第126話 ダンスの相手
新キャラ出ました。
桜子の同級生の男子です。
8月中旬。
健斗の柔道部の試合があったのだが、健斗自身は代表に選ばれていないので試合に出る事はなかった。
彼の柔道の実力は決して低くはないのだが、有明高校は公立高校の中では強豪と言われるだけあって、その選手層の厚さはさすがと言うべきで、健斗レベルの部員は他にも大勢いるのだ。
そうなると必然的に前年実績のある先輩達から優先的に代表に選ばれるのは仕方のない事だった。健斗としては、今度の11月に開催される新人戦で一定の成績を残して来年に繋げる事しかできないのだ。
そんな中、剛史だけは特別だった。
彼は並み居る先輩たちの中に混じってもその実力は折り紙付きで、すでに男子60キロ級の個人戦の代表の一人として選ばれている。実際に彼は部内の練習試合でも次々に先輩たちを打ち負かしていて、すでに同階級では部内最強との名が高い。
また、一つ上の階級の先輩達に混じっても全く引けを取っていないところを見ると、もしかすると彼は60キロ級と66キロ級を通して最強なのかも知れない。
そんな剛史に対しては、周りからも大小様々なやっかみや嫉妬なども見られたが、やはりそこは実力の世界とい言うべきか、弱い者が何を言っても相手にはされなかったのだ。そういう意味でも剛史は実力で現在の地位を勝ち取っていて、誰にも文句は言わせなかった。
健斗と同じ階級には剛史がいるので、11月の新人戦では一校二名の出場枠のうちの残り一つを賭けて、健斗は他同期部員達と鎬を削っていた。
9月上旬。
今年度二回目の定期試験が終了した。
さすがに今回は桜子も全科目満点という訳にもいかなかったのだが、それでも全てを通して失点は二問だけで、それも単純なケアレスミスのみというまたもや伝説級の結果を残した。
ここまで来ると、すでに桜子の担任のみならず学年主任やその他の教師も巻き込んで、彼女はこの学校始まって以来の有名国立大学の現役合格者になるかも知れないと騒がれている。もっとも桜子自身がまだ自分の将来について何も考えていなかったし、家庭の事情もあるので、実際に大学に進学するかどうかもわからないのだが、それでも彼女はすでに教師の間でも話題になっていた。
ちなみに健斗の成績は、今回は320人中100番という事で前回よりもさらに順位が上がっていて、それは今回も桜子と一緒に試験勉強をしたのが大きかったようだ。
前回の乳揉み気絶事件以降、健斗は桜子と二人きりになる事を普段は自重しているのだが、さすがに試験勉強に関してはそんな事も言っていられずに、今回もまた桜子の部屋で二人で勉強をした。
二人の雰囲気はまたもやお部屋デートのような様相を呈していたのだが、それでも部屋のドアは開けたままにしていたし、きちんとルールを守って真面目に勉強はしていた。
それに健斗が内心でどう思っているかは別にして、表向きは桜子に対して悶々としている様子も見られなかった。
9月中旬。
桜子の心理カウンセリングは続いている。
治療を開始してから既に2ヵ月が経過しているのだが、今のところ目立った効果は見られない。楓子は浅野医師の言葉に不安そうな表情を隠せない様子なのだが、浅野が言うにはまだ表立っての進展は見られないが、事は彼女の深層心理にかかわる部分なので、ある時あるタイミングで急に回復することもあるそうだ。
その言葉を聞いた楓子の顔には、やっと少し柔らかい表情が戻ってきていた。
「それで、お嬢さんの恋人君の最近の様子はどうですか? 彼に何か変化などはありませんか?」
楓子に対して浅野が唐突に尋ねて来たのだが、その質問の真意を楓子は掴みかねている。娘のカウンセリングと健斗の様子に何か関係があるのだろうか。
「いえ、特に気になる様子はありませんが…… 先日も娘の部屋で二人仲良く試験勉強をしていましたし…… それに何か関係が?」
「はい、それがあるんですよ。恋人君の存在は、家族以外ではお嬢さんにとっての唯一の心の拠り所で、しかも肉体的な接触も許せる相手なんですね。だから彼の変化はお嬢さんの心にも大きな影響を与えるんですよ」
「はぁ、変化ですか……?」
浅野の噛み砕くような説明を聞いても楓子はピンと来ていないようで、その顔には怪訝そうな表情が浮かんでいる。
「そうですね。特に今回の異常反応は、異性による望まない肉体接触が原因になっている訳ですから、恋人君がお嬢さんに対してどういう接し方をしているかが重要なんですよ。それに彼はまだ16歳ですよね? 普通その年齢なら色々と我慢できない事もあるでしょう」
「……確かに」
そこまで言われて初めて楓子は理解したのだが、確かに16歳という年齢を考えた時に、桜子ほどの魅力的な女性と一緒にいる健斗はよく我慢できるものだと思うのだ。これがある程度の年齢の大人であればいざ知らず、あの年齢では普通は歯止めが利かなくなってもおかしくないはずなのだ。
「最近の二人の肉体接触はどうですか? ……あ、いや、別にいやらしい意味で言っている訳ではありませんよ」
物思いから覚めた楓子が浅野の言葉に急に顔を上げると、普段はとても飄々としている彼には珍しく慌てたような仕草をしている。
しかし楓子にも彼がそんなつもりで訊いたのではない事は十分わかっているので、彼女も淡々と質問に答える。
「……えぇ、大丈夫です、べつに何とも思ってませんから…… そうですね、それも特に変わりはないかと思います。時々隠れてキスをしたり抱きしめあったりはしているようですけれど、それ以上の事は無いようです。彼はとても辛抱強くて無理に娘に触れようとはしませんし、娘もそれ以上の事は望んでいないようです」
楓子の言葉を聞いた浅野は「ふぅむ」と小さく頷くと少し何か考えるような仕草をしたのだが、すぐにまた楓子の顔を見ながら話を続けた。
「それは良い傾向ですね。過去の症例では、我慢が出来なくなったパートナー男性が患者に無理に接触を求めた結果、症状が悪化してしまったケースもあるんですよ」
「それは少し怖いですね…… あの子たちの事なので大丈夫だと思いますが、気を付けて見るようにします」
「……あくまでもこれは独り言なのですが…… 本当の事を言うと、恋人君には無理のない範囲で徐々にお嬢さんの身体に触れるようにしていってほしいのですが、さすがにこんな事を母親の前では言えませんからね……」
「……」
楓子としては浅野の言いたい事は理解できた。
しかし実際にそれをするには色々と問題が多すぎて無理だと思うのだ。桜子の身体に触れるように健斗に言えば、間違いなく彼を寸止めの生殺し状態にしてしまうのは目に見えているし、しかも彼が暴走しないように誰かの監視のもとで行わせなければいけないだろう。
まさか思春期の少年少女にそんな事をさせる訳にはいかないし、実際そんな事など出来る訳がないのだ。
どのみち桜子の治療には時間がかかる事は初めからわかっていた事だ。
だから、あせらず騒がずゆるゆると、彼女のペースに合わせてやっていくしかないのだろうと楓子は思うのだった。
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毎年恒例の体育祭が二週間後に開かれる。
体育祭は平日の二日間をかけてクラス別に各種競技に参加してその順位を競うのだが、その種目は以下の通りだ。
・100メートル走
・リレー
・ダンス
・綱引き
・借り人競争
・二人三脚
・玉入れ
この中でリレー以外は全員参加となっていて、順位ごとに得点が入ってその総合得点を争う。
また競技に学年は関係なく、3学年全24クラスでその覇権を賭けて争うという、話を聞くだけでも鼻息が荒くなりそうな二日間だ。
ちなみにダンスだけは審査員に扮する教師達による審査となっていて、踊りの綺麗さや振り付けの妙を競う。
ちなみにこの体育祭(及び事前練習)を切っ掛けに毎年多数のカップルを輩出しており、多くの独り者にとっても鼻息が荒くなる二日間でもあるのだった。
放課後の1年3組の教室で菊池智樹が帰る支度をしていると、友人の水谷宗久に呼び止められた。
「おい智樹、お前、ダンスのペアの話はどうなってんだよ?」
「どうなってるって…… べつにくじ引きで決めるからいいだろ?」
水谷の問い掛けに対して智樹は何やら面倒くさそうに受け答えをしているのだが、それはべつにその質問が面倒なのではなく、水谷の存在自体が彼にとっては面倒だったのだ。
「なに言ってんだよ、勝負に負けたお前が悪いんだろ? ダンスの相手に小林を誘うって約束、絶対に果たしてもらうからな」
「……くそっ、あの時は勢いでそう言ったけど、実際にそんな事できるわけないだろ? 大体、小林は俺なんて相手にしないって」
ニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべている水谷を睨みつけながら、智樹は小さな溜息を吐いている。
体育祭で行われるダンスは、複数の男女のペアがグランドに集まって隊形を組みながら一緒に踊るという一種の集団競技なのだが、そのペアの相手は早い者勝ちで決まっていく。
しかし、特に仲が良い訳でもない女子にいきなりダンスのペアを申し込む事は、智樹のような大人しい陰キャには相当ハードルが高かったし、彼としても自分がそれに成功する場面をどうしても想像することができなかったのだ。
自力でペアを組むことができなかった者達は、最終的にくじで相手を決めていくのだが、智樹も自分のペアはそれで決めればいいだろうと思っていた。
「そんなのまだわからないだろ? 情報ではまだ誰も小林にペアを申し込んでいないみたいだぞ」
水谷のその言い方は、「いいからさっさと申し込んで来い」と言っているように智樹には聞こえた。
「そんな事言ったって、あの小林だぞ? お前、わかってるのか?」
このダンスのペアの決め方は、有明高校伝統のやり方として代々受け継がれてきたのだが、その内容を聞くと、体育祭を切っ掛けに多数のカップルが生まれてきた理由が智樹にはわかった気がした。
早い話が、ダンスのペアを申し込むのに見せかけた告白大会ではないか。なんてふざけた事を考えてくれたのかと、発案した諸先輩方を小一時間ほど問い詰めたくなる智樹だった。
「そんなのわかってるよ。どうせあいつなんて彼氏がいるんだから、どうしたって良い関係になんてなれる訳ないだろ? だからべつに固く考える必要なんかないんだって。それに絶対断られると思うしな。とにかく約束は約束だ、絶対に小林に声をかけろよ。そして玉砕してこい、わかったな?」
水谷の顔には相変わらずニヤニヤとした笑いが張り付いていて、その表情を見た智樹は妙にイラッとした。
「くっ……わかったよ、玉砕覚悟で声だけはかけてやるよ。約束だからな…… くそぅ、どうしてこうなった……」
翌日の放課後、帰り支度をしている桜子の背後から智樹が近付いて行くと、人の気配を感じた彼女はパッと勢い良く振り向いた。その顔には不安と怯えが混ざったような表情が浮かんでいて、背後にいたのが同級生の菊池智樹だとわかると、露骨にホッとした顔をしている。
「あっ、あぁ…… 菊池君じゃない、どうしたの?」
「ご、ごめん、もしかして脅かせた? あ、あのさ…… いま少しだけ時間あるかな?」
背後から人に近付かれた事に必要以上に驚いている桜子の様子を気にしながら、そう言えば彼女に話しかけたのはこれが初めてかも知れないと思って、智樹は改めて桜子の容姿をまじまじと眺めていた。
染み一つ無い真っ白な肌に、白に近い金色の髪、そして透き通るような青い瞳の彼女は本当に天使のように見えて、小顔でスラっと背の高いスタイルはまるでモデルのようだ。
そして、その全身から滲み出る清楚さと不思議な透明感は、凡そ自分と同じ人間には見えなかった。
春に桜子と同じクラスになってからずっと遠巻きに見ているだけで、智樹は今のように近付いたことは一度もなかった。それに彼女の美しさは遠くから眺めているだけでも十分伝わって来るので、遠くから彼女の姿を眺めるのが、密かに智樹は好きだった。
もちろんもっと近くで見てみたいとか、直接話をしてみたいと思った事は何度もあったのだが、こんな地味な陰キャの自分なんて、どうせ彼女は相手にしないだろうと思って諦めていたのだ。
今回だって水谷との勝負に負けたりしなければ、きっとこうして話しかける事もなかっただろうし、もしかしたら彼女とはずっと接点がないまま、来年には違うクラスになっていたかも知れない。
近くで見る桜子は、とても可愛らしいのだと智樹は気付いた。
遠目から見ていると、彼女の全身のスタイルのほうが先に目に入って来るので「美しい」という印象になるのだが、近くで顔の表情を見ると、その印象は「可愛らしい」に変わっていた。
彼女の少し大きめの瞳は顔全体の印象を少し幼く見せていて、笑った顔は少し垂れ目になってとても可愛らしい。ツンと上を向いた小さな鼻も、柔らかそうな桜色の小さな唇も、全てが完璧なバランスで配置されていてその全てが愛らしかった。
「菊池君? ねぇ菊池君、どうしたの、大丈夫?」
自分から声をかけたくせに、すっかりその目的を忘れて桜子の容姿に見惚れていた智樹だったが、不思議そうな顔で声をかけてくる金髪美少女の姿に気が付くと、彼はバツの悪そうな顔をしながら愛想笑いをした。
「あっ、ご、ごめん、ちょっとぼーっとしちゃって……」
「……もしかして疲れてる? 授業中も居眠りしてたでしょ」
その言葉に、彼女は意外とクラスメイトの事を見てるんだな、などと思いながら、自分の事を心配している桜子に智樹はなんだか申し訳ない気持ちになった。
「だ、大丈夫、どこも悪いところは無いし、疲れてもいないから」
「……でも、なんだか様子が変だよ、なにかあったの?」
智樹は心配そうな顔をした桜子に顔を覗き込まれると、その明るい青色の瞳に釘付けになったのだが、このままではちっとも話が前に進まないと思って、何の前振りもなくいきなり用件を切り出した。
「あ、あのさ、小林さん」
「なぁに?」
不思議そうな顔で小首を傾げる桜子の仕草もまた可愛くて、またしても見惚れてしまった智樹だったが、もうこれ以上彼女の前で平静を保っていられる自信のなかった彼はそのままの勢いで最後まで言い切った。
「今度の体育祭のダンスなんだけど、まだ相手が決まってなければペアをお願いできないかな?」
「うん、いいよ」
「そ、そうだよな、やっぱりダメ…… えぇ!! い、いいの!?」
桜子の口から思ってもみなかった答えが飛び出すと、智樹はあまりの驚きのために思わず仰け反りそうになった。
すると視界の片隅に教室の入り口からそっと様子を窺っている水谷の姿が見えたのだが、彼の顔にも凄まじいまでの驚愕の表情が張り付いている。
もしかすると、その驚きは今年一番のものかもしれない。
「うん、大丈夫。実はあたしもダンスの相手を誰かにお願いしなくちゃ、と思ってたんだけど、誰に言えば良いのかわからなくて。だからそっちから声をかけてくれて助かったよ、ありがとう」
そう言って笑った桜子の笑顔を初めて間近で見た智樹は、彼女の糸のように細められた瞳の睫毛も髪と同じ金色であることに初めて気が付いた。
またしても見惚れてしまった智樹は、あまりの驚きに声が掠れてしまって、最早一言だけしか口に出すことはできなかった。
「……ど、どういたしまして……」




