増築した部屋に来る女
増築した小屋に来る女
Sさんは、奈良県の実家に奇妙な部屋があって嫌だったという話を私に聞かせてくれた。
なんでもその部屋はSさんの産まれる前に増築した部屋で、二階建ての和風建築の一階部分の屋根に無理やり取り付けた様になっていて、屋根の上で一つ正面に突き出した形の小屋は(Sさんは“小屋”と表現していた)そこだけ真新しい白漆喰になっているのでなんだかチグハグした様に見えたんだという。
Sさんは幼稚園の頃までその小屋で母親と二人で寝ていたそうなのだが、その部屋がどうも気持ち悪いんだと言う。
住んでいる家自体は築何十年にもなる年季の入った和風家屋の風情であるのだが、その小屋だけが洋風のフローリングになっていて、真っ白い壁がツヤツヤとしている。そして正面には大きな窓が一つだけあり、玄関先を見下ろせる様になっていた。
古めかしい和風建築の戸口の真上に一部屋だけ洋風の部屋が突き出ているのはやや特殊な気もあるが、殊更に珍妙という訳でもない。故にその部屋自体がどうという事では無かったのだが、Sさんは今でもその小屋に一人でいるのは怖いのだと言う事である。
どういう事かと私が問うと、Sさんはその小屋で幾度となく奇妙なモノを目にした経験を語り始めた。
つまりSさんがその小屋を気持ち悪いと言っているのは、その部屋自体が奇妙だと言っているのでは無く、その小屋に居ると視えるモノに対しての気持ち悪いなのであると私は気付いた。
Sさんがまだ幼い頃、周囲に散らかしたままになっている玩具たちが列を成して歩いているのを見る事があった。
それは決まって、隣で眠っていた母親がトイレか何かで部屋を出て行った後に、小屋の中で一人きりになったSさんの目前で巻き起こるのだと言う。
初めのうちはその光景がSさんには楽しかった様なのであるが、自分が年長組になる頃くらいには、それが怖いことなのだと気づき始めたらしい。
Sさんが母親にその事を告げても、母親は「あー」と気のない返事をするばかりでまともに取り合ってはくれなかった。今にして思えば子供の戯言だと思って聞き流されていたのだろうという事だ。
……それからも、Sさんがその小屋で一人になると、玩具たちは動き回ったらしい。
怖くなってきたSさんは、もうその光景を見ても喜ぶ事はしなくなり、頭まで布団を被って震える様になった。
布団の中で丸まった姿勢でうずくまって、早くトイレに立った母が帰って来る事だけを願っていた。
――ガチャリ。
ドアノブに触れる物音がして、Sさんは布団から頭を突き出した。母親が戻って来たと思ったのである。
しかし、暗い小屋の中に母親は居ない。
――その時、サアッと音を立てて、締め切っていたレースのカーテンが横に流れていった。夏でも無いので窓は閉じていた筈だ。
反射的にSさんは、カーテンの開かれた剥き出しの窓を見上げた。
……するとそこに、すりガラスの窓全体にぼんやりと映り込む暗闇の中心に、赤い丸が見えた。
ビックリしたSさんがその赤い丸を凝視していると、それはあっという間に姿を大きくしていって、ペタリと窓に張り付いた。
すりガラスによるスモークで先程まで薄ぼんやりとしていた存在が、窓に密着する事によって明確に、そして至近距離に姿を現したらしい。
……これは自分の幼い頃の経験だから、夢から知れないとSさんは前置きをして、その続きを語ってくれた。
真っ黒い、墨の様な髪を垂らした、それは血濡れの女だった様である。
すりガラスに額を引っ付けた格好の女の表情は、ややスモークがかってハッキリとは見えなかったそうであったが、女がそのまなじりをしくしくと上下させ、肩を揺らしているのはわかったらしい。
Sさんが驚くと、その女はたちまちに、闇に溶けたかの様にして消え去った。
そこまで黙ってSさんの話を聞いていた私が、喫茶店の椅子の上で目一杯にのけ反っていると、Sさんは追い討ちをかける様にして私に告げた。
「思えばあの女の現れ方は、一階部分の屋根を歩いて来て、あの小屋の窓にヒタッと張り付いたみたいでした」
と語った。
それ以降、その小屋で玩具が動く事は無くなったそうである。