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第62話 桜の花弁

 桜子を心配した健斗が夕方に小林家を訪れたが、桜子には会わせられないと楓子に面会を断られた。桜子は風邪で寝込んでいる。うつすと大変だからと楓子は理由を告げたが、もちろん実際は違う。


 相変わらず下腹部の痛みに呻いていたものの、秀人はいたって元気である。旺盛な食欲でぺろりと夕食を平らげて、食後のデザートをおかわりまでする始末。

 もちろん小林家の者たちは娘が別人であることに気付いていたが、下手に刺激しないよう敢えて平静を装っていた。


 秀人も同様だ。自分の正体については両親の耳にも入っているはずである。しかし彼らが意図的にその話題へ触れてこないので、秀人も殊更その話をしようとしない。

 訊かれれば答える用意はしているが、尋ねられない限りは自分から言うことでもない。結局その日はどちらからも秀人の正体に言及しないまま、気づけば就寝時刻になっていた。



 その日の夜半。再び秀人は夢の中で桜子と相談していた。

 いくら戻り方がわからないと言っても、さすがにずっと秀人のままでいるわけもいかない。日常生活に支障はあるし、なにより桜子が不安になっている。ここは可及的速やかに戻り方を見つけるべきだろう。


 それなら、ということで、桜子へ身体の乗っ取り方を教えてみたところでどうも上手くいかない。そもそも乗っ取り方と言ってもこれといった形のない、言わば概念的なものなので、なかなか言葉で説明するのも難しかった。


 揃って唸り声を上げながら秀人と桜子が考える。すると突然秀人が、二人を繋ぐ何か象徴的なものがないかと尋ねてくる。


「えぇーと……二人の繋がりを象徴するものかぁ……うーん……なんだろう……あっ!」


 何か思い出したのだろう。おもむろに手をポンと叩くと、桜子は勉強机の引き出しの中のピンク色のケースを開けるよう告げた。その中に二人に繋がりのある何かが入っているらしい。

 それが何かと秀人が尋ねてみても、「見ればわかるよ。わからなければ、きっとそれは違う」と桜子は言い張るばかり。

 

 ぱちり、と勢いよく瞳を開けて秀人が目を覚ます。次いで机の引き出しの中のケースを開ける。桜子が告げた通り、そこにはラミネートでパウチされた一枚の『小さな花弁(はなびら)』が入っていた。


「これは……俺が最後に見た……」


 秀人は見覚えがあった。決して忘れられない、病院前に咲き誇る桜並木の記憶。

 そのイメージをしっかり焼き付けると、秀人はもう一度眠りについたのだった。



 

 ピピピ……ピピピ……ピピピ……


 目覚まし時計の音が聞こえる。

 もう朝だ。瞼を持ち上げる。カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。手を伸ばし、時計のスイッチを押してベッドから起き上がる金髪の少女。その顔に優しげな微笑が浮かぶ。


 桜子は自分の身体を取り戻していた。

 どうして成功したのかわからない。しかし桜の花弁が桜子と秀人を結びつけるものとして二人の間に共有されていたのは間違いなかった。

 

 この花弁は桜子の宝物だ。病院で保護された際に強く握りしめていたもので、自身の生い立ちを理解できる年齢になったときに両親から手渡された。だから彼女は、それが前世の自分――秀人に関係すると思ったのだ。 

 詳しいことは不明だけれど、この花弁が二人の関係に何かしらの影響を及ぼしているのは間違いなかった。


 このままもとに戻れなかったらどうしよう。

 不安のあまり泣きそうになっていた桜子だが、とにかく今は心の底から安堵していた。

 もっともこれですべての問題が解決されたわけではない。これからも入れ替わりの練習をすると秀人は言っているので、今後も機会を見て練習はしておくべきだろう。


 そのためにもこの花弁の役割を調べることはもちろんのこと、これからも大切にすべきだと改めて思う桜子だった。


 数日ぶりに自分の身体へ戻った桜子は、下腹部の違和感と重い痛みに気付いた。

 これが大人の女性の痛みなのね。などと感慨深く思っていたその時、ふと頭に違和感を覚える。恐る恐る鏡を覗いてみると、そこに映った自身の姿に思わず悲鳴を上げてしまった。


「いやぁぁぁぁ! なにこれぇぇぇぇぇ!?」


 髪の毛が大変なことになっていた。

 昨夜は秀人が髪を洗ったのだが、シャンプーの後にトリートメントを使わずに、しかも半乾きのまま眠ったらしい。

 盛大に爆発した自身の頭を見た桜子が、その場で卒倒しそうになる。まさに鳥の巣。髪が全方位へ放射状に広がったその姿は、まるで後光を戴いたお釈迦様のようだった。


 娘の悲鳴を聞いた両親が慌てて部屋へ走り込んでくる。直後に絶句し、次いで顔に安堵の表情を浮かべた。

 髪を爆発させ、半泣きになっている情けない桜子の姿。それを見た両親は、眼の前の娘が間違いなくいつもの彼女だと確信する。


 桜子にしてみれば決して笑える状況ではない。にもかかわらず腹の底から笑う両親に向かって思い切り叫んだ。


「もぅー! みんな酷いよ! どうして笑うのー!」


 


 桜子は翌日も学校を休んだ。

 身体の具合はすっかり良くなっていたが、昨日のこともあったので娘の体調を慮った両親が念の為にと学校を休ませた。

 

 恐る恐る昨日のことを尋ねてみると、桜子は秀人のことを知っていると言う。彼は自分が子供の頃から自分の中にいる人物だそうだ。

 もちろんこれは桜子と秀人が事前に打ち合わせていたことだ。秀人の存在を両親に知られた以上、桜子もそれを知っていることにした方が都合がよかった。


 桜子は二重人格の病気を患っている。両親がそう疑っている事実を知っていたので、今はそうすべきだと秀人は言う。

 そのことで両親に心配をかけているのは桜子も理解していたが、自分が病気だと疑われるのはあまり気持ちの良いことではない。桜子は最後まで難色を示したが、秀人に説得されて渋々了承したのだった。


 そもそも前世や秀人の件を正直に両親へ話したところで信じてもらえるとも思えない。今後、秀人に入れ替わった場合でも、病気だということにしておいた方が都合がいいだろう。


 桜子は秀人を知っていた。いや、自覚していたというべきか。それを聞いた両親はますます我が子が不憫に思える。

 自分の中に潜むもう一人の自分。その事実を誰にも言わず、相談せず、一人で抱えていたのだ。せめて自分たちがもっと早くに理解してあげていればと、今更ながらに後悔する。


 浩司も楓子もあと数日は学校を休ませようとしたが、桜子がそれを断った。腹の鈍い痛みは続いていたが、それ以外は特に問題がない。翌日から桜子はいつもの日常へと戻っていったのだった。


 それから秀人はしばらく大人しくしていた。桜子が眠っている間に勝手に入れ替わることもなかったし、夢で会うこともない。

 今回の騒動ではとても困惑したし、両親にも心配をかけてしまった。今後のことを考えてくれる秀人に感謝はしているが、正直な話、しばらくは普通の生活がしたい桜子だった。



 ◆◆◆◆


 

 6月1日。

 今日から制服は夏服に替わり、上半身はブラウスとベストになった。


 桜子の住むS町は北の都市なので、6月とはいえ未だ肌寒い日が続く。

 その日も少し寒い日だった。健斗が朝に迎えに行くと、白いブラウスを着用した桜子が玄関から出てくる。


 桜子は肌の色が白いうえに髪も白に近い金髪(プラチナブロンド)である。それもあったのだろう。朝日を受けたその顔は、瞳の青と唇の赤が映えていた。

 健斗と桜子は1歳の時からの幼馴染なので、その姿は今や見慣れたものとなっている。しかし時折垣間見せる新鮮な姿はいつも健斗を動揺させた。


 ベストを着用していても、桜子の胸の膨らみは以前よりも目立つ。だからというわけでもないのだろうが、健斗も思春期の健康な男子なので、いけないとわかっていてもどうしてもそこへ目が行ってしまう。

 水泳に影響するため、少し胸が小さくならないかと桜子はボヤいていたが、健斗としてはそのままの方がいい。もっとも、バレると軽蔑されるだろうから絶対に口には出せないが。


 そんな邪な思いとともに朝からモヤモヤする健斗へ向けて、何も知らない桜子が近寄ってくる。周りに人がいないのを確認すると、「ちょっと寒いよね」と言いながら健斗の腕に身体を寄せて無邪気に笑いかけた。


 腕に感じる温もりと、柔らかな感触。そして何とも言えないいい匂い。

 そのすべてに動揺しながら、朝から煩悩と戦う健斗だった。

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