半身の幽霊
89.半身の幽霊
私の前の仕事先での話しです。
五年ほど前まで、私はとある片田舎の鬱蒼とした山の中にある精神科で働いていました。
残業もほぼ無いし、職場関係も良好だったので、ずっとウジウジと悩んでいたのですが、私はどうしてもあの病院を早く出たくてたまらなかったのです。
その病院では、正社員の契約として最低でも月に二回は夜勤に入らないといけなかったのですが、その夜勤こそが私がこんな待遇の良い仕事先を辞めようかと迷う原因でした。
夜勤では二人で病棟をみるのですが、十二時頃になると相方が二時間の仮眠に入ります。その一人きりの時間になると、必ず廊下の曲がり角から半身を出した髪の長い女が現れるのです。
その女が現れるのは決まって汚染倉庫の前の曲がり角で、オムツ交換も多いので、夜勤中にそこに立ち寄らない事は不可能でした。
相方が起きてくる三十分前にはオムツ交換に一人で回り始めるのですが、その女が汚染倉庫の前の廊下から半身を出して、ジッと私を見つめるのです。
始めのうちは勇気を振り絞って、そちらを見ないようにして汚染倉庫に立ち寄っていた私でしたが、その半身の女はどうやら、徐々に徐々に、廊下にはみ出して来ているのです。始めは目と耳しか見えなかったのに、今では鼻まで見えるのです。
夜勤の度に女は必ず現れて、私を見つめ続けた。私はその度に女が曲がり角からこちらに出てきていない事を戦慄きながら確認するのです。
そして、とある日の事でした。
私が廊下に出ていつもの曲がり角を覗くと、そこに女が居ないのです。
ホッとして汚染倉庫に駆け込んで、オムツを廃棄していたのですが、逆にいつもそこに居た半身の女が居ない事が気になって仕方がないのです。
オムツの廃棄を終えると、汚染倉庫の扉を出て、すぐ右手にあるいつも女が半身を見せている曲がり角を、普段は見ないように俯いて走り去るのに、どうしても気になって顔をあげて覗きました。
「ヒィ……っ!」
完全に廊下に躍り出た髪の長い女が、仁王立ちして私の方を向いていた。
そして、音も無く汚染倉庫の前で立ち尽くす私に向かって駆けて来たのです。
「イヤァアアア!!!」
そこで意識が途切れた私は、程無くして相方に揺り動かされて目覚めました。
「どうしたの!? それ……誰に!?」
私を見下ろしながら必死の形相を見せる相方は、仕切りに私の首元を見つめていた。
介抱されながら起き上がった私は、詰め所に戻って相方の気にしていた首元を鏡で見てみたのです。
私の首元には、古びた爪が二枚突き刺さっていて、そこからダラダラと血が流れ出ていました。
翌日私は辞表を出した。




