第124話 閑話:デートの誘い
サブキャラクターのエピソードが続きます。
本編には直接関係ありませんので、興味の無い方は読み飛ばしてください。
「あのさ、男女の間の友情が、愛情に変わる事ってあると思う?」
突然の奈緒の問いかけに桜子は少し考えるような素振りを見せたのだが、すぐに彼女なりの答えが見つかったようだ。
「そうだねぇ、あたしと健斗は1歳からの幼馴染だけど、その間にもきっと友情はあったと思うんだ。今は彼とは恋人同士だからそれは愛情に変わっているという事なんだと思うけど」
桜子の答えを聞いた奈緒は、こんなに身近にその経験をした者がいることに、今更ながら気付いていた。
確かに桜子たちの付き合いはとても長くて、それこそほとんど生まれた時からの付き合いだと聞いている。そして彼女たちが男女の友人同士としての付き合いのほうがずっと長くて、恋人同士になったのはここ3年ほどの間なのだ。
奈緒がぼんやりとそんな事を考えていると、桜子が「あくまでもあたしの考えなんだけど」と前置きをして更に話を続けた。
「もちろん男女の間の友情もあると思うけど、男子の方が原因で破綻することが多いんじゃないかと思うよ。男子が女子の事を異性として意識して女子がそれに気付いた瞬間に、その関係は終わってしまうんじゃないかなぁ」
「なるほど……」
「ほら、女子って一度ただの友達だと思った男子には恋愛感情が湧かない人が多いでしょ? あたし達の場合は健斗がずっと昔からあたしの事を好きでいてくれたんだけど、あたしが鈍感だったのと、臆病すぎてそれに応えるのが怖かっただけなんだけどね」
桜子はそう言うと、ペロリと小さな舌を出して照れたように笑った。
「でも、その逆ならきっと大丈夫な気がするよ。女子がその気持ちを胸に秘めていてもね」
「……それじゃあ、男子がその女子の気持ちに気が付いたとしたら?」
「そうだねぇ…… それでもきっと上手くいくんじゃないかな。基本的に男子ってウェルカムな人が多いでしょ? 来る者は拒まず、って言うの? すでに付き合ってる人がいたり、その子がよっぽど好みじゃない限りはね」
「なるほど…… さすがは恋愛の先輩だね、言葉が深いよ……」
「や、やめてよ、あたしなんてまだまだだから…… まぁ、ただあたしがそう思うっていうだけなんだけどね」
数日後、奈緒は教室で葵と桔平と話をしている時に桜子に言われたことを話してみた。すると桔平は実際にそうした事を経験してきた彼女の話がストンと胸に落ちたようで、なんだかスッキリした顔をしていた。
実はとうの昔に彼の中では答えが出ていたのだが、それが正しいのかどうか自信がなかったのだ。そして実際にそうした経験を経た桜子の話を聞いてみると、やはり自分の答えは間違っていなかったのだと確信することができたようだ。
それでも相変わらず桔平の中で燻っている美樹に対する罪悪感は消えていないのだが、その日以来、彼女に対する後悔の念は彼の中で上手に消化できたようだ。
それは悩みというほどの大きなものではなかったが、それでも彼が引きずっていた心の蟠りを解決する切っ掛けを作ったことで、奈緒と桔平の距離は大きく縮まったように感じた。
それからも桔平は事あるごとに奈緒に会いに来ては、短時間でも話をして帰るようになり、今では昼休みに弁当を食べ終わると、桔平が教室にやって来るのを葵と二人で自然と待つようになっていた。
8月上旬。
学校が夏休みに入ると同時に始まった夏期講習も既に終わり、部活に入っていない奈緒は次第に暇を持て余すようになった。家が近所で同じように部活に入っていない桜子に会いに行くこともあるのだが、彼女は基本的に日中は実家の酒屋の手伝いをしていることが多いので、そう度々行くわけにも行かない。
そんなある日の昼下がり、奈緒が庭の草木に水を撒いていると、部屋で携帯電話が鳴っていると母親が伝えに来た。こんな時間に電話をかけてくるのは桜子か友里くらいしかいないので、彼女はのんびりとリビングに置いてあったすでに沈黙している携帯電話を手に取ったのだが、着信履歴に残った発信者の名前を見た瞬間、彼女の顔に不思議そうな表情が浮かんでいた。
「……桔平? なんでこんな時間に電話なんて…… っていうか、電話番号教えたの凄い昔なんだけど、なんで今頃かけてきてるの?」
桔平は今の時間は野球部の練習に参加しているはずなので、余程急な用事でもない限り電話なんてかけてくるはずもないし、そもそも彼に電話番号を教えたのは既に3か月は前の話で、それまで一度たりとも電話をかけて来ることなんてなかったのだ。
それに大抵の用事はメールかSNSで済む話なので、態々電話をかけてくる意味がさっぱりわからなかった。
それでも着信があった以上は、やはりかけ直すべきだと思った奈緒は、リビングのソファに身を投げ出しながら携帯電話の通話ボタンをタップした。
「……もしもし、桔平? こんな時間に電話なんてどうしたの? なにか緊急の用事でもあった?」
「あぁ、奈緒か、急に電話してごめん。メールかSNSでもいいかなって思ったんだけど、やっぱり電話で言おうと思って」
夏休みに入ってから桔平にしばらく会っていなかった奈緒は、彼の声を聞くと何となくホッとしたような気がした。
「っていうか、いま部活の練習中なんじゃないの? 先輩が怖いって言ってたけど、大丈夫なの?」
「いや、もう今日の練習は終わったから大丈夫。それよりも本題なんだけど……」
そこまで言った電話口の向こうから、桔平がなにやら深呼吸をするような音が聞こえてくる。
「今度の日曜日、一緒に花火大会に行かないか?」
「……えっ?」
奈緒は桔平に言われたことを即座に聞き取ることができなかった。
確かにその時の彼の声は緊張の為に少し上ずっていたうえに、部活の練習で大声を出したので若干かすれてはいたのだが、奈緒が聞き取れなかったのはそんな理由ではなく、まさか彼の口からそんな言葉が出てくるなんて思っていなかったからだった。
「ご、ごめん、もう一回言ってくれる?」
「……ゴ、ゴホン、えぇ、あぁ……」
奈緒の遠慮がちな返答に、桔平は若干の気まずさを感じながらもう一度同じ言葉を口にする。電話口の彼の声は緊張のためなのか少し震えている。
「……うん、いいよ。その日は何も予定がないから大丈夫…… あ、あのさ、それってやっぱりあれだよね? あんたと二人でっていうことだよね?」
「……そのつもりなんだけど……もしかして嫌か?」
「べ、べつに嫌って訳じゃないけど…… ごめん、やっぱり少し考えさせて」
「……あぁ、わかった。また連絡するよ、ありがとう」
奈緒の歯切れの悪い返答に桔平はそのまま電話を切ったのだが、最後の彼の声は少し沈んでいるように聞こえた。
奈緒は電話が切れると、そのままソファの上でごろりと寝返りを打ちながら桔平に言われたことを考えていたのだが、彼の言葉を思い出せば思い出すほど、奈緒の心は平静ではいられなくなっていく。
「奈緒、どうしたの、大丈夫? なんだか顔が赤いみたいだけど、熱中症じゃないわよね?」
顔を赤くしてソファの上で身じろぎしている奈緒の様子が気になった母親が声を掛けてくると、彼女はその声に現実に引き戻されて急にすっくと立ち上がる。それから心配そうな顔をしている母親に大丈夫だと告げると、奈緒はそのまま二階の自室へと上がっていった。
「あ、あいつったら、一体どういうつもりなのかしら…… いきなりデートのお誘いなんて……」
そうブツブツと呟きながら、今度は頭の上から枕を被ると誰にも聞こえないように大きな声を出して叫んでいて、部屋の中にくぐもった叫び声が小さく響いている。
「デ、デート!? ……デートなのよね、間違いないのよね…… そういう意味なのよね、きっと…… ぬぉーーー!?」
奈緒は思わず自分の口から出た「デート」という言葉に、急に身悶えを始めた。まさか自分にその言葉が関係してくる日が来るなんて思ってもみなかったし、いままで男子とそういう事をしてみたいと思ったことも余りなかったのだ。
奈緒はいままで学校の教室以外で桔平と二人きりになったことはない。携帯の番号だって3ヶ月前に教えたきりで、今日かかってきたのが初めてだったし、SNSだってまだ2、3度、それも事務連絡程度のやり取りしかしたことはなかった。
それが一体どうしたということなのだろうか。
確かに最近の彼は葵がいない時でも教室にやって来ていたし、自分と二人で話をしている時も楽しそうにしていた。そして自分もそんな彼との会話を毎日楽しみにしていたことも事実だ。
ここのところ、桔平のせいで男女の友情について考える機会があったので、てっきりその感情がこの先異性に対する友情に育つものなのかと思っていたのだが、いま思うとどうやらそれは違うらしい。
まだ彼の真意はわからないが、もしかすると彼は自分のことが好きなのかもしれない。
一度そう思い始めると、奈緒はもう桔平のことを意識せざるを得なくなってしまい、ベッドの上でのたうち回りながら何度も電話での彼の言葉を頭の中で繰り返していた。
それにしても、と奈緒は思う。
いままで桔平と二人きりになったことなど一度もないのに、いきなりそうなるのはあまりにもハードルが高いのではないか。出来れば最初は誰か一緒のほうがお互いに少し気が楽なのではないだろうか。
そう思った彼女は、強力な助っ人を頼むことにした。




