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第83話 思い出づくりの小旅行

 8月上旬。

 小林家は浩司の(かね)てからの希望通り、4人で旅行に出掛けることになった。

 


 浩司は独身の頃に「自分探しの旅に出る」と言って実家を飛び出すと、ヒッチハイクで日本中をほぼ制覇したのが今でも自慢なのだが、その時に唯一行けなかったのが南方の島々だった。彼はそこへいつか行ってみたいとずっと思っていたのだが、家業を継いでしまうと旅行に行くような自由な時間も無くなってしまい、結局今まで行けずじまいだった。


 ちなみに旅先で知り合ってそのまま実家に連れて帰って来たのが現在の妻の楓子で、驚く両親に彼女を紹介するとそのまま実家の家業を継いだのだ。


 浩司の両親は「自分探し」のために旅に出た息子が突然嫁を連れ帰った事に驚いたのだが、なるほど、この娘を見つけ出せた事が自分探しだったのだろうと納得したものだった。その話は今でも絹江が笑い話として時々話すのだが、浩司はいつも「もう勘弁してくれ」と言って弱り果てている。


 桜子がねだると時々楓子が若い頃の二人の話をしてくれるのだが、その頃の浩司はかなり情熱的な青年だったようで、旅先での二人の出会いは今でも語り草になっていた。




 8月中旬になるとお盆の帰省ラッシュが始まるので、その前に行って帰って来るようなスケジュールを組んでの2泊3日の小旅行だ。治療をやめて退院したとはいえ、浩司の体力がまだ戻っていないのでそのような短めのスケジュールになった。

 場所は浩司の希望により国内の南方の島で、そこでは特に予定は入れずに、のんびりと過ごす予定だ。


 近所の人たちは浩司の病気の事は知っているので、5日前に酒店の臨時休業のお知らせを告知しても特に混乱無く店を休みにすることが出来た。

 小林酒店は自営業なので、休もうと思えばいつでも休めるのだが、商店街や地域の客との結びつきが強いために、そうそう休む訳にもいかないのだ。だから家族で旅行に行くなど本当に数年振りの事で、これには桜子も数日前からそわそわして、何度もガイドブックを読み返すほど楽しみにしていた。


 浩司が抗がん剤の投与をやめて10日ほど経っているので、痩せた体の体力は少し回復している。もうゆっくりとなら歩き回ることも出来るようになったし、食欲もだいぶ出て来たので、今から現地のグルメを楽しみにしていた。


 


 現地の島に到着すると、宿泊施設はコンドミニアム形式の豪華で綺麗な部屋だった。

 今回はちょっとだけ浩司の我儘を聞いて少し豪勢な旅行になっていて、食事も結構期待できるということで、桜子はそれも楽しみにしている。


 部屋に到着すると既に夕方になっていて、昼間の移動で浩司が少し辛そうに見えたので、その日はそのままのんびりすることにした。部屋でベッドに横になると浩司がそのまま眠ってしまったので、夕食の時間までの1時間ほど、桜子は周辺散策をしようと部屋から出て行った。



 今日の桜子は、薄緑の膝丈のワンピースに踵のある白いサンダルと大きな日傘を差していて、日傘で顔を隠したスラっと背の高い姿は、とても中学生には見えなかった。

 近くに寄って顔を見るとさすがに年齢相応の幼さを残した顔つきをしているのだが、手足が長くてすらりと背の高いスタイルと中学生離れした大きな胸が目立つプロポーションは、桜子が白人種という事も相まって、日傘で顔が隠れていると多くの男性には20歳前後の女性に見えるらしい。


 南の島のリゾート地を一人で散歩するそんな姿の桜子を見て、大抵の男は息を飲んで遠巻きに見ている。誰もが見惚れるような美少女とは言え、白人というだけで大抵の男は声をかけるのを諦めるのだが、やはり中には強者がいるようだ。





「はい、彼女、一人で何してるの?」


 案の定、外を歩いていると背後から声を掛けられた。

 何してるって、この状況で散歩以外にあるのかと、桜子は若干不機嫌に思うのだが、気の小さいビビりの桜子には、それを表に出すことが出来ないのだ。こういう手合いを無視すると余計に事態が面倒な事になることを知っている彼女は、小さく溜息を吐きながら仕方なく後ろを振り向いた。


 桜子がワンピースの裾をひらりと翻して振り向くと、そこにはまたしても彼女が苦手にしている軽薄そうな顔をした男が二人立っていた。それにしても、どうしてこれほどまでにこの手の男達に好かれるのだろうか、何か見えない力が働いているとしか思えないと、いつも桜子は思うのだ。



 ふわりと金色の髪を翻しながら振り向いた桜子の顔を見た途端、彼女のあまりの美少女ぶりに男たちは驚愕の表情を浮かべるのだが、桜子の全身を舐めるように見るとすぐにいやらしい笑みを浮かべるのだ。そこまでは全てテンプレ通りの反応だった。

 それにしても、近くで桜子の顔を見たのなら、まだ少女と言って良い年齢なのがわかると思うのだが。



「一人でどこ行くの? 連れはどうしたの?」


 桜子は相手にわからないように小さく溜息をつくと、淀みなくその質問に答えた。勿論顔には満面の笑顔を湛えて。



「Я голодний і йду їсти」


 その言葉を聞いて、軽薄男達は目に見えてたじろいでいる。


「Я хочу з’їсти м’ясо на грилі на вечерю」 


「え、えーと、どこのお国のひとでーすかー?」


「Дядько поруч недружній」


「だ、だめだ、全然わかんねぇ…… くそっ、こんな上玉にはなかなかお目にかかれないのに、もったいねぇや」



 桜子に言葉が通じないと思った二人は、かなり強引に桜子の腕を掴むとぐいぐいと引っ張り始めた。どうやら無理やり何処かへ連れて行こうとしているらしい。


「Собака поруч、きゃあ!!」


 桜子が思わず素の悲鳴をあげて掴まれた腕を振りほどこうとしていると、突然横から別の男の叫び声が聞こえてきた。桜子は悲鳴をあげながらも、前にもこんなシチュエーションがあったなぁ、となんだか呑気に考えていた。




「あんた達、それ以上しつこくすると警察呼ぶよ」


 突然大きな声で呼び掛けられた3人が振り返ると、そこにはひょろりと背の高い20歳前後の青年が立っていて、手には何か槍のような物を持っている。


「なんだぁ、お前、いま取り込み中なんだよ、あっち行けよっ!!」


 二人の軽薄男たちはまるでどこかで聞いたようなセリフを吐きながら、その青年の顔と手に持った槍のような物を交互に見ていたが、青年が携帯電話を取り出して本気で警察を呼ぼうとしているのを見て取ると、捨て台詞を吐いて走り去って行った。


 



「あぁ、大丈夫でしたか?」


 青年が桜子の様子を観察しながらゆっくりと近寄って来るのを、掴まれていた腕をさすりながら桜子が見ていると、その青年は急に何かに気付いたような顔をして咳ばらいをした。


「are you okay? Be careful when walking alone」



 どうやら桜子が白人なので、英語で話しかけてきたようだ。しかしいきなり英語で話しかけられても桜子にはさっぱりわからないので、余計に何と返答すればいいのかわからなくなってしまった。


「The bad guys have been driven away, so it's okay」


 そう言って青年は優しそうな笑みを浮かべながら安心するようにジェスチャーをしたのだが、桜子の頭は猛烈に混乱している。


「Мій улюблений - кальмари на грилі з сіллю」


 

 混乱した桜子は思わずウクライナ語を口にしてしまったのだが、それを聞いた青年の様子が急に挙動不審になった。


「うわっ、英語圏の人じゃなかったよ。参ったな、全然何言ってるかわからん……」


「ひえぇぇぇ、いきなり英語で話しかけられても、全然わかんないよ……」


 二人は焦った顔で向かい合ったまま小さく呟いていたのだが、突然互いの事を指差しながら同時に叫んでいた。


「あっ!! 日本語話せるの!?」


「ええぇ!! 日本語しゃべれるの!?」


 二人はお互いに指を指しながら一瞬固まると、次の瞬間、そのままの姿勢で腹を抱えて笑い始めたのだった。





「あははは…… あー、可笑しかった…… どうもありがとうございました。さっきは助けてくれて」


「あはは…… いや、なになに、全然大したことしてないですから。それにしてもびっくりしましたよ、あれは何語なんですか?」


 桜子と青年は、お互いに目の端に涙を溜めるほど笑い合っていた。


「ウクライナ語です。初めて聞きましたか?」


「そっか、ウクライナ語かぁ。 それじゃあ、あなたはウクライナ出身なんですか?」


「いえ、違うんです。それを話すと長くなるのですが……」



 桜子は青年の話し方に違和感を覚えたのだが、よく考えるとそれは敬語だった。どう見てもこの青年の方が自分よりも年上に見えるのだが、何故自分に対して敬語を使ってくるのだろうか。


「あの、あたしに敬語は使わないでください。たぶんあなたの方が年上だと思うんです」


「えっ? そうですか? 俺はいま19歳ですけど、失礼ですがあなたは……」


「あたしは15歳です。中学3年です」


「えっ!? 中学生なの!? …… まじか……」



 その青年は桜子の年齢を、自分と同じか少し上くらいに思っていたようだ。それを本人の口から15歳だと聞いて、相当ショックを受けたらしい。

 それだけ遠目に見る桜子は大人びて見える証拠だった。




「あっ、ごめん、それじゃあ敬語はやめさせてもらうよ。 俺は土屋拓海(つちやたくみ)って言うんだ」

 

「あたしは小林桜子です」


「へぇ、和風の名前なんだね。全然イメージと違ってたよ。そうだ、君も敬語はやめていいよ。俺もなんだか敬語を使われるとくすぐったいし」


「えへへ、ありがとう。あたしもなんだか敬語は使い慣れなくて」



 土屋が手に持っていている物は、素潜り用のモリだった。ちょうど仕事の合間にここを通りかかった時に、桜子たちの騒動に遭遇したらしい。

 土屋は通っている大学が夏休みの間に、ダイビングインストラクターの助手のアルバイトをするためにこの島で住み込みで働いているそうだ。8月いっぱいはずっとこの島にいると言っている。


 土屋は身長が180センチはあるだろう長身で、痩せてひょろりと細長い体形をしていて、仕事で日に焼けた肌は真っ黒だ。短く刈り込んだ髪は精悍な顔つきに良く似合っていて、きっと女性にモテるだろうと思われた。

 

 土屋はこの先のダイビングショップで働いているので、明日時間があったら遊びにおいでと言うと、まだ仕事中だからと言ってそのまま去って行った。

 桜子にとってはほんの偶然の出会いだったのだが、なんとなく土屋が気になった彼女は、明日の時間がある時にダイビングショップへ行ってみようと思うのだった。




 夕食はとても豪勢だった。

 この島でしか食べられない海の幸が満載で、量も種類も実に豊富でこれぞ旅行の醍醐味という感じだ。最近はあまり量を食べられない浩司も、今日ばかりはかなりの量を食べていて、本当に嬉しそうにしている。

 楓子も桜子も絹江も、そんな浩司の様子を眺めながら、抗がん剤治療をやめた事はやはり正解だったと心から思うのだ。


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