快眠枕
快眠枕
京都府某所にある精神科に夜勤のバイトで勤めているUさんという男性看護師から聞いた話。
今から十年以上前、Uさんはストレスケア病棟に勤めていた。
名前の通りにストレスケアとは、ストレスを緩和する事を目的にした病棟の事で、主にうつ病などの患者が入院していた。
ある日、当時の病院の院長が、ストレスケア病棟で快眠枕を一万円で販売すると言い出して、直接企業に持ち掛けて、専用の枕を作り始めたらしい。
……どうせなら患者全員に配ってやればいいのに、商魂たくましい病院もあったものである。(もっとも今から十年以上前の話で、結局その快眠枕は販売するまでには至らなかったのだが。……というか一万円は高過ぎる。足下を見過ぎだろう)
程なくすると、試作品の快眠枕が一つ、Uさんの勤務しているストレスケア病棟に届いた。
夜勤では二名の看護師で順番に仮眠を取るので、その際に例の快眠枕を試しても良いと言う事で、Uさんも早速使ってみたという。
一度目は金縛りに遭った。
二度目も金縛りに遭った。
三度目は金縛りの最中に老婆に覆い被さられた。
……なんとこの快眠枕、快眠はおろか、使用すると必ず金縛りに遭うという。
そして驚く事に、Uさん以外の看護師もみなすべからく、この快眠枕を使用すると、悪夢を見たとか、金縛りに遭ったと口々にするというのだ。
何人も何人も恐怖の快眠枕を怖いもの見たさで試してみたらしいのだが、これまで金縛りに遭った事がないという者から、夢など滅多に見ないという者まで、百発百中でそうなったそうである。
これは……と思った病棟看護師たちは、快眠枕を倉庫にあるラックの最上段に投げ出し、白紙に赤いマジックペンでデカデカと「使用禁止」と書いて放置した。
看護師達からの悪評があったからか、結局病院自作の快眠枕を一万円で販売するという話もいつの間にやら立ち消えていたそうである。
――必ず金縛りに遭う悪夢を見る快眠枕の事も忘れ掛けた頃である。
理事長の弟がストレスケア病棟に入院して来た。
紛れも無いまでのVIPである。
看護師長からは、相手が誰であろうと一律した対応をせよ、との指導を受けていたが、相手が理事長の弟という事では中々そう言う訳にもいかず、各々が理事長の弟に思わずVIP待遇をしていると、彼も次第に気が大きくなって来たのか、中々に横柄な態度で、あれやこれやと病棟の至らぬ点などをチクチクと責めてくる様になり、やがてはクレーマーとまことしやかに呼ばれるまでのモンスターと化した。(もっともそのモンスターを育て上げたのは病棟のスタッフ達であるのだが)
ある日の晩、Uさんが夜勤で勤務していた日の事である。理事長の弟が看護師の待機している詰所にズケズケと押し掛けてきて言った。
「枕が固すぎて眠れん!」
そうは言われても、枕は一律のものであり、バリエーションがある訳ではない。
するとふとUさんは、理事長の弟と問答している相方の看護師の背中を眺めながらに思い出した。
――快眠枕……。
Uさんはすぐに倉庫に走ってラックの最上段から快眠枕を下ろした。
やたらに低反発の枕に貼られた「使用禁止」の張り紙を剥がし、埃を払ってそのまま理事長の弟に渡したという。
「ふん、あるじゃないか」
などと捨て台詞を吐きながら、溜飲を下げた様子の理事長の弟は個室へと帰っていった。
それから二時間ほど経過した頃である――
血相を変えた理事長の弟が猛烈な勢いで走って来て、詰所の引き窓を勢い良く叩き、火のついたかの様な苛烈な口調で叫んだ。
「幽霊が出て寝られんやないか!!!」
それ以降、快眠枕は再度「使用禁止」の張り紙を貼られ、倉庫のラックの一番上で眠り続けていたという。
*ちなみに筆者はUさんに、その快眠枕の所在を聞いた。正直言って、欲しかったのである。
Uさんは「ずっとそのまんまやったからな、今度見て来るわ」と言って後、しばらくしてから、「あかん、もう十年以上前のやから捨てられてたわ」と言って、筆者の肩を深く落とさせた。