第129話 彼女に関する考察
今回はあまり話が進んでいません。
「勝手にすればいいんだよ!! もう健斗なんて知らない!!」
涙を流しながら走り去って行く桜子の後姿を、健斗は呆然とした顔で見送っていた。
彼が桜子と一緒に過ごした16年の人生で、彼女にあそこまで感情を荒げられた経験はなかった。途中で何度か秀人化した桜子から大きな声を出されたことはあったが、桜子自身に正面から非難されたりしたことはなかったのだ。
桜子はもともとあまり自己主張をする性格ではないし、思いやりのあるとても優しい性格をしているので表立って人を非難するような事はしないのだが、初めて見る彼女が感情を剥き出しにして人を非難する姿がまさか自分に向けられるとは思ってもみなかったのだ。
あまりの衝撃に、健斗は走り去る恋人の背中にかける言葉を咄嗟に思いつくことが出来ず、只々口を開けたままだった。その右手は彼女の身体を掴もうとするかのように前方へ差し伸べられているが、それは無意識にされたものに過ぎなかった。
「あっ、小林さん、待って!!」
智樹が桜子の後を慌てて追いかけて、廊下の角の向こうに消えて行った。
桜子を泣かせた張本人は衝撃のあまり身動きが出来ずにいたのだが、その隣でぼそりと呟く声を聞くとやっと我に返った。
「……やっぱり私、木村君のペアを辞退しようかな…… 私のせいで小林さんを悲しませてしまったし……」
ふと見ると、健斗の隣にいる彩葉も泣きそうな顔をしながら床を見つめていて、その両肩も力なく下がっている。
「……そんな事はないよ。森川さんは全然悪くないから、気にしないでくれ。それにもし君じゃなくても、クラスの誰かとはペアは組まなくちゃいけなかったんだし……」
健斗は彩葉を励ますように言ったのだが、彼女は依然として床を見つめたまま顔を上げようとはしない。
確かに健斗の言う事も間違ってはいないのだが、今回の問題はそこではなく、彼と桜子とのちょっとしたすれ違いが原因なのだろう。
どちらにして、クラスの女子の中からペアを決めなければいけないのは変わりがないし、今回は偶々それが彩葉だったというだけなので、彼女自身に責任はないのだ。
それは彩葉自身もわかってはいるのだが、それでもやはり早い時点で自分から桜子には一言言っておくべきだったと、今更ながら彼女は後悔していたのだった。
泣きながら教室に戻って来た桜子が少し乱暴な仕草で帰り支度をしていると、追いかけてきた智樹は今日のダンスの練習は諦めて桜子を途中まで送っていこうと自分も帰り支度を始める。
そんな彼の様子には全く構う事なく、支度の終わった桜子はそのまま早足で教室から出て行った。
「なぁ、小林さん、ちょっと落ち着いてよ、ねぇってば」
智樹が一生懸命後ろから声をかけていると、さすがに無視をするのを悪いと思った桜子は少し歩く速度を落として、後ろから追い付いて横に並んだ彼の顔を見上げた。
智樹の身長は174センチあるので、166センチの桜子は彼の近くだと自然と見上げる格好になって、健斗と一緒の時との違いに少し奇妙な感覚を覚えていた。
桜子の身長は最近の若い女性の中では特別長身というほどではないのだが、顔が小さい頭身の高いスタイルのせいで実際以上に背が高く見えるのだ。
早足で駅に向かって歩く桜子の顔には、未だ怒りと戸惑いと悲しみが入り混じった複雑な表情が張り付いていて、それを見た智樹は何と言って話しかければ良いのかわからなかったのだが、同時に彼女のそんな顔もとても綺麗だと思ってしまった。
それでも彼は彼女に口を開いて貰おうと一生懸命に話しかけていると、そんな智樹の気持ちが伝わったのか、桜子は歩く速度を落としてゆっくりと話し始める。
「……急に取り乱してごめんなさい……」
「いや、俺の方こそごめん…… 俺のせいで木村君を怒らせてしまったみたいだ」
「ううん、違うの。菊池君のせいなんかじゃないよ。あたしも悪いし、健斗も悪いの……」
桜子には珍しく、この期に及んでも健斗の事を責めるのを止めようとはしなかった。それだけ彼女の怒りが深い証拠なのだろう。
「明日、彼には俺からも謝っておくから、小林さんも早く仲直りをしたほうがいいよ。このままでいるのは気まずいし嫌だろ?」
「……そうだけど…… 確かに昨日、彼に何も言わずに帰ったのは悪かったと思うけど、でもあの言い方は酷いよ」
「君の気持ちはわかるけど…… 彼にも言いたい事があるだろうから、やっぱり明日もう一度木村君に会いに行こうよ。俺も一緒に行くからさ」
「……うん、そうだね……」
S町で下車した桜子を見送った智樹は、電車に揺られながらその後もずっと彼女の事を考えていた。
桜子と親しくなってからまだほんの数日しか経っていないし、それ以前は直接話すらしたことが無かったのだが、この数日で智樹はすっかり桜子の事を理解しようと一生懸命だった。
確かに彼女は可愛らしい。
とても整った綺麗な顔をしているし、顔が小さくてスラっとした手足の長いスタイルもまるでモデルのようだ。いけないとわかっていても思わず目で追ってしまうほどに胸も大きい。
自分はべつに白人至上主義という訳ではないが、その金色の髪も青い瞳も真っ白な肌も他の人々が望んでも手に入らないものだし、個々人の趣向もあるのだろうが、大多数の人間は彼女の容姿を美しいと思うだろう。
しかし彼女は、不思議な事に自分の容姿にあまり頓着していないように見えるのだ。
この高校に入学した初日に教室で彼女の姿を見た時、自分は二度見どころか五度見くらいはした。
そのくらい彼女は今まで見た事がないほどに美しかったし、本当に女神のようだと思ったのだ。しかし、そんなに恵まれたルックスの持ち主なのだから、きっとそれを鼻に掛けたような性格なのだろうと勝手に考えていたし、彼女とはきっと友達にはなれないと思っていた。
しかし、実際の彼女はそうではなかった。
自己紹介の時の間の抜けた姿も、教室で友人たちと話す明るい姿からも自分が思っていたような部分を見る事は全く無く、むしろ彼女は気が小さいビビリ屋で、外見同様に「ゆるふわ」な天然娘であるらしい事がわかったのだ。
小林桜子はあれだけのルックスと誰にでも好かれる性格をしていながら、いつも自然体で全く自分を飾る事をしない。
自分の恵まれた容姿を自慢するどころか、正確にそれを把握しているのか疑わしく思えるほどに自身の容姿に無頓着で、それどころか自分の外見を少々疎ましく思っている節も見受けられるのだ。
そして、敢えて自分の容姿を隠すような素振りさえ見せる。
制服のスカートはわざと長く野暮ったくしているし、夏でもサマーベストを着用して身体のラインを出さないように気を付けている。周りに自分の容姿を注目されないようにしているようなのだ。
そんな彼女なのだが、以前に一度だけスカートを短くしたことがあった。
女子達が面白がって彼女のイメチェンをしようとした時に自分も近くにいたので、その経緯は知っているのだが、スカートが短くなった彼女は猛烈に可愛かった。
彼女の全身から滲み出る清楚さと不思議な透明感に反して、ひざ上のスカートの裾から見える真っ白な太ももが何とも言えないアンバランスさを醸していた。彼女の太ももが少し太めであることをその時初めて発見したのと同時に、少し危険な香りがしたのだ。
普段の制服からただスカートが短くなっただけなのに、どうしてこうも違うのかと思えるほどに彼女のイメージは変わっていて、クラスの男子達の注目の的だった。
そしてそれを彼氏が喜んでいるからと言って、それから数日間彼女のスカートはそのままの長さを維持していた。
これだけの恵まれた外見に可愛らしい性格をしているのだから、もちろん彼氏ぐらいはいるのだろうと思っていたら、案の定だった。しかも驚いたのは、それが同じ学年の男子だった事だ。
そして、これだけの美少女に好意を寄せられる男なのだから、さぞイケメンなのだろうと思っていたら、これがまた予想を裏切られた。
その彼氏の姿を初めて見た時も驚いたものだ。
彼は背は高くないし、顔もイケているとは言えない。胴長短足の体型にガニ股で歩く姿はお世辞にも女子にモテるとは思えなかったし、おまけに柔道部員だった。
しかし彼女はそんな彼に向って最高の笑顔を見せるのだ。それはクラスの誰にも見せない彼だけに向けられる笑顔だった。
しかしそんな彼女が不幸な事件に巻き込まれた。
スカートを短くした数日後、彼女は学校から帰る途中の電車内で痴漢に遭ってしまったのだ。
その当時、彼女とは直接話したこともなかったし、もちろん友達と呼べる間柄でもなかったが、その噂を聞いた時には彼女の事を心配した。
事件から2日後には彼女は学校に来るようになったのだが、その様子は以前とは少し違っていて、常に周りを警戒しているというか、オドオドしているというか、言い方は悪いが少し病的なものを感じるようになった。
噂だけでは詳しい話がわからなかったが、そもそも犯人が逮捕されるほどの大きな痴漢事件の被害に遭った直後なのだから、多少はそうなるのは仕方がないと思ったし、なにより彼女の事がとても可哀そうだった。
ここ数日で彼女と親しく話をしていると、色々とわかって来た事がある。
彼女がこの学校に来た理由は、単純に家庭の事情だった。
元々の彼女の志望校はあの地域最難関の北高校だったのだが、入試直前に父親が亡くなった関係で、自宅から一番近いこの高校を受験することになったそうだ。
もっとも偶々ここが恋人の志望校だったのは彼女にとっては幸運だったようだが、それでも普段の授業内容や周りの友人たちとの格差は彼女もきっと感じているのだろう。実際にその結果は定期試験の結果として表れているし、噂では教師たちが彼女をこの学校初の有名国立大学の合格者にしようとしているらしい事からも伺い知れる。
彼女は実家の店の手伝いが忙しいために、部活にも委員会にも所属することが出来ない。
部活や委員会に所属して楽しんだり、そこで仲間たちと友情を育んだり、放課後は友人たちと寄り道をして遊んだりなど、普通の高校生が普通に経験している事すらも彼女は出来ずに、放課後は実家の手伝いのためにすぐに帰ることを余儀なくされている。
帰宅すると夜まで店番をして、それから夕食、風呂を済ませてから勉強をして寝る。そんな平凡どころか、むしろつまらない毎日を送っているらしい。もちろん彼女がそれを平凡だとか、つまらないなどと言った訳では無いのだが、自分にはそう思えてならないのだ。
あれだけの飛び抜けた容姿の持ち主なのに、それからは想像できないような地味で何も無い日常を送っている。
これは噂で聞いただけなので真偽の程は定かではないが、彼女は過去に誘拐されたり、いじめに遭ってナイフで切られた事もあるらしい。
誘拐事件の後遺症で今でも知らない男性の近くにいる事ができなかったり、いじめで額をナイフで切られた際に残った傷のせいで、今でも前髪を上げる事が出来ないと聞いた。
後遺症の事はわからないが、額の傷は一度見た事がある。
彼女が頑なに前髪を上げようとしないのを友人がからかって無理に触ると、そこに大きな傷跡が見えたのだ。その傷は5センチ近くもあるような大きなもので、引き攣れたような歪な形と縫い跡が見えた。
もちろん友人は慌てて彼女に謝罪をしていたし、彼女も気にしていないと言ってすぐに許していたのだが、それ以降も絶対に前髪を上げようとしない様子からは、彼女がその傷の事を相当気にしている事がわかった。
友人達の中には彼女の外見だけを見て憧れたり羨ましがったりする者も多いのだが、自分はほんの数日間親しくさせてもらっただけで、彼女の本当の姿を垣間見た気がした。
彼女は可哀そうな女の子だった。
まるで何かのゲームみたいに、見た目にステータスを極振りした結果、防御力やLUCK(幸運度)がダダ下がりになってしまったかのように彼女の人生は困難の連続だったのだろうか。
恵まれ過ぎた容姿のせいで、多くの人間に外見だけで判断されてその内面を正当に評価されない事が多いのだろうか。
などと、小林桜子について詳細に考察する自分は、まるで彼女のストーカーのようだと自嘲しながら、電車に揺られて智樹は小さな溜息を吐いたのだった。




