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第149話 誕生日の出来事

 ゴールデンウィークの連休中のある日、午後二時に仕事が終わった桜子が更衣室で着替え終わってバイト先から出ようとすると、先輩社員の一人に声をかけられた。

 彼は厨房の調理担当の正社員で、桜子がバイトを始めた時から色々と面倒を見てくれている20代後半の少しチャラい外見の男性だ。

 チャラいと言っても少々髪の色が茶色い程度で、仕事中はコック帽の中に染めた髪を隠しているのでわからないし、桜子の金髪に比べればどうと言うこともないほどだった。



「おぅ桜子ちゃん、今日はもう上がりかい? 随分とおめかししてるけど、もしかしてこれからデートだったりする?」


「はい。今日は久しぶりに彼が休みなので、これからデートなんです。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」


 桜子が何の躊躇もなくこれからデートだと言ったので、彼は驚くと同時に少々落胆していた。


「……そっかぁ、君は彼氏持ちだったかぁ。まぁ、それだけ可愛いんだから彼氏がいたっておかしくないけどなぁ…… でもお兄さんはちょっとショックだったなぁ」


「えっ、あっ、す、すいません……」


 先輩にかけられた冗談を真に受けた桜子が少ししゅんとして申し訳なさそうにしていると、慌てて先輩が両手を顔の前で振り回す。


「いやいや、冗談だから本気にしないでよ。ごめんごめん。それじゃあ気をつけて楽しんでおいで」


「あ、はい、ありがとうございます。それでは失礼します」




 これからデートだということで、膝丈の水色のワンピースとデニムのジャケットを着て、少しだけヒールのある靴に履き替えた桜子が颯爽とスカートの裾を翻して去っていく姿を眺めながら、先輩社員たちは小さくため息を吐いた。


「それにしてもいい子だよな。明るいし素直だし…… だけど実際あんな妹がいたら毎日ハラハラものだよ。悪い奴に騙されなければいいけど」


「まぁな。彼女は見た目もそうだけど、性格もほんとに可愛らしいよな。あぁーあ、彼氏が羨ましいよ」


「あぁ。しかし桜子ちゃんと舞ちゃんが並んでいるところを見たか? 圧巻だったぞ、二人ともすげぇおっぱいしてんのよ、マジで」


「……お前、女子高生相手に欲情すんなよ、ロリコンかよ」


「う、うるさいな…… なんだっていいだろ、『おっぱいは正義』って言葉を知らないのかよ。ん? 待てよ、『おっぱいに貴賤なし』だったっけ?」


「なんでもいいけど、それは俺も認める。……まぁなんだっていいけどよ、とりあえず女子高生はやめとけ。下手したら逮捕案件だからな」


「そうだな、違いねぇな。ははははは」


「はははは」




 昼のランチタイムが終わり、少し手の空いた調理担当者が雑談している姿にチラリと視線を向ける増田の顔には、何か悩みと戸惑いが混ざったような表情が浮んでいて、厨房から聞こえてくる言葉を小さく繰り返している。


「……そうだよな、さすがに女子高生はやばいよなぁ…… 逮捕案件かぁ……」


 厨房から聞こえて来る雑談を聞くとはなしに聞きながら、増田は困惑した顔のまま事務室へと戻って行った。



 

 ----




「健斗!! ごめん、待った!?」


 桜子が小走りにS町駅の駅前広場にやってくると、そこには既に健斗が待っていた。

 まるで面白くない物でも見ているかのように仏頂面をぶら下げていた健斗だったが、桜子の姿を目にした途端にパァっと顔に笑顔が広がって、直前までの表情が嘘のようだった。


 よく誤解されるのだが、健斗はべつに面白くなくてそんな顔をしている訳ではなく、単に細くて表情が読みにくい目といつも真一文字に結ばれた口が彼の顔をそのように見せているだけなのだ。

 しかし健斗の事を良く知らない相手は、そんな顔に妙な迫力と圧力を感じるようで、気の弱い者なら思わず尻込みしてしまうほどだった。


  

「バイトお疲れ様。どうだ、疲れてないか? どこかで少し休んで行こうか?」


「ううん、大丈夫だよ。今日のランチタイムは少し混んだけど、初めの頃に比べればだいぶ仕事も慣れてきたしね」


 そう言いながら桜子が走って乱れた髪とスカートを直していると、その姿に思わず健斗が見惚れていた。

 彼が桜子と会う時は高校の制服を着ている時がほとんどだし、休日に会う時もお互いにラフな格好をしている事が多い。さすがにその格好は彼も慣れているので表面上は平然としたものなのだが、それでも会う度に桜子の事を可愛いと思っていたし、ふとした瞬間に彼女が見せる姿から目を離せなくなる事も多かった。


 それが今日のように彼女がデートスタイルに着飾っている時は、何度見ても見惚れてしまって慣れる事は全くなかった。相変わらず健斗は桜子の可憐な姿を見る度にドキドキしてしまって、こんなに可愛い女の子が自分の彼女である事が信じられなくなるのだ。

 もちろんそんな思いを表に出さないように健斗も気を付けてるのだが、毎日桜子に会う度に顔を赤らめているのを見ていると、美優ではないが「あんたどれだけ初心(うぶ)なのよ!!」と突っ込みたくなるほどだった。


 しかし当の桜子本人はそんな彼の初心(うぶ)な気持ちには全く気付かない天然ぶりを発揮して、健斗の左腕に手を掛けて上目遣いに見つめている。


「今日はどうもありがとう。健斗も忙しいんだから、態々(わざわざ)誕生日なんて祝ってくれなくても良かったのに…… でもね、やっぱり嬉しいよ、ありがと!!」


 そう言って笑いながらはにかむ桜子の姿に、健斗はもうこの時点で撃沈されそうになっていた。



 

 今日は桜子の誕生日祝いの為に、健斗がレストランでの夕食に誘っていた。

 そこは個人で経営しているこじんまりとしたお洒落なレストランで、数日前から健斗が予約していた所だ。予算的にも雰囲気的にも高校生カップルでも入ることが出来て、その落ち着いた雰囲気が素敵な穴場的な店だった。


 実は今回のデートプランに頭を悩ませている健斗に気付いた柔道部顧問の木下が、その店を勧めてきたのだ。なんでも彼の大学生時代の友人がオーナーシェフを務めていて、味も雰囲気も眺めも最高な上に、予算的にも財布に優しい木下一押しのお店だった。

 ちなみに余談だが、木下が妻にプロポーズしたのもそのお店で、彼の友人はその現場を見届けたらしい。


「おい木村、せっかく店まで紹介したんだから、男らしくバシッと決めて来いよ。わかってるだろうな?」


 しかし、最後に木下に言われた言葉が、健斗にはなんとも切なかった。




 レストランの予約時間までまだ少し間があったので、それまで二人はのんびりと雑貨屋を巡ったり、カフェでお茶をしたりしながらデートを楽しんでいた。もちろんいつものように桜子は周囲の多くの目を引き付けていたが、そんな事にはお構いなしにその時間は二人にとって宝物だった。


 桜子はレストランでの食事をとても喜んでいた。

 本人としては全くそんなつもりは無いのだが、桜子が着飾って澄ました顔をしているととても大人っぽくてゴージャスに見えるらしい。しかし実際はしがない酒屋の娘として育って来ていたし、いまも贅沢は出来ない身の上なので、お洒落なレストランなどにはあまり縁がなかったのだ。


 食事を終えた二人がそのままお茶を飲みながら雑談をしていると、健斗の様子が目に見えて変わり始める。それは桜子から見てもなにやらそわそわしているようで、全く落ち着きがないように見えた。 



「……健斗、どうしたの? なにか気になる事でもあるの?」


 彼の様子が気になった桜子が探るように聞いてみると、健斗は緊張した面持ちで彼女を見つめ返してくる。その顔は少し上気しているように見えて頬にも赤みが差していた。


「い、いや、その…… これ、プレゼント。誕生日おめでとう」


 そう言いながら、バッグの中から四角い小さな箱のような物を差し出した。

 その箱は綺麗な包み紙で包装されていて、赤い大きなリボンも付いている。それを差し出す健斗のおずおずとした姿と上目遣いに恋人を見つめる眼差しからは、彼が強豪柔道部の猛者であることは全く想像できなかった。



「どうもありがとう…… 開けてもいい?」


「あぁ、開けてくれ」 


 健斗に差し出された小さな箱を両手でとても大事そうに受け取った桜子は、ゆっくりとした丁寧な動作で包み紙を剥がしてから中の箱を開けた。そこには彼女の誕生石のエメラルドと同じ緑色を基調にしたストーンブレスレットが入っていた。


 もちろん高校生が小遣いで買える程度の物なので決して高価ではなかったが、それでもそれを見た瞬間の桜子の笑顔は、きっと健斗の脳裏からは一生消える事は無いだろうと思われた。

 それほど彼女の笑顔はとろけるように甘く、一瞬にして健斗の心を奪い去るほどの笑みだったのだ。



「ありがとう…… とっても嬉しい…… これはあたしの宝物にするね」


 早速桜子がブレスレットを左の手首に通しながらその輝きを眺めていると、彼女の姿にまたもや見惚れながらも、なんとか正気を呼び戻した健斗が口を開いた。


「……あぁ、あまり高い物じゃなくて悪いけど、気に入ってくれたら嬉しいよ」


「うん、もちろんお気に入りだよ。これからはずっと身に着けるようにするね」


 そう言いながら、桜子は健斗の横に顔を寄せるとそのまま彼の頬にキスをする。

 それは唇が軽く触れるような優しい口づけだったが、それには桜子の温かい気持ちが詰まっているようで、健斗にはとても熱く感じた。

 

「あっ、う、うん、気に入ってくれたようで…… そのぅ、とっても嬉しいよ。こちらこそありがとう」

 

 たどたどしく健斗が返事をすると、それからしばらくの間、二人は久しく無かった恋人同士らしい甘いひと時を過ごしていた。





 デートからの帰り道、健斗と桜子は陽が落ちたばかりの夜道を二人で歩いていた。

 これから市営住宅に桜子を送り届けてから健斗は自宅に帰るつもりで、彼女の右手をしっかりと握りしめてとても嬉しそうに微笑んでいる。


 S町駅から健斗の家までは真っすぐ帰ると約15分なのだが、桜子の住む市営住宅に寄って帰ると健斗が家に着くまでに30分はかかってしまう。桜子はそれを気にして何度も一人で帰ることが出来るからと健斗に訴えたのだが、彼は頑として言う事を聞かずに絶対に桜子を家まで送り届けると言って聞かなかった。


 それは彼女を家まで送り届けるのは彼氏の義務だと思っていたのはもちろんなのだが、それよりも健斗は少しでも長い時間桜子と一緒にいたかったのだ。それでも恋人との甘いひと時はとても早く過ぎて行き、あと少しで小林家に到着するというところで、健斗はふと先日の昌枝が暴れた時の話を思い出すと、桜子に向かって話してみる事にした。



「あのさ、この前ばあちゃんが入っている施設であった話なんだけど……」


 健斗の言葉の中に「秀人」という単語が何度も出て来る事に桜子はとても興味を引かれたようで、普通の女子高生であれば()して興味も引かないような話をとても興味深く聞いていた。

 しばらくして叔父の秀人の過去に話が及ぶと、彼女は急に涙を流し始めてしまい、その様子を見た健斗が慌てて桜子に声をかけた。


「な、なぁ桜子。急にどうしたんだ? そんなに泣くような話だったかな……」


「……う、うん…… その健斗の叔父さんって、とっても可哀そうな人だったんだなぁって思うと、涙が止まらなくて…… ごめんね、驚かせて……」


 そう言いながら桜子の脳裏には夢の中で会う秀人の姿が浮かんでいて、彼のそんな不遇の幼少期の話を聞いて思わず涙を流してしまった。



「いや、俺はべつに…… それより、突然こんな話をしてごめん。せっかくのデートの最後がこれじゃあちょっと締まらなかったな」


 健斗が後頭部を掻きながらバツの悪い顔をしている。

 桜子はそんな彼の様子を見つめながら、まだ少し赤い目を細めながら優しく微笑んだ。


「ううん、今日はとっても楽しかったよ。料理も美味しかったし、プレゼントまで貰っちゃって…… 今日は本当にどうもありがとう」


「いや、まぁ、また今度こんな時間が過ごせればいいな」


「うん、そうだね……」


 短くそう言うと、桜子は健斗の胸に顔を埋めながら、上目遣いに彼の顔を見上げてそっと目を閉じる。健斗が無言のままに桜子の唇に自身のそれを重ねると、街頭に照らされた二人の影が一つに繋がっていた。





「あぁー!! なんかふたりでチューしてるぅ!!」


 突然背後から大きくて甲高い声が鳴り響く。

 健斗と桜子が慌てて身体を離して振り向くと、そこにはコンビニ袋をぶら下げた小さな女の子と若い母親らしき女性が立っていて、女の子は桜子達に指を指しながら大きな口を開けていた。


「こ、こら、杏奈(あんな)、やめなさい!! 人を指差したらダメでしょ!!」


「だってチューしてる…… あぁ、お姫さまだ!! お姫さまのおねえちゃんがチューしてるぅ!! いいなぁ!!」  


 突然の叫び声に桜子たちが身動ぎも出来ずにいると、尚も杏奈と呼ばれた4歳くらいの小さな女の子が大きな声を出し続ける。それを(たしな)めていた母親がふと桜子と目が合った。



「あっ、小林さんの…… ゴ、ゴホンっ、す、すいませんねぇ、突然大きな声を出して…… 私たちはこれで失礼しますから、どうぞごゆっくり…… おほほほ……」  


 その二人は小林家と同じ団地の一階に住んでいる秋田家の母親と娘で、母親とは何度も挨拶をしているので桜子も良く知っていた。そして杏奈とは団地の前の公園でよく一緒に遊んでいる遊び仲間で、彼女は桜子の事を「お姫さま」と呼んで慕っているのだった。



「ねぇママ、お姫さまがチューしてるのなら、あのお兄さんは王子さまなの?」


「きっとそうね。ほら、行くわよ。邪魔しちゃだめよ」


「それじゃあ、あのふたりは結婚するんだね。いいなぁ」


「そうね、そうかもしれないね」





「け、結婚……?」


 呆然とした顔で親子を見送った桜子がポツリと小さく(つぶや)くと、それを聞いた健斗が夜道でもハッキリとわかるほどに顔を真っ赤にして、なにやらモジモジとしている。その様子にハッと何かを思い出した桜子も健斗と同じように顔を真っ赤にしていた。


 特に理由もないまま、何となくお互いに言葉を発する事が出来ないまま小林家に到着した二人は、未だ真っ赤な顔のままに玄関の前で見つめ合っている。

 そしていまにもチューしそうなほどに二人の顔は近かった。


 その様子を玄関ドアの覗き窓から覗いていた楓子は、すでにドアを開けるタイミングを完全に見失っていたのだった。


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