掛けっぱなしのTシャツ
バーで出会ったHさんという二十代の男性から聞いた話。
Hさんの趣味は大好きな◯◯というロックバンドのライブに行く事だという。
部屋には所狭しと◯◯のグッズが飾られているという事だが、去年の夏の東京でのライブに参戦した際に購入したバンドTシャツをとても気に入って、それから部屋の目立つ所に飾る様になったという。
Hさんの部屋の壁掛け時計から視線を右にやっていくと、衣類を剥き出して収納している黒色のラックの上に、ハンガーに掛けて壁に吊るしてある、黒くて派手なデザインのTシャツか袖を広げているのだとか。
だがある時にHさんは、そのお気に入りのTシャツからなにやら異臭がする事に気が付いた。
なにやら、汗臭いのだとか。
ライブ後に確かに洗った筈だと思いながらもHさんはTシャツを丁寧に手洗いした。表のプリントが少しでも霞むのが嫌だったからだ。念入りに洗ったからか当然臭いは取れたという。
……しかしそれから数週間として来ると、またもやあの嫌な汗の臭いがしてくる。汗の臭いというのは人それぞれあるものだが、それはHさんの体から放たれる汗の臭いとはまた違っていたらしい。
だからこそ不気味に思い始めたという事だ。
また洗濯をする。
臭いは取れたが数週間後にまた汗臭くなった。
仕方が無いので重曹に浸けてから洗濯機に放り込む事にした。
完璧に無臭になった。
だがやはりまた臭ってくるのだという。
それは生乾きっぽい臭いともまた違うらしく、確実に誰かの汗の臭いであるとHさんは語っていた。
ある時、お気に入りのTシャツの事が諦め切れずに、また洗濯をしてベランダの物干し竿にハンガーで吊るして天日に干していた。
洗濯を終えてからふと振り返って見ると、締め切ったベランダのスライドガラスが鏡の様に反射して自分の姿が見えたという。
――Hさんのお気に入りのTシャツを着込んだ男が、背後の物干し竿で首を吊っていたという。
振り返ってみるとやはり居ないが、正面に向き直ると、ガラスに反射してやはり男は揺れていたという。
初めは首を吊っているかと思ったが、よく見ると男の首を吊り上げている物はハンガーであるらしく、ブラブラと風に揺れ続けている。
しかし真っ昼間という事もあってか、どうしてかHさんは怖いとかそういう風には思わず――
「いや俺のTシャツ着るなよ」
と怒ったという。
ギクリとした男は一度頭を揺すってから、たちまちに鏡の世界から消え去ったらしい。
――あとには風に揺れるTシャツだけが残った。
それからは不思議と汗の臭いはしなくなった、とHさんは語った。
*
――そのTシャツは?
と私が聞くと、Hさんは顔の前で二度手を振って、
「気持ち悪いから捨てた」と言っていた。