第90話 夜の女子会
修学旅行一日目。
現在、時刻は23時。
桜子たちは教師の見回りを警戒して、とりあえず部屋の電気を消して布団の中に入ると、そのままヒソヒソと夜の女子会を始めた。今回の同室メンバーは、桜子と光のほかは去年の宿泊研修で同室だった二人とクラスで仲の良い他の二人組だ。
宿泊研修でも同室だった女子は、安田楓と吉村百々の二人で、楓は中肉中背のショートカットが似合う快活そうな女の子で、百々は少しぽちゃぽちゃした体形の少しおっとりとした優しそうな女子だ。
ちなみに楓は、男女のことなら何でも訊けの耳年増で有名で、去年の宿泊研修の女子会でも散々場をかき回した張本人だ。
前回は経験の伴わない知識だけの頭でっかちだったが、あれから一年、どれ程の経験値を積み重ねて来たのか、乞うご期待だ。
「ねぇ、この中で彼氏持ちは? はい、挙手!!」
「いやいや、別に改めて訊かなくてもみんな知ってるでしょ……」
「やぁね、雰囲気が大切なのよ、わかってないわね」
早速この場を楓が仕切り始めたのだが、それについては誰も文句を言わなかった。むしろ桜子も光もあまりこの手の話題の知識がないので、むしろ進行役がいるほうが助かるのだ。
楓の問い掛けに対して3人の手が挙がった。
もちろん2人は桜子と光で、残りの一人は吉村百々だ。そして当の安田楓は手を挙げた3人を眺めながら羨ましそうな顔をしている。
どうやら、彼女はこの一年でろくに経験値を稼いでいないようだ。
「それじゃあ、3人に訊くわね。彼氏とはどこまで進んでるの?」
「おぉう、随分ストレートな質問だねぇ……」
光が思わず呟くと、それを目ざとく聞きつけた楓がしたり顔で語り掛ける。
「だって、私たち独り者はあなた達の話に興味があるもの。まずはそれを聞かない事には話は始まらないわよ、ねぇ?」
楓がそう言って振り返ると、他の二人も頭をコクコクと上下させて肯定の意思を示していて、その瞳は興味津々に輝いている。
「という事で、まずは小林さんからどうぞー」
「えぇ!? いきなりあたし!?」
いきなり話を振られた桜子は、瞬間的に頭の中が真っ白になってしまい、何を話せば良いのかわからなくなった。ここでいきなり、ビビりの小心者の本領発揮だ。
「え、えぇと、どこまで、だったっけ? ……キスはしたよ、ほっぺに……」
「えぇー、ほっぺのキスは、キスって言わないって前に言ったじゃん!!」
「そ、そんな事言われても……」
「あと、ほかには? 何かないの? あなたなら何かあるでしょ?」
独り者が彼氏持ちに対して、どうしてこうも上から目線で質問をするのか甚だ疑問ではあるが、現在の司会進行役は彼女なので仕方のないところなのだろう。
「……あたし達はそれ以上はないかなぁ。健斗も何も言ってこないし……」
その言葉を聞いた光以外の四人は、「えぇぇ!?」という驚いたような顔をしている。しばらくその表情のまま固まっていた楓が、気を取り直したように口を開いた。
「ねぇ、あなた達って、確かもう1年以上付き合っているよね?」
「うん、一年半かな」
「それで、キスもまだなの? 信じらんない!!」
いや、信じるも何も、お前にはそういう経験すら無いだろうと、桜子以外の四人は思ったのだが、口には出さなかった。
「小林さん…… あなた、相当木村君に我慢させてない? こんなに可愛い彼女と付き合っているのに、一年半も何も無いなんて、凄まじい忍耐力だと思うけど……」
「えっ? 我慢……?」
その質問に桜子は思わず自分たちの事を思い返していた。
桜子と健斗が付き合い始めて既に一年半が過ぎていて、その間はずっと恋人同士として満足していた。毎朝一緒に学校へ行って、学校でも時間のある時には一緒に話をする。休日も一緒にご飯を食べたり出掛けたりもしている。
桜子自身はそれだけで十分満足していたし、それ以上の事を何も望んでいなかった。そもそも健斗も桜子に対して何かを要求してくることがなかったので、桜子は健斗も今の関係に満足していると思っていたのだ。
桜子が健斗と付き合うようになってから、男子からラブレターを貰ったり、告白されるような事は無くなった。それだけ二人の仲睦まじい様子が学校中に知れ渡っていて、他の人間が二人の間に入り込むことが不可能である事を物語っているのだ。
今でも桜子は健斗の事が大好きだし、家族以外で素の自分をさらけ出すことが出来るのは彼だけなので、まるで家族のように大切に思っている。
いや、ちょっと待って、いま自分は「家族」と言った。
それは違う、健斗は家族ではなく彼氏なのだ、異性の恋人なのだ。
もしかして自分は何か勘違いしていないだろうか?
健斗も自分の事を家族のように思っているのだろうか?
いや、それも違う、彼は自分の事を異性、女だと思ってくれているのは間違いない。
いま思えば、時々感じる彼の視線が自分の身体を見ていたり、意図的に身体に触れる事を避けている様子もあった気がする。
もしかして、自分は彼に色々と我慢させているのだろうか。
楓の質問を切っ掛けに、急に桜子の中に多くの疑問が湧いて来たのだが、それに対しての答えは残念ながら桜子は持ち合わせていなかった。
そう言えば、光も自分達と同じ時期に太一と付き合い始めたはずなので、彼女に訊いてみようと思った桜子は、そのまま光に質問を投げてみた。
「ひ、光ちゃんはどうなの? あたし達と同じ時期から太一君と付き合っているでしょ?」
「えっ!? そこでわたしに振る? 桜子ちゃんだって知っているでしょ、わたし達のこと……」
「いやいやいや、私たちはそれ聞いてないから。さぁ、ここで話しなさい!!」
楓が光の返答に食い付いて来た。
前から桜子は、この女子が東海林舞と同じ種類の人間なのではないかと薄々疑っていたのだが、どうやら当たりのようだった。彼女の中では既にターゲットは光になっていて、彼女から全て聞き出そうと鼻息を荒くしている。
まるで話題逸らしのように自分に話を振って来た桜子に恨みがましい視線を送りながら、光は質問に答え始めた。その頬は羞恥に赤く染まっている。
「えぇと…… キスはしたよ、先月に初めてね……」
「きゃー、青春だねぇ、それでそれで?」
「このあいだ、お願いをされたから聞いてあげたよ……」
「うんうん、それで、何のお願い?」
「えーっと、そのぅ…… 抱き締めたいって……」
「むっはぁー!! それでそれで?」
「……凄く恥ずかしかったけど、させてあげたよ……」
「うはぁー!! それでどうなったの!?」
「彼ったら、とっても温かくて良い匂いがするって言ってくれて……」
「おおぅ、それは幸せそうでなによりですなぁ」
桜子以外の四人の顔には、なんだか羨ましいような、妬ましいような表情が浮かんでいる。恐らく全員が抱きしめあった二人の姿を思い浮かべているに違いなかった。
「でもね、その時の彼の目が少し切なそうだったのがちょっとだけ気になったんだ……」
「そ、それはアレよ、彼も色々と大変なのよ、きっと」
そう言いながら、光の告白を聞いた楓が色々と想像しているようなのだが、あくまでもそれは雑誌や雑談で仕入れた知識でしかなく、彼女は実際の男の子の事にはまだまだ理解が及んでいないようだった。
楓は自分の想像に顔を赤くしてそのまま黙り込んでしまった。
散々人に恥ずかしい告白を強要したくせに、とんだ耳年増もいたものである。
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「おい木村、お前、小林とどうなんだよ。夏休み中に何か進展あったのか?」
ここは男子の宿泊室。
23時を過ぎたので、電気を消して布団に入り、全員で男子会を絶賛開催中だ。
中学生生活最大かつ最後のイベントという事で、独り者の男子で意中の女子がいる者は、この修学旅行中に何とかその娘と仲良くなろうとして思い出作りに奔走しているのだが、すでに学校のアイドルを彼女に持つ健斗にはそんな下々の事など関係無いと思われているようだった。
しかし、中学3年生と言えば全員受験生なのだから、色恋事よりももっと大事な事があると思うのだが、本人たちにとっては受験勉強と同じ位大事な事だと思っている。そんな恋に恋する思春期真っ只中の男子にとっては、学校一の美少女と付き合っている健斗の事はやはり気になるらしい。
「どうって、べつに…… 普通だろ」
健斗が相変わらずの不愛想さで面白く無さそうに答えると、周りの男子も面白く無い顔をした。
「お前、本当につまんねぇ奴だな。なにか小林関連のニュースはないのかよ。お前に取られたと言っても小林は今でもみんなのアイドルなんだからさ、せめてあいつの近況くらい教えろよな」
「なんで俺がお前らにあいつの事を教えないといけないんだよ? 全然意味わかんねーし」
「俺なんて小林に近付かれただけで緊張するんだけど、お前、あいつに抱き付かれたりして平気なのか?」
その友人は健斗の柔道部に共通の友人がいるので、先月の大会で健斗が桜子に抱き付かれていた話を聞いていたのだろう。なんとも羨ましそうな顔をしながら健斗に聞いて来る。
「……平気な訳ないだろ……」
その質問に少し時間をおいて答えた健斗の顔には苦渋の表情が浮かんでいて、珍しく彼がこの手の質問に正直に答えている様子が見て取れた。
「……まぁ、そうだよな。普通は平気じゃいられないよな。でも小林って何もさせてくれないんだろう? どうなんだよ、木村」
「いや、あいつは俺と一緒にいられるだけで満足しているみたいだ。だから俺もそれで良いと思ってる」
絞り出すようにそう答える健斗の顔からは、辛そうな表情が消えないままだった。それを見ていた他の男子が、なんだか急に健斗の事が気の毒になったようだ。
「そうか……生殺しか。あの小林が相手なら、俺なら絶対に耐えられそうにないな。まぁ、時々発散すればいいだろう」
その言葉に、健斗が思わずバツの悪そうな顔をしたのだが、それには誰も気付かなかった。
「そういえば、お前はどうなんだよ、宮沢?」
「……えっ、俺?」
話の流れで突然話を振られた太一だったが、すでにうつらうつらと居眠りをし始めていて、その前の話を全く聞いていなかったので、質問内容が理解できていなかった。
「まぁ、いいや。お前の彼女はあのぺたんこだしな」
「なんだと!! 光はぺたんこじゃないぞ!! もう一回言ってみろ!!」
目の前で他の男に自分の最愛の彼女を侮辱された太一は、彼にしては珍しく怒りの感情を露にしている。そして冗談のつもりで言ったのにも関わらず、突然太一が激高した事に驚いた男子だったが、普段大人しい太一に突然怒鳴りつけられた事を彼のプライドが許さなかったらしい。
「あぁ、ぺたんこの事をぺたんこと言って何が悪いってんだよ!! ほんとの事じゃねぇかよ!!」
「なんだと、お前!!」
「お、おい、やめろよ二人とも、大きな声を出すなよ!!」
他の男子達が慌てて二人の仲裁に入ろうとしたのだが、当の二人は全く聞こうとせずに怒鳴り合いを続けている。
「じゃあ、なんで田村がぺたんこじゃないって言えるんだよ!? 言ってみろよ!!」
「触った事があるからに決まってるだろ!!」
「えっ!?」
「あっ……」
太一が慌てて自分の口に手を当てたのだが、すでに遅かった。その言葉はすでにこの場の全員に聞かれてしまっていた。




