第73話 トリプルデート
暗い展開が続きましたので、少し楽しい話にしてみました。
「えぇぇぇぇ!? そ、それじゃあたしって、健斗の叔父さんなの!?」
思いもよらぬその現実に、桜子は人生最大の衝撃を受けていた。
秀人は自分の前世の人物であり、かつ健斗の叔父である。つまり自分は健斗の叔父ということに……いや、この場合は叔母になるのか…………待て待て。そもそもそういう問題では……
考えれば考えるほどわけがわからなくなって、桜子がうんうん唸りながら頭を抱える。それを見る秀人は別の意味で頭を抱えた。
「なんでそうなる……そうじゃねぇだろ……」
なんだか猛烈に面倒臭くなった秀人は、「しらんがな」とばかりにそのまま桜子を放置することにした。
対して桜子は混乱収まらぬままに変わらず唸り声を上げていたが、多少は頭が冷えてきたのかやっと冷静に考え始めた。
驚くべきことに秀人は健斗の叔父だという。とはいえ、落ち着いて考えてみれば秀人と自分はまったく別の人格なのだし、あくまで前世の自分がそうだったというだけで、今の自分にはあまり関係ない気もする。
今ここで性急に結論づけても良いことは何もない。とりあえずは横に置いておくべきか。
などと一旦は先送りしようとした桜子だが、意図せず気付かされてしまったこの現実は、彼女の心の奥深くに入り込んでしまうのだった。
それから桜子が繰り返し尋ねてみても、秀人は頑なに前世の話をしようとしない。それも、ただ話したくないだけでなく、明らかにその話題を避けているようにさえ見えた。
結局、桜子は秀人の過去について何一つ聞け出せなかったが、もはや強情とさえいえるその態度からは、単なる興味や好奇心で尋ねるべきではないことを感じ取らざるを得なかった。
◆◆◆◆
夕食時。桜子が幸せそうにとんかつを頬張る姿を、浩司が物言いたげに眺めていた。
浩司は最近やっと桜子と健斗の仲を認めるようになったが、いくら幼馴染でもやはり年頃の男女が二人で会うのが面白くないらしく、何かにつけて干渉しようとする。
対して楓子は出来るだけ口を挟まず見守るつもりらしく、二人が過ちを犯さないようにだけ気を配っていた。浩司の過度な干渉は時として楓子も諫めていたが、同時にその思いも理解できるのである程度は好きにさせるつもりだった。
食事の後にリビングでまったりする桜子の携帯へ友里からメッセージが届く。見れば遊びの誘いだった。
近所に最近できたテーマパーク。皆でそこへ遊びに行くから予定を空けておけ、とのことだが、当の桜子は健斗を放って自分だけ遊び歩くのは気が引けると一旦は断った。
『まじで? そう言わずに桜子も行こうよぉ、絶対楽しいって!』
『でも健斗がかわいそうだし。あたしだけ遊びに行ってもきっと楽しめないと思う」
『うぬぬぬ……じゃあ、健斗が行くって言ったらあんたも行く?』
『そうだね。健斗が行くならあたしもいいよ』
『わかった。しばし待て』
「……」
最後の返信から5分も経っただろうか。桜子がぼんやりテレビを見ていると友里から新たなメッセージが届いた。
「勝訴! 健斗も行くってさ! だからあんたも来るのよ、わかった!?」
どうやら友里はこの短時間で健斗に了解を取り付けたらしい。あまり賑やかな場所を好まない健斗に対して、どのような口説き文句を使ったのかはいささか疑問が残るところではある。とはいえ、恐らくは「桜子とデートするチャンスなんだから、あんたも絶対に来なさいよ!」と伝えただけのような気もするが。
有無を言わさぬ電光石火の早業に、思わず桜子は携帯電話の画面を見つめるしかなかった。
それから5日後の午前9時。
健斗が桜子の自宅へ迎えに来た。いつもと変わらずTシャツにジーパンといったラフな格好だが、相変わらず右手のギプスが痛々しい。本当に大丈夫なのかと思わず問い詰めたくなるが、健斗本人はいたって平気そうだった。
健斗いわく、走ったり跳ねたりするとさすがに痛いが、気を付けている限りは問題ないらしい。むしろ部活が休みで暇を持て余していたのでちょうど良かったそうだ。
今日の桜子の装いは、白のノースリーブシャツとデニムのミニスカートにシンプルなベルトサンダル。輝く金糸のような前髪を青いバンダナで押さえて後ろ髪はそのまま背に流す。
額の傷跡が目立つため、昨年の事件から前髪は上げなくなった。その様子を見る度に健斗は痛ましく思ってしまう。
ノースリーブの肩口とスカートから伸びるすらりと長い手足は、夏の強い日差しに照らされてより一層の白さを際立たせる。年齢のわりに背が高くメリハリのあるその容姿は、日傘で顔を隠しているとおよそ中学生とは思えないほどに大人びて見えた。
常から細い目をさらに細めて、思わず健斗が見惚れてしまう。すると浩司がその頭をぐりぐり掴んで恒例の挨拶を交わした。
「よぅ健斗。お前、いくら桜子が可愛いからって、絶対に変な気を起こすなよ。まだ中学生なんだから触っていいのは手までだ。それはわかってるな? ――本音を言えば、指一本触れてほしくないんだが」
言いながら浩司がギロリと睨む。途端に健斗が姿勢を正して背筋を伸ばした。
「わ、わかってるよ」
しかしそれだけで浩司の話は終わらない。出かけようとしている二人へさらに追い打ちをかけようとする。見かねた楓子が諫めている間に、健斗と桜子はそそくさとその場を後にしたのだった。
待ち合わせの5分前。駅前広場に着けばすでに全員が揃っていた。
今日のメンバーは桜子と健斗、友里と迫田、そして光と光の彼氏である宮沢太一の計6名。その他にも幾人か誘ったが、塾や用事があるからと断られてしまった。
初対面の太一は一見して優しそうな男の子で、背はあまり高くなく細く華奢な体格をしていた。同じく小柄な光と並んでいると、可愛らしくも微笑ましいお似合いのカップルだった。
6名のうち2組がカップル。気が付くとトリプルデートのような様相を呈していたが、もとより友里に好意を寄せる迫田にとっては非常に美味しい状況である。
「この2組はわかるけど、なんであたしがあんたみたいのとペアを組まなきゃならないのよ……」
友里がぶつぶつと悪態をつく。迫田が自分を好きなのではないか。そう母親に言われたのを思い出し、迫田への態度は朝からずっとぎこちなかった。
翻って迫田は、朝からずっとにこにこしっぱなしでとても楽しそうだった。
目的地に着いた彼らは、乗り物に乗ったり、展示を見たりと各々が楽しい時間を過ごす。その最中も桜子は健斗の様子がずっと気になっていたが、特に怪我を痛がる様子もなく安堵した。
しばらく後に友里は、健斗と桜子の様子がいつもと違うことに気付いた。友人たちと一緒とはいえ、せっかくのデートなのだからもう少しイチャイチャして良いと思うが、微妙に離れた二人の距離から何かを気にしている様子が窺えた。
そのとき友里は理解する。
あれはバレンタインデーだった。半分は本気だったものの、友里は桜子の背を押す目的で健斗を好きだと告げたのだ。だから二人は友里の前で仲睦まじくするのに気が引けたのだろう。
果たしてどうするべきか。ふぅむ、と友里が妙案を思いつく。
唐突に迫田の手を掴んだかと思うと、桜子と健斗の前へ進み出た。
「ねぇ二人とも。何を気遣っているのよ! せっかくの機会なんだから、もっと楽しまないと損でしょ!」
次いで友里は、迫田と繋がれた手を見せびらかしながら大きな声で宣言した。
「いいから普段通りにして。わたしはわたしで迫田とよろしくやるつもりだから。あんたたちはぜんぜん気にしなくていいんだからね!」
突然の宣言に桜子も健斗も驚くしかなかった。もっとも一番驚いていたのは、唐突に手を握られたうえに「仲良し宣言」をされた迫田耕史郎だっただろうが。
迫田は友里が好きである。同じクラスになってからしばしば会話するようになり、特にここ最近は互いに本音を言い合うような関係になっていた。
異性に対してこれほど自分をさらけ出したことはない。どんな話であろうと聞いてくれ、返事を返してくれる友里を好ましく思う。くわえて少し前から経験のない感情を抱き始めた自分に戸惑い、それが恋だと気付いたのはつい最近のことだった。
友里との距離を縮めたい。そう思い、勇気を出して今回の作戦を練ったのだが、いきなり友里の方から「仲良し宣言」をされるとは夢にも思ってもいなかった。
実のところ迫田は、チャンスがあれば告白くらいできればいいな、と思っていた。
しかしそれらを全てすっ飛ばしてのこの事態に、迫田はいま猛烈に混乱していた。
「もしかしなくても、あれって告白だよね? 友里ちゃん、自覚あるのかなぁ」
後ろから様子を見ていた光が呟く。太一が小さく頷いて言った。
「それじゃあ、これでトリプルデートだね。光ちゃんの友達は仲が良くていいなぁ」
太一がニコニコと笑いながら穏やかに言う。それを見上げる光もまた穏やかな顔をしていた。
仲睦まじい二組のカップル。その背を眺める友里は、今さらながらにこうなってしまった経緯を後悔していた。さっきは勢いに任せてあのように言ってしまったが、傍から見ればあれは立派な交際宣言そのものではないか。
ちらりと隣を見る。そこには今や天にも昇る勢いでニヤける迫田がいた。
それを見ているといささかのイラつきを覚えるが、己の不用意な発言が原因ゆえに今さら迫田を責めるわけにもいかない。
それでも友里は言わずにはいられなかった。
「ねぇ迫田……さっきはああ言ったけど、まさか勘違いしてないよね?」
「えっ? なにが? 俺はいま猛烈に感動してるんだ! まさか立花も俺のことが好きだったなんてな! そうだよ。俺は今日、お前が好きだって言おうと思ってたんだ!」
もはや迫田の感情はダダ洩れである。聞いてしまった以上、それを否定するのはあまりに哀れに思えて、友里はそれ以上何も言えなかった。
そんなわけで、なし崩し的に付き合うようになった二人だが、いずれ折を見て真実を告げてやろうと思う友里だった。
昼にフードコートで食事をした。
皆それぞれに好きな物を注文したが、健斗は利き腕の自由が利かないために、左手でも食べられるカレーライスを注文した。
それでも付け合わせのサラダが上手く食べられず苦労していると、おもむろに桜子が自身の箸でつまんで健斗へ差し出した。
「はい健斗、あーんして。どうぞ召し上がれ」
差し出された箸を見つめて健斗が頬を赤く染める。始めこそ恥ずかしそうにしていたが、最後には目を瞑って口を開けた。
「美味しい?」
「う、うん……美味しい」
皆の前で二人だけの世界を作り出す健斗と桜子。二人を前に光が呆れたように言った。
「うわぁ……まさにバカップル……」
誰憚ることなく生暖かい眼差しを光が送る。ふと隣を見ると、なにやら羨ましそうな顔の太一に気付く。すると光は一切の躊躇なく自身のサンドイッチを太一へ『あーん』した。
「えへへ、美味しい?」
「うん。美味しいよ光ちゃん」
あぁ光よ。お前もか。
上白糖に黒糖を混ぜ合わせ、仕上げに蜂蜜をかけたような甘ったるさ。溜息を吐きつつ見ていた友里は、ハッと我に返ってゆっくり隣へ視線を移す。
するとそこには、口を開けて待つ迫田がいた。その姿には、まるで餌を待つ雛鳥にも似た無邪気さがあった。
「迫田ぁ……あんたまで真似してるんじゃないわよ! 『あーん』なんてするわけないじゃん、このアホがぁ!」
次の瞬間、迫田の左頬に友里の渾身の右ストレートが炸裂した。




