第134話 金髪の魔法少女
体育祭の二日目も快晴だった
今日のメインイベントはもちろんダンスで、今日の為に皆はこの二週間練習を積み重ねて来たのだ。そしてクラスごとに工夫を凝らした色とりどりの衣装も注目の的で、さらにそれ自体も審査の対象になっている。
桜子のクラスの衣装は男女ともに上は身体にフィットした黄色いTシャツで、下が男子が黒のスラックス、女子が赤いフリル付きミニスカートに黒いストッキングという某国民的アイドルグループのような格好だ。
今回特に注目なのは、ほぼ脚の付け根まで見えるほどのミニスカートに黒いストッキングを穿いた女子の衣装で、彼女たちは観客にその脚線美を惜しげもなく晒しているのだ。
もちろんスカートの中が見えてもいいように中に黒いスパッツを穿いているのだが、普段見えてはいけないものを見ている背徳感のようなものを感じて、男子達は異常に興奮していた。
「そろそろ化粧を始めなきゃ……」
衣装に着替え終わった桜子が独り言を呟いていると、隣で一緒に着替えていた美優が話しかけて来た。
「ひゃー、桜子、あなたやっぱりスタイルいいわねぇ!!」
奈緒は桜子の長い脚から少しずつ上に視線を上げていきながら、半ば溜息の混じったような声をあげていて、桜子の全身を羨望の眼差しで見つめている。
「ちょ、ちょっと恥ずかしいからあんまり見ないでよ」
ストッキングとスパッツを穿いているとはいえ、ほぼ付け根から剥き出しになった脚を隠すような仕草をしながら桜子は恥ずかしそうにしている。
この衣装はクラスの多数決でいつの間にか決まっていたのだが、とにかく脚を出すのが恥ずかしい桜子は、一体誰がこのデザインを考えたのだろう、などと思っていた。
しかしむしろ女子達の間では、某国民的アイドルグループのような格好が出来るとあって評判は悪くないどころか、むしろ好意的だったのだ。
しかも、ダンスの時だけ化粧やウィッグなども衣装の一部として特別に許されているので、彼女たちはそれにも命を懸けていた。
周りの友人たちがウキウキと慣れた手つきで化粧をしていく中、桜子も見様見真似で頑張ってみたのだが、いままで化粧などほとんどした事の無い彼女の腕では、まるで母親の化粧品をイタズラした幼女のような顔になっている。
そんな彼女の姿を見た美優の口からは笑いよりも先に溜息が出ていて、心底あきれたような顔をしていた。
「……桜子、それはないわ…… あなたの化粧の腕では、どんなに良い素材も台無しだわ……」
「……うぅ、だって化粧なんてほとんどしたことないし……」
美優の溜息に泣きそうな声を出している桜子の顔は、はみ出した口紅で口の周りが真っ赤になっていて、まるで辛い物を食べ過ぎて唇が腫れた人のようになっている。
その余りにも情けない姿を見て、更に深い溜息を吐きながら美優は何かを考えていた。
桜子はこれだけ恵まれた容姿を持っているのにも関わらず、自分の外見には全く無頓着なのだ。
もちろん女性としての身だしなみは完璧なのだが、それ以外のお洒落とか、化粧とか、髪型だとかを工夫してより自分を美しく見せようという気が全く見られない。
スカートもひざ下10センチの長さだし、サマーベストもカーディガンも学校指定のものをそのまま着ている。
もっとも、そのままでも十分に美しい容姿なのでこれ以上何かをする必要が無いと言えばそうなのかも知れないが、美優からすると何となくダサく見えるのだ。
しかし、桜子が地味な格好をしているのには実は理由があるのだ。
ただでさえ人並外れた美しい容姿で目立ちまくっているのに、さらに化粧をしたり着飾ったりして今以上に目立ちたくはないのだ。
もっとも、元々桜子が着飾ったりする事にあまり興味がない性格だと言うのも大きな理由なのだが、やはり人よりも目立ちたくないという彼女の無意識が、より地味な格好を好む理由なのだと思われた。
「確かにあなたは素材が良いから、化粧は必要ないんだろうけど…… でもねぇ…… あっ、ねぇ有田さぁーん、ヘルプ、ヘルプ!!」
とっくに化粧を終わらせて友達と雑談をしているゆかりに向かって美優が助けを求めると、彼女は何か面白そうな物を見つけた子供のように目をキラキラと輝かせながら近づいて来る。
「ねぇ有田さん、桜子にバシッと化粧を決めてほしいんだけど、頼める?」
美優の指が、はみ出した口紅で口の周りを真っ赤にしている桜子を指差していた。
「ありゃ、こりゃないわぁ…… オッケー、まかしとき!! こりゃあ素材が良いからいじり甲斐がありますなぁ」
それから10分少々経過して、出来上がった桜子の姿は……
「……あなた、どこの女神様ですか?」
と、思わず美優が言いそうになるほど神々しい姿だった。
さすがは普段から化粧慣れしているゆかりの腕と言うべきか、桜子の素材を最大限に生かした仕上がりになっている。もっとも素材自体が最高級と言えるものなので全てがゆかりの腕だけではないのだが、桜子の真っ白な素肌を生かすような薄い仕上がりの化粧も、明るい色の口紅も、全てが完璧とも言える出来だった。
「はぁ…… 小林さん、あんた凄いのねぇ…… まんま女神様じゃん……」
自分で好きにしておきながら、ゆかり自身もその出来栄えに思わず溜息を吐いていて、周りの女子も皆同じような反応を返していた。
1年3組の生徒達がグラウンドに入場して来る。
心なしか前のクラスの時よりも観客が多く、それもやたらと男子の観客が増えているように見えるのは気のせいだろうか。そしてほぼ全員が、入場して来る女子の姿に目が釘付けになっていた。
普段であれば絶対にしないような恰好をできるのもこのダンス競技の醍醐味で、それはある意味コスプレに近いものがあるのかもしれない。実際に煌びやかな衣装で着飾って思いきり化粧を施した彼女たちも本当に楽しそうにしているし、それを見学する観客たちも普段は目に出来ない同級生の化粧をした姿に興奮していた。
やはりと言うべきか、その中でもスラっと小顔巨乳美人の桜子の目立ち具合は他と比べても突出していて、中には学校内での使用を禁止されているスマホを片手に動画撮影を始める不逞の輩も出る始末だ。
ゆかりによって念入りに化粧を施された彼女の顔は、まるでどこかの女神のように神々しいまでの美しさを湛えていて、あまりにも整った目鼻立ちは既に同じ人間とは思えないほどだった。
そして身体にフィットしたTシャツの胸は凡そ高校生とは思えないほどに大きく膨らんでいて、スポーツブラで押し付けていてもおいそれと隠し切れるようなものではなかった。
普段の桜子の制服のスカートは、ひざ下10センチという少々野暮ったいほどの長さで脚の殆どが隠れているのだが、今日に限ってはほぼ脚の付け根に近い部分からストッキングを穿いた脚が丸見えになっていて、これで興奮するなという方が無理な話だ。
観客席の男子は、皆彼女の長いスラっとした脚を見て興奮していた。
そして健斗もその中の一人だった。
彼もまた桜子の太ももなどほとんど見た事がなかったのだ。
彼女と恋人同士になってから既に二年半以上経っているというのに、未だに太ももどころか普段彼女の服に隠されている部分をほとんど見た事はなかった。辛うじて中学三年生の修学旅行の時に桜子の浴衣が着崩れしているのを目撃した程度で、その記憶も最近は徐々に薄くなって来ているところだ。
数ヵ月前の痴漢事件のせいで、不幸にも彼女はPTSDの症状を発症させてしまったので、いまはまだ恋人の健斗といえども桜子の身体に触れる事は出来ない。腕や肩など普段も触る部分は大丈夫なのだが、脚や胸など痴漢の犯人に触られた部分はたとえそれが健斗だとしても彼女が拒絶反応を示してしまうのだ。
目の前で楽しそうに踊り始めた桜子の姿を見つめながら、ぼんやりとそんな事を思い出していた健斗は、彼女の今後の事を考えると何とも居た堪れない気持ちになっていた。
桜子も智樹も最後まで危なげなくダンスを踊ることが出来た。
最初に彼女の美しすぎる姿を見た智樹は緊張の為に若干腰が引けていたのだが、いざ本番が始まるとこれまでの練習の成果を発揮して二人ともほぼ完璧とも言えるほどの踊りを披露していた。
踊りが終わると桜子と智樹は思わずハイタッチをして喜びあっていた。
桜子のクラスの少し後に1年5組のダンスが始まったのだが、そこでは女子の衣装がかなり注目されていた。
それは一言で言うと「魔法少女」のコスプレのように見えて、手に持った小道具がステッキのような形をしているところからも恐らくそれ系を意識しているように見える。それにしてもこの衣装を作るのは相当大変だっただろうと思われた。
彼らのピッタリと息の合った動きは練習の成果を存分に発揮しているし、曲に合わせてステッキを振り合わす姿はとても可愛らしい。
そんな彼らのダンスに観客たちが熱狂していると、その中に一際目立って可愛らしい女子が一人いるのに気付いたのだが、皆その子が誰なのかわからなかった。
「なぁ、5組にあんな子いたっけか? すげぇ可愛いんだけど、見た事ないよなぁ」
「あの子、可愛いな…… 誰だっけ?」
ダンスの時は化粧やウィッグなども衣装の一部として許されているので、女子達はここぞとばかりに精一杯メイクアップしている。その中でも一番バッチリとメイクを決めている可愛らしい少女の正体を周りの男子達が噂をしている中、智樹にはすぐにこの子が誰なのかわかった。
「も、森川さん……?」
その少女は森川彩葉だった。
彼女はまるで慣れているかのように完璧にメイクを決めていて、それはまるで自分がどうすれば一番可愛く見えるかを熟知しているように見えた。
普段の彩葉はあまり特徴のない地味な顔立ちをしているのだが、今日の彼女はカラーコンタクトとつけまつげで目を大きく見せているうえにマスカラやアイシャドウで念入りに仕上げている。それだけでもう誰だかわからないくらいに顔が変わっているのだが、さらに顔中にメイクを施して仕上げに金色のウィッグを被っているので、既に普段の彩葉とはかけ離れた容姿になっていた。
彼女が化粧を終えてクラスの皆の前に現れた時、クラスの全員が彼女が誰なのかわからなかった。突然目の前に現れた見覚えのない女子をポカンと口を開けてみる者、指を指してヒソヒソと小声で話す者、反応は人それぞれだったが一つだけ共通することがあった。
それは「彼女は凄く可愛い」ということだった。
「う、うちのクラスにあんな女子いたっけ……?」
「ねぇ、あの子誰? 誰さん?」
「すげぇ、可愛い…… だれ?」
口々にクラスメイトが小声で話す中、しかし健斗にはすぐにその女子の正体がわかった。
「も、森川さん……?」
思い切り化粧を施した彩葉の顔を見た時、最初は健斗も彼女が誰なのかわからなかったのだが、よく見るとその顔には元々の彼女の面影が多く残っている。それに気が付いた健斗が思わず小さく呟くと、それを切っ掛けにして教室中に驚愕の叫びが響き渡った。
「えぇー!! 森川さん!? まじで!?」
「あ、あの地味子が……」
クラスメイトが言うように確かに彩葉の顔立ちは地味なのだが、それは決してブサイクだとか器量が悪いという意味ではなかった。顔と同じように地味な髪型と無表情のせいで誰も気にした事はなかったが、よく見ると彼女は小顔で顔立ちも整っている方だし、滅多に見せないが、笑うととても可愛いのだ。
そんな彼女がメイクをするとこんなにも変わることにクラスの全員が驚いていたのだが、外見は変わっても性格が変わる訳では無いので、相変わらず彼女は恥ずかしそうにモジモジと下を向いている。
それが実際にダンスが始まると、まるで人が変わったかのように生き生きとし始めた彩葉の姿に健斗は驚いていた。その顔にはまるで信じられないといった驚きの表情が浮かんでいて、そのせいで振り付けを数か所間違うほどだった。
ダンスが終わると次の組のために生徒たちは速やかに撤収して行くのだが、結局観客の多くは彩葉のことを誰なのかわからなかったようだ。その日以来、体育祭のダンスで踊っていた桜子以外のもう一人の金髪の少女の正体は闇に包まれたままとなったのだった。
体育祭の全種目が終了して順位が発表になると、桜子の1年3組は総合13位、健斗の1年5組は11位だった。
お祭り騒ぎの余韻に浸りながら生徒たちがそれぞれの帰路につくと、その中に智樹と彩葉の姿もあった。
「森川さん…… 驚いたよ。君にあんな一面があったなんて知らなかった」
「……本当は皆の前で披露するのは恥ずかしかったんだけど…… 実はお化粧は慣れているんだ」
「慣れてる? どうして? だって森川さんは普段だってべつに化粧してないでしょ?」
「う、うん…… まぁ、ね」
智樹の問いかけに対して彩葉の答えの歯切れが悪い。
もしかしてこの話はこれ以上深堀りしない方がいいのかもしれないと思いながらも、智樹としてはとても気になったので更に話を続けようとしたのだが、その時彼の脳裏にふとある言葉が浮かび上がった。
そしてまさかとは思ったが、それを口に出してみた。
「森川さん…… あのさ、違ってたらごめん。もしかして…… コスプレとか好きだったりする?」
「ええっ!! ど、ど、どど、どうしてそれを知って……」
智樹のその言葉に反応した彩葉が尋常ではなく狼狽えていて、目を大きく見開き、口をパクパクと開いたり閉じたりしながら、その驚いた姿を全く隠そうともしない。
その様子を見ていた智樹は彼女の動揺した様子が可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「はははは、そんなに動揺しないでよ。べつに知っていたわけじゃなくて、なんとなくそう思っただけだし。それに俺もそういうイベントに行ったことがあるからわかるんだよ」
「ええっ!! 菊池くんもコスプレが好きなの?」
智樹の言葉に、彩葉はなおも驚いて大きな口を開けている。
普段大きな声を出さない彼女が口を大きく開けているのはとても珍しかったし、智樹も見たことがなかったが、その顔を見ていた智樹は、そんな顔の彼女も結構可愛らしいなと思った。
しかし彩葉は、まるで同士を見つけたかのように嬉しそうな笑顔で智樹の事を見ていて、その笑顔を否定するのは今の彼には難易度が高すぎた。なので、とりあえず肯定的な返事をすることにした。
「う、うん…… ま、まぁ、そんなところかな、ははは……」
「本当に? わぁ、この学校で同じ趣味の人に初めてあったよ。嬉しい……」
普段物静かな彩葉とは思えないほどの食いつきに若干引き気味の智樹だったが、いまの彼女の気持ちは彼にもよくわかるのだ。
智樹はゲームとアニメが好きで、同じ趣味の水谷ともよくその話題で盛り上がっている。しかし教室内ではあまり大きな声でその類の話はしないようにしているし、自分たち以外にはそういった話題は敢えてふらないようにしている。
それは彼が中学生の時に周りからオタク扱いされて、イジメの一歩手前までいったことがあったからで、高校では同じ轍は踏まないと誓っていたからだ。
それに自分に興味のない話題を振られる事のつまらなさを彼もよく知っていたからだった。
智樹はコスプレの事はよくわからなかったが、アニメの話は彩葉とある程度盛り上がることができた。アニメの話をする彼女は普段からは想像できないほどに饒舌に話してよく笑う。そして笑った顔はとても可愛かった。
そんな二人が楽しげに話していると、いつの間にか駅に到着していた。
今日の二人は無理に話題を探さなくても済むほどに自然と話が盛り上がっていて、このままもう少し話していてもいいと思うほどだった。
駅に着いた智樹は、下り線のホームに向かう階段の前で彩葉に別れの言葉をかける。
「二日間お疲れ様。また来週学校で会おう」
「う、うん、お疲れ様でした…… また来週ね」
「あぁ、またな」
智樹が階段に向かって振り向いたとき、背後から声をかけられた。
「あ、あのっ、菊池くん」
「……なに?」
智樹が振り向くと、そこには何か必死な顔をした彩葉が立っていて、その表情は先日ダンスの朝練を頼んできた時のものに似ていた。
「……体育祭は終わったけど、これからも友達でいてくれる?」
「え? あ、あぁ、もちろん。君と俺はもう友達じゃないか。また来週からも学校で会えるし…… どうしたの?」
「ううん、なんでもない。そうだよね、私達はもう友達…… ふふっ、友達なんだね」
はにかみながらそう言う彩葉の顔は本当に嬉しそうで、後ろ手に回した姿勢でクネクネと照れたような仕草で動いている。それを見ていた智樹は、そんな彼女の仕草も可愛いなと無意識に思っていた。
その時彼はふと思ったのだが、最近の自分は気がつくと彩葉の事を考えている事が多いような気がした。そして必ず最後に彼女の事を可愛いと思っている自分がいるのだ。
それは2週間前に彼女と初めてあった時から徐々に変わってきていて、決定的に変わったのはあのメイクをした彼女を見た時なのかもしれない。
そんな智樹の思いを知ってか知らずか、しばらく彼の顔を見つめていた彩葉はニコリと控えめな笑顔を見せながら智樹に告げた。
「それじゃあまた来週ね」
そう言うと彼女はクルリと向きを変えるとそのまま上り線のホームへと消えていった。




