外伝番外編05.降って湧いた大騒動 その1
◇<結衣>
私が大学三年生で里紗先輩が大学四年生になった春。
私たちはこれまでずっと何の気なしに続けてきた名前の後に敬称を付けて呼ぶ呼び方と敬語をやめようという話になり、私は長らく続けてきた里紗先輩という呼び方から先輩を取って里紗と呼び捨てするようになり、敬語もやめてタメ口となった。里紗は私のことを結衣ちゃんではなく結衣と呼び捨てするようになり、そのおかげで私たちの距離はまた少し近づいた。
そんな折、里紗に突然結婚の話が持ち上がった。
なんでも私たちの交際を両親に報告し、結婚を認めてもらおうとしたところ母親は賛成したけど父親が大反対。私と別れて家を継ぐように迫られ、それに反対したところ父親が勝手に政治家の息子と里紗との結婚話を進めたのだそう。
大学を卒業したら結婚するよう有無を言わさず決められたと里紗は言った。
向こうも案外乗り気らしい。今まで気にしないようにしていたけど、実はエシュアル家と言えばIT関係や飲食関係といった事業を幅広くこの日本と海外で展開しているやんごとなき家柄で里紗はそのたった一人の跡取り。その里紗と結婚できれば政治資金など寄付などしてもらえるかもしれないという腹積もりが恐らくはあるからだろう。それに世間体の問題だ。スキャンダルを嫌う政治家としては里紗の家がなんらかの問題のある家ならば結婚など絶対しようとしないだろうけど、そうじゃないのだから結婚に前向きになるのも分かろうというもの。それになんといっても里紗は美人だし。写真でしか見たことなくても男性であればこの女性と結婚したいって思うだろうことは私にも分かる。
「お父様がこんな人だとは思わなかった」
ソファに座り、私を膝の上に乗せて向かい合う形で私を強く抱き締めている里紗が私に愚痴を言う。
それを聞いている私は内心里紗と別れさせられるなんて絶対に嫌! と思っているのにその心の片隅で私と結婚するよりも父親が決めた相手と結婚する方が里紗は幸せになれるんじゃないかと考えていたりする。
私は庶民。そうでなくても女性。愛し合う私たちは結婚すると気持ちはきっと幸せになれるという自信があるけど、生活の面でも幸せになれるかというと少し怪しい。里紗の脛を齧って生きるなんて嫌だ。
だからって私の稼ぎが里紗の助けになるかというとならないだろう。
特別な技能があるわけではない。そんな私程度では雀の涙程度しか稼げないのは目に見えている。
「結衣、聞いてる?」
里紗の不満気な声。私は我に返ったものの、上手く返事ができず曖昧に笑うだけに終わらせてしまう。
その態度に察するものがあったのだろう。里紗は私を睨んでいつもより低い声で聞いてくる。
「もしかして結衣と結婚するよりお父様が決めた相手と結婚する方が私は幸せになれる。なんてこと考えてたりしないよね?」
図星だ。完璧に当たりだ。目を逸らす私に里紗はどんどん不機嫌になっていく。
「ふ~ん、そっかぁ。結衣はそんなこと考えてたんだ。いいよ。でも私は絶対に結衣とは別れない。私から離れるつもりならこの家に監禁する。知ってるよね? 私ならその程度のこと実行するのは簡単だってこと」
里紗の私を抱く力が強くなる。痛みを感じる中で胸に軽い衝撃を受ける。里紗の頭が私の胸にぶつかった衝撃。視線を戻すと里紗から、か細い不安げな声。
「見捨てないで…」
心に矢が刺さった。私は何してんだろうって自分で自分を殴りたくなった。
普段は里紗に守られている私。今度は私が里紗を守る番だろう。例えどんな結果になったって私は最後まで里紗の味方として、恋人として里紗に寄りそう。それが私の役目で私の仕事。私は震える里紗の頭を抱き締めて誓う。
「ごめんね。私、間違ってた。目を覚まさせてくれてありがとう。絶対里紗を見捨てないから、里紗の傍にいるから安心して。難しいだろうけど、一緒に里紗の父親を説得しよう?」
「もしダメだったら?」
ダメだったら。…考えたくない。
その時は潔く諦めるしかないのかもしれないけど、諦めたくない。
「その時は…駆け落ちする?」
ダメ元で言ってみる。
と凄い勢いで顔を上げる里紗。
「本気で言ってくれてる?」
その勢いに若干引く。それでも首を縦に俯かせると里紗は笑顔になる。
私の背後に目線をやったのを見て振り向くとすぐ傍にしたり顔のメイドさん三人衆。
「お嬢様、その時は私もお供致します」
「勿論私も着いて参ります」
「七瀬様。先程のお言葉、動画で撮ってあるので逃げないでくださいね」
最初の二人はともかく、最後のユズさんの言葉。
スマホを私に見せて朗らかな笑みを見せている彼女が怖い。
逃げ場はない。すでにその気はないけれど、もしここで逃げたら私は多分自分が思っているよりも凄惨なことになるだろう。顔が引きつる。私はユズさんを見て、それから里紗を見て、愛してやまない気持ちを再確認した後、私の里紗に誓いのキスをした。
一ヶ月後。思いがけず里紗の両親とその父親の決めた結婚相手と会うことになった。
というのも里紗とのデートの約束で家を出たと同時に黒塗りの車が停まっていて、車から降りてきたユズさんに里紗の父親が来ていると話され、私は心の準備もままならないままユズさんに車に押し込まれて里紗の家に連行されたのだ。
里紗の家の和風な客間。ウォールナット材の長方形の机を挟んで上座に里紗の父親とその父親が決めた結婚相手が座り、机の左側に里紗の母親が座っている。私と里紗は下座。
上座の奥には【希望】と書かれた掛け軸が掛けられた床の間。
左側には障子の引き戸があり、それを引くと廊下へと出れるようになっている。
右側は襖。ここには座布団などが収納されていると思われる。床は勿論畳。
そんな客間に正座をして手は膝の上。緊張しつつ里紗の父親を見るとなるほど、偏見かもしれないけれど、昔の日本人という感じ。
鋭い目つき、全体的に彫りの深い四角形な顔、口ひげを生やしていて、髪は天を突くようなショート。
着ているものは日常で着るのは今時珍しいとしか言いようのない袴。上は黒で下はグレー。
なんだろう。なんていうか、そう…任侠の人っていう感じ。
「娘から話は聞いている。君が娘を誑かしているという、確か七瀬結衣と言ったかな?」
その任侠の人が口火を切る。しょっぱなから嫌な言い方。
「お父様!」不服を申し立てようとした里紗に父親は「お前は黙っていなさい」と牽制。
この時ついでに里紗の母親と父親が決めた結婚相手を盗み見る。
母親は北欧の人? 優しい顔立ちに里紗と同じ目の色と髪の色が印象的。
結婚相手は良い言い方をしたらローマ帝国のお風呂を主題に物語にした芸能人っぽい感じ、悪い言い方をしたら縄文人っぽい。っていうかどう見ても四十代後半くらいの人だ。里紗は二十代前半。恋に年齢は関係ないとは思うけど、それは双方が恋している場合であって今回は結婚相手の片思い。なのでそれには当たらない。流石に里紗の父親は何を考えているのだろうと思ってしまう。母親も母親だ。
あ…。でもさっきからずっと夫を睨んでいるところを見ると母親は乗り気ではないのかな。
今は黙っているけど、本当に危うくなれば里紗の味方に付いてくれそう。
片親が味方に付いてくれるならそれは多少なりとも心強い。
私は里紗の父親を真っ直ぐに見て口を開く。
「はい。里紗さんと真剣にお付き合いをさせていただいています。七瀬結衣と申します。この度は突然のことで多少困惑しておりますが、いい機会と思い私の気持ちを聞いていただきたく思います。娘さんを私にください」
言い切るとすぐに冷笑が返って来た。
「単刀直入に言おう。娘と別れなさい」
「それはできません」
「君のことは調べさせてもらった。家柄は庶民、うちとはまるで釣り合わない。それに同性愛など世間体というものがあるだろう。君は里紗に恥をかかせるつもりなのかね?」
里紗の父親としてはそれは説得のつもりなのだろう。正論であることは間違いない。だけど私にとってそんなの…。
「だから、なんでしょうか?」
ってやつだ。
里紗の両親と結婚相手が私の言葉で目を見開く。
里紗は机の下で私の手を握ってくれて私に勇気を与えてくれる。
私は誓ったんだ。里紗と一緒にいるって。そのためには私の想いを全部目の前の人にぶつける。
「確かに同性愛というものに寛容になってきたとはいえ、まだまだ偏見の目が強いことは重々承知しています。ですが私は里紗を幸せにできます! 里紗の隣で喜びも悲しみもすべて分かち合って共に生きていけます。一人では押し潰されそうになることでも二人なら平気です。偏見だって私が半分背負えば里紗の負担は半分になります。私とじゃないと里紗は幸せになれません。失礼ですが、そこの婚約者さんでは絶対に里紗を幸せにすることはできないでしょう。里紗は私といるべきなんです」
なんていう傲慢な言葉で考えなんだろう。大体幸せにできるっていうことに根拠がない。私が勝手に言ってるだけだ。そんなのは私が一番分かってる。でも私は里紗の手を強く握って言葉を続ける。
「里紗のためならなんだってします。例えそれが汚れ仕事だとしても」
その言葉で里紗の父親の雰囲気が更に威圧感のあるものになった。
「ならば里紗のために死ねと言われたら死ぬことも吝かではないと?」
「それが本当に里紗のためになるならば」
「ほう、面白い。ならば死んでもらおうではないか」
里紗の父親が立ち上がる。床の間の方へ歩いていき、そこに飾られていた日本刀。
刀掛けから刀を取って私の傍へと歩いてくる。
鞘から刀が抜かれる。心の中でそれが模造刀であれば嬉しいなと思っていたけど、どうやらそうではないらしい。
騒然となる客間。私を守るために私の前に立ち塞がろうとする里紗を押さえて私は敢えて刀を構える里紗の父親の前に立つ。
里紗以外の人たちはどうしているのか。視線を投げると里紗の母親は顔を青ざめさせて固まっていて、結婚相手は呆然とした表情で私たちの方をただただ見ている。
当てになりそうにない。私は息を吐いて覚悟を決める。
「私を殺すつもりならどうぞ」
「その意気やよし」
「ただ、私もただでは殺されません。里紗のために最後まで抗います」
里紗の父親の目が細められる。
刀が私の首目掛けて振り下ろされた。




