第163話 ダブルマウンテンパフェ
「お前、今年の夏の大会で優勝しろ。それが推薦の条件だ」
木下の予想外の言葉に、健斗は目を見開いていた。
今は大学の推薦の話をしているところなのに、どうして柔道部の大会の話が出てくるのかが健斗にはわからなかったし、そこでいきなり優勝しろとはまた無茶な話だったのだ。
「せ、先生、どうしてそれが関係あるんですか……?」
まるで訳がわからないといった様子で木下の顔を覗き込んでいる健斗の顔を見つめながら、尚も彼は言い募る。
「お前、他の学校からの推薦者と学力で競うつもりなのか? 仮にも体育大学に推薦を受けようと思うのなら、部活動での実績が必要だとは思わないのか?」
木下の説明を聞いた健斗の顔に理解の色が広がった。
確かに彼の言う通り、体育大学に推薦入学を目指すのであれば、体育会系の部活での一定以上の実績は必要になるのだろう。そうでなければ、同じように推薦を受けている他校の生徒とどこで差をつければ良いのだろうか。
「推薦と言ってももちろん学力試験もある。しかし、そこに辿り着くためにはまず一次の書類審査を受からなければならんのだ。そこではやはり部活動での実績、活動内容などを見られるんだぞ」
「あぁ、なるほど……」
「一次を合格するとやっと次に学力試験になるんだが、それは満点が取れて当たり前のレベルでしかない。あとは面接と小論文もあるんだが、やはり他と差を付けられるとすれば部活動での実績などだろうな」
推薦入試にも色々な種類があるが、健斗のレベルではスポーツ推薦を受けられる程のレベルではないので、あとは一般推薦や指定校推薦を受けるしかない。そこでは一次の書類審査で部活動での実績を見られることになるので、やはりそこを突破するには柔道の大会での実績が必要になるのだろう。
そこまで考えの及んだ健斗は、木下の言わんとしている事を理解すると思わず表情を引き締めた。
しかし去年の一年間で健斗が出場できた公式な試合は11月に行われた新人戦のみだったし、その結果もまさかの三回戦負けという結果でしかなかったのだ。
負けた相手が偶々強い相手だったというのもあるのだが、それにしても高校に入学してからの彼の公式戦での成績には全く見るべきところはなく、このままでは推薦なんて夢のまた夢になってしまいそうだった。
そこに来て先ほどの木下の言葉だ。
そもそも夏の大会で優勝するという事は、そのまま全国大会に出場するという事だ。剛史ですら去年の新人戦で地区大会の準優勝でしかなかったのに、彼よりも数段劣る自分がそこで優勝なんてできるとはとても思えなかった。
それでも健斗にしてみれば、勉強と柔道のどちらを頑張るかと言われればそれはもちろん柔道しかない訳で、そのためにはとにかく夏の大会までは死に物狂いで練習に打ち込むしかないと覚悟を決めたのだった。
初めは単純に体育大学の推薦についての説明をするつもりだけの木下だったのだが、図らずも自分の言葉を切っ掛けに本気でI体育大学への進学を考え始めたらしい健斗の様子を眺めながら、木下は久しぶりに大学の恩師に会いに行こうかと思っていたのだった。
----
6月下旬。
ここS町は日本の中でも北に位置する冷涼な気候の為に所謂「梅雨」というものは無く、ここ最近は連日天気も恵まれて早くも初夏の様相を呈している。しかしS町駅前にあるファミレス「アンアン・ミラーズ S町駅前店」で働くスタッフにはそんな事など関係なく、日々忙しい毎日を過ごしていた。
ここで働き出して既に2ヵ月が経過した桜子は、今ではもうすっかり仕事にも慣れて社員の指示や指導が無くても一人で判断して動き回っていたし、今ではサラダやパフェなどのサイドメニュー全般を任せられるようになっていた。
「おぅ桜子ちゃん、ハンバーグあがったよ!!」
「パスタ2皿出来上がり、お願い!!」
「はいっ」
調理師から次々に出来上がってくる料理にサラダを付け合わせたり、スープを注ぎながらホール担当に中継してしていく桜子のテキパキとした姿を店長の増田が満足そうな顔で眺めている。
初めて桜子がバイトの面接に来た時にはとにかくその外見に驚かされたし、その紛れもない白人美少女が流暢な日本語を話している事にとても違和感を覚えたものだった。
その時の彼女はとにかく見た事がないほどの美少女だったし、その話し方も仕草も、そしていつも顔に浮かべている微笑も、全てが「ゆるふわ」なイメージだった。そんな「緩い」彼女が、繁忙時間帯はまさに戦場とも言えるファミレスの調理補助の仕事が務まるのか本気で心配したものだった。
しかし増田の心配をよそに、桜子は仕事の覚えも早くてフットワークも軽く、気付けばとてもテキパキと仕事をこなしていた。
普段の彼女はのんびりとした話し方と優しくて優雅な所作が特徴なのだが、仕事中の彼女が普段とはまるで別人のようにきびきびと動いているのを見ていると、どうやら彼女はオンとオフがはっきりと切り替わるタイプの人間のようだった。
そしてそのタイプの人間には仕事ができる者が多いのをこれまでの経験で知っていた増田は、かなり早い段階で彼女自身の判断で動くように指示するようになっていた。
「舞ちゃん、これ13番テーブルお願いします」
「了解よ。はい、これ次のオーダー」
「はい!! 大判ステーキ、オーダー入りますっ!!」
もともとが友人同士という事もあり、申し合わせていなくてもこの二人の息はぴったりと合っていて、既に彼女達の仕事ぶりには増田の口から何も言う必要は無かった。
しかし桜子同様にきびきびと動き回る舞の姿を見る度に、今でも増田の心の中には何かモヤモヤとした物が広がってくるのだ。
前回の事務室での衝撃的な告白から2ヵ月近く経った現在では彼女から特に何か言ってくることもなく、かと言って増田からも敢えて何か言う事も無かったので、あの日以来お互いにあの話題には触れないまま時間だけが過ぎていた。
あの時の舞の言葉はきっと若い娘の気まぐれだったのだろうと、増田はホッとしつつもどこか寂しく思いながら何気なく彼女の姿を眺めていると、偶然舞と目が合ってしまう。
最近では舞と目が合っても特にリアクションを返してくることもなかったので、いつものように増田はさり気なく微笑んで小さく頷いてたのだが、今日の舞の反応はいつもと少し違っていた。
増田の視線に気付いた舞がニヤリと意味有り気な笑みを零したかと思うと、なんと増田に向けてバチっとウィンクして来るではないか。その顔を見た瞬間、増田は彼女の気持ちがまだ何も変わっていない事を確信したのだった。
その日のディナータイムは普段よりも混み合っていて、バックヤードと厨房の戦場さながらの忙しさは普段の2割増しといったところだった。
そんな中、オーダーされた特大パフェを作り終わった桜子がホール係に声をかける。
「パフェあがりました!! 22番テーブルです!!」
しかし彼女の声に応えるものは誰もおらず、引き渡し用のカウンターを見ても誰もいなかった。不審に思った桜子がチラリと店舗の中を覗いてみると、どうやら何かトラブルが発生しているようで、店長の増田とウェイトレスの一人が客対応をしているところだった。
他のウェイトレスやホール担当の者もちょうど全員出払っていて、すぐにこちらへ戻って来る気配は無さそうだったので、桜子が厨房のチャラ男に声をかける。
「ホール担当が全員出払っていてパフェがお持ちできません。どうしますか?」
出来上がったパフェは表面が溶け始める前にすぐに客に提供する事が決められているのだが、このままではすぐに溶けて客に出すことが出来なくなってしまう。だから彼女は厨房の社員に指示を求めたのだが、その言葉にチャラ男先輩は調理中の鍋から視線を外すことなく一言指示を出した。
「桜子ちゃん、君が持って行きな」
「は、はい!? わ、わかりました!!」
社員の指示を聞いた桜子は一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐにその指示にしたがって動き始める。
これは現在の状況を考えた結果のチャラ男の咄嗟の判断だったのだが、確かに今はそれ以外に方法は無いと思われたし、もしも彼子が彼だったとしても同じ指示を出しただろう。
瞬時に彼の指示を理解した桜子は、制服に汚れが無い事を素早く確認すると、自身の手にパフェが乗ったトレーを持って店舗内へと歩いて行った。
いまの桜子の服装は、上半身が白いコックシャツに下半身は黒のスラックスを着て、腰から下に茶色のエプロンを着用している。そして頭は金色の長い髪を後頭部で纏めた上から茶色のキャスケット帽を被っている。
その姿で客の前に出てもそれほど違和感もなかったし、誰もそれをおかしいとは思わないだろう。
それでも初めて客前に姿を現す事に若干ドキドキしながら桜子が歩いて行くと、通り過ぎた通路に沿った客の全員がその姿を凝視していて、さらに22番テーブルに着いた時にはそこの客は驚きのあまり口をポカンと開けていた。
「お待たせいたしました。ご注文のダブルマウンテンパフェでございます。ごゆっくりどうぞ」
満面の営業スマイルを顔に浮かべながら桜子がペコっとお辞儀をすると、その客は届いたパフェでは無く桜子の姿に目が釘付けになっていた。
いま彼女が着用している調理用の制服にはお洒落だとか可愛いらしいといった要素は微塵も無く地味そのものなのだが、それでも滲み出る桜子の美しさ、可愛らしさを隠しおおせるものでは全く無かった。
頭にキャスケット帽を被っているので彼女の特徴的な白に近い金色の髪は殆ど見る事は出来なかったが、その分余計に真っ白な肌と透き通るような青い瞳、薄く紅を引いたような小さくて可愛らしい唇のコントラストが強調されていて、むしろ髪の毛に惑わされずに素の桜子の顔の造形がよくわかると言っても過言では無かったのだ。
綺麗な卵型の顔の輪郭にまるで奇跡のように完璧なバランスで配置された目鼻立ちはまさに美少女としか言いようが無く、少しタレ目がちな大きな青い瞳が絶妙にあどけなさを演出している。
そして顔が小さくスラっと背の高いスタイルもまさに日本人離れしていて、彼女がまるでモデルのような体型をしている事がよくわかる。
何よりも白いコックシャツを豪快に押し上げている彼女の大きな胸の膨らみは、少々ゆったりとしたシャツでも隠しおおせるものでは無く、見る者全ての視線を集めていると言っても過言ではなかった。運んできたパフェの名前ではないが、そこにもまさに「ダブルマウンテン」が存在していた。
桜子にパフェを渡された客が、彼女の顔と胸の間で忙しく視線を動かしている様子をバックヤードの片隅から窺っていたチャラ男先輩は、顔にニヤニヤと何やらあまり質の良くない笑いを浮かべてながら客席から戻って来た桜子に話しかけて来る。
「おう、桜子ちゃん、無事にパフェを届けられたようだな。あのお客さんも桜子ちゃんに運んでもらって喜んでたぞ」
「……まぁ、忙しくて人手が無い時はしょうがないですよ」
チャラ男先輩のニヤニヤ笑いに桜子がジトっとした目で見返している。この男はさっきの状況を楽しんでいたに違いない。
「まぁな。それじゃあ今日は練習を兼ねて『ダブルマウンテンパフェ』のオーダーが入った時だけ君が届けてみるかい?」
「えっ……」
その日から「アンアン・ミラーズ S町駅前店」で「ダブルマウンテンパフェ」を注文した時だけ、金髪碧眼超絶巨乳美少女に会うことができるという噂が流れたのだった。




