美女のトイレ
63.美女のトイレ
ある時俺は街角で声をかけられた。
長身でスレンダーな、正にモデルの様な美女がそこに立っている。セミロングの茶髪の下に大きな瞳が煌めいている。
「一目惚れです」
その美女は出し抜けにそんな事を言い放って頭を下げた。とても高い可愛らしい声だった。
確かに俺にとっては願ってもいない話しで、天にも昇る気持ちになったが、対してルックスも良くない俺にこんなうまい話ががあるだろうか? まさか美人局という奴ではなかろうか? とかなり警戒した。
「この後予定とかあったりしますか? 良かったらその、お話でも……」
しおらしくモジモジとするその美女に、俺はもうどうなっても良いという気持ちになって、一緒にバーに立ち寄る事にした。
百合子というらしいその女が隣に立って歩いていると、すれ違う男皆がジロジロと見ている。俺は少し得意になって、色々と話しながら歩いた。
カウンターバーに着くと二人で乾杯し、お互いの素性について明かしあった。そうしてお互いに少しずつ酔いが回って饒舌になってきた。
「百合子さん。あなたはこんなにも綺麗なのに、何故僕なんかに? 引く手数多でしょう」
「そんな事は無いんです。確かに言い寄ってくる男の人は沢山いるのだけれど、程無くすると皆いなくなってしまうんです」
「そんな……こんな綺麗な人なら、僕だったら何があってもそんな事はしないな」
「うふふ……それ本当に? 嬉しいわ。一目惚れした男の人にそんな風に言ってもらえるなんて」
すると百合子は、俺の腕に抱き付いてこう呟いた。
「あの……もし良かったら、その……この後……」
願っても無い申し出にいよいよ舞い上がった俺は、当初の美人局の事なんてとうに忘れていた。
百合子は手元のマティーニをグッと喉に流し込むと「じゃあ店を出る前にお手洗いに行ってきます」と席を立った。
俺は平静を装って、つまらなそうにグラスの氷を指で回したりして格好つけていたが、百合子が廊下の角を曲がってトイレに消えると、「ヨッシ!!」と声に出してガッツポーズをしてしまった。
「大丈夫か? 幾らあった? ここはやっぱり奮発して高級なホテルだよな……」
財布を眺めて五万円ある事を確認してまたポケットにしまった。そうしてマスターに「バーボン!」と勢い良く言い放って、直ぐに出てきたバーボンを一気に飲み干した。
「お待たせ」
百合子はお色直しでもしたのか、その唇は柔らかそうにプルんと弾んだ。その色っぽさに、俺の口元が緩みかけた。
「ぼ……僕もトイレに。そしたらここを出ましょうか」
声音を下げてそう言って、百合子の肩にそっと触れた。とても華奢で骨ばっている。
深呼吸しながら廊下を曲がり、トイレに入る。
するとそこで、俺はある物を目撃した。
「……ひっ…………!!」
店内には俺たち以外にはマスターしかいない。トイレへと続く廊下は一本道なので、百合子の後に誰かが使用したのならばわかるはずだ。つまり、百合子の後には誰も使用していないはずだ……
――はずなのに!?
「ひぃぃいいいっ!」
俺は勢い良くトイレの扉を開け放つと、廊下を走りながらカウンターに一万円札を投げてバーを飛び出した。
百合子が振り向いて俺を眺めていた。しかし俺は振り返ることもせずに、店を出てからも走り続けた。
「はぁはぁはぁ……あれは……はぁ」
息を荒げながら膝に手をついて、トイレで見た恐ろしい物を思い出した。
――――便器の便座が上がっていた。
最後にイッキ飲みしたバーボンが、俺の頭でぐるぐると気持ち悪く回り始めた。
それでも俺は恐ろしくって、また夜の町を全力で駆けた。




