トタン小屋のお札
大阪府交野市に住むY君から聞いた話。
交野市とは、大阪府の限りなく北に近い場所に位置する奈良県との県境にある自然豊かな土地である。東と南に山々が連なり、そこで育ったY君は大阪生まれと言えども自然と密接に触れ合いながら大人になったという。
Y君が小学五年生の頃の夏休みにあった話。
昼間のうちに周囲の山に幾つかカブトムシの罠を仕掛けて回り、深夜の〇時に家を抜け出して罠を仕掛けた場所にカブトムシの収集をしに行くという計画があった。
Y君達は自転車で深夜の〇時にいつもの五人で集結した。
月明かりの強い夜であったという。真っ暗闇の山中は予想外にも昼間に見ている様相とはガラリと雰囲気を変え、Y君達は懐中電灯を片手に罠を仕掛けた場所を探すのに右往左往していたという。
あっちでもない、こっちでもない。
そんな事を言い合いながら三つ目の罠までは回収したが、最後に仕掛けた四つめの罠の場所が今ひとつ分からなくなっていた。
鬱蒼とした山林の中で……ふと懐中伝統の明かりが、茶褐色のトタン小屋を映し出したらしい。
Y君達五人はこんなのあったかな、という話になって、度胸試しよろしく入ってみる事にした。トタン小屋の鍵はかかっておらず、入ってみるとそこには畳八畳分ほどの空間があり、農具やなんかが幾つか立て掛けてあるだけだったという。
――しかし、入って右側の壁に視線を沿わせていくとその先に、もう一つ扉があったらしい。
Y君達はそれぞれに、ビビってねぇよ、という雰囲気をあからさまに表出して互いを牽制し合っていたという。当時は小学五年生だったというからその雰囲気はわからないでもない。
とにかく、Y君達は内心恐ろしいと思いながらも、誰もそんな事を言い出さず、またその内情を悟られる訳にもいかないので、結局誰ともなく、暗闇のトタン小屋の中で懐中電灯の灯りに一つ照らし出された右側の部屋の扉を開け放って中へと踏み込む事になったらしい。
異様な光景に誰かが息を呑むのが聞こえたという。
畳で言うと三畳分ほどしかないその狭い空間には、左右のそれぞれに二枚のお札と、燭台に乗った溶けかけた蝋燭だけがあった。
流石にウワッと思って、Y君を含めた何人かがトタン小屋から抜け出して行った。
しかしその内のD君だけは悠々と、遅れて外に出て来たという。
……ちなみにD君というのはかなりの馬鹿で、カブトムシの罠にスズメバチなんかが止まっていたって構わず素手で鷲掴みにする位の少年だったと言う。
いつも様子でD君が、へらへら笑いながら右手に握った物を見せてくる。
「いやD……それはヤバいって」
「戻してこいよ」
「いいやん、学校で自慢したらヒーローやんか」
D君の右手にはあの部屋に置かれていたお札の一枚があったという。そして霊の如く友人達の制止にも応じずに、お札を持って帰るのだという。
誰が言ってもD君は聞かないので、しょうがないのでそのままにしてトタン小屋から離れて行こうとした。
――するとD君が、
「痛い痛い痛いいた……イタイイタイイタイイタイッッ!!」
――そう叫んで蹲ったという。
何事かと思って全員でD君に元へと走っていくと、お札を握り込んだ拳を握り締めて顔を真っ赤にしていた。
D君の手のひらでグチャグチャに握り潰されたお札。
その表情から察するにいつものD君の悪ふざけでもなさそうだし、状況から見て何故か強く握り込んだお札が離せなくなっているらしい。お札を握った右手を抑えて、「イタイイタイ」と喚いている。
騒然としたY君達はD君の右手からお札を引き剥がそうとしたが、異様な力で握り込まれていて引き剥がす事が出来なかった。盗ったお札を元の場所に戻さねばと思うのだが、そう思う様にいかない。
「痛いイタイイタイイタ!!」
それでもD君は必死の形相で喚くし、訳がわからないし、Y君達はパニックになって、お札を握り込んだD君を押してトタン小屋に押し戻し、例の右側の部屋に突っ込んだらしい。
……すると、D君の右手からフッと力が抜けて、握り込まれてぐちゃぐちゃになったお札が元あった辺りに落ちたという。
当然それからY君達はトタン小屋を逃げ出した。
――そして次の日、D君の右の手首には、こう――誰かの手でハッキリと掴まれたかの様な跡が残っていたという。
……この話には後日談がある。
それはY君達が地元の中学校で三年生になった頃の話。
例のトタン小屋に出向いた四人とは同じ学校で、その頃でも変わらず仲が良かったらしく、何かのきっかけでそのトタン小屋の話になったらしい。
そしてなんとなくその時のノリで、もう一度あのトタン小屋に行ってみようと言う話になった。
あの頃彷徨い込んだ山林の中での事なので、探すのには難儀した様だがトタン小屋は見つかった。
時刻は夜へと差し掛かろうとしている薄暮の時間だったという。オレンジ色に染まり始めたトタン小屋の中に、Y君達は暗くなる前にと再び忍び込んだ。
中はあの頃から時が止まっているかの様にそのままの有様で、右手に見える部屋の扉もやはりあった。
開いてみると、やはり部屋の左右にお札と、溶け掛けた蝋燭が燭台に置かれていた。
……ただ、あの頃D君がぐちゃぐちゃに握り潰してしまった筈の例のお札が、その四隅をピンとする程に新しい物に取り替えられていたという。
――まさか誰かが、管理している?
冷や水を浴びせられた様な思いでY君達がトタン小屋から抜け出して来ると、林の方からハッキリと――
「おい」
と声を浴びせられた。
驚いた彼らが振り返ると、地元のおじさんらしき人物がトタン小屋から出てきたY君達を見て声を荒げ始めた。
「お前らあそこ入ったんか! なんか盗っ取らんやろな!」
「何も盗ってないですよ、ほら見てください」
「ホンマやろな! あそこで物を盗っていった奴がおって大変だったんや」
バツが悪くなったらしいD君が目を逸らし始めるのを見てから、Y君はおじさんに尋ねてみた。
「あの小屋の中のお札ってなんなんですか?」
そろそろと様子を伺うように問い掛けたつもりが、おじさんはトーンの変わらないままの口調でハキハキと答えた。
「昔そこで自殺した人を祀ってんのや」
ギョッとして、全員でトタン小屋の方へと振り返ってあれこれと話していると、途中で誰かが言った。
「あれ、おじさんは?」
ものの数秒目を離しただけで、おじさんの姿はそこから消えていたという。
そこらは視界としても開けているのだが、周囲を見渡してみてもやはりおじさんの姿は無かった。
……そう、Y君は語ってくれた。
「それとおじさんは上下真っ暗の長袖を着てましたわ、真夏だったのに」
そう、Y君は最後に付け足した。