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第182話 秀人の真実

「ふむ。では、前世でもお前は第二の人格だったとしたらどうする?」


「……なに?」



 神のその言葉は秀人にとっては思ってもみないものだったので、その意味を即座に理解することが出来なかった。目の前で白い髭を撫でている神の顔を凝視しながら、彼は間抜けな顔で口をポカンと開けてしまう。

 

「なんじゃお前、この答えはそんなに意外だったか? 儂にしてみればお前がその事を知らなかったことの方が驚きなんじゃがのぅ」


「そ、それはどういう意味なんだ? 俺が第二の人格って……それじゃあ、俺は本物の鈴木秀人じゃないということなのか?」


 いつも皮肉そうに片方の口角だけを上げている秀人なのだが、今の彼はそんな癖を見せる余裕も無いほどに混乱して、桜子でさえ初めて見るような真顔を晒している。彼がそんな顔をするとどことなく健斗の面影が垣間見えて、ついさっきまで彼との別れを受け入れられずに泣きじゃくっていた桜子は、また泣きそうになってしまう。



 

「はっきり言えばそうじゃ。お前は本物の鈴木秀人ではなく、言わば実態のない副人格ということじゃな」


「そ、そんな……俺は……鈴木秀人ではない……? そんな馬鹿な……」


「これっ、そのように泣きそうな顔をするでないわ。まったく、お前という奴は……」 


「う、嘘だ!! 俺は鈴木秀人だ!! だって俺は死ぬまでずっと秀人として生きてきたし、前世では母親も姉も妹も俺のことは秀人と呼んでいたぞ!! ……ほら、やっぱり嘘じゃねぇか、おい(じじい)!!」


 秀人の言葉はとても威勢が良く、それだけを聞いていれば彼がかなり強気な態度でいるように聞こえるのだが、実際には眉の下がったその顔は泣きそうになっていた。人は自分にはとても受け入れられない事実を突きつけられると思わず感情的になるという事実が、先程の桜子に続いて秀人もそれを証明していた。



「ふむ…… 嘘と申すか。それならばお前に問おう。もしや、お前にはある日を境にそれ以前の記憶が全く無いのではないか? どうだ、心当たりがあるであろう?」


「なっ!!」


 神のその言葉はまさに図星だった。

 秀人は自分が中学一年生だったある日を境に、それ以前の記憶が全く無かったのだ。彼はそれが過去の自分の虐待の経験が何か関係しているのではないかと薄々気付いてはいたが、それを調べる方法もないまま放置していたのだった。

 しかし神の口ぶりでは、やはりそれが大きく関係しているということなのだろう。


「た、確かに…… 俺には過去の記憶がブツリと切れている……それは本当だ。だが、それがなんだってんだよ、説明しろよ!!」


「ふむ、幸い時間はたっぷりとあるからな。ではお前に真実を教えてやろう。……いいか、泣くなよ?」


「な、泣かねぇよ、このクソ(じじい)!!」





 それは鈴木秀人少年が中学一年生だった頃のお盆の時期で、盆休みのために翌日から父がしばらく家にいることが決まった日だった。彼は翌日から昼夜を問わず行われるであろう父親の虐待に酷い恐怖心を覚えていた。そしてそれを想像しているうちに心が折れてしまい、遂にこの世からいなくなる決意をしたのだ。


 彼は数少ない自分の私物や写真など、自身の痕跡を残す物を小さな箱に詰めるとそのまま庭の栗の木の下に泣きながら埋めた。それから物置から探してきた麻紐をその上の木の枝に掛けると、そこで首を吊ったのだ。


 彼にとっては幸いだったと言うべきか、足元の踏み台を蹴飛ばした瞬間に彼は一切の痛みや恐怖を感じる間も無く瞬時に意識を失った。

 それから五秒も経っただろうか、目を瞑ってぐったりとしたままの彼の手と腕だけが動くと、自分の首を締めていた麻紐を引きちぎったのだ。


 地面に落ちた彼はそのまましばらく倒れていたのだが、やがてゆっくり立ち上がると服に付いた土の汚れを払いながらずっと閉じていた目を開けた。するとそこには、家族の誰も見たことのないような、まるで睨みつけるような鋭い眼差しと、皮肉そうに片方の口角だけを上げた(およ)そそれまでの彼とは思えないような表情を浮かべた少年が立っていたのだった。





「どうじゃ? 思い出したか?」


「……そうだ、俺はあいつに頼まれて秀人本人に成りすましたんだ……」


「ふむ、そうじゃの。本来の秀人の人格は、己の手で首を吊ったあの時に完全に意識の底に潜ってしまったのじゃ。だからお前が秀人の代わりになった、違うか?」

 

「そ、そうだ…… 俺はあいつの代わりになったんだ…… あいつはもう表に出たくないと言って引きこもってしまった……」



 

 秀人の副人格は、彼が父親に折檻をされている時に以前から徐々に表に現れてくるようになっていた。

 秀人はその辛くて苦しい時に副人格に成り代わることによって、痛い思いをしているのは自分では無いと自分で自分に思い込ませようとしていたのだ。そして己の副人格には、厳しい折檻にも耐えられるように自分には無い強い性格を投影するようになっていったのだった。


 本来の秀人は大人しくて優しい性格をしているのだが、副人格はそれとは全く逆だった。

 口が悪くて短気で攻撃的な性格は現在の秀人そのもので、父親の執拗ないじめと折檻にも耐え続けられるように意図的にそうしたのだ。だから秀人がその日を境にまるで人が変わったと家族が思ったのは、実際に人格が変わっていたからだった。


 


「……それじゃあ、本来の秀人は一体どこへ行ってしまったんだ? 俺が死んだ時にはあいつも死んだんだろう?」

 

 自分と本来の秀人との関係を思い出した彼は徐々に状況を理解していったのだが、それでも様々な疑問がその頭の中を渦巻いているようだ。


 自分がトラックに轢かれて死んだ時、もちろん主人格の秀人も死んだのだろう。

 二人で共有していた肉体が滅んだのだからそれは当たり前の話だと思うのだが、神はあの時にその事については一切説明しなかったのだ。

 自分が生まれ変わった時、主人格は一体何処へ行ってしまったのだろうか。



「ん? 秀人の主人格のことが気になるか? 心配するな、やつもちゃんと生まれ変わっておるぞ」


「そ、そうか……」


 秀人の顔に、ホッとしたような、安堵したような微妙な表情が浮んでいる。

 彼も彼なりに秀人本人の事が気になっていたようで、神の口から生まれ変わっていると聞いて安心したようだ。やはりずっと長い間秀人として生きて来たので、本物の彼の行先が気になったのだろう。


 そんな彼を可笑しそうに眺めながら、(おもむろ)に神は口を開いた。


「うむ。そこにいるではないか。ほれ」 


 そう言って神が指さした先には、ポカンと口を開ける桜子の姿があった。


「あ、あたし!?」


「こ、こいつが、秀人!?」



 自分にとっても大変興味深い話だったので、桜子はずっと黙って二人の話を聞いていた。

 すると突然自分を指さした神が、自分が本物の秀人の生まれ変わりだと言っている。確かにその事実は驚くようなものなのかもしれないが、そもそも自分は昔から秀人の生まれ変わりだと言われていたので、今更そう言われてもどういう反応を返せばいいのかわからなかった。


 桜子は首を捻りながら考える。

 やはりここは驚く場面なのだろうか。



「えぇぇぇぇ、そうだったのぉぉぉ!?」


 微妙に棒読みな感じで、桜子は取り敢えず驚いた声を出してみた。


「お、お前……」


「……ず、随分とわざとらしいのぉ…… べつに無理に驚いてくれんでもいいんじゃが……」


 



 結局桜子は秀人の生まれ変わりである事実に違いはなかったのだが、それならばなぜ副人格の秀人は桜子の第二の人格として放り込まれたのだろうか。

 神の話を聞いていても、そこのところは釈然としないものがあったので、尚も秀人は質問を重ねる。


「あぁ、そこの話か。それはお前に行き場所がなかったからじゃよ」


「俺に行き場所がない? どういう意味だ?」


「うむ、そのままの意味じゃよ。お前は意図的に作られた架空の人格であるにもかかわらず、まるで主人格のように生きた時間が長すぎたのじゃ。その長過ぎる時間によって、お前にも魂が生まれてしまってのぉ」


「魂?」


「そうじゃ、お前には魂がある。それはつまり普通の人間と同じということじゃよ。たとえ架空の人格だとしても、それが魂を持ってしまうと次は人間に生まれ変わらせなくてはいけなくてな。しかしその時はお前の魂の受け入れ先が決まらなくての…… 儂も結構頑張ったんじゃが、上司に破棄されて……」


「上司?」


「あ、いや、こっちの話じゃよ。まぁ、そんな訳で、秀人が生み出した人格であるのなら、秀人本人に責任を取ってもらうことになったので、奴の生まれ変わり、つまり桜子の身体に放り込ませてもらったまでじゃ」




 神の説明によれば、主人格の秀人を桜子として生まれ変わらせる時にその希望を訊いたのだが、既に人生を諦めていた彼は何も言わなかったらしい。どうせ来世も(ろく)な目に遭わないと、その場で魂を消滅させてほしいとまで言っていたのだ。

 しかし彼の不憫な前世を考慮するとその場で魂を消滅させる訳にもいかなかったし、生まれ変わらせるにしても何かしらの希望を訊かなければいけなかった神は、代わりに副人格の秀人にその希望を訊いてみたそうだ。

 

 しかしその希望を全部叶えてみると、神が思っていたのとは違う方向に桜子の人生が進み始めたのを見て彼は相当焦ったらしい。



「まぁ、儂は良かれと思って此奴(こやつ)の希望を叶えたのじゃが…… そうそう人の人生に干渉することは許されておらんでな。すまんのぅ、桜子や…… 儂が至らぬばかりにこんな人生を歩ませてしまってのぉ……」


「……もういいよ…… あたしの人生はあたしの責任なんだし…… それに鈴木さんには相当助けてもらったしね……」


 肩を落として寂しそうに口を開く桜子を見ながら、秀人も何処か切なそうな顔をしている。

 桜子が生まれた時からずっと傍にいた秀人は、彼女の事をまるで自分の娘のように思っていたのだ。もしも前世で死んでいなければ現在四十五歳になる彼にとって、桜子は本当に娘のような存在だった。


 


「それはそうと、現在お前たちの処遇について(いささ)か困ったことになっておってな」


 それまで若干沈んだような顔をしていた神は、まるでそれを払拭するかのように話題を変える。つい先程までとは違い、急に真面目な顔になった神は目の前の二人に向かって改まったように口を開いた。



「今回死んだのは桜子一人ということになっておるのじゃが、今ここには二人の魂がおる。今回儂があの世に連れて行けるのは一人だけなのじゃ。さて、どちらがあの世に行きたい?」


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