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第147話 あの子の写真と人形

 先ほど介護士が話していた事を思い出しながら幸が施設の談話室に行くと、そこには母親の昌枝がいた。彼女はソファに座ってテレビを見ているようなのだが、その顔の表情は全く動いていないし明らかに目の焦点はテレビに合っていないように見える。


 そんな母親の姿はもう見慣れたはずの幸だったが、昔の優しかった母親の思い出がある幸には彼女を見る度に胸が苦しくなるし声を掛けるのが躊躇(ためら)われる。それでもここへは彼女に会いに来ているのだからこのまま帰る訳にはいかなかった。



「お母さん、元気にしていた? 今日も会いに来たよ」


 昌枝の横から幸が声を掛けたのだが、彼女は相変わらずテレビの向こう側を向いたまま身じろぎ一つすることなく、そのままの姿勢で遠くの一点を見つめている。

 そんな昌枝の姿に幸が再度声を掛けるのを迷っていると、横から健斗が少し大きめの声を出してきた。


「ばあちゃん!! おーい、ばあちゃんってば!! 俺たちが来たぞ」


「……おや、秀人じゃないか、今日も来てくれたんだねぇ、嬉しいよぉ」


 昌枝が健斗の呼び掛けに気がついて急に笑顔を見せて笑いかけてくる。直前までの、まるで能面のように無表情だった顔が嘘のようだ。


「違うでしょ、お母さん。この子は……」


「いいから、母さん。このまま好きに呼ばせてあげよう」


 幸がいつものように昌枝の言葉を正そうとすると、その間に健斗が右手を差し込んでそのまま話を続けるように促してくる。彼の意図に気付いた幸はそのまま母親との会話を続けようとする。



「ねぇお母さん、今日の調子はどう?」


「そうだねぇ、いいのかねぇ。なんだか最近はよくわからない事が多くてねぇ」


 幸の問い掛けに昌枝がゆっくりと答えていると、次に健斗が口を開く。


「なぁ、最近探し物をしているって聞いたけど、何を探してるんだ?」


「あぁ……探し物ねぇ…… なんだったかね。……そうだよ秀人、あんたの写真をね、探してるんだよ。一体どこに隠したんだい? 一枚も見つからないじゃないか」


「あぁすまない。写真は今度俺が持ってくるから、母さんは探さなくてもいいよ」


「そうかい? なんだか悪いねぇ。それじゃあ写真はあんたに任せようかね」 


「あぁ、俺に任せろよ」


 健斗にそう言われた昌枝が満足そうな顔をして喜んでいる。どうやら健斗の作戦が成功したようで、写真の件はこれでなんとか誤魔化せそうだ。

 それからしばらくの間秀人になったつもりで健斗が話をしていると、すっかり昌枝は彼を自分の息子だと思い込んでいて、その様子からは彼女が遠く過去の世界に生きているのは間違いなかった。



 初めはどうなるかと思っていたけれど、案外簡単に話が終わりそうな事にホッと小さくため息を付いた幸だったが、健斗の話が終わると次の話題を出してみることにした。


「お母さん、もう一つ聞いてもいい? 秀人の人形って……なに?」 


「秀人の人形かい……? えぇと、なんだったかねぇ…… 最近はどうも色々と忘れてしまうんだよ」


「そっか。なんかね、お母さんが『あの子の人形』って言って何かを探し回っているって聞いたからね。何かなぁって思ってね」


「うぅ……ん 悪いねぇ、なにも思い出せないねぇ。また今度でもいいかい?」


「うん、大丈夫だよ。また今度来る時に聞くから、それまでに思い出しておいてね」


「あぁ、わかったよ…… それより秀人、おまえ身体は大丈夫かい? またお父さんに叩かれたんじゃないのかい?」


 昌枝のその言葉に、過去を思い出した幸の胸がシクシクと痛む。

 


 弟の秀人は小学校中学年の頃から次第に躾という名の虐待を父親から受けるようになり、時々見えるところにも青痣を作っている事があった。

 もちろん父親がしている事はとても躾と呼べるようなものではない事は昌枝も自分もわかってはいたが、それに対して意見をしたり秀人を庇ったりする事は父親の事を怖がるただの子供でしかなかった自分にはできなかった。だからそれに対して何も言わなかったし、弟を庇うこともしなかったのだ。


 そして当時は自分も子供だったので、秀人が一人で耐えている事にそれほどの罪悪感もなかったし、暴力の矛先が自分では無い事に安堵していた。しかし大人になって当時の事を振り返ると、なんて自分は酷い事をしたのかと愕然とするのだ。

 しかし結局それを謝る事が出来ないままに秀人はこの世を去ってしまった。



 幸がそんな事をぼんやりと思い出していると、昌枝の問い掛けに対して健斗が適当に答えていた。


「あぁ、大丈夫だ。あんなのは屁でもないからな」


「そうかい、お前は強い子なんだねぇ…… お前は強い子だ…… でも、でも、わたしは……」


 昌枝の様子が急に変わり始めた。

 突然彼女は何もない中空に向かって右手を差し伸べると、まるでそこに誰かがいるかのように饒舌に話し出す。その姿はまるで迫真の演技の一人芝居を見ているようでもあった。


「秀人、あぁ秀人…… お母さんが悪かったんだよ…… お前が只管(ひたすら)あの人の暴力に耐えている事をいい事に…… わたしは、わたしは…… あぁぁぁぁ……」


 それまで目に見えない誰かに向かって話しかけていた昌枝は、急に地面に(うずくま)るとそのまま両手で顔を覆って泣き始める。その様子は突然感情が溢れ出した慟哭に近い泣き方だった。



「ちょ、ちょっと、お母さん、しっかりして!!」


「ば、ばあちゃん、おい、大丈夫か?」


 突然大声で泣き始めた昌枝に驚いた幸と健斗が慌てて彼女の肩に手を回して近くのソファに座らせようとしていると、その間も周りの入居者や介護士たちが何事かと一斉に見つめてくる。  

 やっとソファに座った昌枝がそれでもまだ泣き続けていると、人混みを掻き分けるようにして担当介護士が走って来た。


 未だ顔を覆って泣き続ける昌枝の様子を気にしながら幸が介護士に事情を説明すると、彼女は肩を震わせている昌枝の両手を握り締めながらその顔を覗き込む。


「昌枝さん、どうしましたか? 大丈夫ですか? さぁ、もう疲れたからお部屋へ戻りましょうか。はい、こちらですよ」


 

 

 介護士に手を引かれながら自室へと戻って行く母親の背中を見つめながら、幸は小さな溜息をついていた。


 それにしても、最近自分は随分とため息が増えたものだと思う。

 母親の受け入れ先の介護施設がやっと決まって入居出来たのは良かったが、取り急ぎ今回の問題を解決しなければいけないだろう。先週も何度か暴れたと言っていたし、もしもこれがエスカレートしてしまえば、この施設から退去させられてしまうかも知れない。


 昌枝が探しているという写真の件はさっき健斗が適当に誤魔化したが、あれで終わりという訳にもいかないだろう。母親の心の傷を思うと幸としては何とかしてあげたいと思うのだが、実際に子供の頃の秀人の写真など一枚も残っていないのはどうしようもないのだ。


 それに今日は人形の事を母親に訊いたが、彼女はすっかり忘れてしまっていた。

 これはこのまま忘れたままでいてくれた方がとても楽なのだが、きっとそういう訳にもいかないだろうし、恐らくまた近いうちにそれを探し回って暴れてしまうかも知れない。


 秀人の写真の件もそうだが、昌枝の家族としてはやはり何某(なにがし)かの解決方法を探っていくしかないのだろうと幸は思っていた。




 ----



 

 今日からアルバイトが始まることになった桜子が夕方にバイト先にやって来ると、そこでは既に舞が待ち構えてなんだかとても嬉しそうな顔をしていた。

 桜子はこれから暫くの間全く気を抜くことが出来ない事を考えながら緊張の面持ちでやって来たのだが、職場で舞の顔を見ると少し緊張が解れて来る。


 どうやら舞は店長の増田から桜子の世話を任されているらしく、既に彼女の手によってロッカーや制服の準備も済んでいて、あとは着替えて仕事を始めるだけになっていた。

 そんな彼女の協力に感謝をしていた桜子は、隣で一緒に着替えている舞の制服姿をそこで初めて見たのだが、それはとても衝撃的な光景だった。



 今更言うのもアレだが、舞のスタイルはモデル並みだ。


 身長が170センチもあるスラリとした長身に、さらにヒールのある靴を履いているので実際はそれ以上に見える。

 少々釣り目がちの瞳には彼女の気の強い性格が滲み出てはいるが、非常に整った顔立ちは10人中10人が彼女の事を美人だと言うだろうし、髪型と化粧のせいで実際の年齢以上に大人びて見える。彼女がまだ17歳の高校二年生だとは言われなければ誰もわからないだろう。


 そして特筆すべきはその胸で、推定Eカップはあるだろうと思われるその膨らみは、元々胸の部分を強調するデザインの制服を着ているために必要以上に目立っている。彼女のそれはまるでロケットのように前方に張り出しているので、これを見るなという方が無理な話だった。



 舞自身も自分の容姿の美しさやスタイルの良さ、破壊力抜群の胸の大きさを十分に理解している。そもそもここのアルバイトを選んだのも、自身の容姿や胸を見せびらかすのにここの制服が一番だと思ったからだし、女性客からの羨望の眼差しと男性客からの垂涎の視線を一身に集める事に彼女は快感を覚えているらしい。


 そんな舞が胸をユサユサと揺らしながら歩く様は圧巻で、さすがの桜子も二度見してしまうほどだった。そんな桜子の視線を感じて満足そうに微笑んだ舞は、時間になると自分の仕事を始める為にホールへと出ていった。


 実は舞の本音としては、ここで桜子もウェイトレスとして働いてくれれば二人で「おっぱい同盟」を復活できるのにと、いまひとつ意味のわからない事を考えていたようなのだが、桜子のPTSDの話を聞いた今ではそれは無理強いできないだろうと少し残念に思っていたのだった。


 



「小林桜子です。今日からお世話になりますので、よろしくお願いします」


 月曜日の夕方5時、桜子は「ファミリーレストラン アンアン・ミラーズ S町駅前店」の厨房で先輩スタッフに向かってピョコりと頭を下げていた。


  

 まるで天使か女神のような桜子の挨拶に、厨房にいたスタッフ全員が固まっている。

 今日から調理補助の新人女子高生アルバイトが来ると聞いていて、全員どんな子が来るのかと楽しみにしていたのだ。

 特に男性スタッフは、女子高生の新人が来るというだけで心がときめていたのだが、まさかこれだけの逸材が登場するとは誰も予想だにしていなかった。

 それだけ桜子の登場は全員にとって衝撃的だったのだ。


 顔が小さくて頭身の高いスラリとした長身と白くて長い手足、染み一つ無い真っ白な肌に白に近い金色の髪、まるで真夏の空のように透き通る真っ青な瞳に小さいけれどツンと上を向いた筋の通った鼻と薄く紅を引いたような小さくて可愛らしい唇。

 それらのパーツがまるで奇跡のようなバランスで配置された顔は誰も見た事がないほどに美しく、その少し大きめの瞳が幼さを残した可愛らしい顔つきを絶妙なバランスで演出している。


 最早(もはや)それだけで見る者が卒倒しそうな程に美しくて愛らしいうえに、少女から女性へと変わりつつある16歳という年齢だけが持つ不思議な透明感と元来の清楚さが滲み出ていた。

 そしてその前方に張り出した大きな胸。それは彼女が動く度にユサユサと揺れていて、男性スタッフ全員の目がそこに釘付けになっている。


 桜子は厨房担当なので、可愛らしいウェイトレスとは違い白いブラウスと黒のスラックスに茶色いエプロンを制服として着用している。もちろん髪の毛が落ちないように頭には茶色の衛生キャップを被っているのだが、そのキャップの野暮ったさも彼女の美しさをひとつも損なってはいなかった。



 桜子がウェイトレスアルバイトの東海林舞の友人だと聞いた彼らは、舞の容姿を思い出しながら妙に納得した顔をしていて、特にその中の数人はおかしな苦笑いをしている。

 桜子が後から聞いた話では、その数人は一年前に舞がアルバイトに入って来た時に、ナンパをしたり告白をしたりしてこっぴどく振られた者達だったのだ。


 だから桜子が舞の友人だと聞いて、彼女もその美しい容姿の下には恐ろしい本性を隠しているだろうと彼らには思われているようだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 嫌な予感とフラグが、プンプンするぜェー!!
[一言] 恐ろしい本性(笑) ある意味間違ってないんだよなあ
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