第169話 肌色とオレンジ色の世界
突然増田の胸に包まれた事に一切構う様子も見せずに、舞は大きな声で泣き始める。
その様子は今までの彼女からは考えられないほどに感情を露にしていて、その姿を見ていると普段の彼女が意図的に作られたものであることが増田には良くわかった。こうして泣きじゃくる舞を見ていると、いくら普段大人びて見えていても所詮はまだ17歳の少女でしかない事がよくわかるのだった。
そんな彼女の様子から、増田は今まで感じた事の無い感情が自分の中に湧いてくるのを自覚して戸惑っていた。初めはその感情が何なのか良くわからなかったのだが、こうして胸の中で泣き続ける舞を見ていると、この感情の正体が朧気ながらが理解できた。
それは恐らく「庇護欲」なのだろう。
普段から飄々としていて、男女に関係なく強気な発言を繰り返す舞に対して庇護欲を掻き立てられるというのもなんだかおかしな話だが、こうして彼女の素の部分を見てしまった今となっては、それは仕方のない事なのだろうと思ったし、普段の彼女とのギャップが余計にそういう気持にさせたのかも知れなかった。
「ほ、ほら、東海林さん、もう泣き止んで。せっかくの綺麗な顔が台無しだろう」
ようやく嗚咽も治まって来た舞の肩を掴んで優しく体を離しながら増田が声をかけると、彼女はおずおずと話し出す。その声にはまだ若干の嗚咽が混じっていて、それを我慢するように口を開く舞の姿は幼い少女のように見えた。
「店長…… 突然ごめんなさい…… ビックリさせてしまったわよね。どうして急に泣き出してしまったのか私にもわからないけれど、とにかくごめんなさい……」
「いや、全然気にしてないから大丈夫だよ。それより謝らなければいけないのは僕の方だ。君とは付き合えないと言われてショックだったろう?」
「ううん、違うの。正直に言うと私も店長と付き合えるだなんて思っていなかったのよ。さっきも言ったけれど、あなたにも立場があるのはわかっているから…… でも本当なの? 本当に私が高校を卒業したら付き合ってくれるの?」
「……いや、その、まぁ…… そうだな。その時にまだ僕を好きでいてくれたらね……」
実のところ先ほどの増田の発言は特に熟慮したうえでの発言ではなかった。
あの言葉は舞の気持ちにどう答えれば良いのかわからなかったうえに、突然涙を流し始めた彼女の姿に狼狽した増田の口から咄嗟に出て来たものでしかなく、特にその発言には深い意味は無かったのだ。
しかし一度その言葉を発してしまった以上、その責任を負わなければならないのは当然の事であったし、その覚悟も既に…… 出来ている訳がなかった。
もっとも当の舞の気持ちが卒業までずっと変わらずにいる保証もないのだし、もしも彼女が高校を卒業する時に心変わりをしていれば、それはそれで構わないとも思っていた。そもそも今回の告白だって舞の若さゆえの迷いである可能性も高いわけだし、この先の卒業までの間に彼女の頭が冷えてくればまた結果も変わって来るのだろう。
「本当に? 今の言葉は絶対に忘れないわよ? それじゃあ卒業するまでの残り一年半は大人しくしているわね」
「そ、そうだね、そうしてくれると嬉しいよ…… プライベートで君と付き合うことは出来ないけれど、ここでは店長として慕ってくれて構わない。それに何か困った事があれば相談に乗ってあげる事も出来るし、プライベートな事でも人生の先達として何かアドバイスできるかもしれないからね」
「店長……ありがとう……」
落ちた化粧のせいで黒い涙の跡を残したまま、舞が嬉しそうに笑っている。
化粧の落ちた彼女の顔は思ったよりも幼げに見えて、増田としては普段の化粧をしている顔よりも今の素顔に近い彼女の方が好みだった。
増田がその事を冗談めかして伝えると舞は頬を赤らめながら俯いてしまい、そんな彼女の姿を眺めていた増田の心には今まで感じた事の無い何か特別な感情が芽生え始めていたのだった。
翌日から舞はスッピンでアルバイトに来るようになった。
彼女は今まで薄く施していた化粧をスッパリとやめて、茶色に染めていた髪の色も次第に元に戻していくつもりのようだ。もちろん普通の女子高生は化粧などはしていないので、それはむしろ彼女が普通になったと言うべきなのだが、そんな舞の顔つきは以前よりも少し幼げに見えて、年齢相応の17歳の少女の姿に戻っていた。
最初のうちは彼女の変化にバイト先の皆も驚いたり訝しんだりしていたが、化粧のせいだけでもないのだろうが、以前の彼女よりも性格の角が取れたような気がして、皆も話しかけやすくなっていた。その証拠に、休憩時間などには以前であれば舞と接点のなかった社員とも談笑する姿も見られるようになったので、それはそれだけ皆の中に溶け込んでいる証拠と言えた。
あの日以降増田と舞の関係は以前よりも親密になりつつあるようで、さすがにプライベートで一緒に行動する事は無いのだが、それでも仕事中のちょっとした空き時間に二人が楽しそうに談笑している姿が多く見られるようになり、他の社員たちに噂されるところになっていたのだった。
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8月中旬。
健斗の柔道部の大会の日。
学校はまだ夏休み中なので、桜子は以前から必ず応援に行くと約束をしていて、健斗もそれをとても楽しみにしていたし、彼女も当日は弁当を作って持って行くと張り切っていた。
しかし今回の大会は健斗にとっては久しぶりの公式戦だったし、そもそも今日の結果如何によっては彼の大学への推薦の話が動き始めるので、是が非でも結果を残したいところだったのだ。
だから恋人が見に来るからと言って鼻の下を伸ばしているどころの話では無いはずなのだが、それでも健斗は嬉しそうにしていて、朝から清楚系巨乳美少女感を全開にしている桜子に早速見惚れているほどだった。
最近わかった事なのだが、実は桜子の身長が少しだけ伸びていた。
最終的に彼女の身長は167センチ弱で止まっていて、さすがにもうこれ以上伸びることは無いと思われる。その身長は一般的な女性としてはやはり長身に分類される高さで、さらにヒールのある靴を履くと簡単に170センチを超えてしまう。だから彼女は健斗と一緒の時には敢えてヒールの低い靴を履くように気を遣っていて、今日もざっくりとした濃い青色のワンピースにスニーカーの組み合わせで応援に駆け付けていた。
健斗の身長も今年に入ってから少し伸びていたのだが、それでも165センチほどで伸びも鈍化していて、これ以上はあまり期待出来そうにはなく、最終的に今とそう変わらない背の高さになりそうだ。
学校では二人の仲睦まじい様子は半ば名物のようになっていて、まさに蚤の夫婦を地で行く姿に何か言う者は誰もいなかった。
桜子の身長は少しだけ伸びていたが、胸の大きさは特に変わっていなかった。
彼女の胸は相変わらず巨乳に分類される大きさで恐らくEカップはあると思われるのだが、彼女の場合は胸郭の骨格が華奢なので実際のサイズ以上にボリュームがあるように見えるのだ。
単純にカップの数字だけを見れば舞の方が胸は大きいのだが、華奢な体格の桜子の方が見た目では大きく見えるらしく、もしも「トップとアンダーの差選手権」なるものを開催した場合、ぶっちぎりで優勝して殿堂入り間違いなしと言われるほどの所謂「細身巨乳」なのだった。
そしてその「細身巨乳」が猛威を振るうのが薄着になる夏の季節で、今日も彼女は健斗の前で無意識、無警戒にユサユサと胸を揺らしていた。
「健斗、久しぶりの試合だね。もちろん優勝目指して頑張ってほしいけど、とにかく怪我だけには気をつけてね。今日は健斗の好きなおかずをいっぱい入れたお弁当も持って来たから、あとで一緒に食べようね」
「お、おぅ。お前のためにも一生懸命頑張るよ」
恋人の相変わらずの可憐な姿に見惚れながら健斗は返事をするのだが、その視線が少々泳いでいることに気付いた桜子は、彼の背中を「パンッ」と叩きながら気合を入れた。
「どうしたの? もしかして緊張しているの?」
桜子の言葉に、まさか「興奮しそうになるから、お前の胸が視界に入らないようにしている」などと言うことも出来ずに、健斗は困っていた。
今日の彼女が着ているワンピースは袖の部分の無い所謂ノースリーブなので、余計に胸の膨らみが目立つのだが、絶対に桜子はそんな事は意識していないだろうし、自分にどう見られているのかも理解していないのだろうと思いながら、それでも健斗はあくまでも紳士的な態度を崩そうとはしなかった。
「い、いや、大丈夫だ。緊張はしていないから……」
「本当に? よければ良く効くおまじないをしてあげようか?」
「おまじない……」
その言葉に健斗の眉がピクリと動く。
それと同時に彼の頭の中には、中学三年生の時の全県大会での一幕が蘇っていた。
あの時は立ち竦む健斗の耳元で桜子が必勝のおまじないを唱えてくれたのだが、肝心なのはそこではなくてその後だった。当時も健斗より背が高かった桜子はおまじないを唱える為に前かがみになったのだが、健斗の目の前には彼女のノースリーブの中身が盛大に丸見えになっていたのだ。
その時に見えた桜子の胸の谷間も可愛らしいピンク色のブラジャーも、ふわりと鼻をくすぐるシャンプーの香りも、全て昨日の事のように鮮明に憶えている。そして未だにその時の記憶が蘇って来ると、健斗は色々と捗る事もあった。
そしていま、彼女はその時と同じおまじないをしてくれようとしているのだ。
その事に気が付いた健斗が思わずブンブンと激しく頭を上下に振っていると、桜子はパッと嬉しそうに顔を輝かせて健斗の両手をとった。
「うん。それじゃあ、必勝のおまじないをかけてあげるね。少しだけ動かないでね」
そう言って桜子は健斗の耳に可愛らしい小さな紅い唇を近づけると、前回同様の言葉を小さく呟く。
「大丈夫、あなたなら勝てる。自分を信じて」
本来であればその言葉で暗示をかけて緊張感を解すのが目的なのだろうが、残念ながら今の健斗にはその言葉はほとんど聞こえていなかった。
自身の耳に吹きかけられる温かい吐息のせいで背筋はゾクゾクしているし、シャンプーと石鹸とほんの少し汗の混じった彼女自身の香りで頭がクラクラとしていた。
そして下を向けば、彼の目の前にはバラ色の世界が広がっていた。
いや、正確に言うならそれは肌色とオレンジ色の世界だった。前回と同じように桜子のワンピースの胸元からその中身が丸見えになっていたのだ。
そこは彼女の豊満な胸の谷間から始まって、それを包み込むオレンジ色の可愛らしいブラジャーと真っ白な胸のコントラストが眩しく映り、少し汗ばんだ柔らかそうな胸の表面が艶めかしく鈍く光っている。
それは彼女の身動ぎに従って妖艶に波打っていて、そこからもふわりと彼女の香りが漂ってくるのだ。
健斗はその光景に目を釘付けにされていて、最早彼女のおまじないなど彼の耳には全く聞こえてはいなかった。
そしてそこまでは前回と同じ流れだったのだが、今回は唯一違うところがあった。
「……健斗? どうしたの? ねぇ、健斗ってば…… あっ!!」
耳元でおまじないを唱えていると、急に健斗が下を向いて黙り込んでしまった事に気付いた桜子は、最初は彼が目を瞑って精神統一をしているのだと思い込んでいた。しかし徐々に鼻息が荒くなってくる健斗の様子を不審に思って下を向くと、そこには自分の胸元をガン見している恋人の姿があった。
「けけけ、け、健斗、な、なにしてるの!!」
驚きのあまりそのままの姿勢で固まってしまった桜子だったが、それでも健斗は彼女の服の中をガン見し続けていて、桜子が既に気付いている事さえわかっていなかった。
慌てた桜子が少々強引に胸元を両腕で抱え込むように隠すと、やっと健斗は我に返っていた。
「あっ……」
「けけけ、け、健斗、みみ、み、見たでしょ? あ、あたしのおっぱい見たでしょ!?」
「……み、見た……」
桜子が胸を抱え込むように隠しながら健斗を問い詰めると、意外にも彼は素直にそれを認めた。そしてその顔には少しの罪悪感と大きな満足感が溢れていて、そんな顔を見ていると桜子にはそれ以上何も言えなくなってしまったのだ。
もともと桜子の精神疾患のせいで健斗にはずっとお預けをしていたし、それに胸を見られたと言っても大事な先っぽまで見られた訳でもないので、多少の事には目を瞑ってあげてもいいかと思い始めていた。
確かにとても恥ずかしかったのは事実だし、故意にガン見した健斗には少々思うところもあるのだが、彼に胸を見られても特に嫌な気持ちにもならなかったので、このくらいは試合前の健斗にはサービスの範囲なのかと無理やり自分を納得させる桜子であった。
そんな二人の様子を少し離れた所から見ている二人がいた。
それは松原剛史と佐野琴音のカップルで、すでに付き合い始めて二年も経っている二人は既にもう熟年カップルのような様相だ。健斗たちの様子を遠くから眺めながら、剛史は呆れたような声を出している。
「……あの二人は一体何をしているんだ…… これから大事な試合が始まると言うのに、何を乳繰り合っている…… 大した余裕だな」
「そうね。こんな時に彼女の胸を覗き込んで、一体何をしているのやら…… って、どさくさに紛れてあんたも何をしているのよ?」
そう言いながら琴音がキッと鋭い視線を向けると、どうやら健斗に触発されたらしい剛史は、隣の琴音の胸元を指で引っ張ると洋服の中を覗き込み始める。そしてあまつさえ中に手を入れようとさえしていた。
「いや、これから大事な試合が始まるからな。お前の乳を揉めば少しは落ち着くかと思って…… あぁ、それにしても相変わらず揉みごたえのない……」
「ななな、な、なんですってぇーーー!! こ、このセクハラ魔人がぁ!!」
バゴンッ!!
試合前の柔道場に、琴音の渾身の右ストレートの音が響き渡った。




