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第150話 途切れた記憶

「むふぅーん、いいでしょう? 健斗にプレゼントされたんだよ」


 桜子が左手首に着けたストーンブレスレットを母親に見せびらかして、「るららぁ~」と謎の鼻歌を歌いながらリビングの中央でバレリーナのようにクルクルと回っている。その様子はまるで酒を飲んで酔っているかのように終始ご機嫌だった。

 

「へぇ、健斗君にしてはなかなか気の利くプレゼントを用意したじゃないの。それも誕生石の色まで調べるなんて、一体どうしたのかしらねぇ」 


 デートから娘が上機嫌で帰って来たのは母親にとっても喜ばしい事だったので、今回の健斗の気の利かせようを楓子なりに褒めてあげたい気分だった。

 昨年に祖母の絹江が体調を崩して入院してからは、何処かへ出掛けたり外食をしたりする事もなかったし、その後絹江が亡くなった後も小林家には何となく自粛ムードが漂っていて、美味しい料理を食べたりお祝い事をしたりする事も無くなっていたからだ。



 珍しく楓子に褒められそうな健斗だったが、実は今回のプレゼントは事前に美優と七海に相談していたのだ。

 桜子とは1歳になる前からの付き合いとはいえ、健斗には彼女の好きなものが食べる物以外に思い付かなかったし、何度も入った事のある彼女の部屋の中を思い出してみてもこれと言って目立つ物もなかった。それから彼女が何かを集めているという話も聞いた事がなかった。

 だからと言って洋服や靴などは好みもあるし、何よりも予算が限られているので健斗には難しかったのだ。


 思い悩んだ健斗が学校で美優と七海に相談すると、誕生石色のストーンブレスレットを勧められた。

手首なら目立たないので学校でも着けていられるし、それが無理なら鞄に付ける事もできる。

 桜子なら絶対に喜んでくれると美優に断言された健斗は、夕方にこっそりと二人に付き合ってもらってショップまで買いに行ったのだが、お礼に晩ごはんをご馳走するとかえって高い物についてしまったのはご愛嬌だった。




 「るららぁ~」と一頻(ひとしき)り鼻歌踊りを舞い終わると、桜子はそのままポフンとソファに腰を下ろしてやっと少し落ち着いたようだった。それから満足そうに左手首のブレスレットを眺めながら、桜子は昼間の健斗の話を思い出していた。


 以前に一度だけ秀人の過去を本人に訊いてみた事があったが、その時は何一つ話してくれないどころか、彼は話自体を拒絶するようなオーラを漂わせていた。事情を知らない桜子はその様子に尋常ではないものを感じてそれ以上訊くのをやめたのだが、まさか彼の過去がこんなにも悲惨なものだったとは想像だにしなかったのだ。


 それは健斗から話を聞いている最中も何度も耳を塞ぎたくなるような内容だったし、実際にそんな目にあった張本人が自らそれを語るのも辛いだろう。

 知らなかったとは言え、以前桜子はまさにそれをしようとして秀人に拒絶されたのだが、今では彼女も事情を知っているし、何より健斗を助ける為にはここで秀人の協力がどうしても必要だった。

 そこで桜子は久しぶりに秀人に会ってみようと思った。


 



 昼間のデートの興奮が未だ冷めやらぬ桜子ではあったが、その日の夜は寝る前に秀人に会いたいと願いながらベッドに入ると、昼間の疲れが出たのか5分も経たないうちに規則正しい寝息を立て始める。もっとも桜子は目を瞑ると5分以内に眠れるのが言わば特技のようなものなので、疲れているかどうかはあまり関係なかったのだが。

 

 ハッキリ言って桜子の寝相は悪い。

 それも、どうしてこうなったと思わず自問したくなるほどの寝相の悪さで、そのせいで首を寝違える事も多いし、朝起きるとパジャマが捲りあがって胸がはみ出している事もしょっちゅうだ。それでも今まで一度もベッドから落ちた事がないのが自慢なのだが、そんなものはひとつも自慢にはならないと楓子からは呆れながら言われている。 


 そしてこの寝相を治さなければ、もしもこの先健斗とそういう関係になった時に夜中に彼を思いきり蹴飛ばしそうなのが怖かったし、彼女の切実な悩みの一つでもあった。





 桜子は夢を見ていた。

 真っ白な空間の中にぷかりと自分は浮かんでいて、どこが上でどこが下なのかもわからない世界の中で、彼女は只管(ひたすら)ぼんやりと空中を漂っている。

 

 あぁ、ここは知っている。

 ここはあの人に会える場所で、自分の夢の中の世界だ。

 今日は久しぶりにあの人に用事があったので、自分から会いに来たのだ。さぁ、出て来てちょうだい、叔父様……



「叔父様じゃねぇだろ…… まったくよぉ。俺はお前の前世の人格であって、お前の叔父様じゃねぇよ」


 半ば呆れたような声を出しながら、あの人……秀人が現れる。

 夢の中で桜子が彼に会うのは本当に久しぶりなのだが、いつもは彼女の深層意識の中で半覚醒状態で眠っている秀人にはあまりそんな気はしなかった。

 彼は桜子が見たものを見て聞いた事を聞いていて、感じた事や考えている事も秀人の中に入って来るのだ。だから彼はいつも桜子と一緒にいるのと変わらないからだ。


 

「あ、鈴木さん、こんにちは。お久しぶりですね」


「まぁ久しぶりだよな、確かに。それで、お前の話はもうわかっているが、俺にどうしてほしいんだ?」


 相変わらず夢の中の秀人はまるで健斗のように目が細くて仏頂面をしている。そこはこの二人の間違いない血の繋がりを感じるところであって、健斗が大人になるとこんな感じなのかなと桜子はぼんやりと考えていた。秀人はそれを敏感に感じ取ったのか、片側の口角だけを上げた彼特有の皮肉そうな笑顔でニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。



「昼間は彼氏とお楽しみだったようだな。まぁ、ここしばらく辛い事が続いたお前にはいい息抜きになっただろう。よかったな」


「ありがとう、鈴木さん。今日の健斗もとっても優しくて素敵だったよ」


「まぁな。あいつは俺の甥っ子だからな。そういう意味ではお前の甥でもあるんだが」


「それね…… なんか考えれば考えるほどわからなくなるんだよ」


 桜子が自分の頭を抱える真似をして渋い顔をしている。

 彼女はどうしてもこの事が納得できなかったし、結局自分は彼の叔父なのか叔母なのか、良くわからなかったのだ。



「……今回はその話はいいよ。それで健斗に聞いた鈴木さんの子供の頃の話なんだけど……」


 そこまで言うと、急に桜子は言葉が詰まったようになってしまう。


 「うぅぅ…… ぐすっ…… ご、ごめんなさい……」


 話の途中で秀人の不遇の過去の話を思い出した桜子は、思わず感極まって泣き出してしまう。その様子を秀人が呆れたような顔で見つめている。


「……おい、お前が泣いてどうするんだよ。それは俺の過去であって、お前の…… ん? という事は、お前の過去でもあるのか……? いや、違うな…… なんだか良くわからんが、もう過ぎた事だ、忘れろ」


「あうぅぅ…… 鈴木さんは可哀そうな人だったんだね。それに比べてあたしのなんて幸せだったことか…… あぁぅぅ…… ぐすんぐすん……」


「だぁぁ!! いいからもう泣くんじゃねぇよ!! 鬱陶しいってんだよ!! ほら、鼻水拭けよ、ったくよぉ!!」 


「ぶーぶー、はぁぁ……夢の中なのにどうしてティッシュがあるんだろう……? ごみ箱は?」


「細けぇ事はいいんだよ、早く用件を言えよ!!」


「は、はひっ!!」


 秀人の剣幕に思わず背筋の伸びた桜子は、昼間に健斗から聞いた写真や人形の事を秀人に話した。

 もちろんその話は秀人も既に知ってはいたのだが、それでも彼は桜子の話を遮ることなく最後まで聞くと、両腕を組んだまま最後に口を開いた。



「なるほどな。話はわかった」


 秀人の言葉を聞いた桜子の顔にパアっと笑みが広がる。


「それじゃあ……」


「だが、お断りだ」


「えぇ!! ど、どうして!? だって鈴木さんのお母さんとお姉さんが困っているんだよ? それに健斗も!! 助けてあげないと」


「そんなの知らねぇよ!! いまさらだろ!! あんな奴ら困らせておけばいい。放っておけ!!」


 まるで吐き捨てるように言葉を放った秀人の顔にはとても苦々しい表情が浮んでいて、彼のその様子からはおよそ協力してもらえそうな雰囲気は見えなかった。



「そ、そんな…… 確かに鈴木さんがそう思う事情もわかるけど…… でも……」


「ふんっ、お前に俺の何がわかるんだよ。生まれた時から両親の愛を一身に受けてきたお前に何がわかるってんだ」


「……確かにあたしには鈴木さんの気持ちはわからないかもしれないよ。でもね、鈴木さんにだってきっと可愛がられていた頃があったんじゃないかと思うんだ。ずっと小さかった頃を思い出してみてよ……」


「両親が俺を可愛がるだと? そんなバカな事があるわけ……」


 その時秀人は、ふと自分の幼少期の記憶を思い出そうとしたのだが、どうしても思い出すことが出来なかった。どうやっても自分が中学一年生のある日よりも前の記憶を引き出せなくて、その日を境にスパッと切ったように記憶が途切れているのだ。



「思い出せない…… 俺が小さかった頃の記憶がない……」


 秀人が何も無い空中を見つめながら、呆然とした顔をして立ちすくんでいる。それはとても大変な事に急に気付いた様子で、思わず桜子は声を掛けずにはいられなかった。


「鈴木さん…… 大丈夫? 急にどうしたの? なにかあったの?」


 桜子が心配そうな顔で見つめるのを尻目に秀人は必死に過去の記憶を辿っているのだが、やはりどうやってもある同じ光景を最後に記憶がプッツリと途切れてしまう。それはまるで、ある日突然記憶喪失になって過去を全て忘れてしまったかのようだった。


「何故だ!? どうして俺はあの日よりも前の事が思い出せない!? 何故だ!?」


 最早(もはや)悲鳴に近い叫び声を上げながら、秀人は頭を抱えていた。




 ----




 「ファミリーレストラン アンアン・ミラーズ S町駅前店」店長の増田和也(ますだかずや)は、夜の営業が終わった午後11時過ぎに店を閉めると自宅へと向かって歩いていた。

 増田の自宅は勤め先のファミレスから歩いて5分の所にある古いアパートで、駅が近い立地の割に家賃が安い事も理由の一つなのだが、通勤に出来るだけ時間をかけたくないという理由で彼自身がそこを選んだのだ。


 増田は高校を卒業して18歳でこの会社に入社して、本部に所属しながら出向扱いで数店舗を巡り、入社17年目の35歳の時にS町駅前店の店長として赴任して来た。


 もともとここ「S町駅前店」は立地条件が良い割に売り上げが低迷している問題店舗だったのだが、本部がテコ入れの為に増田を店長に抜擢して送り込んで来ると、徐々に売り上げも回復して今ではエリア内での売り上げは常に上位三位以内に入るようになった。

 また、料理が出て来るスピードからアルバイトの接客態度、店舗の清掃状況までも高い水準で保っていて、お客様満足度の高いモデル店舗としても注目されているのだ。


 初めて店長という役職を担う事になった増田は、初めの頃こそ失敗や戸惑いも見られたが、彼の真面目さと熱意、そして人当たりの良い柔らかい態度ですぐに店のスタッフ達にも受け入れられた。

 スタッフを味方に付けた彼は店の売り上げを徐々に回復させていき、今では本部からも一目置かれる存在となっていたのだった



 仕事ではそれなりに優秀であるはずの増田が、夜道を家まで歩きながら悶々と何かを考えている。それはもちろん、今日の昼間に女子高生アルバイトの東海林舞(しょうじまい)に言われた一言だった。


「私は店長の事が好きなの。だからあの子じゃなくて私を見てほしい……」

 

     

 舞にその言葉を言われた直後から増田は妙に彼女の事を意識してしまい、廊下ですれ違ったりバックヤードで指示を出している時もチラチラと彼女の事を見てしまっていた。対して舞は、昼間の自分の発言を全く意識していないかのように平然とした顔をしていて、偶然増田と目が合ってもニンマリといつもの微笑を返して来るだけだ。


 そんないつもと変わらない彼女の様子を見ていると、もしかして自分が聞いたあの言葉は何かの聞き間違いなのかと思ってしまうし、それを必要以上に意識している自分がとても馬鹿みたいに思えてきてしまう。

 午後8時過ぎに舞が仕事をあがった時も、彼女は特に何も言わずにいつもと変わらない態度だった。昼間の発言以降、彼女は帰るまで増田に対して個人的な会話はしてこなかったし、何か思わせぶりな態度をしてくる事もなかった。



「あぁー、いったい何なんだよ、あれは……」


 家までのたった五分間では何も考えを纏めることが出来ずに、増田は只只管(ただひたすら)悶々としているのだった。 


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― 新着の感想 ―
[一言] 話の前後でキャラクターの落差というか、格差が・・・ 秀人が増田店長と対面できたら、ウゼーだよリア充と蹴り入れるんじゃないかな 次の更新も期待してます
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