第52話 心の叫び
月曜日の放課後。
今日も桜子は元気がない。いつも顔に浮かぶトレードマークの微笑は消え去って、目の下の隈もさらに濃くなっているように見える。
そんな桜子が部活へ行こうと準備していると、突然友里が手を握ってトイレへ連れ込んだ。
「ねぇ桜子、ちゃんと教えて。結局、健斗にチョコは渡せたの?」
問い正された桜子が肩をビクリと震わせて黙り込む。その様子を見ただけで答えは想像できそうなものだが、友里は桜子の口から直接答えを聞かなければ納得できなかった。
「黙ってないで答えてくれない? 聞いてあげるから。ね?」
友里が意図的に口調を和らげて再度聞き返すと、やっと桜子は泣きそうな顔で答えた。
「あたしね……あの日の夕方、部活が少し遅くなってしまったから、慌てて下駄箱の前まで走って行ったんだ……」
そこまで言った桜子は、再び下を向いて黙り込んでしまう。それでも友里は、根気強く続きを促した。
「それで? どうしたの?」
「うん……健斗が帰るのには間に合ったんだけど……でも、知らない女の子と一緒だったんだ……」
「……」
「その子ね、健斗にチョコレートを渡していたの……」
「あいつ……それを受け取ったの?」
「うん。受け取ってた」
桜子が言うには、知らない女子が下駄箱の前で健斗にチョコレートを渡していたらしい。それを受け取った健斗は、桜子を待たずにその子と一緒に帰ってしまったそうだ。
あの馬鹿! 一体何してくれてんのよ!
友里が言葉を選んでいると、桜子が瞳に涙を浮かべ、唇を震わせて話を続けた。
「それと土曜日の夕方なんだけど、健斗がバスから……ううん、やっぱりなんでもない……」
桜子が言いかけて途中でやめようとする。友里はそれを優しく促した。
「全部言いなさいよ、遠慮なんてしなくていいからさ。それで、健斗がどうしたって?」
「ううん。告げ口みたいになるから、やっぱりいい」
「だから気にしなくていいって。ここにはわたし一人しかいないんだし」
「でも……」
「あんたとわたしの仲なんだからさ、いまさら隠すことなんてないでしょ。これまでだって色々と相談し合ってきたじゃん」
「う、うん……」
頑なに口を閉ざそうとする桜子だったが、幼馴染であり、一番の親友でもある友里の言葉に頷くと再び口を開いた。
「わかった、それじゃあ言うね。――土曜日の夕方なんだけど、健斗とその子が一緒にバスから降りてくるところを偶然見ちゃったんだ。なんかね、デートみたいだった」
「えっ……? ちょっと待って。あんた、それって……」
友里の表情が驚きに彩られ、次いで怒りへと変わっていく。
相手は桜子だ。決して大げさに言っているわけではないだろうし、ましてや嘘を吐くはずもない。
ならばここは、健斗に問い質すべきだろう。
今や剣呑となった友里の表情を見た桜子は、このままでは健斗へ突撃すると思ったらしい。突然手を合わせて嘆願した。
「ゆ、友里ちゃん! お願いだから、健斗を問い質したりしないで」
「え? いや、でもさ、それはちゃんと訊いといた方が良いと思うよ。今後のためにもさ。あんたの名前は出さないから」
「や、やめて、友里ちゃん! それはしないで!」
「どうして? はっきりさせないと、気持ち悪いでしょ?」
「だから、それはやめて、お願い……」
「なんで……? あんたはそれでいいの? このままだと、その子に健斗を取られちゃうかもしれないんだよ?」
何気ない友里の言葉。それを聞いた桜子の顔に諦めのような表情が浮かんだ。
「うん……そうなったらそうなったでしょうがないよ。あたしはそれでもいい……健斗がいいなら」
答えを聞いた途端に友里の表情が一変する。
上目遣いに桜子を睨みつける視線には、決して言葉では言い表せられない迫力が滲んでいた。その彼女が、低く唸るようにゆっくりと一言ずつ言葉を口にする。
「……それは、諦めるってこと?」
「う、うん、そうだね。健斗がいいならそれでいいって、あたしは――」
「諦める……諦めるって? ふ、ふ、ふざけないでよ、バカなんじゃないの!」
一切の前触れなく、友里が突然大声で叫び出す。気圧された桜子が思わず後退った。
「ゆ、友里ちゃん……? どうしたの?」
問いには答えず、廊下まで聞こえるほどの大声で友里が叫ぶ。それは心の底から絞り出すような、悲鳴に近いものだった。
「あんたがそんなこと言ってどうすんの!? あの時、わたしがどんな思いで……っ」
言いながら何かを思い出したのか、友里は瞬間ハッとした顔をした。けれどそれも一瞬、すぐにもとの表情に戻った。
「とにかく、あたしは許さない! そんなあんたを許さない! そんな中途半端な気持ちのあんたが許せない!」
「友里……ちゃん? ど、どうしたの……?」
問う桜子の顔を友里がキッと睨みつける。
「そうよ、言うわよ! 言ってやるわよ! わたしは前に健斗に告白したことがあるの! だって健斗のことが好きだったんだもん、しょうがないでしょ! ――それで、あいつがなんて言ったと思う!?」
「えっ……」
「あんたが好きだから、って言ったのよ! 桜子が好きだからわたしの思いには応えられないって! それで……それで……わたしは健斗のに振られたのよ!」
「友里ちゃん……」
「あぁ、もうムカつく! それで、あんたは健斗のことをどう思ってるの!? 好きなんでしょ!? それなら一度でも好きって言ったの!? 一度も言わずに他の子にあげちゃうの!?」
目から溢れる涙を拭おうともせず、ひたすら友里が叫び続ける。その鬼気迫る光景に圧倒された桜子は思わず答えに窮してしまう。けれど友里は、かまわず叫び続けた。
「だいたいさ、あんたが健斗をしっかり捕まえてないからこんなことになるんじゃないの!? 好きなら好きで、人に取られないようにしっかり捕まえておけばいいじゃない!」
「あ、あたしは……」
「あんたはいいかもしれない! だけど、わたしの気持ちはどうなるの!? こんなことになるなら、諦めるんじゃなかった! あんたから健斗を奪ってしまえばよかったじゃない!」
「ゆ、友里ちゃん……」
「ほらっ、あんたも何か言い返しなさいよ! これだけ言われて悔しくないの!? 何か言えってば!」
「あ、あたしは……あたしは……」
「あぁ、もうイライラする! うじうじうじうじしちゃってさ! ほら、聞いてあげるからさっさと言いなさいよ!」
言い淀む桜子の背を押すように、大声で友里が捲し立てる。その態度に初めは戸惑っていた桜子だったが、次第にその顔には決意のような漲ってくる。
そして力の限り叫んだ。
「あたしだって健斗が好き! この気持ちは誰にも負けない! 健斗を誰にも渡したくないもん!」




