になった。
『凡庸帝』とも言われた当時の皇主様が、政治活動を大規模に展開した1等士家20家(2家は没落済み)に軍事的な優位性を手放させる代わりに領土を貸し与えたんだ。
まあ、経済的にも縛ったので、意外としたたかな皇主様だったという気もするけどね。
自力での防衛が無理だと判断した将家たちが救援を嘆願して来た結果、神聖アースガーズ皇国史上2度目となる『北土戦役』に突入したのが今現在だ。
士家と、1代に限り仕官する補隊の1/3を動員する計画が泥縄式に立てられ、僕はそれに巻き込まれている。
まあ、本当なら父さんが戦役に就く筈なんたけど、どうしようもない事情で僕に早々と家督を譲ったのが裏目に出た、ってだけなんだけどね。
ちなみに初等学校の方は召集中は出席扱いになるし、1度でも実戦を経験すれば卒業の資格も与えられる。
その辺りは北土領戦役当時からのしきたりらしい。
お読み頂き、誠に有難うございます。