表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

155/184

第155話 思い出の品と祖母の述懐

 突然かかって来た電話に慌てて幸が出ると、それは昌枝が入所する介護施設からだった。

 電話口での母親の会話を聞いていた健斗には、すぐにそれがどこからかかって来たのかわかったのだが、次第に変わっていく幸の言葉と口振りに、彼は尋常では無いものを感じていた。


「あっ、はい、申し訳ありません。今すぐに伺いますので、もう少し…… はい、すいません……」


 母親が電話の向こうの見えない相手に向かって必死に頭を下げている様子から、健斗にはその話の大凡(おおよそ)の内容が理解できた。そして顔色を悪くしながら受話器を置いた幸に声をかけた。



「もしかしてばあちゃんの施設から? また暴れているのか?」


「ふぅ…… そうなのよ、また暴れ始めたらしくて、今は職員さんが総出で押さえつけているんだって。すぐに行かなくちゃ」


 ソファに座って二人の顔を交互に見ている桜子に、幸は視線を向ける。


「ごめんね、そういう訳だから私と健斗はおばあちゃんの施設に行かなくちゃいけなくなったから……」


 幸の言葉を聞いた桜子は、何かを決心したような顔をしながら答えた。


「あのっ、あたしも一緒に行っていいですか? あたしもおばあちゃんに会いたいの」


 突然の桜子の申し出に幸は一瞬迷うような表情をしていたが、なにか考えがあるのか、彼女に向かって了承の意思を示した。


「いいわよ、一緒に来ても。それじゃあすぐに用意をして。もう出なくちゃ」


「これ、持って行くんでしょう? そのために探し出したんだから」


 桜子がテーブルの上に並べられた秀人の写真や人形を指差した。

 確かに昌枝がこれを探すために暴れているのだろうし、その問題を解決する為にせっかく秀人が教えてくれたのだ。だから当然持って行くべきだろうし、そうでなければ何のために土の下から掘り出したのかわからない。


 それでもこの中には昌枝が探している物が無いかも知れないし、これで問題が解決できないかもしれない。だけどきっと大丈夫だと、桜子には根拠の無い確信のようなものがあったのだ。

 




 昌枝が入所する養護施設に桜子たちが到着すると、すでに昌枝は落ち着きを取り戻した後だった。そして到着するや否や、幸は介護士から事務室に寄ってほしいと頼まれた。

 何やら嫌な予感を携えながら彼女が事務室で話を聞いていると、予想した通り昌枝の今後の相談だった。


「大変申し訳ないのですが、我々もそろそろ昌枝さんの介護が限界に来ています。とりあえずこれ以上暴れるような事があれば、他の入所者にも影響があるばかりでなく介護士にも怪我人が出てしまいそうなんですよ」


「……申し訳ありません、母には私からよく言って聞かせますので、もう少し……」


 申し訳なさそうに目を伏せながら答える幸の言葉を最後まで聞く間も無く、事務員は言葉を挟む。


「いえ、もう既に言って聞かせられる状態ではないでしょう。そろそろ別の施設を探された方が良くはありませんか? 正直もう我々も限界なんです」


 事務員の言葉に幸の肩が落ちる。

 前回母が暴れた時も「次はもう無理ですよ」と言われていたので、もうそろそろその言葉が出て来るのではないかと予想していたのだ。

 それに実際に昌枝が暴れている現場を目撃した事もあったが、この先もあれが続くようであれば本当に介護士が怪我をしてしまうかもしれない。


「すいません。とりあえず今日は問題を解決できるかも知れない物を持ってきましたので、もう少し時間を頂けませんか?」


「……わかりました。もし次に暴れた時には本当に別の施設を探していただく事になりますが、それで宜しいですね?」




 幸が俯きながら肩を落として昌枝の個室に入って行くと、そこでは桜子と健斗が祖母を相手にお喋りをしているところで、その様子は傍から見ると普通に祖母と孫が楽しそうに会話をしているようにしか見えなかった。しかし昌枝が健斗の事を秀人と呼んでいるところを見ると、あぁやはりそうなのだなと思ってしまう。

 それでも楽しそうに話をしている昌枝に向かって幸が声をかけた。


「母さん、私よ、わかる?」


「あぁ、幸かい、そりゃあわかるよ、わたしの娘だからねぇ」


 その言葉に幸の胸がキュッと締め付けられる。

 母親は自分の事はわかっているのに、健斗の事を秀人だと思っているのだ。それだけ息子の顔を忘れてしまっているという事なのだろうか。

 そんな思いに少し切なくなってしまう幸だったが、それから少し母親の頭を解すように日常の会話をしながら次第に話を核心へと近づけていく。




「それで探し物は見つかったの? 探し物ってなんだっけ?」


「……あぁ、なんだったかねぇ…… 何かを探していたような気もするんだけど、どうも最近は忘れっぽくてねぇ」


「母さん、探し物ってあれじゃない? 秀人の写真なんじゃない? この前言っていたでしょう?」


 幸の言葉に昌枝の眉がキュッと上がる。


「……あぁ、そうだそうだ、秀人の写真だ。わたしはそれを探していたんだよ。ほれ、すぐに家に帰らなくちゃいけないよ。写真を探さなくちゃねぇ」


 その言葉を合図にして突然昌枝は立ち上がると、室内着のまま外に出て行こうとする。

 この状態で彼女を遮ろうとすると、さっきのように家に帰ると叫びながら暴れ始めるのだ。だからここで彼女を留める事が出来なければ、さっき事務員に言われた事が現実のものになってしまう。つまりこの施設からの退去だ。

 緊張感に胃が痛くなる感覚を味わいながら、幸は尚も話し続ける。



「あぁ、母さん大丈夫だよ。今日は母さんが探していた写真を持って来たからね、ほら」


 幸は持って来ていた箱の中から、秀人が小学校4年生頃の写真を一枚取り出すと昌枝の手に手渡した。恐らくそれは、彼が映った一番最後の写真なのかもしれなかった。

 昌枝は突然手渡された写真を初めはしげしげと眺めていたのだが、突然目を大きく見開いたかと思うと、まるで倒れるような勢いで後ろのベッドへと座り込んでしまう。



「……あぁ……秀人……秀人、あの子の写真だ…… あの子なんだねぇ…… こんな顔だったかねぇ……」


 まるで穴をあける勢いで秀人の写真を凝視しながら、時々目の前の健斗の顔に視線を走らせていると、突然昌枝が彼に話しかけた。


「おや、秀人じゃないか、来てたのかい?」


 ついさっきまで彼を秀人だと思って普通に会話をしていたのに、既に彼女はその記憶が抜け落ちているようだった。

 秀人の写真を見る昌枝の様子からは、幸には彼女が一瞬正気を取り戻したように見えたのだが、母親のその姿にやはりそうではなかった事がわかって少し肩を落としている。



「なぁ、母さん。あともう一つ探している物があるんじゃないのか? 思い出せるか?」


 彼なりにこの状況をなんとかしようと思って、秀人になり切ったつもりで健斗が話を続けていた。


「もう一つかい? ……うーん、何だったかねぇ。写真はもう見つかったからねぇ」


「人形は? 俺の人形はもう見つかったのか?」


「人形…… 秀人の人形……?」


「あぁ、そうだ。母さんはそれが見つからないって一生懸命探していただろう?」


 健斗の言葉を聞いた昌枝の様子がまた少し変わって来る。

 彼女は急に何かを思い出したようにそわそわし始めて、さっきの写真の時のように急に立ち上がると何処かへとまた歩き出そうとする。



「そうだ、秀人の人形だよ。わたしはあれをずっと探していたんだよ。あの子がわたしにくれた大切な物なんだ、いったいどこに行ってしまったんだい? あぁ、秀人……」


「ほら、これだろ? 母さんがずっと探している人形はこれじゃないのか?」


 土の下から掘り出した秀人手製のフェルト人形を健斗が昌枝に見せると、彼女はとても老人とは思えない素早い仕草でそれを奪い取る。そしてそれをとても大事そうに両手で抱えてジッと見つめている。

 その人形を見つめる昌枝の顔には、嬉しさと切なさが入り混じったような表情が浮かんでいて、急に微笑んだかと思うと次の瞬間には涙を流し始めた。


「あぁ、そうだ……そうだよ、この人形だ……あの子がわたしにくれた大切な宝物だったんだよ。それがどこかへ行ってしまって…… ううぅぅぅ…… あぁぁぁ」


「か、母さん、大丈夫? さぁ、こっちにゆっくり座って、ほら」



 人形を抱きしめて立ったまま泣き始めた昌枝を幸がベッドへ座らせていると、昌枝が急に健斗の顔を見つめながら話し始めた。その様子を健斗も桜子も立ったまま無言で見つめている。


「秀人…… 母さんを許しておくれよ。ごめんよ、本当にごめんよ…… お前があの人に辛い目にあわされているのを目の前で見ていながら、わたしには何も出来なかったんだ…… ううぅぅ……」

 

「……」


「いまさら許してくれなんて言えた義理じゃないのはわかっているんだ。でもどうしてもお前に謝りたくて…… ううぅぅ……」


 昌枝に見つめられたまま話しかけられている健斗には、祖母の言葉に何と答えれば良いのかわからなかった。彼女は健斗の事を秀人だと思って過去の謝罪を始めたのだが、ここで健斗が上手く立ち回らなければ昌枝の記憶には何も残らなくなってしまうだろう。


「……」


「け、健斗、何か言ってあげないと」


 健斗の背後から桜子が声をかけるのだが、彼にはどうしても口を開くことが出来ない。健斗は自分が秀人だったとして、こんな時に何と言えばいいのかさっぱりわからなかったし、自分の発言が昌枝にどんな影響を及ぼすのかを考えると怖くて何も言えなくなってしまったのだ。


「あぁ、秀人、こんな酷い母親だけど、せめて一言謝らせてほしい…… あぁ、何か言っておくれよ、秀人や……」


「あっ……え……」


 やはり健斗には何を言えば良いのかわからずに、ひたすら昌枝の顔を凝視して立ち竦んでいる。

 その両手は小刻みに震えていて、彼がすでに使い物にならなくなっているのは間違いなかった。


「け、健斗!!」


 後ろから桜子が少し大きな声で耳打ちをしたのだが、健斗は変わらず何も言えないままだ。

 しかしそんな事には構う事なく、昌枝の述懐は続いていく。



「……しかしお前は突然いなくなってしまった…… わたしはお前に何度も謝ったのに、お前は、お前は…… あぁ、お前は死んでしまった!! 秀人は死んだんだ!! ……それじゃあ、ここにいるのは誰なんだい!? お前は誰なんだ!?」


 次第に昌枝の声は大きくなり、その感情の振れ幅も大きくなってくる。

 彼女は目の前の健斗の事を秀人だと思っているようなのだが、その記憶の中には彼が死んだ時の場面もはっきりと残っているのだ。だから目の前に存在している健斗の姿と、記憶の中の秀人の死が相反する状態となって最早(もはや)彼女は混乱のあまり頭がおかしくなりそうだった。



「ちっ」


 その時健斗の背後から舌打ちをするような音が聞こえた。

 昌枝の言葉にどう答えたら良いのかわからずに只只管(ただひたすら)立ち竦んでいた健斗は、その音に助けを求めるように振り向いた。



 バチンッ!!  



 彼が振り向くと同時に左頬に衝撃が走る。

 それは決して強い力でもなければそれほど早い速度でもなかったのだが、健斗はそれを避ける事が出来ずにまともに受け止めていた。

 驚いた彼が目の前に視線を戻すと、そこには勢い良く右手を振り抜いた姿勢のまま自分を睨みつけている桜子の姿があった。


 

「おい、お前それでも俺の甥っ子なのかよ、しっかりしやがれ!! そんなんだからお前はヘタレだって言われんだよ、わかってんのか?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 面白い。盛り上がってきた。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ