第154話 捨てられなかった絆
土の中から掘り出した緑色のプラスチックケースの箱を健斗が開ける様子を、桜子と幸が固唾を飲んで見守っている。そんな二人の視線を浴びて若干緊張した面持ちの健斗が、徐に蓋を持ち上げた。
その中には……
さらに小さな紙製らしき箱が数個入っていて、その中の物はまだ伺い知ることが出来ない。要するに、箱を開けるとまた中に箱が入っていたわけだ。
思わず息を止めて蓋が開かれるのを見つめていた二人の肩から目に見えて力が抜けるのを見て取った健斗は、思わず「マトリョーシカかよ!!」と突っ込みを入れそうになっていた。
「……け、健斗、気を取り直して、まずは一番大きな箱を開けてみようよ」
桜子が健斗に指示を出すのだが、彼女は決して自分では触ろうとはしない。その様子からは彼女がビビリの本性を発揮しているだけにしか見えなかったが、もしかして単に危険なものを代わりに人に触らせようとしているだけに見えるのは気のせいだろうか。
何か釈然としない気持ちを紛らわすために、桜子の愛らしい顔を少しの間眺めて癒された後、健斗は躊躇なく一番大きな紙製の箱を開けた。
その中には数十枚はあろうかと思われる大量の写真とそれを納めたアルバムらしき物が入っていて、長年土の下に埋められていたせいか、少しかび臭い匂いがした。そして実際にカビが生えて写真が半分色あせているものもあったが、ほとんどは当時のままに綺麗な状態で保管されていて、そこに写っている人物も容易に判別することが出来た。
「秀人……」
幸の呟きが聞こえる。
彼女の言う通り、その箱の中には秀人が写った写真が大量に入れられていたのだ。
それは生まれたばかりの赤ん坊の頃から順に束ねてあったのだが、彼の年齢が上がるたびに写真の枚数も減っていき、小学校の3、4年生頃の写真が最後だった。
大量にある赤ん坊の頃の秀人の写真は、まだ20代後半らしき母親の昌枝に抱かれて写っているものが多く、さらにその中には幼い頃の幸も一緒に写っているものもある。
驚いたことに、幼い頃の秀人には健斗の面影が…… いや実際にはその逆で、健斗には間違いなく叔父の秀人と近い遺伝子を受け継いでいる確かな証拠がそこには映っていた。それほど幼い頃の秀人は健斗と似たような顔をしていたのだ。
聞けば二人の顔の特徴は、いまは亡き幸と秀人の父親、つまり健斗の祖父の血を色濃く受け継いでいるのは間違いなかった。
「この人が秀人叔父さん…… 本当に俺みたいな目をしてたんだな……」
健斗が写真を眺めながら感慨深そうな声をあげている。
そんな彼の様子を尻目に、幸はその写真の束をまるで壊れ物を扱うかのように大事そうに手に持つと、そのまま保管用に持って来ていたトレイの上に乗せた。
「どうしてここにこんな物が…… それにどうして桜子ちゃんがこの事を知っていたの……?」
幸の疑問はもっともだ。
実の家族でさえ30年も前に捨ててしまったと思い込んでいた物なのに、家族でもなければ秀人との接点もまったくあるはずもない桜子がその存在を知っていて、尚且つその隠し場所を正確に指し示したのだ。こんな事は最早奇跡を通り越してオカルトの世界と言っても過言ではなかった。
こんな事は普通に考えても全くあり得ないし、むしろ知っている方がおかしいくらいなのだ。それを思うと、自分の横で興味深そうに箱の中を覗き込んでいる桜子の姿が、幸にはなにやら薄ら寒いものに見えてくるのだった。
一番大きな箱の他には、中くらいの箱が一つと小さな箱が二つ入っていて、それぞれに秀人が書いたと思われる家族の絵や恐らく親から貰ったと思しき小物類が数個あるだけだったが、その中の一つを見た時、幸が思わず大きく声をあげていた。
「あぁ、これは!? ……母さんの人形…… 母さんが大切にしていた秀人の人形……」
「えっ!? なに?」
「そうかぁ…… 母さんはこれの事を言っていたのね…… これをずっと探していたんだね…… よかった、ここにあったんだ……」
それは秀人が小学校4年生の家庭科の授業の時に作ったフェルト製の人形で、母親の昌枝の姿を模ったものだった。お世辞にも上手だともいえないし、そのうえ昌枝にも全く似てもいなかったが、秀人に手渡された昌枝はこれを寝室の棚の上に置いてとても大切にしていたのだ。
それを秀人がある日突然捨ててしまったはずだったのに、こんなところに隠してあったとは全く想像だにしていなかった。
とにかく桜子のおかげで、ここ最近の母親の施設での問題行動がこれで解決できるかもしれない。
もしもそうならなかったとしても、昌枝に秀人の写真と人形を届けられることは彼女にとってとても良い事だと思ったし、なにより秀人に対しての贖罪になるのではないかと思っていた。
幸は自分の隣で秀人の作った下手糞な人形をしげしげと眺めている桜子の姿に目を留めると、こんなに美人でスタイルも良くて、尚且つ性格まで可愛らしい奇跡のような少女が息子の恋人である事が未だに信じられない気持ちでいたのだった。
「それで桜子ちゃん、そろそろ聞かせて貰いたいんだけど……」
リビングのテーブルの上に土の中から掘り出してきた物を綺麗に並べ終わると、満を持したかのように幸が桜子に話を促してくる。
桜子としても最初からそれは絶対に訊かれると思っていたし、これだけの事をしたのだからこちらとしても説明する義務があるのは当たり前の事なのだ。そもそも初めからそれを話す覚悟もしてきていたのだから。
「……桜子、聞かせてくれるか?」
健斗には珍しく相手に話を急かすような仕草をして来る。それだけ彼にとっても疑問で一杯だったのだろうし、桜子の話を聞くまでは一切納得するつもりも無いのだろう。
「うん、もちろん全部話すよ。でもね、お願いだからあたしが全部話し終わるまで質問はしないでくれると嬉しいな……」
桜子の顔には明らかな決意の色が浮かんでいて、これから彼女が重大な話をする事は木村家の二人には痛いほど伝わっていた。それだけ彼女の表情から雰囲気までに緊迫した空気が漂っていて、およそ二人には彼女の言葉に口を挟むような気にはなれなかったのだ。
「……というわけで、あたしは鈴木さんに全部教えてもらっただけなんだよ」
桜子は二人に全ての事を話した。
実は自分の二重人格の病気は本当ではない事、鈴木秀人が自分の前世の人物であり、尚且つ今も自分の中に独立した人格として存在している事、彼が望めば身体を乗っ取って表に出て来られる事、いまもきっとこの会話を聞いているだろう事、そして今回の事は彼自身の意志でもある事。
最初の約束の通り、二人は桜子の話がすべて終わるまで口を挟むことはなかった。
もちろん途中で何度も幸は何かを言いそうになっていたのだが、その度に思いとどまって最後まで桜子との約束を守ってくれた。健斗も終始無言で彼女の話を聞いていて、一切口を挟むことはなかった。
それでも二人にとって桜子の話は余りにも荒唐無稽過ぎて、最早何と言って答えたら良いのかもわからなかったし、桜子の話をどこまで信じれば良いのかさえ見当がつかなかったのだ。
もちろん桜子が話した内容は全て事実なので、どこまで信じるとかは全くのナンセンスなのだが、それだけ木村家の二人にとっては凡そ信じる事が出来ない話だった。
「……きっと信じて貰えない事はあたしにも十分わかっているけど、それでも信じてほしいの」
わざとではないにしても、まるで胡散臭い物でも見るような目付きで二人から見つめられた桜子は、半ば泣きそうな顔をしながら二人に訴えたのだが、いきなりこんな話を信じろという方が無理な事は彼女も十分に理解していたし、信じられないからと言ってそれを木村家の二人のせいにするつもりも全く無かった。
「いや、俺は信じるよ。お前がこんな事で嘘をつくような人間じゃない事は俺もよくわかっているつもりだし、そもそもお前が鈴木さん…… 秀人叔父さんになっているところは何度も見ているし、俺自身も彼と話をしたことがあるからな。それに今回の事だって、そうでもなければ説明がつかないだろう?」
健斗がべそをかきそうな桜子の右手の上に自分の両手を乗せると、ギュッと力強くそれを握る。
桜子の手を握る彼の掌はとても温かくて、その温もりを通して彼の誠実な気持ちが伝わってくるようで、桜子が横に座る健斗の顔を見つめながら透き通るような青い瞳をウルウルさせていると、健斗も彼女の顔を間近で見つめ始める。
「健斗!!」
「桜子!!」
「はいっ!! そこまで!!」
思わずそのままキスしそうな勢いでお互いの顔を近づけ始めた二人の間に、幸の掛け声が割って入る。
その声に慌てて身体を離す二人の姿に溜息をつきながら、幸は口を開いた。
「わかったわ。私も桜子ちゃんの言う事は信じるわ。健斗の言う通り、そうでもなければ今日の事は説明がつかないもの。大丈夫よ、信じるからね」
その時幸は、2年ほど前に桜子が昌枝に突然会いに来たことを思い出していた。
あの時桜子は急に口調が変わった挙句に自分の事を「幸姉ぇ」と呼んだのだ。その時の自分もその呼び名に相当疑問を持ったものだったが、結局は自分の聞き間違いか勘違いだったのだろうと思ってそのままにしていたのだ。
だから桜子の告白を聞いた今となっては、思えばあの時の桜子はきっと秀人の状態だったので間違いないだろうし、自分の事を「幸姉ぇ」と呼んだのも聞き間違いではなかったのだ。
それから昌枝に投げかけた言葉は「息子を愛していたか」という質問だった。
その時はどうしてそんな質問をしたのかもわからなかったし、それを訊くために態々家までやって来たのも、彼女の意図もまるで理解できなかったのだ。
それが今の彼女の説明で全てが説明がついた。
そうか、あの時すでに桜子は秀人と二人の人格になっていたのか。そしてあの時彼女は秀人として母親に会いに来ていたのか。あぁ、そうだったのか……
幸が過去の記憶を呼び出してそれに浸っていると、すっかり不安そうな表情を顔から消した桜子が幸に向かって礼を言う。
「おばさん、ありがとう」
木村家の二人の心の中で何か変化が起こって、自分の話を信じてくれたことを桜子は理解したのだろう。その顔にはすっかり安堵したような表情さえ浮かんでいた。
「ううん、あなたがこれを見つけてくれたんだもの、これは信じるしかないわよ。でもね、ひとつ質問してもいい?」
「うん、いいよ」
「あなたの中には今も秀人がいるのよね? それじゃあ、私も彼と話が出来るのかしら?」
「……うん、たぶんできるよ。鈴木さんがそれを望めばね……」
幸の質問に対する桜子の答えは、どうにも歯切れが悪い。
それもそのはず、彼女は秀人が姉の幸の事を嫌っていて、たとえ幸が会いたいと言っても彼はそれを断るだろう事は目に見えていたからだ。秀人が自分の家族に対する感情をずっと見て来た桜子には、それは確信に近いものがあり、およそ姉が会いたいと言っても恐らくそれは無理なのだろう。
幸は桜子のその返答から大凡の事情を察したのか、急に寂しそうな顔になったかと思うと、それ以上何も言わなくなってしまった。
「まぁいいわ…… それにしても健斗、あんたが秀人と話をしたことがあるだなんて初めて聞いたわよ」
「……だって、あの人が今の今まで秀人叔父さんだとは知らなかったんだよ、しょうがないだろ」
「まぁね……」
それからしばらく三人は無言で秀人が残した遺品を整理していたのだが、その時ぼそりと幸が呟いた。
「それにしても、どうして秀人はこんな物を土に埋めて隠したのかしら……」
「鈴木さんはね、家族と決別するためだって言ってたよ。それってどういう意味なんだろうね」
「そうねぇ……」
目の前の遺品を目で追いながら、幸はその言葉の意味を考えてみる。
当時父親の虐待と折檻に一人で耐えていた秀人は、家族が誰も自分の味方になってくれない事に絶望したのだろう。そしてそんな家族の事を次第に自分の家族だとは思わなくなっていったのだ。
血の繋がった家族が自分に対してこんなにも辛い仕打ちをする訳がない。
だからこの人たちは全員他人に違いないのだ。
それなら他人が住んでいるこの家は、自分の家ではないではないか。
そうか、この家は自分の家ではなかったのだ。だから自分はこんなにも辛い目に遭っているのだ。
じゃあ、どうしてこの家には自分の写真や思い出の詰まった物があるのだろう、それはおかしいではないか。もともとそれらはこの家にあってはいけない物なのだから、全部捨ててしまおう。
彼はそう思い込むことによって無意識に自我を守ろうとしたのかもしれない。
家族との絆を自ら捨てる事によって、どうにか正気を保とうとしたに違いないのだ。
ならばどうしてそれらの物を完全に捨ててしまわずに、庭に埋めたのだろう……
あぁ、きっとそこには彼の最後の希望が隠されていたのかもしれない。
そこに残された最後の家族の絆の証を、どうしても捨てられなかったのに違いないのだ。
どんな形であっても、やっぱり家族は家族なのだから
そこまで想像が及んだ幸は、当時の秀人の気持ちを思うと涙が止まらなくなった。
ソファに座ったまま突然ボロボロと大粒の涙を流し始めた母親の姿に、健斗は驚いた顔をしていたのだが、彼は彼なりに色々と思うところがあったようで涙を流す幸にそっとティッシュの箱を手渡していた。
そしてそんな二人の姿を見つめながら、桜子も思わず泣きそうになっていたその時、突然電話のベルが鳴り響いたのだった。




