第121話 閑話:男と女の友情
数話ほどサブキャラクターのエピソードを挟みます。
本編には直接関係ありませんので、興味の無い方は読み飛ばしていただいても結構です。
8月上旬。
日向奈緒は、桜子とは小学4年生の時に同じクラスになり、そのまま卒業まで一緒のクラスだったのだが、中学に進学する際に学区の関係で別の中学校へ行った。それでもお互いの家が近所という事もあり桜子とはその後も付き合いが途切れる事は無く、今でも時々一緒に遊びに行ったりお互いの家を行き来する仲だ。
高校も桜子とは違う公立高校へ進学していて、最近では高校で知り合った新しい友達と一緒に、彼女なりに楽しい女子高校生生活をエンジョイしている。
奈緒は桜子の事が小学生の時から大好きで、小学校の卒業が近付いた時には彼女と別の中学にいくのが嫌で、両親に桜子と同じ学区内に引っ越す事を本気で頼んだほどだった。
もちろんそれは全く相手にはされなかったのだが。
彼女のその「大好き」というのは、所謂同性に対する怪しい感情というものではなく純粋に人としての「大好き」という意味で、桜子のその愛らしい外見はもちろん、彼女特有の緩くて少しフワフワしたところや、とても人懐こくて優しい性格も大好きだった。
一方、奈緒はなんでも思った事をズバズバ言う遠慮のない性格なのだが、緩くてフワフワした性格の桜子とはちょうどいいバランスを保っていて、桜子も彼女と一緒にいる時は気兼ねなく好きな事を言えるようだ。
奈緒と桜子の共通の友人に立花友里がいるのだが、彼女もかなり遠慮のない性格をしているので、奈緒と彼女は似た性格をしていると思われている。
似た性格の者同士はあわないと言われることが多いのだが、奈緒と友里は特に仲が悪いということもなくそれなりに上手く付き合っている。しかし、思えば奈緒と友里が二人きりで会ったり遊んだりすることはほとんど無く、両者が揃う時には大抵桜子も一緒にいる事が多かった。
そういう意味では、桜子は両者の間の緩衝材のような役目を果たしていると言えるのかもしれない。
そんな奈緒が頭を抱えて悩んでいた。
自分の部屋のベッドの上に寝転んだまま、頭を抱えてゴロゴロと転がり回っては時々奇妙な呻き声を上げていて、その様子はまるで背中が痒い犬が地面に身体を擦り付けている姿に似て、なんとも奇妙な姿だ。
奈緒は中学で急に背が伸びて、今の身長は162センチある。
髪型は肩口でざっくりと切りそろえた「伸ばしかけボブ」で、髪は染めたりはしていないので自然な黒色だ。少し釣り目がちな瞳が彼女の気の強さを表していて、その「猫娘」に似た風貌から中学生の時のあだ名は「にゃお」だった。
そんな奈緒が黒い伸ばしかけボブの頭を掴んでかき回している。
「あ、あいつったら、一体どういうつもりなのかしら…… いきなりデートのお誘いなんて……」
そうブツブツと呟きながら、今度は頭の上から枕を被ると誰にも聞こえないように大きな声を出して叫んでいて、部屋の中にくぐもった叫び声が小さく響いていた。
「デ、デート!? ……デートなのよね、間違いないのよね…… そういう意味なのよね、きっと…… ぬぉーーー!?」
彼女の口から発せられる言葉だけを聞いていると、彼女がとても困惑しているように見えるのだが、その表情には少し嬉しいような、恥ずかしいようなものも含まれていて、彼女が本気で悩んでいる訳でもない様子が伝わって来る。
一体彼女に何があったのだろうか?
話は数か月前に遡る……
ゴールデンウィークも終わり、そろそろ高校生生活にも慣れて来た5月中旬のある日、奈緒が最近仲良くなった同級生の上田葵と教室で雑談をしていた。
「ねぇねぇ、葵はさ、ゴールデンウィークは何か予定があったりするのかい?」
「いやぁ、お父さんが泊りで旅行に行きたいって言ってるんだけど、お母さんがどこも混むから嫌だって言っててさぁ、もうすでに夫婦げんか状態なのさ、勘弁してよ……」
「……ご、ごめん、なんか余計な事を訊いたね……」
「いやいやいや、じょ、冗談だから気にしないで、大丈夫だから」
奈緒の気軽な問いかけに対して、思わず本気で愚痴をこぼしてしまった葵なのだが、彼女の答えを聞いてバツの悪そうな顔になった奈緒を見ると急に慌て出した。
葵は奈緒と同じクラスの友人で、春に高校に入学した時に隣の席になったのをきっかけにしてそれ以来仲良くなった。彼女は明るくてよく笑うサバサバとした男っぽい性格で、それが気が強くて遠慮のない奈緒の性格とあったのだろう。知り合った直後から二人はお互いに気兼ねなく話ができる友人になった。
葵は身長158センチの中肉中背の平均的な体格の女子生徒で、陸上部の1500メートルの選手だ。部活の邪魔にならないように中学生の時からずっとショートカットにしていて、その中性的な外見とカラカラとよく笑う明るい性格から異性の友人も多い。短い髪型のせいで全体的にボーイッシュな雰囲気を漂わせているのだが、よく見ると可愛らしい顔をしているので髪を伸ばせば結構モテるのではないかと思われた。
そんな二人がワイワイと話をしていると、隣のクラスの男子が教室に入って来た。
奈緒はその男子の顔はよく知っているのだが、葵が廊下で親し気に話をしている姿を時々見た事がある程度で今まで直接話したことはない。彼らの妙に親し気な様子から、奈緒は二人が付き合っているのかと初めは思っていたのだが、その話を葵にすると彼女は大笑いしながら奈緒の勘違いを正してきて、彼は同じ中学の出身でただの腐れ縁だと説明した。
そんな彼が、いまは教室の奥にいる葵に向かって真っすぐに歩いて来る。
「おーい、葵。ゴールデンウィークに何か予定あるのか?」
「桔平じゃん。なんなのさ、いきなり。あんたまで私の連休の予定を訊くの? なんかあった?」
奈緒に対するのとは違い、葵は随分と雑な受け答えをしながら桔平を見上げていて、桔平と呼ばれた男子は背が高くて丸刈りの頭から、見るからに野球部員のように見える。
「いや、潤と悠太たちと遊園地に行くんだけど、お前もどうだ? 理央も行くってさ」
「理央も行くなら…… ちなみにいつ?」
「一応、3日の予定だな。それ以外は部活があるから」
奈緒は二人の会話の邪魔にならないように、少し体を引き気味にしていると、そんな彼女を振り返って葵が話題を振って来る。
「あっ、ごめん。こいつ同じ中学出身の平桔平。見た通り野球部なんだ」
「あ、ども」
桔平がペコリと頭を下げた。
「上から読んでも、下から読んでも、平桔平だ。よろしく」
桔平はなんだか得意そうに話しているのだが、彼の名前を漢字でどう書くのかを知らない奈緒には彼の言っている意味がよくわからなかった。それでも彼女は愛想笑いを返している。
「あんた、うるさいわね。そのフレーズ聞き飽きたってば」
「うるせぇな」
気安い感じの二人の会話を聞いていて、奈緒は小学校時代の立花友里と富樫翔の姿を思い出していた。
あの二人はいつも喧嘩をしているような大きな声で話をしていたが、特に仲が悪いという訳でもないしもちろん喧嘩をしている訳でもなかった。そこには二人だけにしかわからない阿吽の呼吸のようなものが存在していて、彼らの会話自体が自然な掛け合いのようなものだったのだろうと、いまならわかるのだ。
そんな過去を思い出しながら意識が少し別の方向に向いていた奈緒に、葵が再度話を振って来た。
「あぁ、ごめん。今の遊園地の話なんだけど、奈緒も行かない?」
「えっ、わたしも? ……でもみんな初対面だし……」
「誰もそんな事気にしないよ。それに奈緒も行ってくれると、男3人女3人になるしね。いいじゃない、どうせ奈緒は彼氏もいないんだし」
その言葉にざくりと胸を抉られた奈緒は、恨めしそうな顔をしながら葵を睨みつける。
「どうせ彼氏はいませんよー。それを言ったらあんただっていないじゃん、彼氏」
「私はいないんじゃなくて、いらないだけだもん。男なんて面倒なだけでしょう? こいつみたいにさ」
そう言いながら葵が桔平の腹にボスンとパンチをしたのだが、彼は体をくの字に曲げて大げさなリアクションを返している。
「痛い痛いよ……胸が痛い…… 上田葵さん、それはないんじゃないの? こんなに手のかからない男もいないと思うけど」
「あんた、ほんとにうっさいわね。それじゃあ奈緒も行くって言ってるから、三日に予定を入れておいてね。詳しい事はあとでケータイによろしく」
「ほいよっ、了解」
「えっ、ちょ、ちょっと、まだあたし行くって言ってないでしょ」
葵の返答に奈緒が慌てて突っ込みを入れたのだが、葵はそんな奈緒に向かってニヤリと笑いかけた。
「3日に何か予定でもあるの? あるならしょうがないけど」
「えっ、べ、べつに何もないけど……」
「じゃあいいでしょ。奈緒も参加で決定ね、よろしくっ!!」
「……」
何やら半分強制的に一緒に遊ぶことになってしまった奈緒だったが、連休中はどうせ大した用事もなかったし、休日に葵と遊ぶのは初めてだったのでちょうどいい機会だと思う事にした。
それに中学の同級生以外の男子と遊びに行くのも初めてなので、実はほんの少しだけドキドキしたりもしていたのだった。
遊園地へのお出掛け当日の朝、集合したのは予定通り男3名女3名で、奈緒以外は全員葵と同じ中学校に通っていた仲良し仲間だ。そのグループ内の男女間では互いに恋愛感情を持っている者はおらず、単純に友人として仲の良いグループといった趣のようだ。
彼らは中学校の3年間をこのグループで遊び歩いた、まさに青春の1ページを一緒に作り上げた仲間達なのだが、本当はもう一人女子がいたらしく、彼らが中学3年の秋に父親の転勤で遠くの学校に転校して以来、彼女には会っていないらしい。
今日のこのグループの中では、奈緒、葵、桔平の3人が同じ高校で、理央、潤、悠太はそれぞれ別の高校に通っている。今回奈緒が参加したことによって、久しぶりに男女が同数になっていた。
遊園地に到着して皆でワイワイと賑やかにしているうちに、奈緒はすぐにグループに溶け込んでいた。それは元々彼女があまり遠慮をする性格ではない事が主な理由なのだが、それに葵がさり気なく奈緒に話題を振ったり、他のメンバーと会話をする切っ掛けを作ってくれたことも大きかったのだ。
奈緒はそんな彼女の気配りがとても嬉しかったし感謝していた。
園内を皆で歩いている時に、理央と悠太が二人で盛り上がっている事が多く、奈緒の目には二人の様子が単純な友人同士には見えなくて、何かそれ以上のものを感じていた。
しかし元々このグループのメンバーではない奈緒には、彼らの様子にはそれ以上何かを思う事は無かったのだが、偶々その時隣を歩いていた桔平が、奈緒に話しかけて来た。
「なぁ日向さん、変な事を訊いてもいいか?」
「えっ、なに? 変な事って」
奈緒のその返事を承諾と受け取った桔平は、理央と悠太の姿を目で追いながら話を続ける。
「あのさ…… 男女の間の友情って存在すると思うか?」
「男女の友情……? 愛情、じゃなくて?」
「違うよ、友情だよ。恋愛感情のない純粋な友情。男と男、女と女、その間と同じ友達としての友情だよ」
「……うーん、随分と哲学的な事を訊いてくるもんだねぇ…… 男女の友情ねぇ……」
思わず奈緒は空を見上げながら考え込んでしまったのだが、桔平に言われた同性間の友情を考えた時に、彼女の頭の中にはすぐに桜子の姿が浮かんできた。奈緒は中学でも多くの友人がいたし、高校に入ってからも葵に代表されるようにすぐに仲の良い友達ができたのだが、桜子ほどお互いに本音で話ができる友人はいなかった。
確かに彼女とは中学生になってからは頻繁に合うことはなくなったのだが、それでもたまに会うと何でも話せる親近感と互いをよく知っている安心感を感じてとても居心地が良かったのだ。そしてそれは桜子も同じだと言ってくれた。
奈緒は桜子の事が大好きだ。それは嘘偽りのない正直な気持ちで、もしもこれが同性間の友情だというのなら、確かにこれがそうなのだろうと思うのだ。
それなら男女の間の愛情とは……
うーん、と思わず奈緒は唸ってしまう。
これまで一度も異性と付き合ったこともなければ、そういう感情を抱いたこともない彼女には、男女の愛情と言うものがいまいちピンとこなかったのだ。たしかに理屈では男女がお互いを好きになる感情を想像できるのだが、実際に自分が経験した事の無いものなので、やはり何とも返答のしようがなかった。
「平君、ごめん、わたしにはよくわからないや。彼氏いない歴16年のわたしにはその質問はレベルが高すぎるよ。同性間の友情ならわたしもわかるけど…… あのね、友達に桜子っていう子がいてね……」
横で妙に生真面目な顔をして見つめて来る桔平に向かって、奈緒も真面目な顔をしながら話し始めた。
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「はっくしょい!! うぃー」
その頃小林家では、酒屋のレジで店番をしながら桜子が大きなくしゃみをしていた。
「はぁー、誰かあたしの噂でもしているのかなぁ…… それにしても暇だなぁ…… 健斗は今日も部活だし…… はぁ……」
彼女は連休中で暇な酒店の店内であんドーナツを頬張りながら、「あんドーナツはドーナツという名前なのにどうして穴が空いていないのだろう」と、物凄くどうでも良い事を考えていた。




