外伝11.花が咲くような笑顔
◇<結衣>
全力疾走はそんなに長くは続かなかった。
息切れから始まって体力切れてその場に立ち止まりそうになる。
「ハァ、ハァ、ハァ……っ」
目的の場所まではまだ遠い。
だというのにこんなところで立ち止まってしまったら以降動けなくなってしまうかもしれない。
体だけじゃなくて、心も。そうなったら私はこの時のことをこの先一生死ぬまで後悔する。
そんなの御免だ。悲鳴を上げる体に鞭を打って私は走る。全力疾走はやめて小走りで。
このくらいなら大丈夫。
(里紗先輩…)
早く会いたい。前へ前へ。兎に角それだけを考えて進む。
走って走って、やっと目的地が見えてきた。
相も変わらず立派な屋敷。ユグドラシルダンジョンのそれと寸分変わらずまったく同じその建物。
見慣れているのに見慣れてない。自分が当事者から外れると新鮮な気持ちで見られる。
ゴールまで急ぐ。…正門に辿り着いた。
私は今、どんな顔をしているのだろう。
里紗先輩に変な顔は見せたくない。笑顔作れてるかな。何度も深呼吸をしてインターホンを押す。
「はい。どちら様でしょうか」
シルアさんの声が聞こえた。
落ち着け。大丈夫。私はやれる。思い出せ。…七瀬結衣じゃなくてユイ・ナナセだった私を。
「突然すいません。七瀬結衣です。里紗先輩はご在宅でしょうか?」
「七瀬様! 少々お待ちください。すぐにそちらに参ります」
「あ、すいません」
「いいえ。では」
インターホンが切れ、ぽけ~っと待っていると玄関から三人のメイドさんたちが出てくるのが見えた。
玄関から門まで若干距離があるため彼女たちの出方を伺う。
こちらに歩いてくるのを見て黙って彼女たちの到着を待つ。
「七瀬様ようこそいらしてくださいました」
「あ、突然お邪魔してすみません」
「いいえ、さあどうぞ中へ」
門が開かれて挨拶。メイドさんたちの先導を受けながら屋敷へ。
海外だとこういう屋敷は室内でも靴を履いたままなところが一定数ある。
しかしここは玄関で靴を脱いで室内はスリッパ。
履き替えて先輩の部屋まで向かう。
途中でシルアさんからいつかのように「お嬢様のことよろしくお願いいたします」と言われた。
どうよろしくしたらいいのか分からないけど、そのつもりだ。
私は前を向いてシルアさんたちと共に歩く。
里紗先輩の部屋まで辿り着いた。扉にノックを三回。扉の奥の部屋から先輩の声がする。
「はい」
「お嬢様、七瀬様がいらっしゃいました。お開けしても?」
「結衣ちゃん! 本当に来てくれたんだ。待って。すぐ開けるから」
バタバタバタッ。ドンッッッ!! あれ? 最後のは何の音だろう。
扉が開く。見ると里紗先輩は額を手で擦っていた。
「いったっ。距離感間違えちゃった」
「お嬢様…」
シルアさんの呆れたという様子の目と声色。
…つまり先輩は勢い余って扉に衝突したということか。
「ぷっ」
笑いが零れる。それを見て頬を膨らませる先輩。
その顔可愛いです。扉を閉めようとしたので慌てて足を前に出してつっかえ棒代わりにする。
先輩は諦めたのか、それとも最初からそうするつもりだったのか、扉から離れてベットの方へ。
私はメイドさんたちに軽く手を振って後は任せてもらい、後ろ手に扉を閉めて室内に入った。
少しの間扉前で里紗先輩を観察。ベットに座った先輩はいつまでも私が動かないのを感じて挙動不審になり始める。
ちらちらとこちらを何度か見ては視線を外す先輩が可愛い。
「こっち来ないの?」
ついに我慢できなくなった先輩からその言葉が発せられた。
「行ってもいいんですか?」
「うん…。来て欲しい」
少し顔を赤らめてそんなセリフ。あ、はい。可愛いです。視線が私じゃなくて床に向けられてるのもポイントですね。照れてる様子がよ~く伝わってきます。
そんな可愛い先輩の様子を眼福眼福って心の中で言いながら傍に行く。
何処に座ればいいか迷っていたら先輩が自分の隣をポンッと叩いたのでそこに座ることにした。
「お邪魔します」
「うん。あのね…結衣ちゃん」
「はい」
「まずは謝らせて欲しいの。避けたりしてごめんなさい」
先輩が体を横にして私を見て頭を下げる。
ちょっと前までは実際避けられてることに腹が立つところもあったけど、今はもうそんな気持ちは常〇公園の空気の中に霧散させてきたので清々しい気持ちになってる。だから…。
「頭上げてください、先輩。私怒ってないですから」
「でも…」
「私、先輩のそんな顔より笑顔が見たいです。私が来て嬉しいなぁっていう顔見せてくれたら私が喜びます」
「ふふっ。何それ」
私がそう言うと先輩は顔を上げて可愛い笑顔を見せてくれた。
うんうん。こういう顔が見たかった。私も幸せになれるし、先輩だって私が来て幸せって思えるならwin-winだよね。
「先輩可愛い」
「結衣ちゃんだって可愛いよ」
「ありがとうございます」
「結衣ちゃん、本当にそう思ってるからね?」
「えっと? はい」
「…分かってないでしょ。私ね、初めて結衣ちゃんを見た時から可愛い娘だなって思ってたんだよ」
「そうなんですか?」
「うん。こんな可愛い娘と仲良くなれたらなって思ってた」
先輩の手が私の手の上に重ねられる。
ドキッとする。顔が間近に迫って来て心臓が破裂しそうな勢いで脈を打ち始める。
な、なななな何? これ以上迫られると唇が。
「やっぱり可愛い」
「えっ?」
「結衣ちゃんの顔。目と鼻の距離で見ても可愛いなって」
あ、そういう。安心したような、残念なような。
……ってなんで残念に思ってるの私。
雑念多すぎだから。ちょっとは落ち着け私。
「結衣ちゃん」
「はひっっっ!!」
うわっと。変な声出た。
これは不可抗力。仕方ない。……です。
「抱き締めて良い?」
「っっっ。はい」
「ありがとう」
里紗先輩に抱き締められる。久しぶり。温かい。
「結衣ちゃんって抱いてると癒される。体から何か癒し効果のあるもの出してる気がする」
「アロマみたいな、ですか? そんなの出してないと思いますけど」
「ううん、絶対出してる。他の人に結衣ちゃんを抱かせたら私と同じこと言う筈だよ!! あれ、でもそれって結衣ちゃんに他の人の手垢がつくってこと? それは絶対嫌だ。結衣ちゃん、やっぱり出てないよ。結衣ちゃんは結衣ちゃんだよ」
「はぁ…」
「結衣ちゃんを抱いていいのは私だけだから」
くんくんと先輩が私の匂いを嗅ぐ。
恥ずかしい。汗の匂いとか大丈夫…だよね?
「いい匂い。女の子の匂い」
「臭くない…ですか? 私、ここに来るまで少し走ってきましたし、汗臭いかも」
「ううん。いい匂いするよ。甘い女の子の、結衣ちゃんの匂い」
先輩が微笑みながら顔を上げて今度は私の頭を撫で始める。
気持ちいい。これ大好きなんだ。
ウットリってこういうのを言うんだろうなぁ。いつまででも撫でてて欲しい。
体の力を抜いて先輩に身を委ねる。
右手は私の頭を撫で続けながら、先輩はもう片方の手で器用に私の頭を自分の胸の中に誘導した。
「今日は泊まっていく?」
夢見心地の中でそう言われる。そうしたいけど、明日は普通に学校だし、お泊りセットも持って来てないから残念だけど泊まりはまた今度と先輩に告げる。
「ごめんなさい。今日は帰ります」
「え~~っ」
心底残念そうな先輩の顔と声に胸が痛む。
寂しがり屋なところがある先輩。できるなら泊まっていってあげたいけど、こればかりは仕方ない。
「なんで? 久しぶりに結衣ちゃんを抱いて寝たいー」
「だって明日学校じゃないですか。それにお泊まり道具も持って来てないですし」
「学校はここから行けばよくない? お泊まり道具は前みたいに貸し出するから全然平気」
「でも…」
「お願い! 最近ずっと睡眠不足で。結衣ちゃんを抱いて寝たら安眠できると思うんだ。ねっ。お願いだから今日は泊まっていって」
目を閉じて両手を合わせ、私に必死に頼む先輩を見ていたらこのまま帰るのは可哀想という気持ちになって来た。
もう泊まってちゃってもいいかな。先輩の言う通り学校はここから行けばいいし、お泊まり道具は前と同じく借りたらいいよね。
それになんだかんだ言って私も今日は先輩と一緒にいたい気分なのだ。
避けられてた分を取り返したいっていうか、ね。
「分かりました。家に電話するのでそれで許可が出ればお願いします」
「うん! 出なかったら私が交渉するから電話代わってね」
あ、これなんとしても家族を説得しないとダメなやつだ。
まぁ試験前でもないし、友達の家に泊まるって言えば許してくれると思うけどね。
先輩が見守る中で電話。お母さんが出て先輩の家のことを心配された。その様子を見ていた先輩が私に代わり電話に出て説明してくれる。
「是非泊まっていって欲しいんです。娘さんはちゃんと日曜日の夜に自宅まで送りますから、お約束します。あ、いえいえ、お気遣いなく。はい、結衣ちゃんにもそう伝えておきますね」
電話は切られた。
「OKだって。後、結衣ちゃんのお母さんから伝言で私に迷惑を掛けないようにね。だって」
さらっと流そうとしてるけど先輩、私、ちゃんとおかしいところ気づいてますからね!!
「日曜日の夜って言ってませんでした? 明日金曜日ですけど」
「そうだっけ? 間違えちゃった。まぁいいじゃない。日曜日までお泊まりってことで」
間違えたって絶対嘘だ。確信犯だ。だって、目は口程に物を言うんですよ、先輩。
「結衣ちゃんと日曜日まで一緒。嬉しいな」
もう。花が咲くような笑顔でそんなこと言われたら文句言えないじゃないですか。狡い。




