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第131話 二人きりの朝練

 翌日の朝、登校して来た菊池智樹(きくちともき)は真っ先に桜子の姿を探したのだが、教室の中に彼女の姿を見つける事は出来なかった。

 昨日の事が原因で彼女が学校を休んだのではないかと思った智樹が、何気にしょんぼりとした顔をしていると、早速水谷が話しかけて来た。


「おはよう、菊池君。折り入って君に訊きたい事があるのだが」


 智樹は水谷のニヤニヤとした顔を見ると朝から少々イラッとしたのだが、何を訊かれるのか瞬時に悟ると彼は敢えてしらばっくれる事にした。



「なんだよ、訊きたい事って」


「聞いたぞ。昨日の放課後、小林と木村がガチで喧嘩したんだって? お前その場にいたんだろ? 詳しく教えろよ」


「そんな事小林に直接訊けばいいだろ? あとは木村君とか」


「お前は馬鹿か? そんな事当事者に直接聞ける訳ないだろ、ワイドショーじゃあるまいし」


「お前、失礼な奴だな、人に馬鹿とか……」



 智樹が軽口を叩きながら水谷を適当にあしらっていると、急に背後から聞き覚えのある可愛らしい声で話しかけられた。その声には活力がみなぎっていて、聞いているとこちらまで爽やかな気持ちにさせられるようだった。


「菊池君おはよう!! 健斗とね、仲直りできたの!! ありがとう、きみのおかげだよ!!」


 智樹が急いで振り向くと、そこには満面の笑顔を溢れさせた桜子が立っていて、朝から周りに天使スマイルを振り撒いている。

 智樹は至近距離で見る彼女の圧倒的美少女感に思わず仰け反りながら、何とか声を絞り出した。

 

「お、おはよう…… そ、それはよかったね、でも俺は何もしていないけど……」


「ううん、昨日の帰りにきみがアドバイスをくれたから、彼と仲直り出来たんだよ!!」


 桜子はとても嬉しそうに言うと、勢いに任せて智樹の手を握ろうとしたのだが、急にハッとした顔をして途中で思い留まっている。彼女なりに異性との距離感を意識して治そうとしているようだった。


「なんだか良くわからないけど、とにかく良かったね……」


「うん!! ありがとう!!」


 智樹が見惚れたような顔で呆けていると、桜子はそのまま踊るような仕草で自分の席に向かって歩いて行った。




 次の休み時間に、智樹は桜子を伴って改めて健斗に挨拶しに行った。

 昨日の事もあるので今更という気もしたのだが、それでも彼としては健斗に一言断りを入れなければ気が済まなかったし、一つだけ健斗にお願いをする事があったのだ。 


「……という訳で、小林さんを体育祭が終わるまでの間お借りします。必要以上に彼女の身体には触れないようにするし、気になる事があったら遠慮なく言ってくれて構わないから」


「あぁ、了解だ。こちらこそお願いします。……それから、昨日は酷い事を言ってしまって申し訳なかった、謝るよ」


 智樹の誠実な物言いに思わず健斗も姿勢を改めると、了承と謝罪の言葉を口にする。彼の顔には多少のバツの悪さが表れていた。

 しかし健斗に了解を貰った後も、智樹は少し健斗の顔色を伺うような表情を浮かべていた。



「う、うん、大丈夫、全然気にしてないから。それよりも木村君に一つだけお願いがあるんだ」


「お願い?」


「そう、お願いなんだけど、体育祭までの間だけ小林さんと一緒に帰らせてほしいんだ」


「えっ、そ、それはどういう事……?」


 智樹の言葉に健斗が返事をするよりも早く、桜子が口を開いていた。

 彼女は健斗が嫌がるので今日からは一人で帰ろうと思っていて、それを後で智樹に話そうとしていたのだ。

 健斗と桜子の二人は、智樹の言葉を聞いてその顔に怪訝な表情を浮かび上がらせている。



「ごめん、言葉が足りなかったね…… えっと、体育祭までの練習期間はいつもより帰りが遅くなってしまうので、出来れば小林さんが電車を降りるまで一緒にいてあげたいんだ。俺と一緒なら痴漢にも遭わないと思うし。……あっ、も、もちろん何か下心があったりはしないから、誤解しないでほしいんだけど……」


 智樹の説明を聞くと、健斗と桜子の顔に理解の色が広がった。

 体育祭まではいつもよりも遅い時間に電車に乗るので、ちょうど通勤通学者の帰宅時間にぶつかってしまい電車内が非常に混み合うのだ。そしてその状況では周りの乗客と身体を触れさせることになるし、最悪の場合また痴漢に遭う事も十分考えられた。


 それが智樹が隣にいる事で避ける事が出来るのだろう。

 昨日も一緒に帰った時には、智樹が壁際で身体を盾にしてくれたおかげで、桜子は誰とも身体を触れさせること無く電車に乗る事が出来たし、彼のおかげで満員電車に乗る恐怖感もかなり薄まったのだ。


 健斗もその話は昨日の夜に桜子から聞いていたので、智樹のこの申し出は彼としてもむしろ有難いものと言えた。


 こうして桜子と智樹は、健斗のお墨付きを貰って一緒に帰ることが出来るようになった。


 その後、今度は健斗の方から改めてダンスのペアとして森川彩葉の紹介をして、桜子もそれに快く了承した。これを以て、通称「ダンスペア嫉妬激高事件」は終息したのだった。 




 

  

 昼休みに智樹が水谷と一緒に弁当を食べていると、教室の入り口から自分を見つめる一人の少女の姿に気が付いた。

 智樹がその女子に向かって自分の顔を指差すと、その女子はコクコクと首を上下させて頷いているので、彼は食べかけの弁当をそのままにとりあえず一度廊下に出る事にした。


「やぁ、森川さん、どうしたの? 用があるなら声をかけてくれればいいのに……」


 その女子は健斗のダンスパートナーの森川彩葉(もりかわいろは)で、食事中の智樹が自分に気が付くまでずっと廊下で見つめていたらしい。何とも奥ゆかしいと言えば聞こえはいいが、単に内気すぎるだけとも言える。


「ご、ごめんなさい…… どうぞ、先に食事を済ませて。待ってるから」


「い、いや、いいよ、すぐに済むならいま聞くよ。どうしたの?」 


 人を待たせて食事をしても、気が急くだけで落ち着かないだろうと智樹は思ったのだが、さすがに口に出しては言わなかった。


「あ、あの…… 菊池君にお願いがあって……」


「お願い? えーっと、なに?」


「あの…… 朝早いのは苦手?」


「朝……? なんで?」


 彩葉の言葉に思わず智樹は首を捻りそうになる。

 彼女の言葉が断片的すぎて、さっぱり全容が見えてこないのだ。



「ごめん、もう少しわかるようにお願いできるかな?」


「……あのっ、ダンスの振り付けの練習に付き合ってほしくて……」


「えっ? ダンスの? だって君は木村君とペアを組んでいるじゃないか。それをどうして俺が?」


 彼女の話を要約すると、放課後に健斗を相手にダンスの練習をしているのだが、肝心の振り付けを彼女がなかなか覚えることが出来ずに健斗に迷惑をかけてしまっているらしい。

 このままでは、ダンスの全体練習に参加出来ないし、ただでさえ放課後の部活の時間を削っている健斗に、さらに朝練の時間まで削らせて彼を付き合わせられないそうだ。


 しかし彼女とは昨日挨拶したばかりで決して親しい間柄とは言えないのに、どうして自分にそれを頼んで来るのか、智樹には彼女の真意が理解できなかった。



「……それは良いけど、どうして俺に?」


「あ、あの、菊池君は優しそうだし…… その、頼みやすいというか、お願いしやすそうというか…… あっ、ご、ごめんなさい、決して、その、あの……」


 そこまで聞いた智樹は何となく理解した。

 彼女は自分に同じ匂いを感じたというか、同じ種類の人間を見たというか、わかりやすく言うと同じ陰キャ同士、話がしやすかったのだろう。


 その結論が頭を過った瞬間、思わず智樹は小さな溜息を吐いてしまった。

 


「いや……べつにいいけど。それじゃあ、何時にする?」


「えっ、い、いいの? じゃ、じゃあ、7時半でどうかな? 30分は練習できるから」 

 

「わかったよ、じゃあ明日7時半に校門前に集合な」 


「ありがとう…… 本当に助かるの」





 翌日の朝、智樹が校門前に到着するとすでに彩葉が待っていた。


「おはよう。ごめん、待った?」


「おはよう。ううん、いま来たところ」


 まるで駅前でデートの待ち合わせをしていた二人のような台詞(せりふ)を吐きながら、合流した二人はそのまま玄関から1年生の教室が並ぶ廊下の一番奥まで移動して行く。

 そこには生徒数の減少で使われなくなった空き教室が二つあり、そのうちの一つを使おうと思ったのだ。もちろん学校には許可を取っていないので、二人はなるべく音を立てないように気を付けて廊下を歩いていった。

 


 教室で智樹が制服の上着を脱いで後ろを振り返ると、ちょうど彩葉もジャケットを脱いでいるところだった。

 ただの上着なので全くときめくようなものではないのに、思わぬ女子の脱衣シーンに少しだけドキッとした彼は、改めて森川彩葉という少女の容姿を眺めてみた。


 特徴のない地味な顔立ちと黒くて長い髪を背中で三つ編みにした姿は、所謂(いわゆる)「文学少女」そのもので、丈の長いスカートに黒いストッキングからは野暮ったい印象しか受けない。


 この高校の女子達のスカートの長さは膝上10センチが標準的なのだが、彼女の場合は膝丈ピッタリの長さだ。さすがに膝下10センチの桜子ほどではないが、見た目からして既に地味なのだ。


 身長は155センチほどなので女子としては特に小さくはないのだが、その痩せて細い体型には女性的な丸みはほとんど無く、彼女から性的なものを感じることもまたほとんどなかった。


 それでも智樹のような性格の人間にはむしろ一緒にいて緊張しないタイプだし、顔も良く見ると可愛らしいと言えなくもない。なにより大人しくて押しの弱い性格は、一緒にいてもあまり気を遣わなくて済みそうだった。



「それじゃあ、とりあえず最初から通して振り付けを確認してみようか」


「は、はい」


 こうしてこの日から、二人だけのダンスの朝練が始まった。





 体育祭当日の服装は基本的に学校指定のジャージなのだが、ダンスの時だけはクラスごとに独自の衣装を着用する事になっている。

 もちろんそれは強制ではないのだが、その衣装自体も審査の対象になっているので、それぞれのクラスでは工夫を凝らした衣装を手作りするのだ。


 もっとも衣装といってもそれほど凝ったものではなく、例えば桜子のクラスの女子は上が黄色い無地のTシャツに下がフリル付きミニスカートと黒いストッキングという某国民的アイドルグループのような格好で、今回はそのうちのフリフリのミニスカートを手作りすることになった。


 体育祭まであと一週間を切り、ダンスの練習もそろそろ全体練習に入るという時期になったのだが、同時に衣装作りも始まって放課後の教室に女子たちの黄色い声が響き渡るようになった。


 そしてその中には、女子役をさせられることになった水谷の泣きそうな顔も垣間見ることが出来たのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 森川さんこれは魔性になるポテンシャル秘めてるなあ。こういう娘が気づくと垢抜けて水商売からのどこぞの社長つかまえてるのよく見るわ。
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