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第146話 バイトの面接

 4月中旬。


 今日は桜子のアルバイトの面接の日だ。

 放課後にいつものように帰りの挨拶をする為に健斗の教室に顔を出した桜子は、アルバイトの件を彼に話すことにした。まだ面接も終わっていないし実際に採用が決まったわけでもないのだが、健斗には一応先に話しておこうと思ったのだ。


「……というわけで、これからバイト先に面接に行くんだよ。もしも採用されたら教えるね」


「そうか…… 大変だと思うけど頑張れよ」 


「うん、ありがとう」


 唐突にアルバイトの話を打ち明けられた健斗は少し面食らったのだが、そこはやはり激励するべきだと思った彼は桜子に励ますように声をかけた。健斗の言葉には何のヒネリも工夫もなかったが、その短い言葉に込められた彼の思い遣りと優しさを十分に感じ取った桜子はとても嬉しそうにしている。

 帰りの挨拶を済ませた桜子が顔に満面の笑みを浮かべながらスキップするような足取りで教室から出ていくと、そんな彼女の後ろ姿を健斗は包み込むような優しい瞳で見送っていた。



 二年生になって初めて健斗と同じクラスになった友人達は、そんな二人の姿をちらちらと眺めながらいつものように雑談をしている。


「小林さんって凄い美人だけど、ああしていると普通の女子だよな」


「それは俺も思った。彼女ってもっと近寄り難い感じなのかと思っていたけど、意外と普通なんだな」


「でも噂では相当天然らしいぞ。結構なうっかり屋だっていうしな」


「天然かぁ…… うっかり屋とかドジっ娘って可愛いよな…… いいなぁ…… でもよ、どうして小林ってあの木村と付き合ってるんだろうな。不思議だと思わね?」


「いや、それは俺も前から不思議だったんだよ」


「……もしかして、あれか? いま小林ってうっかり屋だって言ったよな」


「あぁ、言ったな」


「じゃあ、あれじゃね? それもうっかりだったんじゃねぇの?」


「うっかり木村と付き合っちゃったってか!? はははは、おもしれー、案外そうかもな」


「はははは」


「ははははは…… はっ!?」


「……おい、お前ら、いい加減にしろよ。桜子の悪口は俺が許さん」


「き、木村……くん……」



 放課後の教室に、野太い男の悲鳴が響き渡った。






 午後5時にアルバイトの面接を約束していた桜子は、約束の時間の10分前に到着してからバイト先のファミレスの従業員出入り口を探していると、ちょうど出勤してきた舞と鉢合わせになった。これは渡り船とばかりに桜子が舞に案内をお願いするとそのまま事務所の方へと連れて行かれる。

 

「てんちょー、面接の約束の小林さんが来てますよぉ」


 舞が妙に気の抜けた声を出しているのを聞いて、桜子は少し驚いていた。

 普段からきちんとした言葉遣いをする彼女にしては、その話し方は少々砕け過ぎている気がしたのだ。



「はいよ、中に入ってもらえるかい」


 事務室の中からゆっくりとした落ち着いた男性の声が聞こえて来ると、舞に促されてドアをノックしてから中へ入る。そこで舞とは一旦お別れとなった。


「失礼します、小林桜子です。今日はよろしくお願いします」


「……」


 事務室の中に入ると、部屋の一番奥にいた中年の男性が入り口から入って来た桜子を出迎える為に立ち上がろうとしているところだったが、彼女の姿を一目見てポカンと口を開けたまま固まっている。

 彼は舞から友人をアルバイトに紹介すると伝えられてはいたが、まさかそれが金髪碧眼の白人の少女だとは思ってもみなかったらしく、その顔は驚きの表情で埋め尽くされていた。

 彼が舞から事前に聞いていたのは、桜子のフルネームと中学生の時の同級生だという事と、自分以上に可愛い女の子だという事だけだったからだ。


「あ、あの…… どうしましたか? 大丈夫ですか?」


 目の前の中年男性の様子に桜子がおずおずと声をかけると、彼はその声を合図にハッとした表情とともに一瞬の自失から戻って来る。


「あ、あぁ、も、申し訳ない。ど、どうぞ、こちらへ掛けてもらえるかな」




 彼は「ファミリーレストラン アンアン・ミラーズ S町駅前店」の店長を務めている増田和也(ますだかずや)で年齢は36歳、背の高さは175センチほどで、太っているほどではないが少々太めの体格をした優しそうな顔付きの男性だった。


 顔は決して整っているとは言えないが、包み込むような大人の優しさを感じさせる表情と穏やかで優しげな瞳が印象的な中年男性で、年齢のわりに白髪が多い髪からは彼の苦労が(しの)ばれる。



 お互いの自己紹介の後、しばらく桜子は店の説明を聞きながら目の前の増田を観察していたのだが、彼の外見で数ヶ所気になった点があった。

 彼の着ているシャツのシワの寄り具合や少しヨレたようなスラックス、それにネクタイが曲がっているのも妙に気になるし、後頭部には寝ぐせらしきものも見えている。

 そこから推察するに、恐らく彼は独身なのかもしれないと密かにどうでもいい事を桜子が考えてもいると、彼は続けて業務内容や待遇などの説明を始めた。


 思わず余計な事を考えてしまった桜子だったが、そこについてはしっかりと聞いておかなければいけない。彼女が少し背筋を伸ばして聞いていると、そんな神妙な顔つきをした桜子を眺めながら増田は淡々と説明を進めていく。



「以上で説明は終わるけど、質問はありますか?」


「はい。……えぇと、それは採用ということなのでしょうか?」


「あ、あぁ、ごめん。そう、もちろん採用だよ。肝心な事を言ってなかったね、はははは」


 後頭部を掻きながらそう言って笑う増田の顔にはどこか少年の面影が残っているように見えて、桜子は不思議な印象を受けた。それにしてもこの増田という店長はどうやら良い人そうに見えるので、彼女は密かに胸を撫で下ろしていた。


「いやぁ、それにしても驚いたよ。きみの事は東海林さんから聞いてはいたけど、まさか、そのぅ……そんな外見だなんて思わなくてね。あぁ、ごめん、これは決して悪い意味ではないから誤解しないでね」


「いえ、大丈夫です」


「それに名前も普通の漢字の名前だったし。……訊いてもいいかな? ちなみにご両親はどちらの国の方?」


「え、えぇと、そのぅ…… 両親は母だけです。父は昨年亡くなりました。父も母も普通の日本人で、私は…… そのぅ……」


 思わず桜子が口ごもっていると、何かを察した増田が彼女がその先を話し始める前にその言葉を遮った。


「あ、いや、言いづらいことは言わなくていいから。別に立ち入った事を訊くつもりも無かったんだけど…… 嫌な思いをさせてしまったね、本当に申し訳ない」


「いえ、そんな事はありません…… あの、気にしないでください、慣れてますから」


 桜子が平然と口に出した「慣れている」という言葉に、彼女の悲哀が滲んでいるのを敏感に感じ取った増田が余計に済まなそうな顔をしている。その様子に気がついた桜子の方がかえって慌てていた。


「あ、あのっ、本当に気にしないでください」


「いや、本当に申し訳なかった」


 増田が心底申し訳なさそうに謝る姿を見ながら、桜子は彼に対して好意的なものを感じた。

 こんな弱冠16歳の女子高生に本気で謝る大人なんてあまり見たこともなく、それだけ彼の心根が真面目で優しいのだろうと思ったし、この短時間ではあったが益田は信頼できそうな大人に思えた。


 それから少し雑談をした後に面接は終了し、桜子は来週の月曜日から早速出勤する事になった。

 来週からは、今月末で辞める予定のアルバイト社員に付いて仕事を教えてもらう事になっていて、彼がいなくなる前になるべく早く慣れてほしいと言われた。その言葉に桜子は身の引き締まる思いをしたのだった。




 ----




 週末になると、木村家の二人はまた昌枝が入居する介護施設に顔を出していた。

 昌枝が入居する施設は木村家からは電車で二駅の所にあるので、週末には必ず顔を出すことができる。なかには散々入居を待たされた挙げ句に空きが出た施設が自宅から遠かったりする事も多いので、彼らの場合はとても運が良かったとも言える。


 すっかり認知症が進んではいるが、昌枝はそれなりに穏やかな毎日を送っていたのだが、その日の訪問はいつもとは少し様子が違っていて、幸と健斗が施設に到着するなり昌枝の担当介護士から声を掛けられた。



「あ、木村さん、こんにちは。お母さんは今日もお元気ですよ。こちらの呼びかけにもきちんとお話出来ますし。むしろ元気すぎて、実は少々困ったことになっていまして……」


 初めはニコニコと笑っていた介護士の表情が急に曇り始める。昌枝に何かあったのだろうか。


「困ったこと……? 母に何かあったんですか?」

 

 介護士の言葉を聞いた幸が怪訝な顔をしたのを、健斗は横で黙って見つめている。


「はい…… 昌枝さんなんですが先週から何度か暴れていましてね、少し困っているんですよ」


「暴れる……って、どういう事ですか?」




 介護士の話では、先週に幸と健斗が面会から帰った後から昌枝は急に暴れるようになったらしい。

 なんでも、彼女は何かを探し回るような仕草を見せながら突然外に出ようとしたり、勝手に他の入居者の部屋に入ろうとするので介護士がそれを止めると、嫌がって暴れるそうだ。


 暴れると言っても昌枝は力の弱い老人女性なので、そのくらいは介護士達にとっては大した事では無いのだが、それでも他の入居者の前で大声で喚き散らすのは良い事ではないし、もしもこれ以上エスカレートして他の入居者に暴力を振るうようにでもなれば、施設から退去させられることもある得る。

 だから今のうちに昌枝から少し話を聞き出して、大事になる前に何か解決する方法を考えてほしい。

 


 概ねそんな話をここまで一気に説明をした担当介護士が小さく息継ぎをしていると、幸が申し訳なさそうな顔で尋ねる。


「ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありません。……それで母は何を探しているのでしょう?」 


「それが私達にもよくわからないんです。なにか『あの子の人形』とか『写真』がどうしたと言っているようなのですが……」


 担当者が申し訳なさそうな顔をするのを見つめながら、むしろ幸の方が恐縮してしまう。仕事とはいえ、実の娘の代わりに他人の彼女が母親の面倒を見てくれているのだ。申し訳ないのはこちらの方だろう。


「……そうですか、すいません、私からも母に聞いてみますね。何かわかるかもしれませんし」


「お手数をかけてすいません。なんとかお願いします」




 介護士と別れて、昌枝がいる談話室へ向かって歩きながら幸は考える。

 母親が言う「あの子」とは間違いなく彼女の長男の秀人のことで間違いないだろうし、「写真」も彼の写真の事だと思われる。


 しかし写真か……


 幸は思わず深いため息を吐いてしまう。


 実は家には秀人の生前の写真は一枚も残っていない。それは秀人自身が彼の写っている写真を一枚残らず処分してしまったからだった。

 彼が中学1年生の時に性格が別人のように変わってしまった時期があったのだが、それと同じ頃に家中のアルバムから秀人が映っていた写真が全て消え去っていた。

 もちろんそれをやったのは秀人本人に間違いないのだが、父親がそれを問い詰めても彼は絶対に認めようとはしなかったのだ。


 いや、認める認めない以前に、秀人は父親の追求に対してもの凄い目つきで睨み返すだけで、一言も口を開くことはなかった。きっと彼はこの家から自分の痕跡を全て消してしまいたかったのだろうが、今思えばその時の彼の心境は痛いほどわかる。


 だから秀人の葬儀の時の遺影は、彼のアパートに転がっていた、彼が亡くなる直前まで勤めていた会社の社員証の写真を無理やり加工したものだった。

 故人の遺影に使える写真がそんなものしかない事に、さすがの葬儀屋の担当者も驚いていた事を今でも鮮明に憶えている。



 「写真」はわかった。しかし「人形」とは一体何のことなのだろうか。


 歩く幸の頭の中で多くの記憶と思い出が渦を巻いていたのだが、ここで彼女が一人で考えていても答えなど出る訳もなく、実際には母親と話をしてみなければ何もわからない。

 もっとも認知症が進行してしまった今の母親の言う事がどの程度理解できるのかわからないし、秀人の写真だっていまさら探しても一枚も出て来る事はないだろう。

 

 それでも、やはり母親とは一度話をしてみなければいけないと思う幸だった。


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