蛙の呪物
蛙の呪物
岸和田に住むDさんから聞いた話。Dさんの友人に「ヨシノリくん」という人が居る。ヨシノリくんだなどと言うと若そうに思えるが、Dさんもヨシノリくんも四十代も後半のおじさんである。
なんでもヨシノリくんは鬱の人らしく、症状がひどい時なんかは本当に人が変わってしまうようで、ある時遂に本気で自殺を決断したらしい。
頂上に馴染みのお寺のある近所の山に向かった。その麓にちょっとした喫茶店がある。ヨシノリくんにとっては色々と思い入れのある場所であったらしい。
だからヨシノリくんは思い出のこの喫茶店で、人生の最後にコーヒーを飲もうと思っていた。その後に山へと分け入って木で首を括る為に、実際にロープまで準備していたらしく、その時までは本当に死ぬ気だった。
駐車場に車を停めて喫茶店へ向かって歩いていると
「ヨシノリー」と自分の名を呼ぶ声を聞いた。
母の声だった。
見ると、なんの偶然なのか両親が同時刻に喫茶店の駐車場に降り立っている。
心底驚いたヨシノリくんは、両親に歩み寄ってどうしてこんな所に居るのかと聞いてみた。
聞くに、今から四十年以上も昔、ヨシノリくんが幼い時に、この山の上にあるお寺に大きな蛙の置物を預けた事を思い出して、お父さんがどうしてか急激にあの蛙の置物が見たくなったと言って、久方ぶりに寺を訪れようとしていたところであったという事である。
寺に預けたと言うので当然その蛙の置物も曰くがある。
ヨシノリくんの父親がある骨董屋で手に入れてしばらく自宅の庭に飾っていたらしいのだが、大き過ぎて邪魔に感じたので粗大ゴミの日に捨ててしまったらしい。しかしその翌日、確かに捨てた筈の巨大な蛙の置物が、庭の元あった場所に綺麗に収まっていた。何度も捨てたり戻って来たりを繰り返した訳では無いのだが、ヨシノリくんのお父さんはそのたった一度の事でこの蛙の置物が曰く付きであると確信して、このお寺にその蛙の置物を預けたのだという。
そんな四十年以上も昔の事を、ヨシノリくんのお父さんはなんの因果なのか今この瞬間に思い出し、こうして、ヨシノリくんが本気で自殺を決断したタイミングで鉢合わせた。
この現象が、捨てても戻って来る蛙の置物の力なのかは定かでは無いが、偶然という一言では片付け難い様にも思える。
そして確かに――亡くなる筈であったヨシノリくんの命は、帰ってきた訳である。
捨てようとした蛙が戻ってきた様に……。
曰く付きと言われれば誰しもが身構えるが、こうしてみると、呪物というのも扱い方次第で、悪いばかりではないのかもしれない。
見方を変えれば神様なんかに似ているとも思える。
結局ヨシノリくんはそれからそんな気もなくなって、両親と一緒にお寺に蛙の置物を見に行ったそうである。
幼い頃に、あんなに大きいと思っていた薄茶色のガマガエルは、今こうして見ると、ヨシノリくんの膝程までしかなくて、さほど大きい訳でもなかったとか。