第91話 ぺたんこと巨乳
「触ったことがあるからに決まってるだろ!!」
太一のその叫び声を聞いた途端、その場の全員の表情が変わっていた。
もちろんその表情は驚きが大半なのだが、中には少なくない羨望の眼差しが含まれていて、その様子を見渡していると最早二人がこれ以上言い争う雰囲気ではなくなっている。
全員の視線を集めてしまった太一は、自分の発言を後悔していて、無意識に唇を噛む彼の脳裏には、恥ずかしさを我慢して俯いて顔を赤くしている光の姿が蘇っていた。
「おい、お前らいい加減にしろよ…… もういいだろ?」
健斗の落ち着いた仲裁の声が響くと、その場の雰囲気に押された二人はどちらからともなく謝罪の言葉を口にしていた。そもそも最初に光の事を侮辱した男子の方が悪いのは明白なので、その男子が太一に謝罪したことによって、今回の言い争いは完全に終了したのだった。
しばらくの間、その場にはなにか白けたような空気が漂っていたのだが、男子の一人がそれを払拭する勢いで、好奇心に満ちた目で太一を見つめながら質問をした。
「なぁ、田村の身体ってどうだった? やっぱ、柔らかいのか?」
「いいなぁ、俺も女子の身体を触ってみてーなぁ……」
何かを想像しながら指をわきわきと動かしている友人たちの質問に、どう答えたらいいのか太一にはわからなかったのだが、彼女の身体が柔らかかったとか、良い匂いがしたなどと正直に答える訳にもいかないし、光の名誉のためにもこれ以上この話題を長引かせることをしたくなかった。
「もういいだろ? そんなこと話せないよ、光ちゃんの為にもこれ以上は言えないよ」
「そう言うなよ、どんな感触だったかだけでも教えろよぉ」
それからしばらく男子達は太一に質問を続けたのだが、結局彼は何一つ答えることは無かった。
太一と光の話題が終わると、一人の男子が口を開いた。
「話は変わるが、いいか、よく聞け。ある信頼できる情報筋によると、先生たちの見回りは午前1時には終わるらしい。それ以降であれば女子の部屋へ行くこともできるはずだ」
男子と女子の泊っている部屋の間には廊下があって、そこは教師が椅子に座って交代で監視しているのだが、それも午前1時を過ぎるといなくなるという話なのだ。
「女子って言ったって、いったい誰の部屋なんだよ? それに、いきなり行っても入れてくれるわけないだろ?」
その男子の疑問ももっともだ。いきなり男子が真夜中の女子の部屋へ行っても入れて貰えるとは思えないし、場合によっては通報される事もあるだろう。
「大丈夫だ、もう女子には話を通してある。その部屋は、明日一緒に行動する1組の女子の部屋だよ」
「……ってことは、あれか、小林桜子たちの部屋か?」
「うひひひ…… すげえじゃん、お前でかしたな」
1組の女子と昼間に約束を取り付けていた男子は物凄い『どや顔』になっているのだが、それについては誰も触れること無く、むしろ今回の作戦のMVPは間違いなく彼に送られることになる勢いだ。
「えっ…… 光ちゃんの部屋?」
「なっ…… 桜子の?」
そして、その話を聞いて少なからず動揺する二人の男がいたのだが、男子達はその事には全くお構いなしだ。とりあえず教師の監視の網が緩む午前1時まではまだ間があるので、それまで大人しく作戦を練ることにしたのだった。
男子達がひそひそと作戦立案をしているのを尻目に、健斗は音もたてずに太一の布団の横まで移動すると小さな声で話しかけた。
「おい、宮沢、ちょっといいか?」
「ん? 木村君、どうしたの?」
「ちょっと訊きたい事があるんだが…… お前さっき、田村を抱きしめたって言ったよな?」
「……その話はもういいだろ? 勘弁してよ」
「あぁ、すまん、そんなつもりじゃなくてだな…… そのぅ、教えてくれ、どうやって抱きしめたんだ?」
「えっ? ……あぁ、そういうことか。いや、べつに、普通に抱きしめたいって言っただけだよ」
「えっ? 普通に言えば抱きしめさせてくれるのか? そういうものなのか?」
「うーん、それはその女の子によると思うけど…… 光ちゃんはいいって言ってくれたけど」
「そ、そうか、言えばいいのか。そんな簡単な事だったんだな…… わかった、すまん、ありがとう」
「うん、こんな話が役に立てばいいけど……」
その時太一はとても重要な事を説明するのを忘れていた。
すでに太一と光は普通にキスをするまでに二人の仲は進展している。だから言っただけで抱きしめさせてくれたのだが、健斗の場合は桜子とまだキスもしていないではないか。
それをすっ飛ばしていきなり抱きしめさせてはくれないと思うのだが、桜子の事になると冷静になれない健斗は、そんな大事な事も忘れているようだった。
何はともあれ、夜中に桜子の寝室に忍び込むなどと言う非日常的な体験を想像すると健斗の胸は激しく躍って、彼にしては珍しく男子達の悪ふざけに文句を言うどころか、むしろ一緒になって興奮しているのだった。
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桜子たち1組の女子グループの部屋。
午前1時15分。
時間を忘れて恋バナに花を咲かせている乙女たちにもそろそろ睡魔が訪れる時間なのだが、安田楓が時計を見上げて何かを呟いているのを吉村百々が気付いて声を掛けた。
「楓ちゃん、男子達遅いねぇ。やっぱり先生たちの監視が厳しくて無理なんじゃない? 明日もあるし、もう寝ようか?」
楓がそう言われて周りを見渡すと、すでに女子2名が寝落ちしているのが見えた。
その中の一人、桜子は決して良いとは言えない寝相を披露していて、その姿を見ながら楓は眉間に皺を寄せている。
「凄い寝相だわね…… 澄ましていれば凄く可愛いのに、まったくこの娘は……」
楓が思わずため息を吐きそうになっていると、廊下に通じる扉から小さく控えめなノックの音が聞こえて来た。起きていた全員が音の方を向いてハッとした顔をしたのだが、ただ一人楓だけがニヤリと笑いながら小さく囁いた。
「お客さんが来たわよ。さぁ、入れて入れて……」
部屋の中の全員の視線を集めながら楓が音を立てないように扉を開けると、隙間からスルスルと3人の男子が入り込んで来た。それは健斗と太一ともう一人の男子で、あとの3人の姿は見えなかった。
「すまん、遅くなった。事前に掴んでいた情報が間違っていたんだ」
その男子が説明するには、午前1時を過ぎると、監視の教師がいなくなるという話だったのだが、その情報は間違っていたそうだ。確かに時間になると教師はいなくなったのだが、その5分後にすぐに代わりの教師が来ていた。
健斗たち先発組3名は何とかここまでたどり着けたのだが、残りの3名は今日は難しいだろうという事だ。
「うおっ!?」
とりあえず到着した3名を部屋の中へ招き入れたのだが、先頭で入って来た健斗は部屋の中の状況を一目見て固まっていた。それほどまでに衝撃的な光景だったのだ。
健斗の様子を不審に思った光が健斗の視線の先を辿っていくと……
そこには凄まじい寝相の桜子が転がっていた。
着ている浴衣を豪快に開けさせて、掛布団もかけずに大の字に寝転がった寝姿はとても乙女と呼べるようなものではなかった。
ブラジャーを着けていない浴衣からは、その豊満な胸の谷間が見えているし、足も盛大に開いているので危なくパンツも見えそうになっている。
その光景に部屋全体が凍り付いたように静まり返っていると、桜子のツンと上を向いた筋の通った可愛らしい鼻から聞こえる「すぴー、ぷひゅるるる」というなんだか間抜けな寝息だけが部屋の中に響いていた。
光が桜子の姿から目を離せなくなっている健斗に気付いて、慌てて彼女に布団を掛けて隠したのだが、時すでに遅く、健斗の脳裏には彼女のそのあられもない姿が焼き付いた後だった。
男子3名を空いている場所に座らせてホッと一息ついた頃、今晩の司会進行役の安田楓が場を再度仕切り始めた。
楓の目論見では、独り身の男子と女子を中心に恋バナをしようと思っていたのだが、気付けば3人中2人は同室の女子の彼氏だというオチが付いてしまった。
太一は光と二人で仲良く話をしているし、健斗は部屋に来てからずっと無言で桜子の寝顔を眺めている。結局残った男子1名と女子4名でそれなりに盛り上がったのだが、男子1名では女子4名の迫力には勝てなくて、タジタジになっていた。
眠る桜子を見つめる健斗を光が何気なく見ていると、その顔には今まで見たことも無いような優しい微笑が浮かんでいて、きっとその顔は彼女にしか見せない顔なのだろうと思えた。
普段の健斗は、無口で不愛想で話し方もつっけんどんだし、その細い目は表情が読みづらくていつも怒っているように見える。だから第一印象は余り良くないことが多くて、かなり損な性格をしているのだ。
しかし、人に対する思いやりや優しさ、男らしい頼もしさなどを兼ね備えた性格を一度知ると、人としてとても好ましく思えて、誰もが魅了されるのだ。そんな彼に1歳の時から一緒に育った桜子が惹かれるのは自然な事だったのだろう。
光が二人を眺めながらぼんやりとそんな事を考えていると、「うーん」と声を出して桜子が身動ぎをした。
そしてパチリとその大きな青い瞳を開くと、目の前で彼女を見つめていた健斗と目が合った。
「けけけけ、健斗!? なんで健斗!? えっ? え? えっーーーー?」
桜子は目の前の状況が理解できずにパニックになるとそのままガバっと起き上がったのだが、布団の下の姿はさっき光が隠した時よりも浴衣が着崩れして、さらに大変な事になっていた。
そして決して人には見せられないような恥ずかしい姿を、健斗に至近距離で晒す結果となってしまった。
「あっ!!」
あまりにも破廉恥な桜子の姿に健斗は思わず声を上げてしまったのだが、桜子は彼の視線が自分の胸に固定されている事に気が付くと、そこで初めて自分の格好に気が付いた。思わず下を見下ろすと……
「きゃーーーー!! いやーーー!! 見ないでーーーー!!」
スパーン!!
慌てて布団に包まったおかげで、桜子のはしたない姿は健斗以外の人間には見られることは無かったが、思わず上げた大きな悲鳴は夜の闇を劈いていた。
そして床には、桜子に強かに頬をビンタされた健斗が倒れていたのだが、彼の顔には何かをやり切ったような、満足したような達成感に満ちた表情が浮かんでいた。
「ちょ、ちょっと、そんなに大きな声を上げたらマズいって、先生に見つかるじゃない!!」
楓が慌てたように声を掛けていると、案の定廊下を走る複数の足音が聞こえて来た。
その場の全員はまるでパニックを起こしたように右往左往し始めたのだが、とりあえず全員が布団に潜り込んで寝たふりをすることにしたのだった。
健斗は桜子の布団へ、太一は光の布団へ、そして残りの男子は楓の布団へとそれぞれ潜り込んで息を潜めている。
健斗は最早限界寸前だった。
ついさっき、桜子のあられもない姿を目の前で見せられた挙句に、同じ布団で彼女と密着している。そして桜子と向かい合った状態で布団から頭を出すことが出来ない健斗の目の前には、当然のように桜子の豊満な胸があるのだ。
そんな状態で健斗が悶々と身体の奥底から沸き上がる欲求に耐えていると、桜子が小さな声で囁いて来た。
「あ、あの、健斗、思わず叩いちゃってごめんなさい……」
そう言うと彼女は健斗の頬と頭をいつまでも優しく撫で続ける。
健斗は全身に感じる桜子の体温と体の柔らかさ、頭を撫でられる気持ち良さ、そしてほのかに香る石鹸の香りに包まれていると段々と意識が遠くなってきた。
それを全身から搔き集めた鉄のような精神力で必死に抵抗し続けたのだが、遂にそのまま眠ってしまったのだった。
「健斗、ねぇ、健斗、起きて、朝だよ……」
健斗はいつもの朝とは違う違和感に襲われて目を覚ますと、目の前には最愛の恋人、桜子の顔があった。その顔は朝の光に照らされて、まるで女神のように神々しくて、天使のように愛らしくて、赤子のように無垢だった。
彼女はそんな顔に満面の笑みを浮かべて健斗の名前を呼び続けている。
「健斗、ねぇ、健斗ってば、ほらもう起きて。急いで自分の部屋に戻らないと、先生に見つかっちゃうよ」
「えっ、あ、あぁ……」
健斗は頭を軽く振って目を瞬かせて寝ぼけを吹き飛ばすと、ハッと思い出した。
そうだ、自分は昨夜桜子の布団に潜り込んで隠れている間に、彼女の香りと感触のあまりの気持ち良さに耐えられずそのまま眠ってしまったのだ。それにしても、まさかこんな状況で彼女と一緒の初めての朝を迎えるとは思ってもいなかった。
そんな事をぼんやりと考えながら時計を見上げると、今はまだ朝の4時30分だった。
健斗がむくりと桜子の布団から起き上がって周りを見渡すと、光の布団には太一が眠っていて、もう一人の男子は楓に足で蹴られて板の間に転がっている。その顔には思いきりビンタを食らったような手形が付いていて、鼻には薄っすらと鼻血の跡が付いていた。
健斗が太一を起こそうとして近付いていくと、彼は光の胸に顔を埋めてとても幸せそうな顔をして眠っていて、このまま起こすことを躊躇うほどだった。
健斗が太一を見つめながら起こすべきか、どうするかを迷っていると、それを見ていた桜子が何かを思いついたような顔をしながら健斗に手招きをしてくる。
健斗が不思議そうな顔をして手招きをする桜子に近付いて行くと、彼女はここに座れと言いたげに自分の横をポンポンと叩いていて、健斗は言う通りに桜子の横に座った。
すると彼女は横に座った健斗の首に腕をまわすと、そのまま自分の豊かな胸を押し付けて彼の頭を撫で始めた。
豊満な彼女の胸は、とても温かくて、柔らかくて、なんだか凄くいい匂いがして、まるで母親の胸の中に抱かれているような優しさと安心感に満ちていた。
恥を忍んで太一に聞くほど桜子の胸に触りたかった健斗だったが、蓋を開けてみれば、何も言わなくても彼女の方から健斗を胸に抱きしめてくれたのだ。
その動作は全く自然で、一つもいやらしさや卑猥さは無かった。
それにしても、どうして彼女は急にこんな事をしようと思ったのだろうか。
健斗がクラクラとする頭を必死に働かせて考えていると、どうやら桜子は、光の胸に顔を埋めて寝ている太一を見て、健斗が羨ましがっていると勘違いしたようだ。
まぁ、実際に羨ましかったのだが。
すぐにその事に気付いた健斗だったが、幸せそうに自分の頭を撫でる、まるで女神のように慈愛に溢れた桜子の微笑を見ていると、昨夜の散々な目に会った事などどうでも良くなっていた。




