第63話 宿泊学習と恋バナ
少し緩い話を挟みます。下品だったらすいません……
6月上旬。
先日の事件以降、秀人が表に出て来ることはなかった。それでも両親は以前にも増して桜子を注視していたが、変わらない平和な日常にその不安も次第に埋没していく。
今月末にはカウンセリングを受けに病院へ行くことになっているため、敢えて桜子には何も言わずに普通の生活を送らせるよう努めた。
そんなある日のこと。学校の授業で宿泊学習に参加した。
学校からバスで3時間ほど走ったところにある自然公園内の宿泊施設で、一泊二日の野外学習を体験する。昼間に野山の散策や動植物の観察などを行い、あまり自然に触れる機会の少ない子供たちにとっては貴重な経験になった。
夕方。生徒たちが班に分かれて夕食を作り始めた。メニューはアウトドア料理の定番であるカレーライス。野菜を切って市販のルーで煮込むだけなのに、『どうしてこうなった』という残念な結果になった班もある中で、桜子の班のカレーは絶品だった。
食事が終わり、料理のみならず洗い物まで手際よく済ませる桜子を眺めながら光がぼやいた。
「あぁーあ。背は高いし顔は可愛いし性格もいいし、そのうえ料理まで上手なんだから、神様の贔屓を感じるよねぇ」
ぼやきを聞いた桜子は、その神様とやらに人生を罰ゲームにされた自分は一体どうすればいいのかと、思わず問い詰めそうになるのだった。
夜は皆で風呂へ入る。3、40人が同時に入れる大浴場を皆楽しみにしていたが、桜子だけが嫌な予感を覚えていた。
昨年のプール授業では、興味津々に向けられる皆の視線に晒されながらの着替えとなった。それも相応に恥ずかしかったが、風呂の場合はそれ以上だろう。
そもそも女が女の裸を見ても面白くもなんともないと思うのだが、なぜか皆は自分の裸を見たがるのだ。解せぬ。
などと、桜子なりに思うところはあったものの、風呂に入らないという選択肢はない。仕方なく光とともに浴場へ向かうとすでに脱衣所は混雑していた。
その中へ紛れ込み、桜子が目立たないようにコソコソと服を脱いでいると、周囲から視線を感じて顔を上げた。
見れば周囲の女子たちが興味津々に見つめていた。それはまさに珍獣を眺めるが如き状況で、思わず桜子の顔が強張る。
昨年の水泳授業に続き、またもや公開脱衣ショーさながらになってしまったわけだが、桜子は羞恥のあまり顔を赤く染め、着替えの手を止めてしまった。
「は、恥ずかしいから、そんなに見つめないでよ。あたしの裸なんて、みんなと変わらないんだから」
恥ずかしそうに桜子が言う。しかし多くの生徒にとって彼女の身体は特別だった。
桜子は細身の身体のわりに大きな胸をしており、そのバランスはまさに神の奇跡と言っていい。そんな彼女を光はもとより、周囲の女子たちが羨望の眼差しで見つめる。
いまさら何を言っても無駄だろう。
半ば諦めの境地に達した桜子は、周囲の目を無視して脱衣を済ませ、タオルで身体の前を隠しながら光とともに浴場へと入って行った。
一方男湯では、健斗が浴槽に浸かっていた。
男湯と女湯の間の壁は高さが3メートルほどしかなく、それより上はつながっている。実際に声や物音は筒抜けだ。
無言のまま湯に浸かる健斗と翔。その横では3人の男子たちが、お約束のように女子風呂を覗こうと壁をよじ登っていた。
全裸でロッククライミングをするシュールな光景を横目に見ながら、翔が健斗に話しかけてくる。
「あいつらもよくやるよな。女湯なんて簡単に覗けるわけねぇのに。まったく、ガキかよ」
「そうだな」
興味無さげに健斗が答える。すると女風呂から聞きなれた声が聞こえてきた。
「光ちゃん、そこ滑るから危ないよ。大丈夫?」
反響しているうえに雑多な物音にかき消されていたが、それは紛れもなく桜子の声だった。
それに覗き男子3人組が反応した。
「なぁ、これって小林の声じゃね?」
「確かに……小林だわ」
「まじか! あいつがいるのか! チャンスだ、さっさとよじ登れ!」
「しいっ! 黙れって! そこに木村がいるんだからよ!」
会話は健斗の耳にも入っていたが、敢えて聞こえないふりをする。
男子の間で桜子の話題が出ると、必ず話を振られて面白くない思いをすることが多い。ほとんどが嫉妬混じり言いがかりのようなものだが、そもそも健斗が原因でもないことを言われても困るだけだ。
ここは無視に限る。
健斗が目をつぶり、無言で湯に浸かっていると、余計に聴覚が研ぎ澄まされて女湯の会話が耳に入ってくる。
「うっわ桜子ちゃん、マジ胸おっきい! 背も高いし、スタイル抜群だよね! いいなぁ、羨ましいなぁ」
「ちょ、ちょっと、そんなに見ないでよ。恥ずかしいから!」
その会話から何を想像したのだろうか。気付くと男子全員が聞き耳を立てていた。気付いていないのは目を閉じている健斗だけである。
「光ちゃんだって十分スタイルいいと思うよ。女の子って感じで可愛いし」
「えぇ……わたしなんて背は低いし、寸胴だし、胸だって小さいし……」
男子たちの想像力が掻き立てられる。まるでモデルのようなメリハリボディの桜子と、ロリな幼児体型の光。
対照的な二人だが、どっちもどっちで甲乙つけがたい。言うなれば、万人向けの桜子とマニア向けの光だろうか。この二人が互いの裸に言及する様を思い描く男どもの妄想は大きく膨らんでいた。
そんな男子どもの煩悩を知ってか知らずか、突如「ザバァ」と大きな湯の音とともに再び会話が聞こえてくる。
「あれ? 小林さん、もうあがるの?」
「うん。なんかもう、のぼせそうで」
「本当だ、顔が赤いよ。それはそうと、真っ白で綺麗な肌してるわねぇ……って、ちょっと待って」
「な、なに……?」
「ふむふむ、なるほど。やっぱりね。思った通り、髪と同じで下の毛も金色なんだ」
どこか感心するような女子の言葉。それに男子たちが凍り付く。同時に頭の中でその光景を想像していた。
肌が白くて胸が大きくて、あそこの毛が金色の桜子の裸体……
「お、お前ら、勝手に想像すんじゃねぇぇぇぇぇ!」
さすがに健斗も男と言うべきか。男子どもの邪な妄想を察した健斗が突然に叫び出した。
「ちくしょう、こいつら全員ぶん殴ってやる!」
そう吐き捨てる健斗の顔が真っ赤に染まっていたのは、決してお湯に浸かっているためだけではないだろう。
風呂から上がってミーティングも終わり、その後は消灯時間となった。
とはいえ、今時の中学生が夜の10時に寝られるわけもなく、そのまま女子会ならぬパジャマパーティーに突入することになる。
教師の見回りも一段落した頃、誰からともなく一か所に集まって女子の雑談が始まった。雑談と言っても年頃の乙女の会話は一つしかない。もちろんそれは「恋バナ」である。
桜子は光と他の女子4名と合わせての6人部屋で、そのうちの2人が彼氏持ちだ。もちろんそれは桜子と光なのだが、他の4人が興味津々で二人の話を聞きたがる。
健斗とは付き合い始めてそれほど経っていないので、桜子的にはそれほど話すことがない。しかし光はそう思っていないようだ。
バレンタインデーでの告白以来、光は吹奏楽部の彼と上手くいっているらしい。もともと同じ部活で苦楽を共にしてきた仲の、すでに関係が出来上がったうえでの告白だった。だからその後もトントン拍子で付き合うようになり、今では超ラブラブらしい。
その光が尋ねてくる。
「ねぇねぇ。桜子ちゃんは木村君と……そのぉ……初めてのキスはどうだった?」
その質問に4人も身を乗り出してくる。1歳からの幼馴染である桜子と健斗は、もはや熟年夫婦なみの信頼関係を築いているはずだ。キスなんてとっくに済ませているに違いない。
その認識を前提にした光の質問は、しかし桜子の顔を真っ赤に染めさせるに十分だった。
「キ、キ、キ、キス!? ま、ま、ま、まだだよ! したことないし!」
盛大に取り乱す桜子に対し、光以外の4人が意外な顔をする。日頃から男子に人気のある桜子は、相応に色恋沙汰には慣れていると思っていたらしい。
しかし学校ではできないプライベートな話をしてみると、意外と桜子は恋愛経験が乏しい初心な女子である事実に驚く。
いくら幼馴染とはいえ、どうしてこれほどの容姿の持ち主が、あの木村健斗と付き合っているのか。常から疑問だった彼女たちだが、その反応に納得する。
数多の男子を蹴散らして、まるでドラマのように健斗が射止めたわけではなく、初心な桜子が安心感を得た相手がたまたま幼馴染だったということなのだろう。
意外な事実に驚きを隠せない友人たち。無理に桜子が話題を変えようとする。
「そ、そういう光ちゃんはどうなの? 彼とは何か進展あったの?」
話題を逸らすための逆質問。それに光が顔を真っ赤に染めて俯いてしまう。
「えぇと、この前ね。部活終わりの帰り際に……チュッてされちゃった……ほっぺに……」
告げる光の顔から火が吹き出そうになる。1人が突っ込みを入れた。
「えーっ、キスって、ほっぺたじゃん。やっぱり口じゃないとキスとは言わないんじゃない?」
耳年増らしい女子がしたり顔で偉そうなことを語り出すと、他の3人が「お前もまずは彼を作ってから語れや」と心の中で突っ込みを入れた。
それを横目に光が桜子へ再び質問した。
「さ、桜子ちゃんはどうなの? 木村君とそんな雰囲気になったことってぜんぜんないの? だってもう10年以上も一緒にいるんでしょう?」
「うーん、そういえばないかなぁ。健斗ってまったくそういう素振りを見せないから。やっぱり男子ってそういうことをしたいものなのかなぁ……」
「そりゃそうでしょ」
「あ、この娘、真剣に悩んでるっぽい」
「男子の頭の中なんてそんなのばっかじゃない? ぜったいエロいことしか考えてないって」
「んだんだ」
盛大に男子たちをディスり始める彼なし女子たち。その発言に桜子が顎に指を当てながら語り出した。
「うーん、時々胸に視線を感じる時はあるんだけど……。やっぱりエッチなことを考えてるのかなぁ」
「えっ? あいつ、小林さんの胸をチラ見するの? 硬派だと思っていたけど意外だった」
「バレてないって思ってるんだろうけど、男子の視線ってわかるよね。あいつら胸ばっか見てくるし」
「絶対エロいこと考えてるって! 男なんてみんな同じだよ!」
「いやぁ、でもさ。小林さんほどの胸なら男子じゃなくても見るでしょ。私だって見るわ」
「それはそう」
「でも小林さんさ。いくら彼氏だからって、簡単に胸を触らせたらダメだよ! 男なんてすぐ調子に乗るんだからさ」
「えぇ!? 触らせるの!? 胸を!?」
「いやいや、違うでしょ。胸を触らせる前に、まずはキスからじゃね? 順番が違うじゃん」
「いいから、お前も早く彼氏作れよ」
「うっさい」
「あ、あの、実はさ、2組の桜井君が気になってるんだけど……」
「マジで!」
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同時刻の男子の部屋。
ここでも男子会ならぬパジャマパーティーが開かれていた。
男子のパジャマパーティーと聞くとやや思うところはあるが、とにかく開催されていた。議題はもちろん女子についてだ。
どのクラスの誰が可愛いだの、胸が大きいだの、エロい体をしてるだの、女子に比べると総じて下品な話題が多い。
案の定と言うべきか、健斗はそんな彼らの格好の標的になっていた。学校のアイドルを独り占めにしたのだから多少の嫉妬が混じるもの仕方がない。とはいえ、あまりの質問攻めに健斗はすっかり嫌気が差していた。
「なぁ木村。小林とはもうどこまで進んだんだ? 教えろよ」
「小林って天然入ってるけど、二人きりの時もやっぱりあんな感じなのか?」
「胸でかいよなぁ。もう触ったか?」
「あそこの毛も金髪だって聞いたけど、本当なのか?」
「……」
「なんか言えよ、木村ぁ」
「教えろよ! 黙ってんじゃねょ!」
「うるせーって! 俺は何も答えないからな!」
「あ、お前! みんなのアイドルを奪っておいてそれはないだろ! お前にはすべてを報告する義務がある!」
「意味わかんねーし!」
「で? もう胸は触ったんだろ? 羨ましいな、このやろう!」
「まだ触ってねーよ!」
「まだって、お前……そろそろ触れそうってことか?」
「うるせぇ!」
バタン!
「お前らうるさいぞ! 今何時だと思ってんだ!? とっくに消灯時間は過ぎてるんだぞ! もう寝ろ!」
「先生! すいませーん!!」
こうして夜は更けていったのだった。
 




