マンションから手を振る人影
マンションから手を振る人影
私が仕事から帰る夜九時頃の話です。
車で自宅に帰る道中、辺鄙な田舎を通るのですが、そこに五階建て位のマンションがあるのです。
街灯も疎らで、平屋が並ぶ土地にポツンと建ったマンションは何処か不釣り合いで、何となくそこを通るときにそちらの方をよく見ていました。
車道からマンションの明かりを眺めていると、四階の階段の踊場の所に、人の影が見えました。
目を凝らして見てみると、その人影は車道の方を向いて手を振っているらしく、腕が激しく左右に揺れていました。
子供だろうか? とあまり深く考えなかったのですが、その日を境にその人影は毎晩そこに現れました。
私は帰る時間が疎らなのですが、どんな時間にそこを通っても、四階の踊場に手を振る人影があります。
毎日毎日、一体誰に手を振っているのだろう?
流石に不思議に思った私は、こちらに向かって手を振る人影を観察してみました。
人影は私の走っている車道の方にしきりに手を振っています。
そうこうしているうちに私の車がマンションを通り過ぎたので、サイドミラーからマンションの方を覗くと――
その人影は踊場から上半身を乗り出して、通り過ぎていく私の車の方に身を捻りながら手を振っていたのです。
「……え」
あの人影は、私に向かって手を振っているのだろうか?
不気味な気になってきた私でしたが、だからといって何が出来るわけでもなく、次の日からもそこで手を振る人影を見ていました。
毎日毎日、その人影は飽きもせず私に向かって激しく手を左右に振るっています。踊場のオレンジ色の明かりで影になって、真っ黒の影としか認識出来ません。
ところがある日、私がいつもの様に自動車を走らせながらマンションを見上げていると、人影が無いことに気が付きました。
いや、何処か別の場所に移動しているのかもと思い、マンションの隅々を眺めてみましたが、例の人影はそこにありませんでした。
やっと飽きてくれたのかとホッとして正面に向き直ってハンドルを握ると、私は「アッ!」と声を出して急ブレーキをかけました。
――ヘッドライトに照らされた中年男性が、こちらに手を振りながら車道の真ん中で満面の笑みで立っていたのです。
車はキキィィと音をたてて、そこから数十メートル先で停車しました。
「あれ、え?」
完全に轢いてしまったと思ったのですが、衝撃はありませんでした。
青くなった顔でそろそろとルームミラーを使って後ろの方を見ました。
ブレーキランプで真っ赤に照らされた中年の男性が、私の車のすぐ背後につっ立って私に向けて手を振っていました。
私は逃げるように車を走らせました。
以来あのマンションの前は通らないようにしています。




