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第166話 彼女の無意識のサイン

「あの…… 家の中と外で性格が変わる人っているんでしょうか?」



 桜子は先日の増田との会話の中で家の中と外での舞の性格の変化について聞かれたのだが、彼女も舞が自宅にいるときの様子をそれほど見たわけで無かったのであまり有用な答えを返すことが出来なかった。それでも団地の前の公園や近所のスーパーで幼い弟たちと一緒にいるところを見かけたこともあったので、自宅での舞の様子は何となく想像できるのだ。


 その時の彼女は髪の毛を雑に束ねて普段はかけていない眼鏡と着古したスウェットを着用し、化粧も落としたスッピンの状態だった。それは凛と澄ました普段の彼女からは想像もできない姿だったし、注意してよく見なければそれが舞だとは気が付かなかったかも知れない。

 それでも彼女の美しさは微塵も損なわれてはいなかったし、むしろその方が年齢相応の愛らしさが顔に出ていて親しみやすい印象を受けたほどだった。


 スーパーでの舞はその格好で幼い弟妹を連れて楽しそうに買い物をしていて、弟たちと話す彼女の顔には普段では見られないような満面の笑みが浮かんでいた。それは本当に心の底から湧いてくるような素直な表情に見えたのだ。


 普段の舞は顔にクールに澄ました微笑を湛えて滅多に感情を表に出す事は無いし、会話の受け答えも常に淡々としている。そしてまるで人を見透かすような独特の眼差しと、相手の本心を見抜くような話し方はどこか近寄り難い空気を醸していて、何を考えているのかわからない不思議な雰囲気を身に纏っているのだ。


 特に最近の彼女にそれはとても顕著で、ファミレスで一緒に働き始めた時には桜子もその変化に驚いたものだった。確かに以前から若干そういった部分はあったのだが、桜子の記憶では中学までの舞は今ほど極端に性格が変わる事は無かった筈だ。

 それがこの一年の間に彼女に何があったのかは知らないが、心を許していない相手には徹底的に本心は見せないし、いつもクールに浮かべた微笑で上辺だけの会話をしているように桜子には見えた。

 

 中学一年の時からの友人である桜子は彼女の為人(ひととなり)は把握しているし、お互いに本音で話をできる間柄でもあるので今更何とも思わないのだが、舞の事を良く知らない人間にとっては彼女の事は少々付き合い難いと思うのかも知れない。

 もっとも最近の彼女は滅多に他人に心を許さないので、大抵の人間は舞と親しくなる前に彼女との付き合いを諦めてしまうようなのだが。

 

 そんな舞が家の中と外で大きく性格が異なる理由を桜子も昔から不思議に思っていたのも確かだし、前に一度本人に訊いてみた時も「べつにそんな事は無いと思うけど」とサラッと流されてからは、敢えてその話はしなくなった。

 それで先日増田の質問を切っ掛けに桜子の中の疑問が再燃したので、精神科医の浅野であれば何かしらの回答を貰えるのではないかと思って今回質問してみたのだった。

 



 桜子が遠慮がちに問いかけると、浅野は不思議そうな顔をしながらクルリと椅子を回転させて正面から彼女を見つめる。


「家の中と外で性格が変わる? あぁ、普通によくある事だと思うけど。私だってここではキビキビ仕事してるつもりだけど、家に帰るとゴロゴロと怠け者になって奥さんによく叱られているよ」


 浅野が冗談めかして答えると、桜子は申し訳なさそうに彼の言葉を否定した。

 

「えぇと、そういう事ではなくて…… あたしもそうですけど、誰だって家にいる時と外では多少の違いはあると思いますが、それをもっと極端にしたと言うか、全然別の性格になるというか…… 上手く言えなくてごめんなさい」


「……まぁ、人は誰しも外では猫をかぶっていたり、取り繕っている事はあると思うけど…… もしかして君の鈴木さんの人格の事で何か気になることでもあるのかい?」


「いえ、そうではなくて…… 私の事ではないんですけど、先生に聞けば何かわかるかもと思って……」


 なにやら歯切れの悪い桜子の顔を怪訝な顔で浅野が見つめている。

 このままでは自分が二重人格の病気の件で悩んでいると思われそうだと思った桜子は、仕方なく本当のことを話すことにした。もちろん舞の名前など個人を特定できる情報は全て伏せたうえでの話ではあったのだが。




「実はあたしの友人で少し気になる人がいて……」


 桜子が舞の普段の状態や人によって態度が変わる事、家庭の環境など浅野の検討材料になりそうな情報を話していると、その横で楓子も興味深そうにその話に耳を傾けている。

 それをしばらく頷いたりメモを取りながら真剣に聞いていた浅野は、少しの間天井を見上げながら考えた後に(おもむろ)に口を開いた。  


「そうですか…… 可哀想に、それは相当ストレスを抱えているんだと思うな。話を聞く限りではまだカウンセリングを受けるほどではないと思うけど、このままの状態がこの先も続くのであれば、いずれどこかで破綻するんじゃないかな」


「破綻……ですか?」


「そう、破綻だよ。つまり精神が疲弊し過ぎて壊れてしまう事だね。例えば鬱病とか。きっとその友人は頑張り過ぎているんだと思う」


「……そうですね。あたしも彼女は頑張り屋さんなんだと思います」 


「例えば、家の中では怠け者だけど外では頑張ってるのであれば問題はないんだよ。それは自分の家の中では安らげている証拠だからね。私のように。ははは」


 浅野の言葉に、桜子は家での舞の様子を想像していた。

 もっとも舞の家にはあがったことが無いので詳しくはわからないが、公園で弟妹と一緒に遊んでいる時の彼女はとても楽しそうにしているし、学校やアルバイト先では絶対に見せないような屈託のない笑顔を見せていた。

 その様子を見ていると舞にとっては家族と一緒にいる時が一番の安らぎの時間なのだと思ったし、あの笑顔は上辺だけのものには到底見えなかった。


「君の友人に会った事がないからわからないけれど、家の外での彼女は意図的に作っているんだろうと思うね。きっと彼女は人に弱みを見せたくないんだと思うな」


「弱み……ですか?」


「そう、弱みだよ。一つ訊くけど、その友人はもしかしてとても恵まれた容姿をしていないかい?」  


「あぁ、そうですね。彼女はとても美人です。顔はとても綺麗だし背も高くてモデルみたいですね」


 浅野に舞の容姿の事は説明していなかったはずなのに、どうしてそこを言い当てて来たのか不思議だったし、それがこの話にどう関係あるのかもわからなかった。

 桜子が不思議そうな顔をしていると、浅野がその顔を覗き込むようにしながら真剣な顔をしている。



「やっぱりね…… 例えばそんなに綺麗な女性が男性に弱みを見せたらどうなると思う?」


「……きっと男の人に隙を突かれたりするかもしれないですね」


「まぁそうだろうね。それだけ綺麗な子ならいつも男に狙われているだろうし。君にもその気持ちはわかるんじゃないのかい?」


 浅野が小さなため息を吐きながら、気の毒そうな顔で桜子を見ている。

 思えば桜子が浅野のカウンセリングを受けるようになったのも彼女の類稀な美しい容姿が原因だったし、彼女も最近では自分が周りの男性にどう見られているのかは十分に理解していた。


「そうですね…… 結局あたしも男の人に隙を見せたばかりにこんな事になったんだし…… 彼女の気持ちはあたしにも良くわかります」


「ごめんね、思い出させてしまって…… それと、その友人なんだけど、もしかして少しきつい性格をしてないかい?」


「凄いです、どうしてそんな事がわかるんですか? 先生は千里眼ですか?」


 浅野の推測に桜子が素直に驚いていると、少しだけ得意そうな顔をしながら浅野が話を続ける。


「それはね、彼女が女性に対しても同じ態度をとっているからだよ。普通であれば女性と男性に対して態度が変わるのが一般的なんだけど、同性に対しても態度が変わらないというのはちょっと深刻かもしれないね。それは彼女が女性に対しても気を許していない証拠だからね」


「女性にも、ですか?」


「そうだね。彼女は同性が羨むほどにとても美しい容姿をしているうえに、女性に対しても少々強気な発言をするでしょ? だから同性にも隙を見せられないと思っているんだよ。隙を見せた途端に付け込まれるからね」


「付け込まれるって…… なんか怖いですね…… でもあたしのバイト先にはそんなに悪い人はいないと思いますけど……」


 不安そうな桜子の顔を見つめながら、浅野はまた小さなため息を吐いた。


「さぁ、それはわからないけどね。男性の私から見ていると、女性社会は中々にハードな部分もあるようだし。うちの看護師たちの中にも…… ごほんっ、あぁ、なんでもないよ」


 後ろに立っている担当の看護師の顔を何気に気にしながら、浅野が自身の言葉を誤魔化すようにわざとらしく咳払いをしていると、なにか物言いたげな顔で彼を見つめていた看護師が横から口を開く。


「確かに同僚の中にそんな綺麗な人がいたら、同性からはそれなりに嫉妬されるでしょうね。その人が好意的な性格であればそれで終わる話なんでしょうけれど、もしも性格が悪かったり敵対的だったりすれば仲間はずれにしようとするかもしれません。全てがそうとは言いませんが、そのへんは男性社会とは少し違うところなんでしょうね」




 看護師の言葉は桜子にもよく理解できた。

 桜子が中学一年生の時に上級生から虐めを受けたのも、(もと)を正せば彼女の美しい容姿が原因で、特に桜子が何かをした訳では無かった。結局は桜子の容姿に対する嫉妬と彼女の存在に上級生が恐れを抱いたのが原因だったと聞いていたし、そこに彼女の過失は毛ほども無かったのだ。

 それでもその時に桜子が十分に危機感を持ってさえいればあのような事は起こらなかったかも知れないし、事件が起きてしまったという事はそこに彼女の隙があったという事なのだろう。


 思わず額の傷跡を触りながらそんな事を考えていた桜子は尚も質問を続ける。


「このままでは彼女は病気になってしまうかも知れないとさっき言いましたけど、それでは先生はどうしたらいいと思いますか?」


 桜子の言葉に浅野はまたも天井を見上げながら何かを考えている。

 そのまま彼は顎の無精ひげを撫でながら暫く思索に耽っているようだったが、ゆっくりと顔を正面に向けると再度口を開いた。


「そうだなぁ、ちょっと思い出してみてほしいんだけど、最近彼女が誰かを頼ろうとする様子は見られないかい? 彼女から誰かに近付こうとしたり、人を好きになったりとか」


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