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第69話 決闘の行方

 迫田が去り、友里が再びリビングへ戻ってくる。ふと見ると、母親が意味あり気な視線を送ってきたので、友里は煩そうに瞳を細めた。


「なに……? なんか言いたいことでもあるの?」


 訝しげな視線。その反応に(たち)の悪い笑みを返しつつ、母親は何か面白いものを見つけたように微笑んだ。


「あら、なかなかいい子じゃない。真面目そうだし、礼儀正しいし、背も高いし。見ようによっては顔だって悪くないわよ?」


「はぁ? なに言ってんの? あいつ、テーマパークの半額チケットが手に入ったからって知らせに来ただけじゃん。なんでそんな顔するのさ。意味わかんない」


「あら、そう? でも、どうしてわざわざあなたのところへ来たのかしらね。友里じゃないといけない理由って何だと思う?」


「……はて、そう言われてみれば……なんでわたしのところへ?」


 不思議そうに友里が首を傾げる。それを見た母親は「おや?」と意外そうな顔をしたが、直後にさらりと告げた。


「あら、わからないの? あなたも意外に鈍感なのねぇ。そんなの決まっているじゃない、友里のことが好きだからでしょう?」


 思わず笑い出しそうになるのを母親が必死に我慢する。対して友里の顔は見る見るうちに紅く染まっていった。


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って! やだお母さん! 冗談でしょ、ねぇ!?」


「さぁ、それを私に訊かれてもねぇ。知りたければ彼に直接聞いてみればいいんじゃない? 連絡先は聞いたんでしょ?」

 

「そ、それはそうだけど……でも……えぇぇぇぇぇ!?」



 ◆◆◆◆



 健斗が試合会場へ戻って来た時には、すでに二つ前の試合が始まっていた。不戦敗となるギリギリのタイミングには顧問の教師も注意をしたが、とりあえず間に合ったので健斗も他の部員たちも揃って胸を撫で下ろした。

 その様子を見ていた桜子が、不意に健斗へ耳打ちした。 


「おい健斗、頑張れよ。俺は2階席で見ているからな。さっきのことは後で説明する。とにかく今は試合に集中しろ。いいな?」


「あ、あぁ……」


 今さら聞き間違うはずもない。声は間違いなく桜子のものだが口調はまるで男である。それも粗野で荒っぽく、お世辞にも丁寧なものとは言えなかった。

 一体どうしてしまったのだろう。桜子に限って荒れた口調は聞いたこともなければ、ましてや人を睨みつけるなんて彼女らしくない。


 まさかあれが正体だったりするのだろうか? これまでずっと猫を被っていたとか?

 いや違う。それは違う。それだけは自信を持って言える。

 なのに、どうして――


 正直に言うと、今の健斗は柔道の試合どころではない。あとで説明すると桜子は言ったものの、それが気になって仕方がなかった。

 混乱したように見つめてくる健人。その耳元へ桜子が桜色の唇を寄せて(ささや)く。


「おい、よそ見してる余裕なんてあんのか? いいからお前は試合に集中しろ。さもないとぶち殺すぞ」


「!」


 思わず硬直する健斗と、言葉とは正反対の吸い込まれそうな笑みを見せる桜子。

 天使と言っても過言ではないその顔は、しかし今の健斗には悪魔にしか見えない。しかし事情を知らない周囲の者たちは、その仲睦まじい様子に揃って羨ましそうな顔をする。



 2階席まで戻って来た桜子――秀人は、試合会場を一望できる特等席へどっかりと腰を下ろした。小脇に抱えた大きな弁当箱を横に置き、財布の中から何かを取り出し見つめ始める。

 それは桜子の宝物――桜の花弁(はなびら)をラミネートしたものだ。しばらく見つめた後に胸に当てて大きく息を吸い込んだ。


 それから1分。再び目を開いて周囲を見渡す。今やその顔から鋭い目つきは消え去り、いつもと変わらぬ優しい笑みが浮かんでいた。

 

「鈴木さん、ありがとう。今回はあたしだけじゃなく、健斗まで助けてくれたんだね。あなたには本当に感謝しかないよ」


 桜子が祈るように独り言を呟く。その豊かな胸には、今もなお鮮やかな一枚の桜の花弁が抱かれていた。



 そんなこんなで、男子個人55キロ級の1回戦が始まった。

 初戦の相手は健斗と同じ中学から柔道を始めた中学デビュー組。健斗が恐れているのは小学生から柔道を続けている経験者だけなので、初戦は危なげなく勝利することができた。


 一回戦が終わって控え室に戻って来ると、廊下の向こうにぴょこぴょこ動く金色の頭が見えた。

 健斗に緊張が走る。ついさっき「ぶち殺す」と言われたばかりなのだ。今度は何を言われるのか恐れ慄いた。


「お疲れさま、健斗! まずは初戦突破だね!」


 及び腰の健斗に向かって天使のスマイルが炸裂する。どうやら今の桜子はいつもの彼女らしい。一見したところ笑顔に偽りはさそうだが、いつ何時「ぶち殺す」と言われるかわからない。


「あ、ありがとう……ところでお前……桜子……だよな?」


「あ、あぁ……うん、ごめんね。あたしはあたしだよ。でも、さっきはちょっと怖かったでしょ?」


「いや、大丈夫……だけど」


 実を言うと、先ほどのやり取りは桜子も認識していた。会話自体は聞こえなかったものの、秀人が何かを囁いた途端に健斗の顔が恐怖に染まったのを見ていたのだ。

 あの秀人である。相当に酷いことを言ったであろうことは容易に想像できるが、実際に何と言ったのかはわからない。

 なので健斗に聞いてみた。


「ごめんね。あの……あたし、さっき耳元でなんて言ってた?」

 

「あ、いや、その……も、もういいよ、全然気にしてないから」


 質問には答えずに、健斗が慌てて誤魔化そうとする。そうされると余計に桜子は聞きたくなった。

 返答次第によっては二人の関係に影響するかもしれない。やはりここは是が非でも聞き出しておくべきだろう。


「ごめんね。言いづらいのもわかるけど、それでも教えてほしいの。自分で言ったことなのに、すっかり忘れちゃったものだから。てへっ」


 などと言いながら、桜子は最後に小さく舌を出してウィンクしてみた。

 良く言えば可愛らしい、悪く言えばあざといその仕草に、しかし健斗はすっかり魅了されてしまう。直前まで誤魔化そうとしていたにもかかわらず、頬を赤く染めておずおずと答えた。


「えぇと、試合に集中しないと……」


「しないと?」


「ぶち殺すぞ、って」


「ぶ、ぶ、ぶち殺すぅ!?」


 桜子にとってその言葉は衝撃的すぎた。

 生まれて()(かた)、人に向かって「ぶち殺す」なんて言ったことはない。もちろん思ったこともだ。

 あまりに暴力的かつ汚い言葉を自分が放ったのだと思うと、本気で秀人を問い詰めたくなる。


 なに仕出かしてくれてんのよ、鈴木さん! 


「ごめんね、健斗。さっきの怖いあたしなんだけど……ちょっと事情があって……」


 やはり先ほどの件には何か事情があるらしい。

 ある意味で健斗は安堵していた。万が一にも「実はあれが本当のあたしなの。隠していてごめんね」などと言われた日には、二度と立ち直れない自信があった。

 もはや会話の流れさえ無視して健斗が安堵する。それを彼がショックのあまり呆けたのだと勘違いした桜子は慌てて檄を飛ばした。


「と、とにかく今は試合に集中して! 余計なことは考えちゃだめ!」


 その言葉を信じるしかない。気になることは多々あるが、桜子の言う通り、今は試合だけに集中しようと心に決めた健斗だった。


 その後、健斗は二回戦、三回戦と順調に勝ち進み、現在はベスト8。このまま行けば決勝で剛史と当たることになる。

 2階の観覧席と1階の会場を行ったり来たりしながら懸命に応援する桜子。それを見た健斗は、彼女を怖がらせた剛史を絶対に許さない、絶対に決勝で決着をつけてやると強く誓った。



 昼は桜子の作ってきた弁当を二人で食べた。前回の反省もあり、今回は品数と量を減らして重箱を2段に抑えてきたが、それでも二人で食べるには多すぎる。

 仲睦まじく弁当を食べる二人の姿。それを羨ましそうに眺める川村へ桜子が手招きする。そうして一緒に食べてもらっても、今や健斗はやきもちを焼こうとしなかった。


 色々と尽力してくれたこともあり、今や彼女にとっても川村は可愛い後輩である。ニコニコ笑いながら何かと世話を焼くその姿は、まるで弟の面倒を見る姉のように見えた。


 楽しい昼食もあっという間に終わって午後の試合が始まった。 

 ベスト8以降は健斗にとって未知の世界。今まで対戦したことのない、名の知れた強豪と当たることになる。


 ぶるりと武者震いが襲いかかる。その緊張感は今まで味わったことがないほどのものではあるが、それは決勝で剛史をぶちのめすための通過点でしかない。

 間違ってもここで(つまず)くわけにはいかない。それを理解するが故に健斗は準々決勝も必死に勝ち上がっていく。


 S中学校柔道部が夏の大会でベスト4まで残ったのは、団体、個人を通しても初めての快挙である。当然のように部員達は沸き立っていたが、当の健斗は全く嬉しそうな様子を見せない。


 準決勝は反則勝ちだった。健斗にはまだ上位陣に対して一本勝ちを狙えるほどの技術はない。しかしその分、人一倍の筋力とスタミナを鍛えてきた。

 小柄な体躯からは想像できない膂力と無尽蔵のスタミナ。終始攻められ続けた相手選手は防戦一方となってしまい、指導を3回取られて反則負けとなった。

 

「ついに次は決勝だね! がんばって!」 


「あぁ、ありがとう。頑張るよ」


 限界まで攻めた試合の後である。スタミナには定評のある健斗でさえもさすがに疲労の色が濃い。

 何か鼓舞する方法はないものか。ただ「頑張って」だけでは能がないと思った桜子は、少々の熟慮の末に健斗の耳へ唇を寄せた。


 これは以前にテレビドラマを見ていた時に、ヒロインが恋人にしていたのを思い出したものだった。 

 思いもよらず桜子に顔を近づけられた健斗は、再び「ぶち殺す」と言われるかと思ってビクリと肩を震わせる。けれど彼は(ほの)かに香る甘い香りに絆されて、そのまま大人しくされるに任せた。

 その耳元で桜子が囁く。


「ねぇ健斗。がんばって優勝できたら、ご褒美に一ついいことしてあげる」


 その「いいこと」とは何なのか。実はドラマを最後まで見ていない桜子は知らなかった。しかしその言葉とともに主人公が元気を取り戻していたのは事実であるので、あまり深く考えずに真似したらしい。


「い、いいこと……?」


 その言葉に何を想像したのだろうか。突然顔を真っ赤にしたかと思うと、健斗はそのまま押し黙ってしまう。

 それを見た桜子は、「ドラマでは恋人が元気になったはずなのに……おかしいなぁ」などと呑気に思うばかりだった。



 待ちに待った決勝戦が始まる。

 ヒロインの取り合いを発端とした因縁の対決。健斗も剛史もやる気に溢れ、互いを睨むその瞳には殺気すら垣間見える。

 衆人環視のもと、合法的に喧嘩の決着をつけられるのだから、二人にとってこれ以上は願うべくもなかった。


 純粋に技術面を語るとすれば、健斗の柔道には特筆すべき点はない。とはいえ、階級に収まらない馬鹿力と脅威のスタミナは大いに警戒すべきである。

 

 ならば先手必勝。

 剛史は大きく凌駕する己の技術にものを言わせて短期決戦するつもりだった。


 審判の合図とともに試合が始まる。

 最初は互いに様子を窺っていたが、健斗が先に動いて剛史の襟を取りにいく。迎える剛史は組手を切りつつ袖を取り、そのまま健斗を投げ飛ばした。


 たとえ負けることになろうとも、健斗は真っ先に受け身を取るべきだった。しかし怒り心頭のあまり掴んだ手を離すことができずに、まともに畳へ叩きつけられる。

 受け身を取る間もなく捩じられた健斗の右腕からは、直後に「ゴキッ」と鈍い音が響いたのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 悪いのは剛史なので喧嘩の落とし前を・・ではなく、「」目の前の女性にいきなりあんなことをしたお前は、最低人間だ」と、捨て台詞をかましていれば済んだのかもね。 守るためを優先にしていたため、よく…
[良い点] いいこと、だと? ダメだ。まだキミタチは中学生だ(マテ) [気になる点] 健斗、肩関節が外れたのでしょうね。 よくある『漫画的展開』では、主人公が自分なりの手段で外れた関節を入れ直して何事…
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