「ナースコールがない」
「ナースコールがない」
私は名を「渦目のらりく」と言う。ホラーに傾倒する自分を精神錯乱状態であると揶揄する「渦目」に、のらりくらりとしていたいという心情を乗せてこの様な名前で活動するようになった。
「渦目のらりく」こと私は、怪談師という肩書を持っている。自らでのイベントの企画こそしないが誰かに依頼をもらった場合は可能な限りに受諾して登壇するように努めていた。
ある日こんな依頼いただいた。
「お仕事怪談をしないか?」
一も二もなく受諾した。この話を私に持ち掛けてきた某怪談師がその場で私の予定に合わせて日程を組んでくれたからだ。
しかし私はそれからしばし頭を悩ませる事になる。
私の手持ちにお仕事怪談というのが少なかったからだ。
無論お仕事怪談というのであるから、様々な職業の方が業務中に体験したお話や、職業柄でくわす事になった奇妙な話というのが必要になる。
ついぞ半年前程に、実に偶発的にそういった境遇に身を置く事になった私には、怪談のストック自体が心許なく、お仕事怪談というテーマのものは殊更に持ち合わせていないという状況であった。
それから数日から数週間……実にイベントの二週間前になるまで私は手をこまねいている状況だった。
気付いた頃にはもう既にイベントの一週間前であった。
怪談関係における沖ノ島への取材や新しく某動画サイトでチャンネルを開設した事が要因していたが、そんな言い訳をしようと「お仕事怪談」の開催日は刻一刻と迫ってくる。
結果私はこの「お仕事怪談」を見事に成功させ、実に多くの方に、計十本ともなろう怪談を披露して評判をいただく事になるのだが……(ハロウィンが近いという事もあり、赤面必死のコスプレ姿まで披露した)事実を吐露すれば、実にイベントの一週間前までこのような状況であった。
私は急ぎ、怪談を収集する事になる。
まず一人目に辿り着いたのは、職業柄よく接する機会のあった、男性看護師のYという男性であった。
「何か病院で不思議な体験をされた事はありませんか?」
Yさんと顔を合わせるや否や、私は余裕なさげにいの一番にそう問い掛けてみた。すると程なく顎に手をやり思案してからYさんはこんな風につぶやいた。
「同じ事を言って亡くなる患者さんがいたなぁ」
どう言う事ですか? と私は身を乗り出す事になった。このYさんという、髭面で強面の五十代の男性からは兼ねてから非常に質の良い奇談を収集していた。であるので今回も期待していたのだが、実に幸先の良い事に一発目で当たりを引く事になったのかも知れない。
怪談の収集とは並々ならぬもので、「怖い話はないですか?」とストレートに聞けば大抵は「無い」と言われるハメになる。
しかしそれは常日頃からホラーに脳内を侵食されている私とは違って、ただ表層にある記憶に留めていないというだけの事であって、深い本棚に仕舞われたその人の記憶には必ず奇談の一本から二本は存在している。数十年とも生きていれば人間一つや二つは説明のつかない現象に見舞われるのであろう。しかし彼らはそれをすぐ取り出せる本棚に仕舞い込んでいないという、ただそれだけの事なのである。
ここからが、怪談師としての腕の見せ所であると私は考えている――
であるから私は、あの手この手で話題をそちらへと誘導し、さらにはその人の記憶を掘り起こす作業に取り掛かってようやく奇談を収集するが、そうして苦心した結果集まった奇談も、人前で披露する事の出来る程の奇談となると数十名から聴取して一本あれば良い方なのである。
しかしそれが、今回に限っては一発目から当たった、と言う予感がその時既にあった。
「○○がないって言い出した患者さんが立て続けに亡くなった事があったんだよ。十年以上前に働いていた兵庫県の病院で。ほら……ええと、なんだったかな? リモコンだったかな?」
「リモコン?」
「ああいや違うな……ああ〜と、まぁなんにせよ。それが無くなったって急に詰所に押し掛けてくる患者がいると、その人元気だったのに急変して亡くなるんだよ。そんな事が一年のうちに三回も立て続いてさ」
「一年のうちに三回って……そんなに? しかも全員元気だったのに」
「それも全員同じ部屋なんだよ」
「え」
ナースステーションの丸椅子に腰掛け、大テーブルを挟んでYさんと向かい合う格好になっていた私がゾッとした顔で身じろぎしていると、Yさんは可笑しそうにした顔で続けていった。
「同じ四床部屋の患者さんが、同じ事を言って急変して亡くなったんだよ」
私が眉根を沈めていると、Yさんは思い出したように指を立てた。
「あ、ナースコールだ」
「ナースコール?」
Yさんが言うに「ナースコールがない」と言い出す、とある四床部屋の患者達は皆急変し、一年以内に三名も亡くなったと言う事であるらしかった。
しかし私は首を捻る事になった。
「ナースコールって……だって、ありますよね」
「ああ、各患者のベッドサイドに取り付けられてるよ。壁からがコードが伸びていて、コンセントみたいにスポスポ抜ける訳じゃないから、無くす筈がない。と言うか無くしたなら弁償してもらう」
冗談ではないのだろう、筋骨隆々としたYさんは腕組みしながらそう答えた。
ふと私は顔を横に逸らした。そこにナースコールを受け取る為の受話器が壁に立て掛けられている。今現在何号室からコールがあるかがすぐにわかるのだろう。病床番号が記されているボードにはそれぞれ点灯していないランプが付いている。
「ナースコールって、ボタンを押すと詰所にいるナースと通話が出来るっていう……あれですよね」
「ああ、それ」
では立て続けに亡くなっていった患者達が口にしていた「ナースコールがない」とはどういう事なのだろう?
Yさんは得意げな顔で続けていった。
「ある日患者が詰所に来て言うんだ。「ナースコールがない」って。だから四床部屋まで一緒に着いていくんだけど、あるんだよナースコール」
「ナースコールはちゃんと付いている……」
「そう付いている。ベッドサイドからだらんと伸びてる。だから、あるじゃないですかって言うとこう答えるんだよ――」
私が生唾を飲み込む音を鳴らすのを聞いてから、Yさんは言った。
「これじゃないって」
どう言うことかと私が聞く前にYさんは話し出していた。
「ほらあるじゃないですかって言うと「これじゃない」って言うんだ。「あれがないと喋れんやないか」とも」
「ナースコールってそう何種類もあるものなんですか?」
「そんな訳あるか。ナースコールは一種類だ。何個もあるわけがない。みんな同じ色をした同じ奴で、それはその患者の枕元に今も垂れている」
「じゃあ、その患者さんが探しているナースコールって……」
「わからないんだよ。で、そう言って騒ぎ出した患者さんは急変するんだよな。どうしてか全員同じ部屋で、それも一年のうちに三人も。全然面識の無かった様な、入れ違いになった患者も」
Yさん曰くその病院は今現在も稼働しているようである。
話を聞き終えた私は、恐怖から解放された安堵からか、はたまた良い奇談を収集できたと言う満足からか、ホッと一息をついた。
そしてYさんに感謝を伝えてからイベントで話す許可を貰った。
後日「お仕事怪談」でYさんの話を披露した。
そして私はその時に、Yさんに聞いた話を自分で披露していてふと思った事がある。
「あれがないと喋れんやないかって……」
同じ部屋で立て続けに亡くなった三名は、そのありもしないナースコールで、亡くなる前に、誰と喋っていたのだろうか、と。