外伝06.抱き枕
◇<結衣>
「ちょっと抱き締めてみてもいい?」
そんな里紗先輩の言葉から始まった私の動揺。
それでも私は頷き、今里紗先輩に抱き締められている。
心臓が煩い。ドキドキする。後、懐かしい。
里紗先輩に私のこの鼓動の音が伝わったりしないだろうか。伝わって、もし理由を聞かれたら私はなんて応えればいい? 里紗先輩が私の大切な人に似てて? いやいやいや、それはダメだろう。比較してるみたいに聞こえて失礼に当たる。なら素直に里紗先輩にドキドキして? …してるのか? 私。やっぱり里紗先輩とリーシャを被せて見てるだけなんじゃ。私、最低だな。
急に熱が冷めた。
里紗先輩が離れる。その顔は満足気でもありながら不満気にも見える。
私の心を悟られて里紗先輩に咎められているような気がして私は耐えられず視線を逸らした。
「……思った通り抱き心地いいね。抱き枕にして寝たらぐっすり寝れるんだろうなぁって思った」
「そう、ですか…」
「どうしたの? やっぱり嫌だった?」
「いえ、そんなことはないです」
視線を戻す。と目と目が合う。未だ距離が近い。無意識で私は里紗先輩から遠ざかった。
「ごめんね」
「えっ?」
「あ~っとね、純子と私は従姉妹なの」
脈絡なく先輩の口から発せられたそれは本当に言いたかった言葉ではないのは分かる。
それでも狡い私は真の言葉を聞き出そうとするようなことをせず先輩の言葉にただ耳を傾ける。
純子と先輩は従姉妹同士。だけど普段はあまり交流はないらしい。
が、合コンの人数が足りないので向こうから接触してきて半ば強引に誘われて行きたくもない合コンに行くことになったと。話を聞いてみると単純。私と同じような理由だった。
「私と同じ感じですね」
「そっか。それで納得。結衣ちゃんみたいな娘が合コンなんて参加してるからどうしてかなー? って思ってたんだよね。…ってごめん。悪い意味じゃなくてね」
「大丈夫です。私も自分で自分のことそう思いますから」
「そっかぁ。うんうん、結衣ちゃんって男の人とか興味ないタイプだよね」
「えっと?」
「そうだ。これからどうする? もう遅いから私としては泊まっていって欲しいんだけど」
「えっ。えっと………」
きょろきょろと頭を動かして時計を探して小物置き場の上に乗っている目当てのものを見つける。
いつの間にか二十一時。いつからここにいたのか知らないけど、長居しちゃってたみたいだ。
「私、帰りま……」
「泊まっていって?」
帰ると言おうとしたんだけど。けど言い終わる前に私の肩を掴んだ里紗先輩の手が寂しいのだと訴えてるような気がしたから。だから私は里紗先輩の言葉に甘えることにした。
「……お世話になります。でも母に連絡だけしてもいいですか?」
「勿論。じゃあ私はうちのメイドたちに結衣ちゃんが今夜泊まること伝えてくるね」
「はい」
メイド? 里紗先輩ってお嬢様ってこと? ユグドラシルダンジョンと同じ内装の豪邸。
こちらの世界でこんな豪邸に暮らしてるってことは間違いなくやんごとなきご身分ってことだろう。
耐性があるから冷静でいられるけど、無かったら多分落ち着きなく口をぱくぱくさせたり、右往左往したりしてたと思う。
御使いの経験があって良かった。私は苦笑いする。それから里紗先輩がよけてくれていたらしいショルダーバックからスマホを取り出し、自宅に電話した。
メイドさん。彼女たちの顔を見た瞬間、私は動きを止めてしまった。
予想はしてた。してたよ。してたけど、まさか本当に当たるとは思わなかった。
シルア。それからユグドラシルダンジョンでシルアと共に生まれたメイドの二人。シズとユズ。
三人がそのままそこにいたのだから。
暫く固まって再起動。その後も私はさぞかし挙動不審だったことだろう。
にも拘らず何も言われなかったのは里紗先輩たちの優しさか、それとも…。
まぁそれらはさておき分かったことがある。
里紗先輩の両親は仕事のために海外にいて、そのため里紗先輩はこの家で自分とメイドさんの三人と暮らしているということ。そのご身分のせいか心を許せる友達があまりいないということ。お金目当て或いは里紗先輩そのもの目当てで寄って来るものばかりで辟易しているらしい。
シルアたちによく似たメイドさんたちはその辺の事情を良く知っているので彼女たちから「お嬢様をよろしくお願いします」とお願いされてしまった。
アイリスでの私をよく知るシルアたちならともかく、こっちのシルアたちは里紗先輩と同じで似ているだけで別の存在。私をそのお金目当てな連中と同じだとは思わなかったんだろうか。
それとなく聞いてみると「そのようなことを企んでいるような目をされた方ではありませんから」と真っ直ぐに目を見て言われた。
アイリスでもこっちの世界でも信頼されて嬉しいやら恥ずかしいやら。
立場やら人格やら違えど再会できて嬉しい。このことは口には出さず心の中で言った。
それから食事を共に楽しみ、照れながらも里紗先輩と一緒にお風呂に入って浴後はメイドさんたちによるエステ。肌が綺麗だと褒められた。これからも維持できるように頑張るよ。
そして就寝時間。里紗先輩が消灯して一日の終わりを告げる。
一緒のベット。クイーンサイズだから二人で寝ても全然余裕。
頭を枕に預けてぼんやりと考え事をしていると隣の里紗先輩が顔をこちらに向けたのがなんとなく雰囲気で分かる。
「結衣ちゃん、起きてる?」
「起きてますよ」
「少しだけお喋りしていい?」
「はい、構いません」
それからは他愛ない話をした。
私の家族のこと、里紗先輩の家族のこと。学校のこと。
趣味とか、好きな食べ物のこととか、逆に嫌いな食べ物のこととか。
里紗先輩はリーシャとは時代による差異のせいもあるのだろう、好物など違っていた。
しまいには話すことが無くなって近所の犬がどうとかいう話になっていく。
段々眠くなってきた。そのせいで口数の減って来た私に里紗先輩がおずおずと手を伸ばしてくる。
「結衣ちゃん。その…嫌だったら全然いいんだけど、抱き締めて寝てもいい?」
暗闇にも目が慣れてきた。…から里紗先輩の手が震えてるのが分かる。
冷たい心と体を私で温めようとしているのだろう。
私なんかで何処まで温められるか分からないけど、私で力になれるなら是非私を使って欲しい。
抱き枕になることはよくあることだったから抵抗とか全然ないし。
里紗先輩とリーシャ。今はもう難しいことは考えない。
私は自分から里紗先輩の傍により、胸元に顔を埋める。
「ここで寝させてくれるなら」
里紗先輩は私の提案を了承し、私は良い匂いと柔らかな弾力に包まれながら眠りについた。
翌日。私が起きると私はまだ里紗先輩の胸の中に包まれていた。
ということは里紗先輩はまだ寝てるのかな? と思ったけど、「おはよう。結衣ちゃん」挨拶が来たということはすでに起きてるらしい。
なのに抱かれたまま。顔を上げて里紗先輩を見る。
「おはようございます」
手が私の頭の上に置かれて動き出す。
子供をあやすかのような撫で方。
存外に気持ちいい。落ち着く。
私は里紗先輩に大人しく身を委ねる。
「寝顔可愛かったよ」
「見てたんですか?」
「うん。三十分くらいかな。結衣ちゃんって可愛いね」
「ありがとう…ございます」
真剣に言われたら照れる。紅い顔を見られたくないので里紗先輩の胸に顔を埋めて隠す。
里紗先輩はそんな私を気にすることなく手を動かし続け、独り言か、それとも私に聞かせる言葉か。自分の思いを吐露した。
「結衣ちゃんが妹だったら良かったのに」
寂しさ故? 里紗先輩は甘えたいんだと思う。
孤独は寂しいものね。だから人を求めてやまないのにお嬢様っていう肩書がそれを許さない。
気持ちはなんとなく分からないこともない。
私は里紗先輩の手を止めさせて、代わりに私が里紗先輩を抱いてその頭を撫で始めた。
「里紗先輩の胸と比べると柔らかさが足りないかもしれませんけど、そこは我慢してください」
「……結衣ちゃん?」
里紗先輩が身じろぎする。
こういうのは初めての経験なんだろう。耳まで紅くなってるから照れてるのが良く分かる。
可愛い。私は里紗先輩を慈しむように彼女の頭を優しく撫でる。
「よく頑張ったね」
「っ!」
「甘えてもいいんですよ? 今から私はここで何が起こっても絶対に口外したりしないって約束します。ですから里紗先輩、我慢しないでください。溜まってる物、全部吐き出す気持ちで私に甘えてください」
「結衣ちゃ………っ」
里紗先輩は一度雫を零すと私の胸の中、後は堰が崩壊して大きな声で泣きじゃくった。
「辛かったね」
「結衣ちゃ、結衣ちゃん結衣ちゃん……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「よしよし。もっと泣いていいよ。誰も見てないから。ねっ。里紗先輩」
どれくらい経っただろう。疲れて眠ってしまった里紗先輩。
黙っていなくなるのは申し訳ないなぁと思いつつ、そろそろ帰らないと家族に心配をかけてしまうので帰り支度を始めることにする。
お風呂の後で昨日借りた部屋着は脱いでその前に身に着けていた私の外出着に着替える。
着替え終わり部屋着を丁寧に畳んでいると部屋に入って来るシズとユズの二人。
「「おはようございます」」
「おはようございます」
…ここはアイリスじゃない。ここではシズとユズは私の家族じゃなくて里紗先輩のメイドさん。
なのに呼び捨てって失礼だよね。敬称つけることにしよう。そうしよう。
里紗先輩を起こさないようシズとユズ…さんと小声でやり取り。
服畳み終わった。
「これ洗って返しますね」
言うと「いいえ、気にしないでください。それよりお嬢様をありがとうございました」と服を私からそっと受け取り、頭を下げられた。
メイドさんたちに見送られながら屋敷を出る。
シルア……さんに車で送ると言われたけど断った。
場所を聞いて自宅からそこまで遠いっていう距離ではなかったし、ちょっと歩きたかったから。
散歩するには今はいい季節。もう少ししたら豪雪地方のこの土地は雪に覆われて寒くなる。
そうなるとやらないといけない雪掻き。今から憂鬱。やらないと大変なことになるからやるけど、あれはかなり大変なんだ。
下手な運動よりよっぽど、よっっっっぼど運動になるよ。運動不足だと筋肉痛にもなる。
うんざりしながら歩いているとバックの中のスマホが鳴り始めた。
「誰だろ」
手に取って画面を見ると知らない番号。
気乗りしないが万が一のことを考えて電話に出る。
「もしもし」
電話の相手は里紗先輩だった。
「結衣ちゃん」
「里紗先輩? どうして私の番号知ってるんですか?」
「純子から聞いたの。それよりごめんね。私、寝ちゃってて」
「いえ、大丈夫ですよ。黙って出てきちゃってごめんなさい」
「ううん、気にしないで。でもどうしても気になるなら一つだけお願い聞いてくれると嬉しいかな」
「お願いですか」
スマホを手にてくてく歩く。
きょろきょろしていると見つける公園。
そちらへ歩いていく。
ベンチに腰を下ろすと先輩からお願いの内容が告げられた。
「いつでもいいからまた家に遊びに来て欲しいの。それから学校でお昼、たまにでいいから結衣ちゃんと一緒にしたいな」
一つって言ってたのに二つになってる。
本人は気づいているか、いないのか。
私は可愛らしいお願いに癒されて頬が緩む。
「二つになってますよ」
面白そうなので指摘したら「あ! じゃあ二つにする」って言葉が返って来た。
可愛い女性だ。私は笑ってそのお願いを了承した。




